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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

特別支援学校の児童生徒の急増が意味するもの

排除する学校―特別支援学校の児童生徒の急増が意味するもの―排除する学校―特別支援学校の児童生徒の急増が意味するもの―
(2010/04/14)
鈴木 文治

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(本文より)

 特別支援学校生が急増し、どこの特別支援学校もその受け入れに苦慮しています。
 特別支援学校では児童生徒数が増えても、学校に教室がないために、児童生徒数が法律によって定まっているにもかかわらず、無理矢理詰め込んでいるのが現状です。
 特別支援学校生急増の背景には、いわゆる軽度発達障害の子どもたちの増加と、保護者の特別支援学校への期待があると言われています。
 しかし、現場から見えてくるものは決してそのような楽観的なものではないということです。私には、通常の教育から落ちこぼれた子どもたちが、大挙して特別支援学級や特別支援学校に押し出されていると考えられます。
 LDやAD/HD、高機能自閉症のような軽度発達障害の子どもたちに焦点が当てられことは、特別支援教育の大きな成果でありますが、個別のニーズをとらえ、個別に対応することが、結果的に通常の学級から排除され、特別支援学級へ、さらに特別支援学校へと流れを作っていると思うのです。

 
ホームレス障害者: 彼らを路上に追いやるものホームレス障害者: 彼らを路上に追いやるもの
(2012/09/20)
鈴木文治

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(本文より)

 教育現場からの排除

 学校現場での排除が起こっていることは、私が就学指導委員会や校長会、保護者との面談といった現場での活動の中でもった実感である。
 障害のある子どもたちが特別支援学校・学級に在籍していること自体は排除ではない。そうではなく、障害のない子どもたちが投げ出されていることが排除なのだ。
 このような状況を作り出している大きな背景として、発達障害の専門家の存在がある。彼等は言う。「発達障害の診断を受け、個別の教育をしてくれるところで学ぶことが大切だ」。これを聞いた親たちは診断書を取り、それを見た普通学級の教師は「障害者は自分の指導領域ではない」として、特別支援学級へと子どもを送り込む。
 知的に問題のない子どもたちが、数の概念も言葉の理解もできない障害児と同じ学級で学ぶことの不適切さ。視覚的でわかりやすい手がかりを用いた指示が必要な子どもがいる一方で、普通の高校生のような問題行動を起こす生徒も同時に指導することの困難さ。
 発達障害は、認知や行動の偏りを特徴とするもので、診断基準をみてみれば、私自身も多くの点が当てはまる。大学の授業でこれを取り上げても、診断基準を当てはめて、自身を発達障害と思う学生が多くいる。このように、言ってみればある傾向でしかないものを、「障害」と呼ぶことに問題はないのか。「発達凹凸」「発達のアンバランス症候群」などと呼ぶべきだと言う専門家もいるが、すでに「障害」という言葉が一般化してしまっている。
 発達障害が障害ではなく、人のもつある傾向を示すものであるなら、普通学級で配慮しながら指導すればよい。手のかかる子どもたちに「発達障害」のラベルを貼って追い出す教育は、さまざまなニーズのある子どもたちの共生を不可能にする。そのような教育を受けて育った子どもたちは、障害者を差別・排除する大人に育っていく。アメリカの医学界での基準をそのまま持ち込んだ、日本の専門家の良識のなさを思う。
 発達障害の専門家が、教育に関しても専門家であるとは限らない。ましてや自分達の診断が、世界的なインクルージョンの潮流に逆行しているとは夢にも思わない。専門家たちは自分たちの言動が社会の中でどんな意味をもち、人々をどんな方向に導いていくかを知ることが必要である。
 発達障害の専門家は、みずから発達障害者であると自認する人が多い。だが、医師であったり研究者である人は、自身が発達障害の診断を受けても、それで解雇されるわけではない。専門家という枠で守られているからだ。だが、子どもたちはそうではない。また大人でも発達障害の診断を受けたために職場を解雇されたり、婚約が破棄される例はいくらでもある。「障害」のラベリングが引き起こした結果である。
 このような状況をしっかり認識し、また社会全体の動向にアンテナを張ったうえでの言動が望まれる。肝心なのは、一定の枠や基準を設けてそこから追い出すことをやめ、一緒に生きる学校や社会を作ることではないだろうか。

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療育センター時代の記録

 本棚を整理していたら、20年前に療育センターに勤めていた時代に書き記していたノートが出て来ました。改めて読み返してみました。一人一人印象に残ったお子さんのエピソードや、業務をこなす中で感じたことなどが、その当時の自分の言葉で書き記していました。
 20年前と、今の療育の環境とを比べてみると、案外根本的なところはそんなに変わっていないような気がしました。


 K君。第1病棟(肢体不自由児や重度の障害を持つ子たちが入所している病棟)に入所して3年目に入った。本来なら入所は原則的には1年くらい(長くても2年くらい)なのであるが、過程の事情で入所が長引いているらしい。
 両親はK君が幼い時に離婚し、母親のもとで育てられたが、その母親も再婚しK君の下に子どもが生まれたが、母親はそのことを惻隠に話そうとはしないとのこと。
 K君はあまり家に帰れない。ほかの入所児は、土曜日になるとみんな目が輝き親の迎えを今か今かと待っている。親の方もお昼ご飯が終わったあたりから次々とわが子を迎えに来る。子どもの表情というものは、月曜日と土曜日ではまるきり違うのである。どの子も母親や父親の迎えに顔がほころび、元気よく職員にあいさつして家路を急ぐ。そんな中で、K君の母親はめったに来ない。来ても皆がほとんど帰った夕方の5時か6時頃になるそうである。仕事を持っているせいもあろうが、そればかりではない事もあるのだろう。何となくK君の存在そのものに対するある種の拒否感情のようなもの・・・。
 「○○ちゃんのおかあさん、おむかえごくろうさまでーす」「○○ちゃん、バイバイ!またね。おかあさん、バイバイ!」  迎えの場面で、K君はいつも決まって帰っていく親子にこうあいさつするのである。職員が帰り際にかわす挨拶の場面を毎回そばで見ているから、こんなあいさつの文句もすっかり身についてしまったようだ。


