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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

障害者を切り捨てる優性思想

 NHKの朝のニュースの一コーナーでの特集を視て。
戦後の日本で、知的障害者の女性たちが、結婚しても子どもを作れないように、本人たちには内緒で不妊手術を施こされたという実態があり、体験者として80代の女性が紹介されていました。その後結婚しても子供ができないので離婚されるに至った。その理由を後で知って、すごいショックをうけたこと。80代になった今でもトラウマとして心の傷として残っている、というもの。

 戦後の日本の混乱期には増える人口増加のなかで、生まれる子供を選別する必要から、「いい子を産むこと」「社会の役に立てる子供を産むこと」という優性保護法が施行され、国の施策として代々的に繰り広げられたようです。
 そういう施策のもとで、障害を持つ子の親や親族も、「子供が社会の偏見にあうのが不憫」「子供を作ってもとうてい育てられないだろう」との考えから、本人には内緒で不妊手術に同意したといいます。
 当時、その手術に携わった医師(80代)が実名・顔出しでTVに出ていました。今の時代の感覚と当時の感覚はもちろん異なるものの、あの当時は自分も医師として何の疑問も持たないで国の言うとおりに従ってきたことを、反省と懺悔の念を抱きながら話していました。

 有名な第二次世界大戦下のドイツナチスのアウシュビッツ強制収容所や精神障害者の毒ガスによる大量虐殺などもどこか共通するものがあります。
 また当時の日本においてはハンセン氏病の隔離政策もしかり。施設内での結婚に対しても、子供は作らないようにされた事実。
 
 今、障害者の人権とさかんにいわれているけれど、この優性思想に基づく大きな事件が昨年おこりました。相模原の重度障害者施設内でおきた殺傷事件です。
 犯人の男性は「障害者は生きていても幸せになれない」といって、自らの持論を振りかざし殺人を犯しました。(今回、自己愛性パーソナリティ障害だったと彼自身の障害特性も明らかになりましたが)。
 
 この男性の犯した犯罪の部分は大きな罪に問われるものですが、障害者に対する見かたが特異な人格障害ゆえの考えに基づくものとして結論づけていいものでしょうか?
 今回この事件に関して、福祉団体や同じ重度障害を持つ親御さんの心境などを間接的にある研修で聞く機会がありました。ニュースでも取り上げられているように、一部の方を除いてはいまだに被害者は氏名や顔写真を出して報道されていません。

 講演の中で講師の知的障害者団体の理事長は次のようにおっしゃいました。
 警察からは今回の報道にあたり、「氏名を出しますか?」と最初に被害者家族は聞かれたそうです。普通は被害者はその人権を本来は尊重されるべきなのに、「普通の事件」だと被害者の思いとは関係なく、「報道の自由」や「知る権利の自由」ということで勝手に氏名が出されるのに、何で障害者だとわざわざそのような質問をぶつけるのかと。「普通の人」は氏名を出されることでまた別の意味でマスコミに追われたり、被害者の人権が無視される状況になったりする。今回は重度障害者への「配慮」からそうしたのかもしれないが、その「配慮」がまさに「偏見」を生んでいるのではないかと。しかし、大部分の被害にあわれた親御さんは「世間や親せきに迷惑をかけたくない」という本音もあるということです。
 反面、わが子が産まれて生きてきた存在までもなくしてしまいたくない・・その狭間の中で大きく苦しんでいるということ、などなど・・。

 世間みんなが理解ある人たちばかりじゃないという事実。福祉団体に寄せられる心無いバッシングもないわけではないという事実をどう受け止めるべきでしょうか?この犯人のように実行には至らないとしても、本音の中では「重度の障害者なんか生きていても何の価値があるんだろうか?」と、思っている人だっている。表立って表明していないだけで・・・。
 
 今でも、障害者同士の結婚により子供を産み育てることというのは、障害の内容や家庭環境にもよりますが、ハードルは高いのも確かです。特に知的障害を持つ人の場合は、「自分の生活もままならないのに、子供を産んでどうやって育てるのだ」という声もこの時代にだってあります。実際に彼・彼女らを支援している専門職の方だって本音の部分ではそういう考えの人もないわけではありません。 
 身体障害だけの人はそれほど大きな問題になることは少ないような気がします。それは実例として立派に子育てしていたり、身体的ハンディは他の人的支援やテクノロジー・福祉用具等である程度代替できるからです。
 しかし、知的障害者の場合、そのハンディキャップや社会の偏見はまだまだ大きいものがあるのも事実です。親でさえ(わが子かわいさ、不憫さゆえに)反対するのですから・・。

