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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

乙武さんにみる障害者イメージ

『五体不満足』の著者である乙武さんが、以前不倫報道でマスコミをにぎわせました。
あの報道があってしばらくはメディアの露出もさけていましたが、最近ボチボチとあのころの心境や障害者としての自分のことについて本音の部分で話された内容がネットニュースにでていました。

『五体不満足』はベストセラーになりました。
そして乙武さんの明るく前向きな姿は『障害者の頑張る姿』として世間にイメージングされていきました。
しかし、乙武さんはしだいにそんな自分へのイメージを払拭したくて、けっこうメディアを通してあのころから何気なく下ネタ話題を振りまいたりをしていましたが、「自分がいいことを言っている所、がんばっている所、そういう所を平面的に切り取られてそこだけをマスコミは必要としてくる」として「がんばる障害者像」を求められていったと言います。
自分だって障害者という前に思春期・青年期の異性にも関心を持つ一人の男なんだと言いたかったのでしたが、障害者であることが前面に出され、乙武さんというイメージを作り上げたのでした。
24時間テレビが映し出す「愛と感動を与える存在としての障害者像」をメディアは求めてきたのでした。
「障害者は清廉たれ、障害者は潔白たれ」と聖人君子の仮面に18年間苦しめられた」と語っています。

乙武さんが『五体不満足』を出版しようとした動機の一つに、「自分は障害を持っているけど、楽しく生きているよ」という障害者へのマイナスイメージの払拭を世間に求めていきたいという思いもあったとのことです。
しかし、自分の思いとは裏腹に、障害当事者・家族からのバッシングが多かったと言います。

「あなたはたまたま家庭環境に恵まれていただけだ(親が最初から障害を肯定していた、ある程度経済的にも恵まれたなど)」
「乙武さんががんばっているから、あなたもがんばれるはず」と言われたり、そういう目で見られたりすると。
ベストセラーになったことで障害者のイメージが乙武さんになってしまったのでした。

あともう一つのバッシングは乙武さんという存在それ自体に窮屈さを感じる人々の存在でした。
障害者はもともと弱い存在。なのに障害者が著名になると弱者→強者になったと言われる。
せっかく俺は弱者としてみんなに優しくしてもらえたのによけいなことをしやがって・・。
障害があってもハッピーに生きているという風潮が、許せなかった人が多くいたのでした。

障害当事者や家族からのバッシングはあっても世間やマスコミは相変わらず彼を重宝し、業界の中でいろいろ活躍の場を作り、次第に国会議員の立候補者として名前があがるまでになっていきました。
しかし、そんなところにあの騒動がおこったのです。
今度はメディアも世間も「あいつは最低の人間だ」とこき下ろしたのです。

「メッキがはがれたと批判する前に、これがメッキですとアピールしてきたのに、その言葉は誰にも届いていなかった」と乙武さんは騒動の反応にこう感想を述べています。


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障害のある子の親として

障害のある子の親である私たち障害のある子の親である私たち
(2013/09/15)
福井公子

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「障害者の親」として感じた生きにくさや社会との関係について考えた本。
 考えさせられる一冊です。そして自分の内面にも著者と同じような心性や価値意識を持っていることに気づかされます。

 (引用)
 障害をテーマにしたドキュメントはきらいです
 プロのピアニストになりました! 画家になりました! 公務員になりました!などなど
 親子でがんばって、障害があってもこんなにりっぱに育てました!というやつです
 私は苦しくなります
 私がもっとがんばって育てていたら、息子はもっとりっぱになっていたのか・・・
 しくしく胸がいたみます
 そしてつぶやきます
 私だってがんばった!
 普通の子を育てるより何倍も大変だった
 そもそも「りっぱ」ってなんなのよ
 歌も歌わないし、絵も描かないけど、うちの息子だってりっぱじゃないの
 するとコメンテーターが追い打ちをかけます
 あきらめなかったお母さんが偉いですね!
 人間の可能性は無限ですね!
 いやぁー感動しました!
 ここでも見ていられなくなって私はチャンネルを替えます
 きらいなら最初から見なければいいのに
 でも、やっぱり見てしまうのです
 

 障害のある子、お母さんの愛、がんばり、劇的な成長、このストーリーが多くの人の感動を呼びます。
 「お母さん、愛情を持って触れ合ってあげて」「偏食を治すのはお母さんの愛情がこもった料理が一番よ」
 私も何度そんな言葉をかけられたか分かりません。その度に「あなたの愛情が足りない」と言われているような気になったものです。 
 私たちはいつも、子どもとセットで評価されていることに。子どもが称賛されれば親も称賛され、子どもが何もできないと、親もだめだと言われている気がすることに・・・。
 社会はいとも簡単に「お母さんが偉い!」「お母さんが悪い!」と言ってしまう
 

 障害があることを個性だと言う人がいます
 誰でも得手不得手があるのと同じなのだと
 適切な支援があれば普通にくらせるのだと
 そういう見方もあるのでしょう。でも・・・
 発達障害児のお母さんが新聞に載っていましたが、
 写真にモザイクがかかっていました。
 個性ならどうして顔が出せないのでしょう?
 障害は社会全体で支えるもの
 障害は偏見や差別の対象になることがある
 それが障害というもの


 「『障害』なんてネガティブに考えないで、『個性の一つ』と前向きにとらえよう」と言う人がいます。けれどその考え方は、社会の在り方によって「障害」は決まるという、肝心なところに気づく機会を逃すことにつながると思います。
 私は、「障害」という言葉を、あえて「個性」と言い換えないでおこうと思います。個人だけで引き受けるものではなく、社会全体で引き受けるのが障害だという意識を持っていたいから。そして何より、障害がある子の親になっても、なお自分自身の中に根強く残っている偏見や差別を、自戒を込めて意識していきたいと思うからです。