 Mちゃん。中学1年生。先天的な奇形があり、両足は大腿の下に下腿がなくすぐ足がついていた。小さい頃に切断手術を行い、両側大腿義足をつけ松葉杖で歩行している。手指の方も5本全部なくて、片方は3本、もう片方も通常の手の形とは違っている。
 Mちゃんが小学校3年生の時、両親は離婚した。母親は実家近くに家を借りて保険の外交員をしながら中学生のMちゃん以下4歳の弟まで3人の子どもを育てている。
 この夏休み義足が合わなくなったことで、新しい義足を作るのとその義足に慣れるための訓練ということで入所をした。入所中は結構やかましく元気がありあまるほど活発に他児と行動している。時には反抗的態度もとることもある。 ある時「Mちゃんも結婚しなくちゃね。」などと話の中でそんな会話が交わされたとき、「私、結婚なんかしない。こんな体でもらってくれる人なんかいないもの。」と彼女は言う。
 また、以前修学旅行シーズンのときは、「家にはお金がないから、旅行なんて行けない」ということも言っていたこともあった。
 多感な時期に両親の離婚を経験し、それに加えて自分の体の悩みなどで彼女は時として自分や世の中を否定的にとらえる面がある。学校でもそれほど親しい友だちがいるわけでもなく、母親にも自分の内面をあまり語ろうとしない。休みの日でも一日中家でテレビを見たり猫と遊んで過ごすという。内面の葛藤を母親に対して反抗的な態度をとることで訴えようとしているのかもしれないが、母親はそんな彼女の気持ちをあまりわかってやることができないのか、「いちいち口ごたえするし、兄弟の面倒も家の手伝いもしないダメな子」と言う。
 奇形の子どもたちというのは、外観的にグロテスクなゆえに周りの人たちは奇異の視線を奇形児に投げつける。奇形だけで知的障害がない子どもは、比較的早い時期に自分の障害や身体像を受容させられ、同時に周囲の偏見の目を肌で感じ始める。
 いろいろ話をしてみると、本当は素直でとても良い子なのだが、今はまだ彼女の心は閉ざされている。

 

 最近、自分の職業に対する疑問や壁にぶち当たることが多い。こういう大きな組織、様々な専門職の集団の中で仕事をしていると、それぞれの専門としての位置づけは確保されているが、それに固執するあまり他の職種との歩み寄りの少ない現状もある。
 また一人の子どもの治療〈訓練)方針を立てる際も、一応カンファレンスは開かれるのであるが、最終的には医者の意見が優先されてしまう。我々の大多数の意見は参考までに聞く程度で、結果的には無視される。医者も理学療法士も作業療法士も看護婦も保母もそれぞれの立場で子どもを評価し、よりよい養育を目指す気持ちは皆同じなのに・・。最終的に医者がそれぞれの意見を取り入れ総合的な判断を下すのがリハビリテーション医としての役割だと思うのだが、たいていは主治医の独断的な意見が優先される。そういうことの繰り返しが続くと、「あの先生に何を言っても無駄だ」というあきらめの気持ちが職員の中におこり、カンファレンスも形式的なものに過ぎなくなる。
 入所病棟の子どもたちは、看護婦や保母の人手が足りないと、重度な子どもたちのほとんどは、寝たきりのまま床にゴロゴロさせられているか、動き回る多動な子は、柱に紐で縛りつけられて動きを制止されていることが多い。訓練室での訓練と、病棟での訓練〈主に看護婦たちがかかわる生活動作的なもの)がうまくかみ合えば良いのだが、病棟でもこんな点に注意してほしいというアドバイスも、日々の雑多な業務の中では十分いかしきれていないのが現状である。
 センターの方向性が従来の施設というイメージから病院という方向へ転換しつつある現在は、入所よりも外来部門に重点がおかれ、我々にも患者(児)の訓練件数をあげることが要求される。日々のノルマをこなすことに精一杯で、病棟の子どもたちの指導に十分な時間がとれない。心に余裕のない毎日・・・。


 年々増え続ける患者(児)数。訓練効果をあげる上では頻回な訓練回数の確保が望ましが、現状は月2回の回数を確保するのがやっとである。それも遠方からの来所となると、せいぜい月1~2カ月に1回にならざるを得ない。
 親御さんたちはわが子が少しでも良くなるならとの切なる思いでなんとか頻回に通いたいと願う。そんな親御さんの気持ちに心の中では大いに共感しながらも、様々な言い訳をつくって徐々に回数を減らさねばならないのが現状である。
 乳幼児の時期は集中的に訓練ができる環境にもあるが、学童期に至ると学校生活が優先されるため、次第に訓練に通う時間も減っていく。しかし親にとってみれば、学校に入っても今まで通りの訓練回数を要求してくる。限られた時間枠の中でそのような親たちのニーズをすべて満たすことはとうてい不可能である。
 そういう現状を主治医に話すと、「今までたくさんの手厚いサービスをしてきたのであって、学齢期になれば養護学校でも『養護・訓練』というカリキュラムがあるのだから、そこでおまかせすればよい。何もそこまで過剰サービスをする必要はない」と言われる。
 確かにセンターにはセンターの事情もあり、役割もあるから、それも仕方のないことなのかもしれない。しかし、このような親御さんのニーズを全く無視することもできないし、私の中でいつも引っかかる問題でもある。


 20年前の記録だけど、ついこの間の出来事のようによみがえってくる。そして、現在の療育環境とそんなにたいして変わらないのかもしれないとも思う。


 

特別支援教育の本質(2)

増やされる障害児増やされる障害児
(2004/09/09)
宮崎 隆太郎

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(本文より)

