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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

池田晶子さん没後10年

 「哲学エッセー」というジャンルを確立した池田晶子さんが亡くなって10年がたった今も、著作は読まれ続けているという新聞記事を目にした。
 失礼ながら私は池田さんの著作をこれまで読んだことがなかった。『14歳の哲学』など若者にもわかりやすいことばで「考えるとは何か」というテーマで哲学と言う分野をわかりやすく書いている。

 図書館でさっそく本を借りて読んでみると、とてもユニークでかつ彼女の放つ言葉が実に的を得ており、哲学的なことを本の中で学べるのであった。
 どれも「目からウロコ」の文章が並ぶ。そして彼女のユニークな(しかし真実をついた)生き方や考え方に感銘をうけるのである。
 
 以下に一部抜粋させていただく
 
 探すのをやめよ
 いつまでも働かない、決められない若者たちの心性の根底には、「自分探し」があるとも言われる。「自分がわからない」、だから「自分に合った」「自分にふさわしい」仕事が見つかるまで、働きたくないという理屈である。
 そう思っている限り、働くことはあり得ない。「自分に合った」仕事など、いつまでも見つからない。なぜなら彼らは、「自分に合った」仕事を見つけたいと言う。その一方で「」自分がわからない」とも言う。つまり、わからないものによって、わからないものを見つけようとしているわけだ。そんなもの、見つかる道理がないではないか。
 自分というものは、「わからない」のではなくて、じぶんというものは「ない」のだと、一度思い知らなければダメなのだ。大人は本当はそう教えるべきだったのだ。しかし、戦後の教育は逆に、「自分らしく」「個性をもって」生きなさいと教えてきた。そう言われたって、よくわからないそんなもの、見つかるまで探すしかないんだろうなあ。子どもは当然そう思う。
 個性というものは、自分が見つけるものではなくて、他人が見つけるものである。自ら個性的であろうとするような個性が、個性であるはずがない。そんなものは、他人と異なろうとする一種の作為であって、自ずからのものではない。他人がどうなのであれ、自分にはこうとしかできない。それが本来的な個性というものだ。そして、本人にあっては、こうとしかできないことをやっているだけなのだから、それを個性なのだと思うはずもない。思うのは他人である。なるほどあの人はああとしかできない人だな、あれがあの人の個性だなと。
 自分というものが「ない」と知ることによってこそ、人は個性的な人になる。自分なんてものが「ある」と思っているから、人はいつまでもそんなものを探すことになる。本当には生きられないのである。
 (『知ることより考えること』より)

 ・君が自分を捨てて、無私の人であるほど、君は個性的な人になる。
 ・自分を認めるためには他人に認めてもらう必要はない。(中略)人は、他人と出会うよりも先に、まず自分と出会っていなければならないのである。
 (『14歳からの哲学』より)

 
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わが子自慢をしたがる人たち

 リハビリテーション専門学院時代の同期の同窓会の誘いを受けました。
 毎年有志で場所をうつして集まっていましたが、私もその中の数回は参加していました。
 私は子どもを持ったのが遅かったのですが、ほかの参加者たちは比較的結婚も早かったため、子どもさんも高校・大学・就職・結婚の年齢に達しています。

 当時は厚生省管轄の国立の学校と一部の私立の専門学校しかなかった時代ですから、理学療法士・作業療法士になりたい学生はけっこう全国の進学校からくる人が多かったのです。中には医者をめざしたけど落ちたからリハビリの世界に入ったと言う人なんかもいました。
 
  同窓会で話題になることといったら、職場の話のほかにプライベートでは決まって子どもの話になるのですが、たいていこういう場に来る同期の人たちは比較的子どもには恵まれた環境にある人たちばかり。
 子どもが県下一の進学校に入って成績も学年で1番だとか、エリートと結婚したとか、一流大学に入学して学生生活満喫しているとか、出世して管理職になったとか・・。
 情報魔の人は、参加していない人の子どものことまで把握済みで、皆に教えたがります。

 そういう場で、わが子の現状をカミングアウトすることには、ある意味勇気のいることかもしれません。
 そんなときは皆の話の聞き役に徹して、自分に質問がふりかかってきたら、さりげなく時にはにごしながら子供のことは話せる範囲で返しています。けっして発達障害や不登校が恥ずべきものではないことなのに、どうしても子供の自慢話をしたい人たちにむかって
積極的に話す気にはなれません。
 
 子どものできが親のできなのです。子どもが優秀であれば、優秀な子を産んだ私、育てた私は一目おかれるし、優秀な私のままでいられるのです。
 自分も学生時代は優秀の部類に入っていた人間ですから。
 だから医者や教員の子どもなどは特にそういうプレッシャーを受けやすいと思います。
 中には学力が足りないのに、必死で医者になれと強迫的に勉強させられている子どももいます。
 医者や教員の世界(職場)なんか、子どももエリートでなければいけないようなプレッシャーを親も感じるんじゃないでしょうか?
 