 一人の女性としての人権と、社会の偏見や優性思想からの脱却。自分の身に降りかかった時にひとりひとりの価値観が問われるものなのだと思います。
 深く、きついテーマを朝から突き付けられた思いです。

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一人の支援者として

 以前、役所の福祉担当部署に勤務していたときは、その行政機関という立場上個人的に関わってあげたくてもできない現状がありました。
 もちろん担当課(係)が違えば、ほかの係の仕事まで余計な口出しができないのは当然ですが・・。
 でも、役所というところはあくまで「公平・中立」だからと、時には「合理的配慮」を求めなければいけない部分までも「排除」してしまう傾向もあります。
 たとえば、発達障害児へ加配教師(保育士)をつけることさえ、「一人だけ特別待遇ができない」などがいい例でしょう。
 また、生活困窮者に対して、明日食べるものもないなど切羽つまった状況にあっていても、その人にだけ「個別対応」すること(たとえば職員の自腹を切ってまで食事提供してあげるとか)は「よけいなこと」として上司判断では却下されてしまう事案でしょう。

 「官でできることと民でできること」は違うんだからそういうことは民間(社協・NPOなど)にまかせればいいとか、「まずは自助努力がたりないからこうなった。自己責任だ」とか、自助・共助があってそれでもだめなら行政(公助)の出番だという論理でくるので、目の前におこっているさまざまな困難事例になすすべもなく立ちすくむことも多く経験しました。

 住所不定者(二つの自治体にまたがる橋の下で車で寝泊りしていた人)に対して、それぞれの自治体で支援のなすりあいがはじまる。支援すれば生活保護だの、さまざまな関わりをもたなければならなくなるからお互いの担当者が「そっちの住所地で処遇してくれ」といって譲らない。
  高齢者の支援で関わった(ゴミ屋敷・栄養状態悪化のため措置で老人ホームに入所)家庭の無職の青年(もともと養護学校卒業でその後県外にでたがうまく生活できず、もどってきても軽微な犯罪を繰り返す)の処遇では、適当bな支援機関につなげることもせず、「厄介者にはふた」とばかりに電車代だけは公費で負担してさっさと県外(都市部)へ送り出してしまったこともありました。
  生活困窮者が病気をしたり、関わらざるをえない状況になると、きまって吐かれることばや態度が、「どうしようもない」「厄介な人」「こっちが助けてあげているんだ」というもの。
 経済的にも生活能力的(食生活も不摂生で病気になり入退院を繰り返す)にも支援が必要な人に対して、「カップラーメンでも食べられればありがたいと思え」とばかりにいかにもこっちがめぐんでやっているという担当者の会話。
  ほかの担当者の考えや対応(困難者を見下すような対応や一方的な押し付け的指導など)に対しても、そうじゃないんじゃない?という疑問や不満も数多くありましたが、数の論理(上司も含めて同じような考えが多いと、処遇はそっちの方向へ流れていきます)にも勝てずに、悶々としたことも。

  それはとりもなおさず、自分の置かれた環境(子どもが不登校だったり発達障害をもっていたり、社会不安障害だったり)と目の前の困難を抱える対象者とがどこかでリンクしていたり、自分の若いころの夢(以前は児童擁護施設や障害を持った子どもたち、に関わる仕事がしたかった)や貧困問題への関心などとも関係しているからかもしれません。
 
  今、公的な立場を離れて、一人のボランティアとしてあるフードバンク関連の支援を始めました。もともとやりたかった分野でしたが、これまでは立場上できなかったことと、ボランティアに専念する余力もありませんでした。幸い立ち上げた方と知り合うきっかけがあり、お手伝いのつもりで参加させてもらっています。
 そこから見えてくるものは以前私が行政にいたころとはそんなに違いはありませんが、今はそういう人(家庭)に対して食材を配達したり(、時には調理ができない人もいるので直接自分が作った惣菜物を届けたりすることもあります)する中で、じかに接することができることはやりがいもあります。以前のように指導や助言的な立場にはないのでただ困っていることに対しての部分だけを支援しているわけですが・・。