●特別な教育的ニーズとセンター化
 わが国では、このことばは文科省系御用学者がはじめに使いました。彼らは言いました。
 「ただ普通学級の中に障害児を入れておけばよいという考えではなく、その障害児の教育的ニーズに合わせたきめ細かい教育の保障が大事なのだ」と。
 それに対して私は、「普通学級の中にただ入れておけばよいなどとは考えていない。しかし、あなたたちの言う『教育的ニーズ』というのは、障害児たちのさまざまな思いや願い、豊かな人間関係への願望等を受け止めようというのではなく、障害児とはこんな程度のものだという決めつけに基づいた、狭い意味での教育や訓練、治療、そして生活の在り方を指しているのは明らかだ。本当に彼らの『ニーズ』を受け止める気があるのなら、地域に生きるひとりの子どもとしての彼らの目の前に、さまざまな選択肢を用意し、彼らの自由意思で自分の生き方、学び方を選ばせるところからはじめなければならないだろう。昨今の障害児教育をめぐる論議は、『基礎学力や発達の保障』か、『健常児のなかま集団』か、どちらが大事かという『あれかこれか』の論議に終始している。本当に大事なことは、『基礎学力』も、『なかま集団』も含めてほかにもいろいろある。『あれかこれか』でなく、『あれもこれも』の内容を豊かにイメージしてから、はじめて『ニーズ』ということばを使うべきだ」と反論し続けてきたのです。
 私は「障害」についての理解や知識、教育的技術等の重要性は充分に認識しています。そのための研鑽や工夫、教材作りにもかなり力を注いできたつもりです。しかし、障害児とつきあう時になによりも大事なことは、専門的知識や技術以前に、障害児を「ひとりの子ども」として見る目であり、「その子の生きる日常生活の中で『障害』の問題を考える」という姿勢なのです。その意味では、両親、きょうだい、担任、周辺の子どもの感性と提案がいちばん説得力を持つことになります。そのことを抜きにして、障害のことしか分かっていない専門家が主導権を持つべきではないというのが、私の反論でした。

●より重度な障害者にされないために
 昨今の養護学校高等部から作業所、施設へと道を敷かれてしまっている障害者たちは、「ノーマライゼーション」や「地域で」「自立」ということばに囲まれながら、その実「障害者の世界」における住人にされていっているのです。障害者として育てられ、障害者の中で働く。より障害者にされていく生活と言えないでしょうか。その終点が障害者ばかりの共同生活、「グループホーム」に落ち着きかねないのです。
 たしかに、以前のように、隔離された収容施設で生涯を送るという実態は減じてきています。しかし、街の中にいながらも、障害者がより障害者としてのみ生きさせられ、より重度な状態に追い込まれていっているのもまた事実です。
 日本の、とりわけ知的障害者のための福祉は、「我も彼もただひとつの道」しか認められていません。無意識にしろ、学者・研究者たちは、むしろ善意からその道こそ障害者のしあわせにつながると信じているフシがあります。障害者本人の思いや生活を、私たち健常者の思いや生活に重ねあわせてものを考えようとしないままに、政策や制度を確立しようとするからこのようなことになるのです。
 教員や指導員の障害者を見る目は、「この子らはこんな程度のものだ」という先入観に支配されていて、総じて能力的にはきわめて低いレベルでの主観的判定がなされていました。
 実際、障害者ばかりの集団では、障害者自身が規範や基準にするのはすべて障害者の言動です。すると、障害者相互間においても、また職員が障害者を見る目も、「これでいいのだ」「こんな程度のものか」という認識しか育ちません。結局はずるずると障害者特有の言動や生活スタイルが身についていくのです。周囲に「見本」となるべき一般健常者の行動規範がないものだから、お互いがお互いを低地にずるずると引きずり込むような状態になってしまいます。そこで、「障害者特有の世界」が成立してしまうというわけです。
 私が、「障害者がより障害者としての生活を強いられる」とか、「より重度の障害者にされていく」というのはこういう意味です。いまも多くの養護学校や「施設」を訪れた時に、しばしばこのように感じさせられています。
 将来像のイメージを豊かに思い描いていくためには、関係者や親たちが、まずは「常識」となっている障害者像や「ただひとつの道」像を打破するところからしかはじまりません。

早期療育で障害は「治る」のか?

 療育センターにセラピストとして仕事をしていた1980年~90年代にかけては、療育現場に「神経発達学的治療法」が大変はやっていたことがあり、どこもかしこも「早期発見・早期治療(療育)」の名のもとに乳幼児健診でも、保健師さんたちが必死に障害児を探しだそうと一生懸命でした。

 その当時の「早期発見・早期治療」のターゲットは「脳性まひ」でした。脳性まひの原因も先天的な場合は、よくその原因はわかっていません。なんらかの脳のトラブルということで、神経発達学的な理論で発達を促せば「脳障害は改善する」ということを小児神経科医やカリスマセラピストたちはさかんに提唱し、また専門家のその理論や治療手技に飛びつきました。
 1970年代に外国ではやっていた神経生理学的アプローチの一つである「ボバース法」や「ボイタ法」、1980年代になってからはそれに「上田法」なども加わり、(そのほかドーマン法などもありました)、業界ではどの療法を自分が利用して障害児を治療するかに躍起になっていました。
 
 とくに、ボイタ法を信奉する医師やセラビスたちは、乳幼児健診の場である検査手技を使えば脳性まひかどうかがわかるといって、リハビリには素人の保健師さんたちにも医師たちは研修会などでその手技を伝達指導しました。
 それは、1歳未満の乳児の四肢だけを持って空間で吊ったり、両足首だけを持って逆さづりにしたりする検査手技もあったり、一歩間違えば手が滑って床に乳児を落としてしまうような、見ている側にしてもよほど熟知していないと危険なものも含まれていました。
 しかし、当時は興味のある小児科たちの後ろ盾もあり、それが保健師さんたちの間にも全国的に広まっていきました。その結果、「脳性まひ」および「脳性まひの疑い」のある乳幼児が多数カウントされていきました。

 そこでそのように判定された乳幼児たちは、早い子で生後2~3か月くらいから療育センターに送られ、外来での訓練や母子入所をしながら(母親も家庭から離れ3か月母子で入所(院)です)、親も一緒に訓練手技を習い、退所後は自宅でも一日4回その手技を実行しなければならないという訓練法でした。
 