 障害は治らないけれど、適切な教育や支援があれば必ず成長する
 今も療育関係者からよく聞く言葉です
 そして、その通りなのだと思います
 けれどその言葉は、親にとっては、とても危険な言葉です
 親は、「成長」や「発達」といった言葉の意味を〝健常”に限りなく近づくことと安易にとらえるかもしれません
 あるいは、人と違うところがあるけれど、何か特異な才能を秘めたすごい人になると思うかもしれません
 療育の専門家は発達を支援するのが仕事です
 発達にこだわるのは当然かもしれません
 でも私たち親は、どうしようもないほど手をつけられない子どもでも、障害が重い子どもも病気が進行していく子どもも、
 たとえ命が亡くなり、成長も発達も未来もなくなった子どもも、その子を愛していく・・・
 その方法をみつけていかなくてはならないのです
 人は必ず成長する!それにとらわれすぎると、私たち親は幸せにならないのです


 「障害があっても必ず成長する」。療育関係者の方からよく聞く言葉です。確かに、子どもの障害を告知されたとき、この言葉は親にとって大きな希望になるでしょう。
 しかし、それは親が障害のある子を受容していく道の、ほんの入口にしか過ぎないと。この子は一生こうなのだと、親が半ばあきらめたとき、それでも愛していこうと覚悟をきめたとき、そこからまるごとの受容の始まりのような気がするのです。
  「人は必ず成長する」、その価値観を超えるとき、私たち親は初めて穏やかな気持ちになれるのかもしれません。

 この行動さえ治れば、もっとこの子を愛せるのに・・・
 この行動をどうにかしなければ・・・
 親がそう思っている限り、その行動は続く。そんな気がします
 お母さんはこんな僕でもほんとうにほんとうに本当に愛せるのかと
 ためしている?ためされている?そんな気がするのです
 親が諦めた時、この子は一生こうなのだと
 それでも愛していこうと覚悟を決めた時
 あれっ、そういえば最近あんなことしなくなってるな、なんて思うことはよくあることです


 「元気な子どもは社会の宝」 
 こんなポスターを見かけました
 子育て支援のポスターです
 元気で良い子が社会の宝とされるから、親は追い詰められる
 元気で良い子が社会の宝とされるから、少なく産んで完璧に育てたい
 そもそも、この価値観こそが問題なのに、こんな簡単なことに誰も気づかない
 
 
 元気で良い子だけが大切にされる社会。それは、そこから落ちこぼれたら大変だという漠然とした不安を生み出します。
 多くの人が多数派の価値観だけで物事を進めようとすると、当たり前のことに気づかない事もある、障害がある子どもを持った私だから、そんな社会の問題にも、ほんの少しだけ早く気づけるのかもしれません。

 その頃の私は、私のがんばりで立派な障害者にすることはできる。何らかの仕事ができて、自分のことは自分でできる、素直で誰にでも好かれる障害者。そのために親としてできることは何でもしなければ・・・、と思っていました。
 そう思うと親仲間はライバルに見え、息子にはもっともっとの成長を期待していました。
 それほど発達にこだわるのは息子のため。そう思い込んでいましたが、本当は私自身のためだったのではないか。障害がある子を産んだことで失った自分への自信、それを取り戻すためだったのではないか。そう気づいたのはずっとずっと後になってからでした。
  私たち障害がある子の親は、社会から称賛される親に嫉妬のような感情を持つこともあります。また自分はそんなに立派な親になれないと劣等感を持つこともあります。
 社会が求めている「障害がある子の親のあるべき形」に私たち自身がとらわれ、仲間意識さえも分断させることがあるのではないか。
 
 障害がある人や家族の事が取り上げられる講演会。実は当事者や家族にはあまり評判がよくありません。
 共通しているメッセージは「がんばり」「前向き」「あきらめない」「感謝」「親子愛」でしょうか。
 障害がある人の生きづらさは、障害がある人の側に問題があるのではなく、社会の側に問題があるからだということに参加者の人に気づいてもらいたい。
 主催者側が障害者理解をテーマにしているつもりでも、私たちの想いから外れている。それどころか社会が作り上げた「障害者役割理解」や「障害者の親役割期待」を強化しているのではないかと思うこともあります。
 私は知っています。親が元気なのにヘルパーさんを利用していることを批判する人がいることも。それが私たちの地域の現状でもあることを。そんな中、参加者の期待を裏切らない、決して社会の在り方を批判しない講師を迎えることが、現実的な「障害者理解」となるのかもしれません。

 子どもたちの下校の時間帯は障害がある人が作業所から帰る時間帯でもあります。
 「不審者と間違えられてショックだった」・・。彼らの中には独り言を言ったり、ニヤニヤ笑いながら自転車に乗って変える人もいて、怪しいと思われてしまうこともあったのです。パトロールさえなければ、何事もなく暮らしていた人たちです。
 身体が不自由な人が、主に介護のために施設に入所するのに対し、精神障害や知的障害のある人は社会防衛のために、病院や施設に隔離された歴史があります。つまり社会の安全のために排除されたということです。
 「国民の安心・安全」。一日に何度も聞く言葉です。私はその度に背筋が寒くなる思いがします。それはきっと多数派の人の安心安全だから。そのために排除される人がいるに違いないから。
 社会的に孤立した人が凶悪な犯罪を起こしたりすると、すぐに厳罰を求める世論も怖いと思います。どうしてその人が孤立したのか、地域社会の在り方に問題はないのか、そして地域社会を構成している個人としての自分はどうなのか。排除の連鎖は、ますます生きづらい人をつくっていくということにしかならないから。

  入所施設へのニーズが減らないと言うのは、親亡き後、地域での暮らしがまだ整っていないということの証なのです。
 同じことが特別支援学校にも言えるのではないでしょうか。特に中学部や高等部派教室を増やさなければ対応できない状態だといいます。それもまた、障害がある生徒が地域の学校で受け入れられていない証なのではないでしょうか。特別支援教育という方向を出した今、特別支援学校を増設するのがニーズに応えるということではないはずです。
 新型出生前診断にしても、晩婚化が進み、健全な子どもを数少なくもちたいという人多くなれば、必然的にそのニーズは増えていくでしょう。だからといってそのニーズに応えていけばよいのでしょうか。それはまた、障害がある子を安心して産めない社会であると言う明白な証でもあるのです。 