 活動していく中で、一緒にボランティアとして参加してくれている女性も、わが子と似たような環境にある方だと知りました。(不登校経験者で生きづらさをかかえている方)
 なんか必然的にそういう人との出会いをつくってくれたような気がします。
 以前は行政的な視点からばかり話を進めていかなければなりませんでした。たとえそれがいかに理不尽な考えだと思っていても・・。(いい年して仕事もしないで経済的に困ると結局こっち(役所)に相談するくせに・・・とか、発達障害者や精神障害者をばかにしたような態度や発言の数々)
 しかし、こうして当事者といわれる人たちといろいろと接したり付き合う中で、当事者の本当の悩みが聞こえてきたりその中で自分はどうあるべきかを考えさせられます。
 彼女は言います。「今までは自分は障害があると思って生きてこなかったが、できることとできないことのギャップが大きいとかんじてきた。ずっと生き辛かった。不登校もあったし、ボーダーなレベルなので仕事でも簡単な計算もできなくて”こんなこともできないのか””よほど親に甘やかされて育ってきたんだろう”と周りからは思われてきた。発達障害があるとわかっても認めたくなかった。でも今はこういう(ボランティア活動を通して)いろんな人とも出会い、価値観をかえてもらい、障害があることは隠さないで前向きに考えて生きていけるようになってきている」と話してくれました。

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障害者事業所の実態

  障害者自立支援法から障害者総合支援法に法改正があり、障害者も地域での社会参加がさけばれてからは、障害者の就労支援事業所の設置数が増大しています。
 以前は社会福祉法人など、ある一定の条件でないと施設もそう簡単には立ち上げられなかったのに、今では誰でもたちあげようと思えばそう難しくもなくたち挙げることは可能になってきています。
 そういう意味では、地域に身近に障害者が通う施設も増えてきていること自体はよいことだと思います。
 しかし、その中身の問題です。

 国は就労支援事業所には、なるべく事業所ごとに工賃をあげろと言いながら、実際には収益をあげることに本気で取り組む事業所は少ない現実。
 実際に、私の身内が体験したことですが、障害者の施設に事業拡大を求めて企画書を持って何軒かの就労支援事業所に営業活動をしたことがあります。
 現場の施設長レベルでは、同じように問題意識があり、なんとか収益を上げたいといろいろ考えているようです。
 しかしながら、現場の責任ある立場だとしても、即答はできずに「理事会にかけないと返事ができない」となります。
 新規に事業を開拓したり、既存の事業を拡大したりするとなると、それ相応の設備投資もかかるわけで、当然施設長判断だけではできない事情があることはわかります。
 しかし、実際理事会に諮ったあとに、再び訪問し結果を聞くと、どこの事業所も決まって出てくる言葉は、「理事長が、そこまでリ頑張る必要はない。」となるそうです。
 現場の職員達は、それこそなんとか利用者の工賃を少しでも上げさせてやりたいと思い、いろいろ新しい事業を展開していきたいのが本音なのだそうですが、決定権はないために、仕事に対しても情熱ややる気が失せがちになり、なかば『還「変わらない福祉」に甘んじ惰性で働くか、理想と現実のギャップの中で辞めていくか・・・。
 結局は、新たな事業開拓をしなくても、利用者が通って来てくれさえすればその分の補助金なり報酬は入るわけなのです。
 そして、昨今は社会福祉法人だけではなく、NPO法人はじめ、民間の企業や個人のレベルにおいても、障害者の就労支援事業所を立ち上げることが比較的容易になってきていることもあり、利用者の奪い合いがあるとも聞いています。
 さらに従来だったら、施設の定員に対して補助が下りていたのが、今は利用者の通所回数に応じた報酬体系になっているため、利用者が休めばその日の利用料は入らないのに、水増ししてカウントし利用していない日も報酬を受け取っている事業所もあるようです。
 本当に障害者のことを考えて作った施設なのかと疑いたくなるような施設も実際には存在している現実。
 高齢者の介護施設の場合もそうだけど、社会的弱者が食い物にされてしまう実態。
 福祉の心よりも、「福祉はおいしい分野」としてとらえられているのでしょうか?

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人間に見る本音とたてまえの心理

 東京都議会である女性議員の質問に対するやじ発言が問題になっています。
 独身で一年目の女性議員の、子育て支援策に対する質疑に対して、議場から「早く結婚しろ」とか、「おまえが(子どもを)産んだら・・」などのやじが複数の議員によってざわめく議場に聞こえている映像が何度も流れています。
 言われた党の方は、『犯人探し』をして何らかの処分を要求していますが、その『犯人』がわからないので要求を却下したとか・・・。

 そもそも発言した人がわからないなんてことはないはずで、言った本人は当然のこと、その人の前後左右に座っていた議員だって発言の主は一目瞭然なのに、こういうときこそ、「組織の守り」にはいるというか(ここでは党員を守るというか)、自分たちから内部告発のようなことは絶対しないのでしょうね。(その先の流れも見えているから)