 当時、そうやって「発見」された「障害がある」と思われる対象児たちの中には、早期から訓練をしてもたしかに典型的な脳性まひとして成長するお子さんもいましたが、「疑い」のあるお子さんの中には、結果的に正常発達を遂げた子どもも多数おりました。
 そのような実績をもとに、業界は「ボイタ法で脳性まひは治る、あるいは早期に介入すれば障害は軽減される」とさかんに喧伝しました。早期療育のブームの時代でした。
 親たちも、そのような疑いをかけられたり、わが子に障害があると指摘されれば、何もしないということは親の責任を放棄するものと同義にとらえ、また専門家の圧力も今よりも大きなものがありましたから、自宅でも母親が訓練士と化して生活を忘れてまでさかんに「訓練づけ」の毎日を送る人たちも一部の親にはいました。それらは、今と同じように、「やらないで後悔はしたくない」という親心からくるものだったと思います。

 しかし、何年かのち、その子どもたちが学齢期以降になっていったときに、先のブームの火付け役の小児神経科医たちはその後、自分たちが早期療育を施した子どもたちのその後の生活がどうなっていったかのデータを全国的にデータを集め統計を取りはじめました。そしてその結果について各地の講演会や学会等では自分たちが提唱してきた治療法を一転して批判的な見解として述べるようになっていきました。
 「自分たちが、早期治療で脳性まひを正常発達させたと言ってきたが、最初からそういう子は脳性まひではなかったのかも知れない」と。また「正常発達の子どもでも筋緊張が高かったり、脳性まひの子が示すような発達を示す子どももいたかもしれないが、そういう子もみんな『障害児』としてカウントして、しなくてもいい訓練を強要してきてしまったのかもしれない。わらわれは早期療育の名のもとに、本来治療の必要のない子どもまでを対象として不安をあおってきてしまったのかもしれない」と。そして、「早期から訓練・訓練と必死になるのではなく、親がわが子との向き合い方をしっかり身につける方策をわれわれは今後指導していくべきなのではないか」と。
 実際に、一番早期治療・訓練を提唱していた先生だった方が、そのようなことを講演会で話されたので、びっくりしたことを覚えています。
 
 今、1970年~80年代にかけての早期治療ブームへの反省もあり、業界ではそれほど「障害児は訓練すれば治る」ということは言わなくなりました。そして、訓練だけがすべてではなく、あくまでも親と子の生活の中でのかかわりこそが必要なこと、そこに訓練的な要素も取り入れながらといったニュアンスで指導する風潮が強くなってきていると思います。
 それはとりもなおさず、早期発見・早期療育の時代に育ち、訓練を受けた脳性まひの当事者の言葉(今は成長してみなさん成人になっていますが)を聞いての反省からということもあります。
 「私たちは小さいときから歩く練習だとか、痛い思いをしながらも、“それがあなたの将来のため”と言われながら必死で訓練を受けさせられる日々だった。しかし、どんなに訓練をしたとて、体は正常になるわけではない。障害の克服のための訓練をさせられてきたけど、その同じ時間を私たちは自分たちが考える有益な方法で過ごしたかった」という当事者の声もありました。

 今、発達障害児への早期発見、早期療育がまたブームになろうとしていますが、中には幼児期に「発達障害」だと診断されるお子さんがまた増えてきています。ちょっと前までは「まだ幼児期のうちは障害があるかどうかなんてわからないから、診断は学齢期以降でないとわからない」と言われていたのにです。
 幼児期の診断根拠なんて、医師の主観がかなり入っているのではないかとすら思います。アスペルガー好きの医師はなんでも『アスペ』と診断するでしょうし、高機能自閉症が好きな医師な、『高機能自閉症』と診断するでしょう。ADHDもしかり・・。カナータイプのような典型的な自閉症のお子さんであればきっと長じても「自閉症」の特性をもちながらも、その子なりの成長を遂げていくことでしょう。特性というのは成長に従い変化したりまた強まったり弱まったりしながら、その子なりの「色」を作り上げていくでしょう。
 「疑い」レベルあるいは「自閉的傾向」のあるお子さんまでもが、十把ひとからげに「自閉症」と診断されていけば、おのずと何らかの訓練的配慮や療育を施し、その特徴的な症状が消えた時あるいは弱まった時、「自閉症が治った」ということに結論づけられるのだろうなと推測しています。

 私のセラピスト時代は「脳性まひ」でしたが、今は「自閉症」をはじめとする発達障害にそのターゲットが移っただけという気がしないでもありません。
 自閉症スペクトラムということばが今後統一化される動きもありますが、「スペクトラム(連続体)」ですから、どこからどこまでが障害でどこからが正常なのかの規定はないのです。

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特別支援教育の本質

増やされる障害児増やされる障害児
(2004/09/09)
宮崎 隆太郎

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 この本は「特別支援教育」が始まる前に書かれた本ですが(「特別支援教育推進体制モデル事業」を実施していたころに書かれた本)、2009年度からは全国すべての小中学校でこの体制を実現するようになりました。

 しかし、制度から4年目を迎えた現在の状況はどうなのでしょうか。モデル事業を実施したときのようにスムーズに特別支援教育が展開されているのでしょうか。
 この本の著者である宮崎先生は自身も障害児教育に精通してきた先生でもあり、大阪の教育行政にもかかわったことがある方でもありますが、この本の中では、今後の特別支援教育の意図とするところ(文部科学省の思惑なども含めて)を書いています。


(本文より)
 
 LD・ADHD・高機能自閉症の子どもたちは、今後はかなり充実した教育的・生活的状況に置かれていくことになりそうです。反対に、それ以外の障害児はノーマライゼーションやインクルージョンからはほど遠い世界に閉じ込められていくことになります。いわば、前者は「勝ち組」で、後者は「負け組」にされてしまいます。しかし、仮に「勝ち組」とみなされるLDたちだって、実は通常学級において「障害児」のレッテルを貼られて切り取られていった子どもたちなのです。子どものニーズに合わせた支援を、と耳に心地のいいことを言っていても、本当は通常の学級や担任の都合なのかもしれません。そういう意味では「負け組」かもしれないのです。