 「親こそ最良の療育者」とよく言われます 
 子どもに障害があるとわかって動揺している時、そう言われると
 そうだ! なんとしてもがんばらなくっちゃ!と思います
 私もそうでした
 でも、結局私は最良の療育者にはなれませんでした
 自閉症の息子は、よく私の髪の匂いを嗅ぎにきます
 こんなとき、「療育者の私」は×を出します
 「他の女性にもこんなことをやりだしたら大変だ」
 そう言われるからです
 でも、「お母さんの私」は×が出せません
 わが子に触れられるのがいやなお母さんなんていませんから
 私は、ゆれます
 療育者か? お母さんか?
 そして、私は決まって「お母さんの気持ち」の方を選んでしまいます
 いやいや、そこを心を鬼にして療育するのがよいお母さんだ
 そう言われるかもしれません
 だとしたら、私はよいお母さんでもないのです

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知的障害者を扱った映画から

 今、公開中の「くちづけ」という映画を鑑賞してきました。

 知的障害者のグループホームを舞台に、知的障害を持つ娘を抱える親の想いというものが、あふれんばかりに描き出されています。
 
 この映画は、昔あった事件(年配の方が障害者の息子だったか弟だったかを自分の命が残りわずかであることを知り殺してしまったというもの)をモチーフに描かれています。
 テーマは重いのですが、キャラクターのユーモアさも交えながら、ほのぼのと愛情をちりばめ、しかしながら最後は切なく胸が痛むようなストーリーになっています。

 貫地谷しほり演じる知的障害の娘は、竹中直人扮する父親と一緒でないと暮らせない。父親は本業の漫画家を休業してまで幼いときから母親亡きあと男手一つで育て上げてきました。
 施設に預けても脱走したり、またある事がきっかけで男性恐怖症になり父親以外の男性には拒否を示すので、父親も住み込みで娘と一緒に生活できる、知的障害者のグループホームに入居します。そこで他の入居者と楽しく暮らすはずでしたが、ある時父親が末期のがんにおかされていることがわかりますが、父親はそのことを誰にも言わずに秘密にしています。
 やがてグループホームも事情があって閉鎖になり、父親は娘をある入所施設に預けますが、娘は脱走を繰り返し、行方不明になります。
 父親は自分の亡きあと、娘の行く末を案じ、最後は父親の手で娘の首を絞めることになります。

 映画の中では、知的障害者がおかれている現実も映し出します。「偏見や差別的発言」もあえて彼らを美化することなくあるキャラクターを通じてそのようなセリフを言わせる場面もあります。
 また、「ホームレスや、軽犯罪を犯す人の何割かは知的障害者だ」というようなセリフも言わせています。
 それに対し、主人公の父親役を演じる竹中直人が反論するセリフが、実に今の社会の現実への反発をよく語っています。
 映画のなかで、この父親は娘よりも確実に早く死んでしまうことが明らかなのに、娘は父親以外の場所や人には慣れずに施設を脱走する。そんな娘の行く末を案じる父親の想いが彼のセリフを通して私たちにとても重いテーマを突きつけてきます。

 最後に1冊のアルバムを残し、その父娘の写った幼少期から大人になるまでの親子で撮ったアルバムの写真をスライドに流してグループホームの住人だった人たちみんなで鑑賞するところで映画は終わっています。最後のシーンは本当に愛情いっぱいに育ててきたその深さが切々と伝わってくる場面ですが、だからこそ、娘を思うあまりの(殺してしまう)行為に涙があふれてきます。
 
 一人一人の心のなかに訴える作品だと思います。

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障害児(者)を育てるとは?(4)

『ひろしくんの本(Ⅴ)』より

 〈博が好きな人とのかかわりの中で好きなことをしていく〉というかかわりについての私の考え方、生き方についても多くの批判があります。
 生きていく上で嫌いな人と出会うことが必ずあるので、それをのりこえていけるだけの意図的な経験をさせたり教えていかなければという療育や教育の現場の方々や親御さんの意見でした。この意見自体は健常者の視点でみている意見だと私は思っておりました。短期間で身につけさせたいという健常者のおごりがあります。
  
 博が20歳頃までは、私にも次々と「こうしたら」と様々な助言をいただきました。その度に即座に異を唱えることもできないので先生方との信頼を優先して教示通りに博と向き合いました。しかし、どれ一つとっても博の瞳が輝くまでに至りませんでしたから継続することは中止していました。
 私が博の瞳を信じて、かかわりを大切に生きるという信念をもてるまでには、ことばで表現しつくせない勇気と決断をことあるごとに私自身にもとめられてきています。ですから、時にはまわり道をしたり、博につらい思いをさせてしまったり、無駄なお金と時間を費やしたことも度々ありました。この数えきれない「無駄」と感じた体験をしたことが、今では私にとっての博の自閉症(=広汎性発達障害)の本質を見極める糧となっています。
 常に私が信念を貫くということは様々な既成概念との闘いであり、頑固と紙一重の勇気ある決断を求められています。それは今も続いています。

 最近、アスペルガーや高機能自閉症と診断された方々の著書を書店でみるようになりました。そこで私が着目していることは、私を含めて健常児者を〈定型発達の人間〉とみていることです。それほど健常者は、すべてものごとを一つの概念でとらえているからでしょう。広汎性発達障害の人たちは生まれた時から物の見方や思考回路というか考えていくプロセス(過程)が根本のところで違うということを「知識」として研究者も教育、福祉、療育の現場の方々は熟知しているはずです。しかし、現実の場面で博に話しかけたり、行動される時に(定型発達の人間)特有の体にしみこんだ概念そのもので対応される方が多いのです。博と過去の思い出を話す度に、博のパニックの大半は、そこに起因していたのだとわかり、「つらかったね、ごめんなさいね」とあやまっています。私自身も健常者として知らず知らずのうちに身につけてきた概念を今もとりこわす努力をしています。