 そもそも、議員という社会的立場にある人は、選挙の時には「子育て支援」とか「障害者福祉」「高齢者介護」など大衆が関心のなる分野に対してさも聞きざわりのよい「方策」を訴えますが、このような議会答弁の場で「やじ」という形で放たれる言葉のなかに、その人の「本音の心理や姿」が浮き彫りになるのだと思います。

 どんなに人はきれいごとを言っても、その人の日頃の言動や態度を見聞きしていると、「ああ、意外とたいしたことないな」「口先だけの人だなあ」と思う場面は日頃の生活場面でもたくさん経験するものです。

 ある社会福祉士。仕事の上ではいろんな関係機関をつなぐ連携の役割があり、自分の専門性を前面に出して「支援」していました。
 支援の内容そのものには、誰も「反論」できるものでもなくいわゆる理屈的には「正論」だったかもしれません。中には一部の関係機関からは彼女の役割や仕事のしかたに「できる人」という評価を得ていました。
 確かに社会福祉士という、福祉の専門家という自負や役割意識は強く、理想の仕事を追求し、周囲からも認められたいという上昇志向のある人です。
 しかし、ひとたび社会的弱者と言われる様々な生活問題を抱えて相談にくる人たちに対して、相談が終わり自分の机に戻ってくると決まって、「あーあ、あんなヤツは本当にどうしようもないね」「ああいう人としゃべっていると虫酸が走るのよね」と、相談者のことをけなすのです。
 だから、彼女のようなタイプの人は、対外的には「できる人」という評価で業界や世間からは「認められている人」かもしれません。
 しかし、反面、普段の「本音」の部分も垣間見る事ができた一部の関係者からは「福祉の専門家なのに、社会的弱者に対してあの言動は何なんだ」という評価になるわけです。
 
 そういう人のグループってどの職場にも一定の割合では存在しているのだと思います。特に教育や福祉の分野には、そういう人は必ずいる。
 それが特に専門職と言われる人達ですから・・・。

 福祉や医療・教育などを志す人のたてまえと本音の会話を比べて聞いていると、その人の人間性や本音の心理がとても透けて見えてきます。
 この議員のやじ発言のように・・・。
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虐待報告の裏にあるもの

新聞紙上で、「児童虐待・高齢者虐待の件数が過去最高」との報道がありました。

 この数字の根拠となるものは、市町村(児童虐待の場合は児童相談所)に毎月報告を求める件数の数字をもとに県内の数字を取りまとめるのでしょうが、現場にいると、「本当に虐待としてあげてもいいのか?」と思われる(疑い)のものまで、すべからく計上してしまうきらいは否めません。
 
 県の方としては、「啓発の結果、住民も関心が高まり行政にも通報しやすくなったのではないか」と分析しています。
 また、最近では、地域ネットワークの重要性も指摘されています。
 警察署なども、これまでは事件性が伴わない事にはあまり介入したがりませんでしたが、未然に防止するという観点からも行政とも連携を図ろうとする傾向に変わってきているようですが、そんなこともあり、虐待の疑いのレベルの人でもすぐ行政に「虐待通報をします」と行政に文書で報告が入ることがあります。


 ある老夫婦世帯、どちらもまだら認知の症状がありましたが、もともともの夫婦関係と性格から、夫の方は妻に対しては何でも命令して家事をさせるようなタイプでした。妻は妻で性格的に大人しく夫には口答えできず、息子さんと夫との確執などにも頭を痛め、うつ的症状や徐々に認知症状も加わっていきました。家事もこれまで通りにできにくくなっても、夫は妻の状態に理解を示し事ができずにいました。介護保険サービスでデイサービスなども行っていました。
 夫は妻が満足に家事ができないと、自分の思い通りにならないことで妻を時々叩くようになりました。妻はその度嫁に行った娘さん宅に一時的に退避するような生活で、娘さんも困っていました。

 あるとき、その妻がいなくなったということで探しまわり(結果的にはもう一人の娘さん宅にいたことがわかりましたが)、警察の方も介入することになりました。あとで、警察の人に妻が夫に叩かれることもあるとふと漏らしたとたん、警察は行政に「虐待の通報をします」といって文書で報告がありました。
 本来「虐待かどうか」を判断するのは行政ですが、警察が虐待と判断するのもどうなのか?