 診断名をつけられると、その子は周囲の人たちから固定的に枠づけした見方しかされなくなります。だれでもその子をとりまく状況や、周囲との関係の中で生活し行動しているにもかかわらず、問われるのは「その子の問題」だけなのです。そのことがどれほど危険なことか。すなわち、その子どもに対する決めつけが、その子の生活や一生を決定的に左右してしまうほどの影響力を持っています。ひとりの専門家の診断がその子の生涯をめちゃくちゃにし、まるで方向転換させてしまうことだってあるのです。
 きわめてあいまいな概念であるにもかかわらず、国をあげて専門家をして診断名をつけさせ、生活や一生を縛りつけていく。しかも、そのことを「発達」だとか「適応」「自立」「地域生活」「ノーマライゼーション」等のきれいごとのことばでごまかす。

 「通常の学級」、いわゆる普通学級に在籍する指導困難児の対策をそれぞれの学校と教師たちに任せておきたくない。それらを幅広くひとくくりにして教育行政の管理統制下に置きたい。―――特別支援教育とはそのような意図に端を発した文科省の悪あがきのようなものだと考えてもらってほぼ間違いありません。
 
 このような内容の最終報告によって、それまですっきりしなかった文科省の「障害児教育施策」がずいぶん明確になってきました。おまけに、普通学級における指導困難児たちのことも、「LD・ADHD・高機能自閉症」等のレッテルを貼ることで処方箋が仕上がり、一挙に問題解決です。ただし、そのおかげで障害児の数が急激に増加させられました。ちょうど、「うつ病」の意図的激増と同じ現象です。

●多くが説得されていく
 これまで障害児教育行政の関係者たちを悩ませてきた人たちがいます。地域で生き、ともに学ぶ教育を主張してきた一部の親や教師たちです。行政関係者に言わせると、彼らは過分な運動に煽られ流されているにすぎないそうですが、要するに「目障りな存在」ということになります。しかし、今回の特別支援教育ならこの頑迷な人たちをも説得できそうです。
 行政関係者だけではないのです。障害児教育・発達心理・医療関係の専門家たちにとっても、今回の提案ほど好都合なものはありません。これからは「統合教育」というわずらわしい論議をしなくてもよくなるし、専門家としての力量が問われることになるからです。
 本当の教育や福祉というのは、周囲のおとなたちにとって好都合、というようなものではけっしてありません。当事者である子どもたちにとってどうなのか、という問いかけが絶対必要なのですが、そのことがどこかに置き忘れられてしまっています。

●1960年代への逆行
 LDやADHD、高機能自閉症などの目新しい障害名が登場してきていますが、これとて数十年前の「MBD(注:“微細脳損傷“の略、1960年代ころに学習障害等の原因は脳の中での原因不明の微細な損傷によるものと定義づけられていました)」や「情緒障害」などの概念規定と同様にきわめてあいまいなものです。過去の流れを振り返っても、これらの診断名は専門家のその時々の好みの問題です。いまでも「多動」で「集中できなくて」、言語に異常のある幼児がはたして「自閉症」なのか「失語症」なのか、「LD」なのか、「ADHD」なのか、それとも情緒的ないらつきがあるのか、単なる「担任への反発」なのか、はっきり分からないことのほうが多いのです。だれかが「LD」と診断するから「学習障害」になり、「ADHD」と診断するから「注意欠陥・多動性障害」という障害児になるのです。
 また、専門家は「LDにはソーシャルトレーニングを」「自閉症にはTEACCHプログラムを」とパターン化したかかわり方しか考えません。むずかしい状態を持っている子どもであっても、その子をとりまく状況を考慮しながら、その子の日常生活の中でひとつひとつ着実に体験させるべきことを体験させ、ていねいに教えるべきこと、しつけるべきことをしつけ教えていくというあたりまえの、そして自前のかかわり方をしないのです。


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療育生活~その後~

 療育センターに勤務時代に担当した子どもたちの養護学校卒業後の居場所づくりのために、親御さんたちが奔走し、小規模作業所を作りました。

 その後、障害者福祉制度も変遷し、小規模作業所では運営が難しくなるため、親たちの必死の努力で1000万円の資金を何とか作り出し、社会福祉法人を作り、今は「障害者自立支援法」のもとで障害者の居宅介護事業を展開しています。

 先日、その施設に何年かぶりでお邪魔する機会がありました。
  
 当時は1~3歳前後の乳幼児だった子どもたちが、もう20代後半~30代に・・・。月日の流れるのは早いものです。しかし、お母さんたちはあまり変わっていない。久しぶりに出会って当時の思い出がついこの間の出来事のようでした。

 その当時の療育は、脳性まひなどの肢体不自由児の療育訓練を中心に親も子も入所しながら、訓練指導を一生懸命に行っていた時代です。当然、親御さんもわが子への訓練のテクニックをマスターし家庭でも必死でやっていました。

 しかし、肢体不自由に加えて、知的な障害も併せ持つ子どもたちの進路と言えば、養護学校を選ぶケースがほとんどでした。当然、養護学校卒業後の進路も考えなければなりませんが、みんな親元離れて施設入所など考えられず、その頃はまだ作業所といっても、知的障害者たちの受け皿がほとんどで車いすレベルや重度の肢体不自由児たちは自宅で過ごすしか道がなかった時代。
 そんな環境を、親御さんたちはなんとか道をつけたいと、自分たちで資金を出し合い、無認可の重度の肢体不自由児たちの生き場所として作業所を作りました。

 そんな同じ意思を持つ親御さん同士のつながりもあり、子どもたちの居場所ができ法人化したことで、運営面でも多少は楽になり、スタッフも増えていきました。

 しかし、また新たな心配・・・それは、自分たち親も年をとってくる。親亡きあとのわが子の進路をどうするか・・。
 「親離れ・子離れが未だにできない」のだと・・。「兄弟姉妹に頼むことはしたくない」「親子で入所できる施設があれば・・・」

 入浴介助など、公的なヘルパーを頼んでいる方もいますが、まだ4~50代の親は2~30代の娘・息子の介助を一人でやっている方もおります。まだ親も子も第3者の手に委ねることに抵抗があるようです。


 いずれ法人の夢は、「ケアホーム」を作ること。

 今や、障害者を大規模な施設に収容して面倒を見る時代ではないでしょう。地域のあちこちに小集団で、生活できるような「ケアホーム」は今後必要になってくるだろうと思います。