 周囲の目には、長いこと親離れができない、べったりと甘えさせている過保護の母親として受け止められました。10歳の時には学校で校長先生から直接、親の鍛え方が足りないと注意を受けました。
 博の17歳から私は意識して感覚過敏の問題を積極的によりきめ細やかに大切にしてきました。特に大好きな方々とのかかわりの中で情感やことばの面が徐々に安定してきました。20歳を過ぎると年毎に成長が際立って目立つようにわかってきました。その頃からです。周囲の目は、過保護、処遇困難な子どもから一変して「自閉症でも軽い子ども」「特別な子どもだから成長した」と評価が変わりました。
 何でも鍛えさえすれば解決するという教育現場での既成概念は、今だに根強く残っています。よく「うちの子には過敏さはないの」と言い切る自閉症児者の親御さんや先生がおられますが、それだけ子どもの心を無視して健常者の視点で自閉症児者をふりまわしてきていることに気づいてほしいと思います。
 一方、わが子の過敏さに気づいていながら何も親としての対策をとらずに、自閉症児の感覚過敏や広汎性発達障害についての具体的な理解も方策もない学校の先生方の指示のままに、新しいことを同時にいくつも開始してしまう親御さんたちが多いことにも驚かされる昨今です。また神経が疲れ過ぎて眠れなくなるとすべての生活に影響してくるということを実感できない親御さんが多いことに胸が痛みます。わが子の神経の疲れを知ることができるのは親しかいないのです。
 健常者の感覚の自立や親ばなれとは全く同質の問題ではない即ち異質であるということを39年間、博と生きてきているからこそ私は今、提言したいと思います。

 学校の体育が苦手だった博が、15歳の時自宅から徒歩5分ぐらいのところにあるウェイトトレーニングジムに通い続けて今年25年目を迎えました。
 同じ15歳の時に、ベートーヴェンの第九を歌う会に参加し、来年で25年目を迎えます。
 太極拳は今年14年目を迎えましたが2006年6月に卒業しました。
 自宅に開設した博の菓子工房は昨年15年目を迎えました。
 日常のくらし全般にわたっても根気よく長続きする博をみて、ほとんどの方は特別なことだとおっしゃいます。 しかし私は決して特別なことではなく、それは博の生まれながらにもつ障害の特徴であるこだわり(固執性)と対人関係拒否の二つをまずプラス思考でいかすことを乳児の時から私ども夫婦が心がけてきたからです。
 私どもは、こだわりをプラス思考にいかす方法の鍵は、まず博が大好きな方々とのかかわりの中で、すべてを進めてきています。
 特に中学校を卒業してから「学校」というところにいっさい行かないで、15歳の時から博のくらしや成長のリズムにあわせて生涯にわたる余暇活動にまず長い時間を費やしました。この余暇活動も何か趣味を身につけさせたいとか習わせるという親の思いは毛頭ありませんでした。どれをとっても、博が選んだ大好きな方との関係がスタートになっています。
 私が教育や療育現場の先生方の動きで気になることは、子どもの状態を待てずに先生が先へ先へと判断して進めていくことです。
 自閉症児者のこだわりをやめさせたいと思っている親御さんや先生方が相変わらずいらっしゃることに疑念を抱いております。
   
 健常者は単調に繰り返すことを最も嫌いすべてを先急ぎしていく傾向がコミュニケーションの面でも出てきます。本来、博は日常のくらしが単調に限りなくシンプルに繰り返すこと、なぞること、そして先が明解ではっきりとみえることを望みます。それが博には何よりの安心であり、繰り返すなかで小さな発見をすることに喜びを感じているのです。
 それに反して多くの健常者は、日々好奇心と未知を知る刺激的な生活をもとめます。新鮮さの感じ方が根本のところで違うことを認識しておくことが大切です。
 

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障害児(者)を育てるとは?(3)

 『ひろしくんの本(Ⅳ)』より

 この37年間に自閉症に関する情報はあふれる程、増え続けています。研究や療法も一見進んでいるようにみえます。しかし、現実は個々の自閉症児のもつ個性や発達や、バックグラウンドとなる家庭環境にそぐわないマニュアル化した療法があふれています。また「完治する」と安易なことばをつかう療育者や研究者がおられるために翻弄される親御さんが増え続けています。

 どうしてこんなにも教えること、教えなければならないという概念にしばられているのでしょうか。健常児に少しでも近づけてあげたいという思いの先生や親御さんの多いことにも私はいつも気づかされています。
 自閉症児の世界は生まれたときから健常児と異なる世界をもちながら限りなくゆっくりと目に見えない程の小さな歩みでその子なりに発達していきます。そのことを親御さんと先生がまず理解することから、すべてがはじまると私は、博から教えてもらいました。

 自閉症と診断されてからの状態は、個々の表し方が異なっていても、対人関係の難しさやコミュニケーションの取りにくさ、こだわり、感覚過敏など障害としての特徴は誰にもあります。
 この障害が成人していく中で改善されていくとか完治すると私も聞かされたことがありますが、むしろ成人してからの博は、より強くこの障害と向き合っていかなければならないのだと年ごとに親子で自覚するようになりました。
 
これまでの私のおつきあいの中で感じることは自閉症児の興味の世界がファンタジーな世界が多いのに、この世界にどっぷり入れない先生方やヘルパーさんがおられることです。
 先生方は付き合う中でよかれと思って、こうしたら、ああしたらと先急ぎをする助言が多いのです。時には先生やヘルパーさんご自身の思いこみが激しくて博のリズムと合わないことがよくありました。中には自閉症についてわかったふりをされていますが、博にかかわる時の言動に何も理解していないちぐはぐな対応となり博がとまどっていることが私にはよく見えるので困りました。また研究者の方々からは、どこかで学校生活にあわせるための方策として博の興味の世界を利用して今のうちに○○に取り組んだらという助言がありました。ご助言の中にはご自身の研究上の興味の対象として博にさせてみたいというお心がみえることも数々ありました。しかし博はそういうことに直観的に反応して家族だけには正直に拒絶の表情をしていました。

 「この子の好きなことにいつまで付き合えばいいのだろうか」「こんなことを続けさせていたら変なくせがつくから、たった今やめさせるようにと先生から言われた」この二つの親御さんに代表される声が現在まで毎年私の手元に入ってきます。こうした感覚をもつ親御さんや先生方が今もおられるということが自閉症児に対する理解を送らせているのだといつも私は考えさせられています。
 子どもの興味の世界にとびこまない親御さんや先生方のかかわり方は、子どもにつきあってあげる何かをやらせてみたいという姿勢です。こうした関係で自閉症児者の世界を見る方々にとっては、とても幼稚な世界に見えてしまいます。
 私どもは四歳の時の先生の助言にこりて児童相談所の遊戯治療で通所している二年間は博の興味を詳細に報告しませんでした。当時の私どもは、姉と違う育ち方をする過敏なまでの博の見方、聞き方、感じ方すべてを日々のくらしの中で親も一緒に体感してみたいと思っていた時でした。だから外部の介入を拒否した時期でもありました。