 でも正直そういう人たちのお子さんが障害を持っていたり、不登校だったり学力が低かったりで親の思い通りにはならないとわかってこそ子どもをとらえる視点も変わるし、そこではじめて患者さんや生徒たちに向ける眼差しも違ってくると思うのです。
 
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環境がかわりました

 長らくブログを書くのを中断していました。
 3月は人事異動等で毎日残務整理やらで帰宅が8~9時の日々でした。
 
 この4月から行政(高齢者福祉・介護)の方を離れて、古巣の医療現場に戻りました。
 
 このままあの職場にいたら、自分は精神的ストレスが充満してしまいそうで・・・。
 地域包括支援センターでの3職種(保健師・社会福祉士・主任ケアマネジャー)の連携なんてとうていできない職場でした。
 それぞれの考えや価値観の違い(本来はそれぞれの違いを認めて連携を図るべきなのでしょうが)に対して、寛容になれず相手を非難中傷してしまうような中で、仕事をすることにとても疲れてしまいました。
 
 これまでは、対象者(利用者・相談者)を行政の立場から見ていましたが、同じ利用者(病院では患者さんとなる)でも、医療の中でみせる顔と、役所のなかで出会う顔は違います。

 どちらか一方の見方でしか相手を評価(批評)できないのは、本当にその人のある一部分しか見れていないことに、長年同じ部署しか経験したことのない専門職は気づかないでしょう。

 在宅では「困難ケース」「どうしようもない人」と一部の専門職から思われている人でも、病院に入院して患者さんとして自分たちが対応しているその姿は、実に素直で関わる人の個性とのぶつかり合いがその人を「困難ケース」にしてしまうのではないかということを、考えさせてくれます。

 
 

友人の助言

 入院しているときに、友人がお見舞いにきてくれました。
 同年代ですが彼女は娘さんも結婚しているし、一番下の息子さんも高校生。子育てでは先輩でもあります。

 
 長男が小学生のころまでは、双方の子どもたちとも数回一緒に出かけたり食事をしたりしていました。また個人的に旅行に行ったり、二人で飲みにも行ったりする間でしたが、最近ちょっと(心の)距離を置くようになりました。
 
 長男が中学生になり、現在の中学校の事情とわが子の個性のギャップについて悩んで相談を持ちかけても、やはり「学校制度」の在り方に味方する言動になんとなく「理解してもらえない」思いを感じたからでもありました。
 なんだかんだいったって、たいていの人は「学校に通うのが当たり前」だし、「不登校はよくないもの」という概念があります。
 
 それに今回入院した時も、「もう若くないんだから、あまりそそっかしい行動をしてはだめ!」「もう年なんだから慎重に行動しなくては・・・」という助言を沢山頂きました。
 (誰だってなりたくて怪我をしたわけではないのですが、自分でも十分に反省をしているのにダメ出しをくらったようでなんとも複雑な心境になります)
 
 いろいろな面で親身になってくれる部分もあるし、双方の家庭事情などもこれまでは言い合っていたのでしたが、今ではあまり私の家庭事情は言わないでおこうと思うようになりました。

 あくまでも彼女は「世間一般の常識」で助言してきます。そのことがいい悪いは別として、私の中にそういう「常識的な発想」がないときもあります。
 だから私がそう思わないことでも、「そうすべき」「○○とはこういうもの」という観念で話をされると、それに向きになって反論するというよりも「ああこの人はこう感じるんだ」というレベルで押さえて、結局自分の思いは出さずに表面上は口裏を合わせている自分がいます。

 でも、同じ友人でも息子の発達障害や学校問題について共感的に理解してくれる人もいます。彼女の子どもさんにも同じような悩みやご自身の夫婦問題もあり、悩みには共感的に接してくれます。
 そういう人との話には自分の内面や思っていることの深層まで話せるから不思議です。

 

