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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

社会福祉士の仕事って?

以前職場で一緒に働いていた社会福祉士の女性のことについて。
 彼女は現在はアラフィフの女性ですが、社会福祉の大学を出たあとにある特養ホームの相談員として数年勤務後に、行政に入りました。
 入職仕立てはまだそんなに任せる仕事もなく、上司も徐々に慣れてもらおうと考えていたのでしょうが、
「あの上司は私に仕事を任せてくれない。何のために専門職採用したのだ」と陰で同期入職者たちに愚痴をこぼす毎日。

 福祉課という職場では行政職あがりの(福祉大学卒業でない)ケースワーカーも多いわけですが、「専門職」として入った彼女は、何とかして自分も一人前に認められたい(むしろ行政職採用者よりも自分のほうが福祉については」知識・技術が上だといわんばかりの態度)、ケースを任せてもらいたい一身で先輩に取り込んだり、けっこう陰では足の引っ張りあいを繰り返していました。
 数年後にようやく職場での地位も少しずつ認められるようになると、業界団体の理事に立候補したり、その立場を活かして県や国へ働きかけたりしながら、「○○市の福祉課には、××さんがいるから」と自分の存在価値をみせつけようと必死の次期がありました。
 確かに彼女は論理的に物事を進められ、社会福祉の「専門家」としての「自負」もあり、仕事もばりばりこなすタイプの女性ではあります。
 ただ、来所する困難を抱える相談者やケアマネジャーたちが、うまく要領よく相談ができないとじれったくなるのか、「結論から先に言って!」「つまり要点はなんなの?」とじっくりと話を聞いているのが耐えられなくなるようです。彼女に相談を持ちかけるときは、ケアマネジャーたちも緊張して言葉を選んでしまう人もいるようです。
 福祉の専門職という自らのプライドもすごいので、彼女のテリトリーに入ろうとする人への敵意もむき出しになります。
 自分が業界や団体から認められているときはとても気分がいいのですが、ひとたび周りから自分の仕事のやり方を否定されたり、業界団体の理事をはずされたりしたときには、とたんにこれまでの態度が豹変し、相手への批判や誹謗中傷も増え、自分の考えを正当化するので周囲も表立って反論できずに追随せざるを得ず、結局相手のほうが悪者になってしまうのです。

 あるとき職場に病院から一人の看護師が異動になって私たちの部署に配属されました。彼女は(今でいえばアスペルがーの特質を持ってい女性だったのでしょうが)、新人で病院看護師として採用されたものの、仕事や人間関係でのトラブルが多く(同じ市なので)、上司同士の判断で行政の相談窓口に異動になったのでした。
 社会福祉士と看護師というペアで相談業務に就かなければならない仕事のため、彼女はその新人の上司となったのですが、案の定さまざまなトラブル(トラブルと言っても発達障害、アスペルがーの特性を理解していればうまく対応することも可能なレベル。でも当時はそういう概念すら世の中にない時代)の数々に自身もうつ状態になっていったようでした。
 また陰で、新人看護師をやめさせてもらえるように再三自分の上司に愚痴をいいまくり。かといってまた病院に戻すわけにもいかず、結果的に保育所の0歳児保育の現場に異動となりました。
 異動が決まり、何かの役に立てばと思い、自分が以前使っていた保育(看護)関連の本をプレゼントしたとき、それを聞いた彼女は「あんな人にそこまで親切にすることはないですよ。どうせ裏切られるだけです」とばっさり切り捨てるのでした。
 
 調査や聞き取りなどで入院しているケースを訪問したとき、職場に戻るなり、「ナースステーションに声をかけたのに、みな私を無視して、なんなの、あの看護師たちは!」と怒りを吐き出しました。
 また、同僚の保健師の独りよがりな行動にはいつも、彼女のいないところでほかの同僚たちに彼女の悪口三昧。「いつも勝手に相談もなしに単独行動は良くないよね」といいながら、ケアマネジャーたちから相談があり、警察やほかの公的機関などと連携をとらなくてはならないケースのときは、絶対自分がそれを遂行したい下心もありありなので、陰でいろいろ画策をしながらも、これは私の出番とばかりに、それこそ単独行動を批判していたのに、自分も単独行動に出る。
 あるケースが不審死した際にも、真っ先に自分が率先して現場に出かけていきました。人の非難をする割には自分もそういう態度をとっているのですが・・・。戻ってくるなり、また愚痴の連発です。