 博の興味の世界にあわない方々がおられることを知らされたのは学童期から今日まで幾度となく博と私は体験しました。先生方やヘルパーさんは、博とうまくいかなくても他の人へという逃れ方ができます。そして時間がたつほどに忘れ去ることもできます。
 しかし対人関係の困難さやこだわりの障害をもつ博にとっては、常にどういう出会いをするかが問われるのです。恐れを知らないというか簡単にかかわる側の方々の博にとって不本意な入力をされたことを訂正するのは簡単なことではないということを認識していただきたいのです。私の決断が遅れるとその償いやアフターケアはすべて長い時間をかけて家族が背負うのです。
 また達成感〈成果)をもちたいと先急ぎする親御さんをもった自閉症児は不運としかいいようがない現実を私はみてきています。それだけに順風満帆できたのでなく博の興味の世界は博の発信できる環境を姉と私が守って来て本当に紙一重の決断だったことを今ようやく伝えられるところにきました。

 乳幼児期から思春期といわれる年齢までに、自閉症児自身が興味の世界でたくさんの完全燃焼できる体験をもつことが思春期を乗りきるエネルギーになること、そしてそれが生き生きとした表情につながる鍵になると私はいつも考えております。
 例えば博は零歳からクラシック音楽のレコードを毎日聞くことが大好きでした。私どもは四歳からそれまで以上に意識して大切にしました。レコードを買うことは博の医療費と位置付けて生活費を切りつめても最優先にしてきました。博が十三歳の時点で既に504曲聞いていました。博が二十歳になる頃には音楽のジャンルも驚くほど広がり曲数も増えていますが肝心なレコードはどれも聞きすぎてすりきれ、かけられない状態になっていました。それほど、聞き尽くしたのです。
 37歳の現在では年齢や障害をこえて同じ指揮者や演奏を好む一人の音楽愛好者としての交流があります。その方々が好きな新しい音楽を博も大好きになるというかかわりに発展したくらしができるまでになっています。
 これまで自閉症研究者が、どんなかかわりを自閉症児や親御さんともったのかと問いかけたいほど、〈自閉症児は思春期以後の予後が悪い〉という無責任なことばを流してきました。そのために毎年どれ程の親御さんを不安に陥れてきたかその数は増え続けるばかりです。
 
 博の興味の世界を一緒に楽しみ共感する中で博が心地よく燃焼していくためには、かかわる私ども家族のコミュニケーション能力を博から求められました。博の発信をただキャッチできる感度だけでは博は育ちません。私どもがいかにタイミングのよい「返し方」を博にしていくかを求められるのです。
 博の場合、一方的に教え込むことはいっさいしていまん。興味の広がりやステップアップしたい即ち燃焼していきたい博の発信を、博の小さい時ほど家族は、ひたすら待ち続ける気持ちも大切でした。こだわりの強い博が一つの世界に入ると数カ月も毎日延々と楽しむことが続きます。それを一緒に楽しむかかわりが大切なのです。つきあうという感覚では博に見破られてしまいます。
 
 自閉症児者の興味の世界を悪用する家族や先生方がおられることを私は聞いたり見たりしてきました。親御さんが、子どもさんの好きなことをしている間に家事をしたり、教育現場では気分をおちつかせるために、或いは他の子どもの指導する間にという先生方の興味の世界の扱い方も悪用しているにすぎません。
 ある著名な自閉症研究者に博が11歳の時にお会いしたことがあります。その時博のらくがきをご覧になって親の私が説明する前に、「一人で楽しませているだけだったら発達の変容にならない」と頭ごなしにおっしゃいました。確かに放っておくことは発達の変容になりません。それ程、自閉症児の興味の世界の中にどっぷり入ってかかわっている方がおられないということをこの時、私は逆に確認させていただきました。
 自閉症児者を理解するか否かは、この興味の世界にかかわる側の方々の質を問われることになるといっても過言ではないと私は思います。

 早期発見、早期療育で最初に出会うドクターや療育者が机上だけでの知識や浅い体験から出た指導でその後の成長をとめてしまっている瞳の輝きのない悲しい子どもたちに私はたくさん出会っています。何でも教え込みさえすればかなうと思っている、焦るというか走り過ぎる先生方や親御さんに強く訴えたいところです。

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障害児(者)を育てるとは?(2)

『ひろしくんの本Ⅲ』より

 
 博が中学を卒業して学校と言う名のつくところに行かない生活を始めて20年になりました。この20年の中で博にかかわって育てていただいた多くの方は「先生」と呼ばない地域の一般の方々です。みなさんそれぞれが具体的に博の行動のしづらさや特徴のある言語世界を理解し博の歩むリズムに合わせてご自分の方にひきよせず博の気持ちに寄り添って〈まつ〉ことが非常に上手な方々です。
 私がこの20年間で一番強く感じたのは、多くの先生方は忙しすぎて子どもの発信をまてないという現実です。また「子どもの発信や、動き出すのをまっていたら日がくれる」ということばも私はよく聞かされたのです。将来にわたってじっくりというより先へ先へと急ぐ助言や指示を出されて「学校在学中」に一人でできるようにさせたい、自立させたいという思いが強いようです。
 一人で料理ができる、洗濯ができるという何もかも一人づくめの「自立」ではなく、障害者も一人の人間として家族の中で役割をもち助け合ったり気遣い合ったりできる心を育てて長い人生を多くの方々と一緒に楽しく歩んでほしいと私は願いながら博と暮らしております。

 バスに乗る、公園に行くという行動のイメージがすっきり伝わるようになるためには、私がついでに買い物をしたり寄り道をしたり、私の都合で不定期にバスに乗ったりしては駄目です。博に徹底した二つのイメージがつかめるように同じ時刻のバスに乗り博とブランコに一緒に乗る、すなわちシンプルな目標でシンプルに親の私が意識して一緒に楽しむだけの覚悟と根気さえあればいいのです。これが育てることの「原点」でした。