自分と出会う

 
置かれた場所で咲きなさい置かれた場所で咲きなさい
(2012/04/25)
渡辺 和子

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 今、この本がひそかなブームを呼んでいるそうです。
 著者の渡辺和子シスターのことを私が知ったのは20年も前の頃、PHPという雑誌によく文章を寄せられており、それを読んでシスターの考えや生き方にひきつけられたのが最初の出会いでした。
 その後シスターが著した単行本や大学(ノートルダム清心女子大学)での講義録をまとめた全集やCD集も買いそろえては読みふけったり聞きかじったことがありました。
 十数年前に、私の住んでいるところにも一度講演会にいらしたことがあり、聴講したこともあります。

 そして、私はこれまで2回ほど、自分の悩みを手紙にしたため、シスターに送ったことがあります。こんなちっぽけな私にも、丁寧に返事の手紙をくださいました。
 
 結婚が遅かった私は、2番目の子を身ごもった時に、自分の年齢のことや経済的なことなどいろいろなことが頭をよぎり、妊娠してもうれしさよりも不安の方がいっぱいでした。正直言って本当にうれしくはなかったのでした。
 シスターのがある新聞に寄稿された記事や書いている本の中で、自身も父親が50歳、母親が44歳の頃の子どもで、生まれたことに負い目を感じていたことなどが書かれた所があり、私は自分の今の気持ちを正直、シスターに相談したいという衝動から手紙に今の不安な気持ちをそのまま書いて送りました。
 その時のシスターからの返事を読み、そこから自分自身の心のあり方を問い直すきっかけを与えてくださり、不安が徐々に薄らぎ前向きに出産を決意したのでした。
 今、その二男は長男(発達障害)のよき理解者になってくれています。(もちろん喧嘩もしょっちゅうですが、根本のところでは兄思いです)二男がいなかったら、私たちははきっと障害を持つ兄のことで心がいっぱいになっていたことでしょう。二男は二男なりに生まれる意味があったのだと思います。
 私も、自分の仕事のことや経済的なことなど、結局「自分のこと」しか考えていなかった人間だったかもしれません。

 シスターは数年前のある新聞に以下のような文章を寄稿しました。
 「和子さんは鬼みたい」14、5歳の頃、級友たちからそう言われても、返す言葉がないほどに、私は冷たく、高慢で、しかも我の強い人間だった。
 幼い時から私には、「他人よりも優れていなければならない」という思いがあった。44歳になって私を身ごもった母は、すでに3人の子があったこともあって、本当は私を産みたくなかったらしい。かくて私は、生まれた時から「生まれてきて、すみません」という負い目を持ち、生きるに値する人間でなければ申し訳ないという思いがあって、それが十代の私を“鬼”にしたのかも知れない。
 18歳の頃、私の心の中には、母への憎しみが育っていた。他方、母を憎む自分をおぞましくも感じていた。母校のカトリック修道女に自分の悩みを訴えたら、「あなたは自分のことしか考えていない。お母様の身にもなってごらんなさい」と言って、“新しい人”に生まれ変わるための洗礼をすすめたのだった。
 30歳を目前にして、私は修道院に入った。それは失恋の結果でも、父を二・二六事件で失っていたからでもなく、全くの私の自由意思によるものだった。人一倍気性が激しい自分を知る私は、決して裏切ることも、見捨てることもしないキリストを配偶者として、一生を過ごしたいと願ったのだとも言える。それほどまでに、私にとって人を許すことはむずかしかったのだ。

 


 置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
 咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

 「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
 結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
 どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
 現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
 いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
 心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
 希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
 信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
 「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること
 
 渡辺 和子(1927年生まれ。父は渡辺錠太郎元教育総監。聖心女子大卒、上智大学大学院修了。ノートルダム清心学園理事長。)

私の中学時代の修学旅行

 今から○十年前の自分の中学時代。
 3年生になっての修学旅行。
 たいてい、成績や何かで目立っている人の上位の人たちは、生徒会役員に立候補するため、その残りの人の中から学級委員を選ぶことになり、私は3年生になって学級委員を担わされた。そのためかはわからないが、私たちの班に「○○学級」(今では特別支援学級)の女子二人が入ることになった。
 学年の女子で特別支援学級に在籍しているのは私たちのクラスだけ。だから、朝礼のときも一緒に並んで行く。学級委員はクラス女子の先頭に並び、そのあとにその支援クラスの二人が続き、あとは背の順。
 修学旅行の並び順も、朝礼のときと同じで、いつも私の隣には例の二人の女子が並んでいた。