 いくら兄弟がいても、親自身が兄弟には任せられないと、結局親一人だけで抱え込んでいる方も・・。そのこと自体をどうこう言えるものではありませんが、それでも私が関わってきた時代の背景もあり(親御さんたちが一生懸命だったし、わが子の全てを自分が引き受けなければという思いが強かったと思います)、わが子の行く末まで自分たちの手で何とかしたいという思いが大きいのです。

 でも、生れて「脳性まひ」など障害を告げられてから今までの30年余の人生、本当にわが子と一心同体で歩んでこられた親御さんたち。みなさん本当に一生懸命に大事にわが子を育ててこられたし、わが子を思うがあまりに自分たちで作業所を立ち上げ、社会福祉法人化までやってのけた親御さんに敬意を表したい思いです。
 
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発達障害児の早期療育ブームに思う

 ここ最近の「発達障害」ブーム(?)
 10年前のわが家の長男が保育園時代には、保育者の間でもまだ「発達障害って何?」みたいな反応でしたが・・・。
 今では、いろんな発達障害向けの書籍のオンパレードで、また行政はじめ、各種親の会や障害者団体が開催する講演会や研修会などでも、知識や関わり方などを啓発しています。

 私が療育センターに勤めていた昭和60年代初頭から平成の最初の年代までは、確かにLDなどのお子さんもセンターに来所していましたがほとんどは診断時基準もあいまいで数的には少なく、まだそのころは今よりも、典型的や自閉症児や脳性まひ児やダウン症、知的障害児などの療育で手いっぱいの状況でした。
 そういう発達障害のお子さんだってきっと普通の小学校にはたくさん存在していたはずですが、「障害」というくくりでは捉えられてない時代でした。

 しかし、昨今の「発達障害」に関する関心の高さもあり、親も書籍などに載っている「診断基準」「チェックリスト」などを通して、「もしかしたら、自分の子もそうではないだろうか?」という疑念がわき、健常児と比較し一喜一憂しながら、最終的には診断機関へのルートへと行きついてしまうことになるようです。

 今、保育園や幼稚園の現場では、むしろ職員たちも積極的に研修会などに参加する風潮になってきている関係上、集団生活の場である園生活で少しでも他の子たちと協調がとれない場面を見ると、その指導をどうやっていくかについては、前よりはスムーズに支援体制をとっていただけるようになってきているみたいです。

 しかし、一方では親の方で、まだわが子が「そういう要素を持っている子」という認識がなく、「普通の子よりもちょっと力が有り余っているだけ」「普通の子よりもちょっと人見知りが多いだけ」とわが子のことを「個性」というとらえ方でしか見ていない場合は、「障害(集団の場での支障となる部分)」について、どう親に説明し理解を求めるかに迷うところが大きいという意見を現場の保育者からは多く聞きます。

 でも、「親はわが子の症状を『障害』と認めよ」という考えを押し付けることはできません。それがいかに典型例であったとしてもです・・・。

 保育園・幼稚園・学校によっては、「診断をつけてくるように」と圧力をかけてくるようなところもあれば、「診断」には必ずしもこだわらないが(診断名も医者の嗜好や主観がかなり入っていますから)、支援の方向性を共有したいから親にもそういう特性が広い意味での「障害」の範疇になることを理解してもらいたいと考えるところもあります。

 さらに、昨今の親は、周囲との違いにはかなり敏感になり、「発達障害」と分かればとにかく「早期療育」を何とか与えてあげ、ひいては「普通の子」になってくれたら・・・との思いや、障害がわかって何もしてあげないのは親の怠慢ではないかと焦り、とにかくいろんな手立て(訓練方法・早期教育)を求め翻弄されています。

 なまじ、インターネットや書籍で情報を収集して同じ立場の親同士でも情報交換しているので、療育に携わる専門職の人たちより、自分たちのほうが知識は上と、専門職の狭い(あくまでも自分の専門分野でしか話ができない)見方を、ある意味見下して「自分たちの方が却って何でも知っている」という専門家の勉強不足に対する不満や愚痴をこぼし合っているブログ記事も見かけます。

 「療育に通っても、何を目指してこのプログラムを実施しているのかわからない」
 「療育者も、『所詮この子は障害児として生きて行くんだから』『障害児が健常児になることなどないんだから』という最初から『あきらめ』(専門用語でいえば“プラトー“という意味なのですが)にかかって指導している雰囲気が伝わってくるから、通う意味がわからない」
 「しかし、親一人ですべて抱え込むわけにもいかないし、やはり専門家という人にも指導してもらいたい」
 「専門家ももっと自分の専門分野だけの領域で仕事をするんじゃなくて、子どもをトータルに見て目標設定をしっかり持って、いつまでにどういうところまでを改善させるのかをきちんと示してほしい」

 こういう意見は、発達障害が幼児期にわかり、これから小学校へ上がろうとする親御さんにとって、切実な意見です。療育によって少しでも改善するかしないかで、その後の学校選択という大きな壁があるからです。

 昔の療育は、通ってくる子どもたちも、外見上の障害を抱えている子が多かったので、親もある意味早いうちからわが子の障害を受容させられ、「障害児の親」として世間にも堂々とカミングアウトし、そして親としてどうこれからの人生をわが子と前向きに暮らしていくかを療育者と共有していた時代です。(それが言いか悪いかは別として・・・)

 しかし、今の発達障害の療育に関して言えば、障害は「外見上わからない」子どもを抱え、またその判断も「障害」なのか「個性・特性」なのかあいまいなままで経過し、障害と分かると、とにかく「親はできる限りのことをせよ」「親がわが子を改善しなくて誰がするんだ」という他人任せの支援に批判する人たちの意見をそのまま受け、わが子の療育に躍起になっている親御さんたちが多くなってきるような気がします。