 また、このケースにはケアマネジャーもついており、本来それぞれの夫婦の性格や関係性、認知症への理解など、信頼関係を築く中で、それぞれの夫の思いや妻の思いなどを十分にくみ取った対応や支援をすべきところが十分にはできていなかったようにも感じます。デイサービスでは、妻はデイでの調理実習などでも「今晩夫に何を作ったらいいか」などと、スタッフと一緒に献立を考えたりして調理することにも楽しんでいたと言います。
 「ついカッとなってイライラして叩いてしまう」「ちょっと夫のそばから離れて一人になってみたい」なんていう感情は誰にだってないといったら嘘になるでしょう。
 それなのに、行政の職員達は「虐待」と認定し、夫婦を「分離」し「措置」としての入所を勧めました。
 当然、何も知らない夫はいきなり妻が目の前からいなくなったことに納得できず、夫へのサービスも拒否するような状況にもなりました。
 妻は妻で施設に入っている意味がわからず、夫への思慕も募り、帰宅願望を訴えます。娘さんも措置といえども、入所費用はあくまでも家族負担ですから、経済的理由もあり入所を解除することになり、結果的には娘さん宅に預かって今は夫婦別々に生活しています。
 しかし、このケースに関しては、担当するケアマネジャーやサービス事業所も皆、今回の処遇には納得していません。夫婦一緒の生活もこれからだって可能だと事業所は考えています。要は、認知症がかっている夫婦の生活を家族のみならず、地域の人やサービス事業所も一緒に支援していくことで、ご本人達の思いに寄り添って行けば解決されうるケースではないかと分析しています。しかし、当の「虐待だ!」と判断してはばからない行政スタッフには「あの夫婦をこれから先一緒にしたんではまた同じことが起きるから」と言って、夫は虐待者として県にも報告が上がってしまいます。
 
 虐待と認定された数字の裏には、このような当事者達の生活の実態があります。

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民生委員とは

 新しく改選された民生委員の中には、以前の仕事関係で関わった方も何人かおります。正直人間的にはというと、本当に弱者の味方になってくれそうかと言えば若干疑問に感じる方もいないわけではありません。
 民生委員と言うのは町会長などと違って、選ぶ基準は地域住民の関与のないところで決められるため、たいていは前任者や地域の有力者などの評価(地域での評判や知名度など)で推薦される経緯もあるようです。

 住民の中には「あの民生委員だったら相談したくない」という人も少なからずいたりして、また民生委員の方も本来守秘義務が課せられているにもかかわらず、つい仲のいい友人たちに何気なく話ししてしまっていたりという実態もなくもありません。
  
 そして民生委員からの相談の内容を聞いていると、その民生委員がどういう人間性を持った方かも分かってしまうところがあります。
 「ああいう人は地域にいてもらっては困ると、周りの人が私に言ってくる。(行政で)何とか施設に入れる方法はないのか」
 「あそこの家族は・・・・で、昔からそうだった」と対象世帯を批判的に捉える人。
 自分にとばっちりがこないように、極力関わりを持ちたがらない人。
 逆に「私がなんとかしてあげたい」「気になる」からとどんどんお節介を焼きたがる人。
 自分たちが安心したいがために早く事を解決したがる人。

 信頼されている民生委員だったら、地域の人にも話せないような内容や悩みを相談している人もいますし、所詮は民生委員になる人の人となりがすべてにおいて左右されるものです。

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市民感覚との乖離

「役所の人って取調官みたいで嫌です、何でも。」

 以前、子育てに関するブログを書いた内容にコメントしていただいた一文です。
 
 今、福祉や子育てに関する窓口は官民問わずいたるところに存在します。
 しかし、現実には「この相談はどこに行ったらいいのかわからない」というのも現実です。
 そして、相談先によっては、その結果が時に「不愉快」「来るんじゃなかった」という印象を持つ場合も少なくありません。

 基本的に行政というところは、何でも「上から目線」的な人は多いと感じています。
 同じ発達相談をするにしても、保健師たちは正直発達についての知識がそれほどあるわけでもないのに、職業的なプライドからか、「指導性」を発揮したがる人が多いように感じます。

 少なくともコメントをくださった母親のように感じる人って他にもいると思います。

 

 一緒に仕事をしていても、市民に見せる言動と、デスクで話される言動に乖離のある職員は多いですね。
 
 さも一生懸命に考えて助言しているつもりでも、いざ本音の部分で「不登校」や「引きこもり」等の子どもたちに否定的な評価を下す職員。そういう人が支援すると言うのですから・・・。