 何歳まで・・・ができるようにとか、学期や学年単位でカリキュラムをつくり一定の評価や成果を求めていく学校教育には、とてつもない時間や回数のいる博がついていくことは無理だということをこの一年間の校外生活で学ばせていただくと同時に、くらしに関することや特に公共交通機関としてのバス乗りを一生かけて大事にしたいと夫婦で話しました。
 あれから三十年近くたつというのに、この間私のところによせられる学校生活に関する悩みは変わっていませんし、先生も親御さんも机のうえでの学習に力を注いでいる方が年ごとに多くおられることに驚いております。

 13歳1カ月までバス乗りは常に父親か私か姉が一緒でした。博の行動だけでなく家族が一緒に動くことで、いつも乗り続けているバスの中で運転手さんだけでなく乗客の方々の目に自然な形でうつということは博の障害を理解していただくうえでの最高の広報活動でした。
 交差点一つとっても単純なものからスクランブル交差点など、博にとってはどこに視点を合わせてよいのか、みることさえむずかしい自閉症の障害の特徴を私は博の目のみつめ方、動かし方から教えてもらい、博自身が判断できるようになるまで一緒に行動しました。それが多分、他人の眼にはいつまでも母親は博にべったりついて歩いているとうつりましたし、先生方からも「もう立派に一人で行動できるのに」とよく言われたものです。
 なぜいつまでも一緒に行動しているのかの内容について私に尋ねる先生がだれ一人としていらっしゃいませんでした。自閉症の子どもの目(視線)の使い方と理解の仕方に特徴があることをご存じの先生方には、こうしたくらしの中での自閉症児の具体的な理解をしていくまでの道筋をもっと感じ取っていただきたいものです。
  

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障害児(者)を育てるとは?(1)

『ひろしくんの本』より(深見憲 著)

 様々な療法が出てくることは子どもたちに福音をもたらしていると思います。しかし、その一方で自閉症児問題に限らず療育・教育面では多方面にわたってマニュアル化したり論理化してきたことで、子どもが本来もっている素朴な本能が軽んじられそれを価値のない見下げ方をしてしまう傾向がここ二十数年間、年ごとに強くなっているように思えてなりません。療育・教育者は理屈のうえにたって結構ですが、親御さんは理屈でなく子ども本来の素朴な遊びにかかわることが一番子どもにとって無上のよろこびのように思えます。

 療育方法にいたっては、様々な方法がマスコミに取り上げられては消えていったものもありました。その度にその時代に生きている子どもと親は、わらをも掴む思いで生きていますから、そうした療法にゆだねては翻弄されてきました。研究者や療育関係者は、様々な療法を担当している子どもたちに試みることができます。もし子どもによって適性でなかったとしても次の子どもに試みることができます。 
 しかし親は違います。わが子に受けた療法が失敗だったと知っても、どこにも訴えることはできません。本来のもつ障害の他に、専門家がよく言われる二次障害という育つ過程でできた不本意な障害をも背負って親子で生きていかなければなりません。
 これまで、でてきた療法の一つ一つは自閉症の障害そのものを完治させるものではないと、むしろ育てていく中での援助の一つだと私自身は考えてきました。だとしたら私は親として責任回避などしたくなかったし、後悔もしたくないので療法と名のつくものは現在まで、いっさい受けずにきました。

 自閉症児の治療・療育の現状をみていると、課題から課題へと先急ぎをして子どもが完全消化をしていないうちに、「もうお母さん、大丈夫、あなたが心配していることはない。もう十分育っている」と必ず提言されます。その指示どおりにステップアップを私はしませんでした。私は博の物差しをもったお蔭で博自身から出るサインがみえました。自信がつくまでは、博にたださせるのではなく一つの課題を常に一緒にしながら私がどこまで一緒にするのか、次に手をひいていくこのひき方を博の様子、表現、ことば、行動をみながら、コンマ以下の細かいステップで手をひいていく、この繰り返しのなかでの回数と時間は、先生方の指示より、はるかに越えたところでした。
 こうした目に見えない博にあったリズムのきめ細かさや繰り返しの大切さは現在の学校教育の現状の中では望めません。学校教育に見切りをつけた大きな原因は、ここにありました。社会生活に直結したことが家庭の日常の暮らしの中にはたくさんあります。

 興味を大事にする
 興味や関心ごとは、一見無意味そうにみえても本人にとっては最高に楽しい遊びであったり、陶酔して無我の境地といった感じのものまで様々なことがありました。それは13歳まで続きました。親にとっては、こんなことをいつまでも続けられたらどうしよう、早くやめさせなければと思うようなことばかりでしたし、「さあ、今日から訓練的なものや学習をさせたい」と思っている療育専門家や教育現場の先生方によっても、子どもが興味にとりつかれてしまうと本来の指導ができなくなるのでやめさせるという考えが、現在でも非常に多いようです。それに興味や関心を大切にしていく訓練は、実際とても時間のかかることなのです。早くトレーニングの成果を望む親や先生方には、そこまで根気よく子どもに付き合うことはできないことでしょう。
 博の場合、いつも無理にやめさせてもまた別のかたちで興味や関心は続きました。私どもは、一人でやらせっ放しにしておくのでなく親が一緒に付き合うところに大きな意味があると思っていました。ある時、著名なある専門家が、私どものこうした考えや実践してきたことに耳を傾けようともしないで、博のたった一枚の絵をみて、「無意味な遊びは発達の変容にならないからやめさせるように」と頭ごなしに言われたことがありました。自閉症の専門家であるならば、なおのこと一人一人の子どもと親の歩み方に耳を傾けるべきだと思います。それは療育専門家や現場の教師が、おごりをもったら自閉症の子どもたちの心の水面下にあるものが何もみえなくなってしまうこわさを時々感じたことがあります。
 自閉症の子どもたちが一番育ちにくいとされている情操と情緒は、親がまず子どもの興味と関心を大切にしていく中で育つのだと私は考えております。

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ある自閉症者の生活記録

 以前、わが子のことで相談したことのある、作業療法士の先生から紹介されていた本です。

  『ひろしくんの本』 深見憲(フカミトシ)著 中川書店

 著者は深見博さんという自閉症の息子さんを育てているお母様です。大分県在住で、現在息子さんは45歳ころになっているでしょうか。本はシリーズで1刊から6刊まであります。