 それは、とりもなおさず、「わが子の将来のため」ではあるのですが、本音をいえば、「親の将来のため」「親が周りからわが子が『変わっている子』と思われたくないため」だったりする場合も見え隠れしているのではないでしょうか。
 「わが子の将来のため」の前に「わが子の今をどう関わるか」というテーマに毎日悩みながらとにかく関わりの「効果」を求めるあまりにいい刺激(環境や訓練や学習などの課題)と聞けば次から次へと情報を取り込み必死になって与えようとしている方もいます。
 私もいろいろネット検索などして、いろんな方法論の情報を得て、わが子にも試そうと思うことも正直沢山ありますが、親の一方的な思いを果たして子どもは受け入れるのだろうかという疑問もわき上がるため、なかなか実行できずにいます。
 主治医に聞けば、「それは○○君が望んでいることですか?」と聞かれます。本人が望まないことはいくらいい理論だからといっても押し付けられないということです(特に小学校の高学年以降は・・・)。
 
 発達障害のお子さんは確かに、小さい時は自分の意見や考えを言葉にして訴える力が弱かったり、まして親がいいと思うやり方を否定などできませんから、小さい時はみんな素直に従う傾向があります。

 もちろん、「成功例」の中には、確かに幼少期から親が一生懸命にわが子の「個性・特性」の部分を肯定的にとらえ、その素質(才能)を見出し、親も一緒に楽しんで関わってきている場合は、子どももその分野では堂々と才能を発揮し活躍されている方もいらっしゃいます。

 しかし、子どもの特性を長所とみるか短所ととらえるかでも関わり方は違ってくるものですが、最初から「学校への適応」や「みんなと同じ路線」を考えるために療育を行うとするならば、そこに当事者(この場合は幼児期の子ども)自身が「普通に近づくために」一生懸命にいろんな課題をこなすことで精いっぱいな心境になっていないか、気になります。

 そういう指導や支援の行く先の結果は、どういう方向にすすむのでしょうか?
 今の親たちの考える療育への考え方や、療育センターで行われている専門職による療育方法は、本当に将来のためになっているのか、私にはわかりません。  
 
 「障害児は障害児として生きていくべき、普通にはならない」という専門家や業界の見解も「障害児を普通の子に治したい」という親の思いも、どちらもその立場立場で考えれば否定できるものでもありませんが・・。

 ただ、自分が幼児期の障害を持つ子どもたちを訓練してきた仕事経験から言えるのは、自分たちが行ってきた療育の効果を聞くのは紛れもない、成長した当事者だということです。
 自分がどういう育れられ方をされたかったのか、その当事者たちは、長じて自分の内面を言葉で言えるようになったときに評価してくれると思います。


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宮崎先生からの手紙

 
増やされる障害児増やされる障害児
(2004/09/09)
宮崎 隆太郎

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 著者の宮崎先生は、教員生活のほとんどを障害児教育に関わってこられた先生です。
 発達障害児がなぜ、今のようにクローズアップされてきたのかという背景や、今の教育行政(=国が考える施策でもあるのですが)の問題など、先生の障害児教育を通しての私見がこの本には書かれています。

 発達障害と思われる子どもたちがクラスに6~7%存在し、その子らは何の手だてもされていないという障害者団体からの声により、「発達障害者支援法」が制定されました。そして、肢体不自由児や知的障害児に混じって発達障害児も特別支援教育の対象として教育を受ける権利があるとされました。
 しかし、その実態は、学校現場によって、校長の考え方によって、教育委員会、ひいてはその自治体の考え方によって内容が異なり、本当に発達障害児にとってこの制度は本当に意味があるのか・・・。

 その辺の内容が書かれてある本ですが、著者の宮崎先生に、本を読んでの感想を手紙で送らせていただいたのでしたが、先生から後日以下のような返事が届きました。


 (先生からの手紙)
........................................................................................ 
 1970年代、「障害児を校区の学校へ」「普通学級でともに学ぶ」という運動をしていた頃の方が、まだ学校の中にも「障害児」の親御さんの中にも反権力の勢いがあったような気がします。
 それが、今回の「特別支援教育」や「発達障害」の問題に関して、マスコミも含めて国を挙げて、文部科学省の方針を支援しているという雰囲気です。
 一部には「おかしいな、おかしいな」と思いながらも、ズルズルと国の方針に流されている現場の教師たちの不甲斐なさにイライラしています。

 1970年代と言っても、それは結局は「ひとりひとりの親」「ひとりひとりの教師」の判断と実践にかかっているものでした。組織的に取り組まれるようになったのは、かなり時間がたってからのことで、「ひとりの戦い」から出発したのは事実です。
 今も私は、結局は「ひとりの戦い」だと思っています。文部科学省の方針などは、「いじめ問題」も「学力問題」も「不登校対策」も、いっぱい破綻をきたしています。思いつきでやるからです。
 その意味では「特別支援教育」の問題を、「障害児」にからめて一挙に解決してしまおうという下心が丸見えで、こんなものがうまくいくはずがありません。

 大阪は障害児教育の先進地と言われてきましたが、行政・学校・教師の不甲斐なさは全国どこも一緒で、その大阪で私が最後にやってきた仕事は、「学校や教師にもたれかかるな。親がわが子にあたりまえに教えるべきことを教え、しつけるべきことはしつけ、いっぱい豊かな体験をさせてあげよう」と言って、「親のわが子との付き合う力量を高める」ことでした。
 どこがわが子の生活の場として一番ノーマルかと、いうことを考えて、あとは親がしんどいけれどもわが子を育てていく。これしかないように思えます。
 大事なことは、「診断」よりも「どうつきあうか」という具体的な手立てです。

 ご指摘のように、学校現場は、そうでなくても忙しいのに、何の予算的裏付けもないのに「特別支援教育」のおかげで、事務量が増えてうんざりしているのが実態ではないでしょうか。
 一部の「手のかかるこどもたち」が、LDやADHDや高機能自閉症と診断されて、それまでの知的障害児や自閉症児、重度の肢体不自由児が社会からますます片隅に追いやられていく・・・。こんな「特別支援教育」はほんとうに問題です。