 
 最近の乳幼児健診や赤ちゃん訪問なんて、表面上は母子の健康観察が主でも、裏では「虐待の徴候はないか?母親の心理状態はどうか?」という部分も含めて確認(聴きとり)するので、どうしても「取調官」みたいな言動になってしまうのでしょう。
  

福祉の窓口からみえるあれこれ

親も高齢になると、それまでできていたことができなくなり、介護が必要になる時期は必ずやってきます。そんなとき、キーパーソンになれる家族がいれば別ですが、中には子どもであっても、「「定職」についていない(つけない・つかない)世帯があれば、支援者の中には、最初からその子ども(息子や娘)を色眼鏡で評価してしまう人もいます。
 
 先日介護保険の申請をした世帯は息子夫婦や孫たちと暮らしていますが、訪問の予約をとった保健師は相手が「自分(息子)は日中はいないが子どもたち(対象者からみたら孫に当たる娘・息子)は仕事がないので日中は家にいるから、いつ来てもらってもいい」との相手の応対を聴いた後、周囲の職員に「若いのに仕事がないなんてねえ・・・まったく・・」とぼやきながら日程を調整しようとしています。
 そして訪問した後の会話では、「一家全員ボーダーな家だった。めんこちゃんな子どもたち」と訪問した世帯の印象を伝えています。
 めんこちゃん(=本来はかわいいという意味だが、知的な遅れなどがみられるような人たちを揶揄していう場合がある)という言葉をそのような意味をこめて専門職の立場で使っていることにも疑問を感じますが、こういうふうに見ている人たちが、支援者としてはびこっているのも現実です。

 相談が入ると、まずその世帯状況を住民基本台帳から検索し、世帯状況を把握しますが、「気になる」人たちは相手の素姓をどこまでも知りたがる・・。けっこう役所にいると、個人情報なんてほとんど見られています。
 
 最近は地域のつながりも希薄になり、また厄介なことに巻き込まれたくないという心情も働くがゆえに、「隣の家からどなり声がする」と、すぐ行政に「通報」があったりします。中にはその世帯に何らかの関わりを持とうとする前に、警察に「通報」する住民もいたり、民生委員に直接苦情として訴える住民もいます。「民生委員なのに何もしない」と。
 警察も最近は事件性がなくても以前よりは関わりを持つようになってきているせいか、行政にも「この世帯に対して何か情報はないか」と聞いてきます。情報が勝手に一人歩きしているような事もあります。「どなり声」=虐待?「障害者者が(挙動不審に見えるような態度で)歩いている」=不審者?という見方になってしまい、「監視」の対象者(世帯)としてリストアップされるようになってしまいます。

 ある民生委員は改選で初めて担当地区を回って、無職の50代の息子さんと介護が必要な高齢の母親との二人暮らしの世帯から経済的な相談や介護の相談を受け、「あそこの家は息子が親の年金をあてにして働かないのは怠けている。まず親を施設に入れて、息子の就労支援をすべきではないか」と助言してきたと、こちらに報告に来ました。
 以前、私もこの世帯には関わっていたこともあり事情は知っていますが、介護が必要になった時期と、息子さんの自営していた仕事が不況で仕事がなくなった時期と重なっていたことや、介護期間中もハローワークにも何度も足を運んでいたことも知っていました。しかし、現在まで仕事もなく、国民年金しかない母親の年金をあてにするわけにもいがず、行政にも生活保護の相談にも来ていました。
 このように民生委員もそれまでの経過を知らないままに訪問し、見た目の状況だけで「余計な助言」をしてしまい、かえって物事をややこしくしてしまうようなこともざらにあります。
 
 当市は県内でも一番生活保護の受給者が少ない自治体とのことですが、県の監査でも「どうしてそんなに少ないのか」と言われるほどなのだそうです。しかし、担当係は決して対象範囲を緩めようとしません。水際作戦を使ってなんとかして抑制しようと躍起になっているようにも見えます。
 仕事を探していても、適当な仕事が見つからないと言えば、「仕事を選ぶんじゃない」と言われ、親の介護のために仕事ができないと言えば、「親の年金をあてにして働こうとしない」と言われ、親の年金で生活費をまかない、自分の小遣いの一部にでも使おうものなら「経済的搾取の虐待だ」と虐待者扱いされ・・・。
 そういう判断をいとも安易にしてしまう職員集団・・。