 大分県で県内第2号の自閉症児として認定されました。当時はまだまだ自閉症に関する資料も療育・教育も行き届いていない時代にあって、夫婦は息子博さんの遠い将来を考え(地域で生活を送れること、中学い卒業後の趣味や生きがいを見つけること)、中学校の義務教育後は自宅で家族の関わりのもといろいろな地域の人々の支えのなかで生活してきました。

 そのなかで、「自閉症に特有のこだわりをあくまでも個性として受け止め続け、こだわりをやめさせるのではなく、こだわり行動を親も一緒に楽しみながら、わが子を地域に出し「自閉症とは?」などと親が説明しなくても親子の関わり方や子育てを地域の人にもみてもらうことでわが子に対する理解の輪を広げていった」とあります。

 乳幼児期のクラシック音楽へのこだわりが、長じて「市民第9を歌う会」への参加へとつながり、毎年10年以上も舞台で歌い続けていること。
 台どころの調理器具や料理へのこだわりが、手作りのお菓子・クッキー作りへとつながり、現在まで自宅で自分の工房を開き、予約制でクッキーを販売していること。(こだわりが趣味→仕事へと発展していったこと)
 幼少期に聞いた童話のカセットの響きを毎日のように聞いていたこだわりから、今では地域の行事などでも紙芝居を読む活動にも発展していっていること。
 毎日、同じ曜日・時間に父親とバスに乗ってデパート巡りをするなかで人との関係や、がまんすることなどを学びそれが、自分ひとりで挨拶したり行動することができる原点になっていったこと。
 30歳以降になってから、内面の豊かな世界を「言葉」で表現できるようになっていったこと。これまでの親の関わりや声掛けをしっかり記憶していて、昔感じた思い(親にしてもらってよかったことや周りの人たちから言われて嫌だったことなど)を成人してからいろいろなことを話してくれるようになったこと。そのころから内言語の表出がどんどんとびだし、今では日常会話には困らないくらいになっているとのこと。
 
 この本を読んでいると、いかにわが子のこだわりを大事にしてかなりスモールステップで親としてわが子に関わり続けていったのかがわかります。
 そして、あらためて自閉症の人が持つ思考や感性が健常児のそれとは違い、健常者の世界よりも豊かな内面世界を感性として築いていること。知的学習能力が低いことだけでその人間を評価してしまう今の感覚。情緒・内面世界にすぐれた自閉症者の感性を育てていけない社会の現実。
 自閉症者や発達障害の人たちの世界を本当に丁寧に大事に関わって行けたら、本当に豊かな精神世界が築かれるのに、今の学校教育や社会の進み方が早く、周りの人(専門家を始め、教師など関わる人たち)の感覚に合わせられてしまう。その矛盾
 今、3~40年前の時代とは違い、自閉症や発達障害に関する本も沢山あり、○○療法などを求め療育機関に子どもをゆだねる親御さんも多いと思います。
 他の発達障害関係のブログなどを読んでいても、「今日は○○児童デイへ、明日は××療育センターへ、そして障害児向けの塾へ・・・」などと子どもさんは細切れに親が決めた時間に追われてそれぞれの目的に応じた場所へ行かされているような感じのものもあるようです。そういう生活の中では本当に「じっくり腰を据えてわが子と関わる」という家庭生活の基本的なことがますますできにくいようになってきている気がしますし、子どもも次々とめまぐるしく変わるかかわり方の中で果たして本当の意味での内面世界を発達させていけるのかと感じるのです。
 

 でも、この本が書かれた30数年前の時代背景とも違い、今の発達障害児者をとりまく環境は逆に地域性の崩壊や個人情報の壁などもあり、地域で障害児がどのくらいいてどんな暮らしをしているかまではなかなか把握できにくい状況になって子育て全体が孤立している傾向にもあります。
 知識や啓発も増えてきているとはいえ、いまだにその療育や教育方法を巡ってはまだ親御さんたちにとっては納得できるものにはなっていません。
 現在の障害児子育ての本質に通じるものが多くあり、今の時代の子育ての在り方を見直す必要がありそうです。

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出生前診断について思うこと

 最近、出生前診断という言葉がクローズアップされるようになりました。

 タイムリーに朝日新聞やNHKのTV番組でも、東尾理子さんがインタビューに応えているのを目にしました。

 彼女が血液検査でお腹の子に「ダウン症」の疑いがあることも否定できないかもしれないことなど、マスコミなどもこぞって話題にしています。
 しかし、新聞やTVでの発言を聴いていると、彼女は最初から障害の有無を確かめたくてその検査を受けたわけではなく、お医者さんの勧めもあり一般の妊婦健診の一つとしてその血液検査を受けたこと、その結果、そういう指摘をされたことを話していました。
 さらに、障害の有無を確認したい場合は、羊水検査を受ける必要があるが、その時の選択は彼女にはなかったそうです。
 「羊水検査を受けることは、障害の有無を確認すること。障害があるとわかった時点で産むか産まないかの選択も一緒についてきてしまうことになり、私には“産まないという選択”はなかったから検査は最初からしないと決めていた」
 それに対し、夫の石田純一さんは「障害を持つ子をこれから育てていくに当たって、親としてこの子より先に死ぬんだから、その子の行く末も考えてどう判断するかも含め、羊水検査を受けた方がいいんじゃないか」と助言したそうです。
 しかし、理子さんは「その時はそのときでなるようにしかならない」と比較的楽天的にとらえているようで、何よりも絶対産みたいという思いの方が勝っていたようです。結果的には妻に従った夫。

 彼女は、司会者から「どうしてそういう思いになったのか?」との質問に、「10年近くアメリカで暮らしてきて、向こうの社会の中にはダウン症も知的障害の子たちも地域の中に自然に溶け込んで生活していたし、そういう社会の中で自分も過ごしてきて、“障害を持っていようが普通にみんな暮らしているし、まわりもそういう目でみてくれていた。そんな経験があったので、自分に障害を持つ子を授かったとしてもそれが不安やいやだという感覚ではない。どんな子でもわが子として当たり前に受け入れたい」と答えていました。