 二人はいつも一緒で、二人だけの会話では何やら楽しそうにしているときもあった。
 宿泊先の部屋でも二人で、何やら話をしていたり、私たちの方には混ざれないでいる場面もあった。
 しかし、記憶はあいまいだが、自分の班のなかの他の女子も、あまり彼女たちに関心をもとうとか積極的に話していたかと言えば、あまりそういう風景はなかったかもしれないが、かといって無視したり陰口をいったり、知的障害のことを見下すような言動もした覚えもない。(そんなふうに人のことを考えるよりも、みんな自分のことや友達関係のことで頭がいっぱいだった。今だって案外そうかもしれない)
 学級委員という立場の私としては、何とか彼女たちも班行動で嫌な思いをしないように何かと気を使っていたような気がする。
 ふだんは一緒にクラスで生活をしていなくても、授業では彼女たちは○○学級でクラスメイトと元気に活発に生活していたことは覚えている。
 中学生のときだから、○○学級の生徒といっても(あの当時の私には)何で普通学級から区別されてあの教室にいるのかがあまりわからなかった。たぶん、少し普通の勉強についていけないのだろうというくらいにしかわからない。
 
 ○十年後の同窓会。彼女たちも参加していて、私の座っているテーブルにあいさつに来てくれた。二人とも結婚して苗字も変わっていた。とても笑顔で幸せそうだった。○十年たっても二人は一緒に行動していた。
 各クラスの担任も○○学級の担任もみんな先生方も出席し、昔の中学生時代にタイムスリップした瞬間だった。
 
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職業選択

 私の最終学歴は通信制の大学です(短大の単位を活かしての3年生への編入学で、それも社会人になってから入りました。仕事柄いろいろ発達や心理・福祉関係について学びたい欲求が沸き起こったからです)。

 また、自分の職業(資格)のために入った学校は(その当時の)国立の医療系の学院です。

 国立の大学受験をしたけれど失敗し、滑り止めで入った短大ではどうしても授業に興味がわかず、必要最低限の単位しかとりませんでした。2年の後半にはみんなが就職を決めるなかで自分は専門学校への進学を決めていましたので、あまり学校へも行かなくなりました。単位も一つ足りず、卒業も危ぶまれましたが、担当教授からは怒られながらも、配慮していただいてなんとか卒業させてもらえました。
 それだけ短大では落ちこぼれでした。(けっこう進学高出身で4年生大学に落ちたと言う人たちが多く集まっていた短大でした)

 しかし、自分で入りたくて入った専門学校。その当時360人の受験生が集まり、その中で一次合格者40名、二次試験(面接)は20名しか合格できないという超難関を幸運にも合格することができました。

 
 私も短大時代は、自分の興味のわかない勉強には全く興味を示すことができませんでしたが、自分が入りたい学校で学べることとあって、また「頑張りや」の部分が復活していきました。現役ではないということもあり、親にお金をかけてまで進学させてもらい、わがままを許してもらったこともあり、もう落第はできないという思いもありました。

 (人間は興味のあるなしでこうも意識が変わるものということは、自分自身でも経験済みなので、一人の人間を目先の部分だけで「怠けている」「優秀だ」とは決めつけられないと思っています。・・・だからわが子たちが「勉強」というものに興味がわかずにいるというのも、まだ本当にやりたい勉強が見つからないということも言えるのかもしれないと思います。単に学校の勉強をすることだけが「勉強」ではないことも、自分の経験から納得できる部分もありますから)
  
 毎年入学生の中の数%に、おもしろい経歴を持った人が入学してきます。
 有名私立大学を卒業後、銀行マンや貿易会社に就職した人でも、人間を相手にした職業に就きたいといってこの学院に入ってきた人。
 妻帯者でありながら、奥さんの扶養となり学生生活を送っている人。
 OLをしていたけどその生活に満足できず、親に入学したことを隠しながら、学費一切を貯金やバイトで賄った人。
 教員をしていたが、障害児の療育のことをもっと勉強したくて教員を辞めて再入学してきた人。