 どうぞ大切なお子さんを、親が守る、親が育てるんだというぐらいの気構えでいてください。けっして教育行政や世間の流れに流されないで、今の「おかしいな」と言う感覚をいつまでも持ち続けていてください。
 成人した障害者をずいぶんたくさん見てきましたが、「特別な訓練プログラム」を受けてきた人たちも、相変わらずしんどさをいっぱい抱えています。
 むしろ親御さんがていねいにわが子と関わってこれらた人の方が、健全なケースが多いように私は思います。
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 発達障害児にとって、本当に特別支援教育が有益に働いているのでしょうか。平成19年から制度化された発達障害児までも広げられた特別支援教育。従来の特殊教育から発達障害児もその中に包含されることにはなったものの、中にはただ「普通児」と区別するだけのために「普通児の勉強の邪魔にならないように」と部屋を分けられただけで、教師たちも発達障害児に対する熱意はない。
 もちろん一部の熱心な教師はいるかもしれませんが、小学校時代はそれでも一生懸命に関わってもらっても(わが子の場合は担任やコーディネーターに恵まれたと思いますが。それでも校長の考えかたや学年教師、ひいては学校に勤める教師一人ひとりが同じ理念を持つことが必要だと感じています)、中学校に行けば、ますます現場の教師たちの忙しさや、教師たちの一生懸命の目線や目的が高校受験や部活動での業績を上げることだったりで、なかなかこのような発達障害児の教育に対しては後手に回っているような気がします。

 「一人ひとりの個性や特性に合った教育」とう本当の意味での特別支援教育の理念を掲げた教育を提供するならば子どもたちもそれほど苦しまなくてもいいのに、現実は(特に中学校時代は)こういう子どもたちにとっては厳しいものがあります。
 専門に勉強したからわかるということでもないと思います。専門に勉強してこなくても、目の前の子どもから学ぶ姿勢さえ持てば、「困り感」を抱える子どもに対し、教師だったら何らかの手立てをし、教えることは教えると言う教師本来の仕事はできるはずなのに、そういう子どもたちに対する興味・関心がそもそもない人が多いような気がします。
 中学校で不登校者が多くなるのも、その辺の背景も関係していると思います。
 とにかく今の教育現場そのものが、窮屈で余裕のないものになっており、そんな中で、発達障害児の教育をいかに工夫していくかといったような、教師の心の余裕すらもない中では子どもたちも「存在価値」を学校の中で見出すことが困難になっていくでしょう。
 
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感覚統合療法

 先日、県主催の発達障害児(者)支援者のためのフォーラムがあり参加しました。結婚前は支援者側の立場にもなっていたわけですが、今回は親の立場として参加しました。
 
 内容が「発達障害児の支援を感覚・運動面から考える」というもので、感覚統合療法の分野で著名なH先生の講義とあって、ぜひ先生のお話を聴いてみたかったのでした。
 
 先生のことは私が就職した頃から同じ小児(障害児)領域のセラピストということで共通するものがありましたので、名前だけは存じ上げておりました。臨床から大学で教鞭をとられ、感覚統合や小児作業療法の世界で活躍されておりました。
 
 実はわが長男も小学校の3年生の頃に、感覚統合的観点から評価をしてほしいと、先生にお願いし評価していただいたのでした。幼少時期には触覚過敏性も見られたのでした。(プールになかなか顔をつけられない、自分のそばにほかの子が近づいてくるだけで拒否感が強くなって相手をたたいてしまうなど・・)
 成長して今はそういうことが無くなっても、やはりベースには感覚を統合する脳内の神経回路の未熟さは残っています。発達とは「脳の神経回路の形成」にあると言っても過言ではないのかもしれません。
 
 発達障害児の多くは、それぞれの感覚(触覚・視覚・聴覚・固有受容覚・前庭覚・味覚など)がうまく調節できずに、どれかが優位だったり鈍感だったりと、アンバランスな状況にあることが多いものです。学習やコミュニケーションなど社会性の発達という上位レベルの発達のベースになるのが姿勢と運動などの身体感覚など下位レベルの発達になります。だから高位の脳機能を育てようと思ったら、まずは運動面や姿勢をしっかり整えてあげよう体をしっかり作ろうという理屈になるのです。そして感覚の過敏さや鈍感さについては刺激の量や質を調整しながら、子どもが一番心地よい刺激を選びながら生活していけるように、環境調整という視点が非常に大事になってくるのだということです。

 このように、発達障害のお子さんを観察する視点として、感覚や運動面からその子の脳が今どのような状況になっているのかを専門的な知識と、人間的な温かさで関わり続けておられる先生のお人柄に感動しながら聴いていました。

 「自分のやり方で目の前の子どもが変わらないということは、私の考えたプログラムがまずかったということです。効果が上がらなかったら目の前の子どもさんに謝ります。自分の力がなかったと認めなければなりません」と言われた先生の言葉に、プロとしての気概を感じました。確かに専門的な知識や技術は療育現場で訓練(治療)するうえでは欠かせないこと。それを今どれだけの療育者がわきまえていることでしょうか。
 
 しかし、ただ知識・技術だけがすごくても、対象の子どもに対して療育者としてどういう感情や価値観で関わっておられるか、技術以前の人間性が大変大きいと感じます。H先生が尊敬に値するのは、「いつも子どもから勉強させられた」という言葉からもわかるように、対象である障害を持つ子どもさんに対して常に謙虚であるということです。長男も初対面の先生に対して、緊張もせずすぐ信頼を寄せ1時間近くのテストにもきちんと対応し、「あの先生いい人」との印象を持ちました。こういう子どもたちの人を見抜く感覚って鋭いものがありますから、初対面で「いい人」というのは本当に「信頼に値する人」なのだと思います。
 
 発達支援のツールとしても、いろんな方面からの関わり方があると思います。感覚統合療法も発達障害児の身体運動感覚などに焦点を当てた支援の方法論ですが、ただ感覚遊具で遊ぶこと=感覚統合ではない、と先生はおっしゃいます。子どもの脳内の発達のレベルに応じた遊びを段階づけし、遊ぶ遊具を選定し、遊んでいる子どもの反応から、今脳の中でどういう現象が起こっているかを仮説検証しながらプログラムを再立案していく、この思考過程がセラピストに求められるのだと言います。

 今は臨床現場を離れていますが、自分も肢体不自由児施設で治療・訓練していた頃セラピストとしてたたきこまれたことを今更ながら思い出します。 

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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