 彼女のように有名人でこれまでさんざんマスコミをにぎわしてきた情報などからは、いかに彼女が子どもを産みたいかの心境などは痛いほど伝わってくるものがありましたが、いざ目の前の「出生前診断」というテーマにぶち当たった時の態度でもぶれずに、“絶対産みたい”という彼女の潔い決断になんか芯がしっかりした考えを持っている方だと感じました。

 「最初の血液検査がどういう意味を持っているのかわからないまま受けてしまい、あとでその意味を知ったけど、もし確定診断としての羊水検査などは最初から私の考えにはないことだった」と言っていました。


 こうした医療技術の進歩により、今ではいろんな病気の早期発見や確定診断なども妊娠期から可能になってきました。受けるか受けないか、また受けた時に「障害児が生まれる確率がある」と分かった時の判断は、それぞれの夫婦やそれをとりまく家庭の事情にも左右されたり、妊婦自身の価値観が大きく影響します。

 実際の例ですが、仕事で関わっているある所属の事業所の女性が最初の子を妊娠し○○月には出産予定として周囲にも報告をしていい時期に来ていたときに、私にもその所属の上司から連絡をもらったことがありました。
 しかし、数ヵ月後にはまた職場に復帰していました。
 そこの上司からは「お腹の子に重度の心臓病があるとわかって産むのをあきらめたようだ」と聞かされました。
 まだお腹が目立っていない時だったので、彼女が妊娠していることを知らない人ももしかしたらいたかもしれません。
 ただ、一つの結論として彼女は“産まない選択”をしたという事実。

 「障害を持つ子だからと言って産まないとは何事だ。偏見ではないのか」という反論はむしろ障害を持つ子を育てている親御さんなどに多いのかもしれません。
 さらにそこでいつも議論になるのは障害当事者からの反論。「僕たちは生まれてこない方がよかった人間なのか」という論争も・・。

 一個人の産む・産まないという判断や選択が、いろんな社会的な課題にまで影響を与えるのかもしれません。
 
 アメリカのように本当に障害を持った人たちも「ごく一般の普通の人」と同じように社会の中で当たり前に生きていける基盤があれば(外国の絵本の中では車いすの子もごく自然に健常児と一緒に描かれていると言いますが、日本の絵本は“障害者向け”のように一般の絵本と絵の内容もテーマも分けられたものが多い)、理子さんが言っているように人の価値観の中にもそういうものとして障害者をとらえる感覚がしみつくのだと思うと、この国(日本)ではそういう人たちをまだまだ「区別された人」という感覚でとらえている傾向が依然として続いているような気がします。

 いくらきれいごとを言っても、障害を持つ人たちが一人前に認められて社会生活を送れるだけの経済的基盤の少なさや周囲の偏見も未だに残っている社会の中で、今の若い親たちが「出生前診断」を選択してしまうという揺れ動く思いも実際にはあるのかもしれません。
 
 
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老障介護

 障害者の「施設から地域へ」という国の方向転換が叫ばれて久しいです。
 今や、障害を持つ人たちが地域で生きるということに誰も反論する余地はないでしょう。
 精神障害者の分野でも、通所作業所やグループホームなど地域で生活する施策は、以前よりは事業所も増えつつありますし、地域住民の理解も深まってきているからかもしれません。

 しかし、障害者自立支援法のもとでの、障害者サービスでは、依然として「福祉的就労」などを利用する障害者の生活賃金はかなり低いのが現状です。
 
 先日の報道番組で、ある成人の自閉症の男性(40代)が自宅から通っている作業所では毎月の賃金が数千円で、障害年金と合わせても年額80万円にしかならず、父親が亡くなったあとは母親とのふたり暮らしで地域で生活をしている親子にとっては、70代の母親の年金で生活を賄っている現状をリポートしていました。

 母親は、作業所から帰った息子さんをあたたく迎えていますが、インタビューでは「自分が亡くなったあと、この家で、この子一人で生活することは(この少ない年金額では)とうてい無理。そのことが一番不安」とその心情を吐露していました。

 せっかく、障害があっても住み慣れた地域で暮らしていくということができても、それはあくまで家族(特に面倒を見てくれる親)がいてこそ成り立つことでもあるのだと思います。
 結局親亡きあとをどうするかというのは、いつの時代でもテーマになるのです。
 昔はそれでも、(いい悪いは別にして)施設で最後まで面倒を見てもらえたり、兄弟姉妹に後を託したりすることも多かったわけですが、今の時代にあっては身内にもなかなか託せない現実があります。
 すでに地域での生活が定着しているところにきて、親亡きあとのことを考えて、最後の最後で本人の意向を考えずに「最後は施設入所しかない」という考えで親が病気にでもなってしまえば、行政や他の親族たちがさかんに施設入所を勧めるという実態もあります。

 地域の人たちもこれまで障害を持つ子とその親御さんたちがなんとか頑張って地域生活をしてきていることを知りつつも、いざ親が病気になったり介護が必要になってしまえば、親は老人の施設へ、障害を持つ子は障害者施設へと親子を分離して入所を期待してしまう傾向があります。

 実際に仕事でそういうケースを担当していると、そういう地域の雰囲気や傾向を感じますし、自分の身内や周囲にそういう経験のない支援者もそういう処遇が当たり前だといわんばかりのごとく支援方針にあがってしまいます。

 先のテレビのインタビューの最後に、共作連の役員の方が、「障害者の地域生活への転換を打ち出した時点で、親亡きあとのことまで考えた施策が必要だったはず。グループホームや老障介護ができるような施設はまだまだ少ない。」と答えていました。

 私の知っている重度の障害を持つ子(成人)を養育している親御さんたちも50~60代の年代になった今でも、自分の体の続く限り自宅で面倒を見たいと頑張っています。もし仮に自分が病気になったりして介護ができなくなっても施設に預けたくない。親と子が一緒に入所できる介護施設があればそういうところに入りたいと・・。
 そしてそういう施設の実現を目指していきたいと行政に働きかけようとしています。

 将来的に、老障介護という概念は絶対必要になるのではないか。
 縦割り行政の弊害をなくして、実際の生活に即した施策を考えてもらいたいものです。

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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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