 そういう変わった経歴(?)の人たちからの人生勉強も楽しかったですし、世の中には進路っていろんな方向があることを考えさせられたのでした。

 
 そして、そういう人生経験を積んだ人たちが、「障害者」を相手にした職業に就いたとき、その人間を見る視点は現役で入った人よりも幅広くなっているかもしれません。 

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自分のこと

 私は子どものころから、町内に同学年の子が周囲にいなかったということもあり、どちらかと言えば一人で行動するほうが好きなタイプでした。もちろん異年齢の子ども同士で遊ぶことはありましたが、大勢の集団で遊ぶということはどちらかというと苦手な面がありました。同級生(といっても田舎の小さな地域の小学校だったので二十数名の1クラスで6年間過ごしました)のいる地域に自分が遠征していかなければ遊び相手がいないため、自分が遊びに行く相手も2~3名の少人数に限られていました。
 
 中学時代はあまり学校が好きではありませんでした。部活動の部長をしたり、クラス委員をやったりもして、学校の中では教師たちにもそれなりに一目はおかれていたかもしれません。私に対する教師たちの評価は「頑張り屋」というイメージだったかもしれません。私の中学時代の卒業アルバムのクラスの寄せ書きのコーナーには「中学生活おもしろくなかった」と書いています。(今だったらこんなことを書いていたら“問題児のとんでもない子“に思われるんじゃなかろうか・・。)
 
 それなりに仲のいい友だちもいましたが、親友と呼べる人はいなかったと思います。部活動の友人のほかに、クラス内で気の合った数名で話をする内容といったら、決ってある人(女子)の蔭口などが多かったです。自分としてはターゲットにされた相手の女子に対しては特別な思いも持っておらず普通に接していましたから、彼女の悪口を言うクラスメイトの友人に対しては心で思ってはいてもあまり反論ができないままに聞き役に徹していたところがありました。
 なんでそんなに一人の女子をターゲットに悪口を言うのかわかりませんでしたが、彼女の話し方や身だしなみなどが気に入らなかったようなのでした。でも私は彼女のことが嫌いではありませんでしたから、私が彼女と話をしていると、友人たちは「なんであの人と話をするのか?」と詰め寄ってきたこともありました。

 そのほかに、休み時間などは、数学が苦手な女子生徒がいつも「勉強を教えて」といって私のところに来ていました。人に教えることは好きな方だったので、頼りにされていることに対して自分の学校での居場所のようなものがあったように思います。

 社会人になった今でも、どちらかというと群れを作って行動することは嫌いな方です。だから職場の宴会などで適当に社交辞令的な言葉を並べてお相手するようなことよりも、気心の合った数名の友人と一緒に飲み会をする方がよっぽど自分を出せるような気がします。
 職場に限らず、ある程度組織で仕事をする場合は、本音と建前をうまく使いこなせる人がもてはやされたり、上司にうまくとりついて要領よく対応できる人が出世したりするということも、現実的にはあることかもしれませんが、そういう交流術には不得手です。
 
 特に、女性の中には蔭ではああだの、こうだのと人の批評をしたがる人がいるものです。面と向かって言えない分、蔭ではあれこれ言うものです。だいたい人の噂話をしたがる人というのは、自分も蔭で言われているということにはあまり気づいていないものですが、第3者的な立場で双方の言い分を聞いていると、いかにお互い、本音と建前をよく使い分けているものだと感心することがあります。

 そして世の中には「空気を読みすぎて」相手の腹の底まで勘ぐりながら行動をしている人もいたりするものです。そういう人の心の内面までをも深読みして、表面上は協調性のある人間として振舞っていても、その人の本心を見抜く時、なんとなくそこまでして相手にすり寄り、相手からいい人と思われたいのかなあと考えてしまいます。組織で仕事をしていると「みんなと違う考え」をもつことはいけないことのような雰囲気があります。意見をいろいろ交換して喧々諤々に討論し合うという風潮は昨今は無くなりつつありますし、社会全体がそういう「横並び」の考えを強要するようになってきているような気がします。


 そんなことを考える自分も、厳密に診断を受ければ、健常者と発達障害者の中間のレベルにあるかもしれないと思う時があります。発達障害の人たちが、職場で不適応を起こしやすいのも、何となく理解できるところもあります。群れるということがそもそも好きでないのですから、一人でいてもいいはずなのに、なんとなく疎外感を感じてしまうのでしょう。みんなと同じ行動をとらないと周囲からは「変わった人」というレッテルを張られやすい環境。
 「KY」なんていう言葉が悪い意味合いに使われやすいのですが、人間関係のなかであまりにも空気を読みすぎる人にも付き合っていてストレスを感じてしまうのです。発達障害の人の裏表のない、本来素直で真面目な特性の人たちと付き合っている方がある意味癒されることがあります。



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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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