 今の若者、普通の若者たちですら就職難だったり正規職員になれなかったりする時代。うまく就職できたとしても人間関係や過重労働などで長く職場にいられず精神疾患に陥ってしまう人も年々増えつつあります。ましてや発達障害の子どもたちだって、今の社会情勢の中でいっぱしの職業について経済的に安定して人生を送れる人たちもそう沢山いないのが現実かもしれません。そんな若者たちがやがて長じるにつれ、親も高齢化していきます。
 
 先日50代の男性と80代の両親が住んでいるお宅を訪問しました、ケアマネジャーが「困難ケース」と感じている世帯でした。ケアマネジャーが考える介護サービスの利用を助言しても息子さんなりの「こだわり」があり、サービスを拒否し何も先に進まないということでした。そのため、本来必要と思われるサービス(デイサービスや福祉用具の導入など)が利用できず、夫も身障者、息子さんも腰痛持ちの無職でありその対象者の母親は寝たきり一歩手前にあるような状況でした。
 実際、訪問してみると息子さんの言動や態度から、たぶん診断がついていたら広汎性発達障害と思われるような方でした。新しい環境(デイサービスの利用などこれまでの生活パターンから変わること)への適応が息子さん自身できず、助言したことに対してすぐ不安観や否定的な見方になり「でも、○○だから利用は難しい」となります。発達障害に見られがちな「予測ができない事への不安」や「新しい環境への適応困難さ」や「自分の考えへのこだわり」が介護の場面や言動にもうかがわれます。ケアマネジャーにそのような理解がないと「息子は変わっている」と評価され、この世帯が「困難ケース」として取り上げられてしまいます。
 地域の住民もそこの家の息子さんを「変わっている」と見ていると言うことだそうです。

 親が元気で地域生活を営めていた時はそういう子どもの状況は見えてきませんが、介護が必要になる年代になったとき改めで問題がクローズアップされるのでしょう。

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障害を持つ人たちがなぜ、ホームレスになってしまうのか?

ホームレス障害者: 彼らを路上に追いやるものホームレス障害者: 彼らを路上に追いやるもの
(2012/09/20)
鈴木文治

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 (本文より)
 ホームレスの人たちの中に障害者が多く含まれている、というニュースが最近よく聞かれます。
 ホームレスの中に障害のある人たちが多くいるということが事実なら、どうすれば適切な支援を行うことができるか、またどのようにして彼らがホームレスになっていったのか、その過程を知り、福祉や教育、労働、保健や医療などの分野にまたがって、具体的な対策を講じることが求められています。
 私は神奈川県川崎市南部にある教会の牧師として、約20年にわたりホームレス支援活動を行ってきました。私たちの活動は、教会にやってくるホームレスを含む人々と仲間として生きることであり、食事を共にすることもその一環です。その意味では、いわゆる支援活動とは趣を異にしています。立場の高い者が低い者と触れ合うという意味での「交流」ではありませんし、「炊き出し」という言葉も使いません。神の家で弱い立場の者同士がお互いに助け合いながら、共に生きる営みなのです。
 私たちはこの「川崎の路上生活者と共に生きる取り組み」を始めたばかりの頃から、ホームレスの中に障害のある人が大勢いることに気づいていました。ただ、教会にはもともと障害のある人が多くいたため、彼らに対して特別な対応をすることもなく、自然に仲間として受け入れてきたのでした。

 私は牧師であると同時に、障害のある子どもたちを教える教師として人生の大半を生きてきました。彼等は「生きにくさ」「コミュニケーションを取ることの難しさ」を抱えており、学校生活に入る前から、重い課題をもった子どもたちでした。
 このような子どもたちとの出会いは、私の教育観、子ども観、社会観に決定的な影響を与えました。障害は子どもたち自身の問題ではなく、周囲の大人たち、さらには社会全体の問題なのだと考えるようになったのです。
 
 ホームレスは世の中から差別され、排除されやすい人々です。しかし、一人ひとりと深くかかわっていくと、彼らの心の奥底にはそれぞれ重い人生の棘のようなものがあることがわかります。それがなければ、彼らはホームレスにはなっていなかっただろうと思わせるものです。ホームレスは「怠け者」「飲んだくれ」「好きでやっている人」などといわれることがありますが、決してそうではありません。
 まして、障害者がホームレスになることはあってはならないことです。元教師の私からすれば、障害児教育のどこかに機能不全があることは明らかで、本人というより周りの支え方に問題があると言えます。
 

 厳罰化が進む社会
 「共生」や「他者への思いやり」「人権尊重」はかけ声だけで、障害者への偏見や差別はいっそう深刻になり、ホームレスや外国人に対する排除が依然として続いている。人と人との絆が断絶し、差別する側もされる側も、多くの人々があえいでいる日本社会は、貧しさの中にある。
 一般的に排他的な社会では、厳罰化政策がとられることが多い。近年、日本でも従来では考えられなかったような厳罰化の傾向が生じている。少年犯罪への対応は特に顕著だ。
 犯罪や非行に走る少年たちは、その背景にさまざまなものを背負っている。親の虐待であったり、貧困であったり、いじめであったり、発達障害であったりする。そうしたことが要因となって、周囲との関係に不適応を生じ、何かのきっかけで爆発してしまう。
 少年による犯罪が起こるたびに、マスコミは騒ぎ立つ。少年犯罪の凶悪化を伝え、教育における道徳性の重視や、厳罰化の必要性を煽り立てる。実際には少犯罪、凶悪事件の件数は大きく減少しているにもかかわらず、その事実は無視される。
 とくに問題なのは、凄惨な少年事件が起こるたび、加害者が発達障害の傾向をもっていたことがまことしやかに語られることである。他者を物のように感じていたとか、共感することができないとか、人とうまく付き合えない性格であるというように、犯罪は特別な少年によって起こされた特別な出来事であるという刷り込みが、世間に対して行われる。人々は「専門家」と称される者たちのそうした話を聞いて、「やはり普通ではない『障害者』の仕業なんだ」と考える。こうして「障害者は犯罪者予備軍」だという誤解が作り上げられてしまう。
 私は教師生活を通して、親に捨てられたこどもの苦しみに何度も直面してきた。母親が自殺をしてその第一発見者になり、父親に連絡したら、アパートに戻った父親が怒って母親の死体を蹴り続ける場面を見た子もいた。そうした子どもたちは、他人の幸せが許せないほどの苦しみを背負い、非行に走り、暴力を働いてしまうこともある。
 人はみな弱さを持って生きている。それを許さないなら、自分もまた許されないことになる。厳罰化は、みずからの弱さを知らない人たちのすることである。

発達障害の僕がホームレスになった理由(わけ)―訓練、就労、そして再出発発達障害の僕がホームレスになった理由(わけ)―訓練、就労、そして再出発
(2012/01)
荒木 龍三、豊中市社会福祉協議会 他

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ひきこもり調査の結果

 県内版のニュースで、「引きこもり調査の結果、県内には引きこもりの人が790人いることがわかった」という調査結果を発表していました。

 この調査は春頃に民生委員に依頼して担当地区に引きこもりの若者(成年も含め)がどのくらいいるのかを実態調査した物の結果を県が取りまとめたものをマスコミで取り上げたものでした。

 この790人という数字の信ぴょう性がどうなのかはわかりません。実際、民生委員だってどのようなルートでその数字を出したのか?
 直接自宅に訪問して「お宅に引きこもっている人はいますか?」と尋ねるわけでもないでしょうし・・。
 家族から直接「実はうちには、こういう子がいるの」とど相談されれば別ですが・・。
 たいていは、近隣や関係者からの情報で「あそこの家には、いい年しても仕事をしていない青年がいる」「最近閉じこもっているようだし、顔も見ていない」などの外部からの声をもとに間接的な調査結果の数字でもあるわけでしょう。

 実際、民生委員と一緒に会議を開いたり、情報交換をすることの多い立場にも私はありますが、正直民生委員さんたちは、「県や市から次々と調査物ばかり多くて大変だ」とぼやいてもいます。
 ましてや、引きこもりの調査は、導入が一番難しいとも・・。
 「引きこもり」と一口でいっても、中身は個々の事情で違います。民生委員は守秘義務があると言いながらも、民生委員に情報を提供する近隣住民などには守秘義務はありませんから、勝手な想像や思いこみでその家庭を評価しているとも限りません。
 
 県は引きこもりの実態調査をして数字を公表するだけで、対策は何をするのか?
 ずっと前に「引きこもり相談センター」を設置して相談対応すると言いながら、じゃあ相談の電話を入れれば、(結局専門家でない嘱託の職員が少ない人件費で雇われているだけ)「その相談だったら○○精神保健センターへ」「それは市町村の福祉課へ」と結局たらい回しにするだけ・・。
 
 私達の職場(行政)には、こういう調査物や報告物が毎日のようにきて、提出を求められますが、「実際その調査をして何なの?」という感想も正直なところ・・。

 引きこもる原因になる社会情勢を変えない限り、いつまでも「引きこもる当事者や家族」が悪者にさらされるような違和感を持ちます。

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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