  若い捜査担当の刑事から、第一発見者としてケアマネジャーとともに事情聴取されたのだそうですが、(発見者にも警察は一通り住所・氏名など素性を質問するようです)日ごろから警察とも認知症者の対応などで連携があり、行政の××さんとして警察の生活安全課から一目置かれていた彼女としては、部署の違う刑事から改めていろいろ聞かれたことで自分のプライドが傷ついたと感じたようです。
 「あの刑事は大変失礼な奴だ。”私の名前をあなた(自分より若い刑事)は知らないの?私は○○市役所でお宅(警察署)の生活安全課のT課長とはいつも一緒に仕事している関係なんですよ。(そんなことも知らないのか?)私のこと(氏名、仕事先)はT課長に聞けばわかるから”と言ってやったわ」と自慢げに話すのでした。
 客観的に聞いていて、とても自信過剰で、かなりプライドが高い人なんだと改めて確信するにいたったのですが、周りの同僚たちも返す言葉がなく(変に反論したりたしなめても結局それを言った人が悪者になって陰で言われるのが目に見えているからか)、
一応相槌を打っったり「大変だったねえ」とねぎらう言葉をかけたりでやり過ごしていました。

 処遇ケースが知的障害者だったり、生活能力の低い層には頭ごなしに「○○しなさい。××しなければだめだ」とばかりに威圧的・指導的言動・態度(相談している本人の前で腕組みをし椅子の背もたれにふんぞり返ってそういう言動を言っているのです)。
 そしてそういうケースが自分の意のままに行動してくれないと相手に対して憤慨するのです。毎日の行動を紙に書かせて自分のところに持って来いと、行動を監視したり、「ああいうやからは厳しくしないとだめだ」とばかりに一方的に指導・叱責する始末。
 とにかく彼女は、貧困・精神障害・知的障害などで生活能力の低い人たちにはどこか馬鹿にしていたり、そういう人たちが基本的に許せないようなのです。(実は彼女の親族に精神障害者がいるという事実もあるにもかかわらずです)
  
 また一方では自分のやり方を実現したいという意欲も大きいので、いい意味ではいろんな施策を考えて実践に移してもいるので、そういうところは対外的にも評価され、ある事業では「先進的事例」としてマスメディアにも積極的に広報したこともあり、県外外からも注目されるようになっていきました。
 確かにそういう「能力」については周囲も認めざるをえず、彼女の功績も大きいものがあります。

 そういうタイプの人と一緒に何年か仕事をともにしてきて、正直社会福祉士という職業につく人も皆が皆福祉への思いは一様ではないと気づかされましたし、あまり「専門職」面している人って信用できないということも感じました。
 少なくとも私は、この社会福祉士と一緒に仕事をする中で、自分自身の価値や信念のある部分が彼女によって脅かされ(後半はさんざん陰口を叩かれたりあからさまな態度を取られたり・・)、また自分が内面では違うと思うことでも組織の御旗にも逆らえず(多数決の原理で彼女に逆らえないような空気で、みなが彼女の意見に同調することになるのですが)、結果自分を抑うつ状態に追い込んでしまったことがありました。心で思っていることと、反対のことを選択しなければならない中間管理的な立場としての立ち位置も自分を追い込みました。
 家に帰れば、彼女が嘲笑するような発達障害の子どもを持つ一人の親ですし、わが子の通う養護学校には重度の知的障害者もたくさん通い、何よりも自分自身も障害児療育を実践してきた一人として、障害児を持つ母親の思いもたくさん学ばせていただいた身でもあります。仕事を通してみせる彼女の対応にどうしても納得のいかないものを感じながら何年か一緒にやってきましたが、限界がありました。
  
 個々のケースに信頼されるよりも、業界団体や連携先の関連団体に自己アピールすることのほうが優先されている人。自分の存在価値を認めさせてやりたいという気持ちのほうが優先し、目の前の社会的弱者に暖かいまなざしを向けられない人。
 自分の本質的な内面の課題を解決することなく、対人援助にかかわることで、自分が抱える葛藤を相手にすり替えて癒そうとする。その一つの手段が社会福祉士という職業に就くことだったりする人って実は案外多いのかもしれません。
 
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支援者の心理

人を学歴で判断したり、自分に変に自信があり人を(たとえ上司であろうが)見下すような人は、だいたい共通の人格を持った人だなあと思えます。
このへんは、多くの心理学的な書籍や多くのネットブログでも書き込まれていますから、活字でも目にすることが多いですが。

 人を見下す人、批評ばかりしたがる人、悪口(陰口)を言う人は、
○プライドが高く、劣等感の強い人
○勝気な人、負けず嫌い
○いつも自分と他人を比べて優位に立ちたい
○自分に自信がなく、自分と周りをいつも比較している
○ストレスに弱い人
○他人のうわさ話が好き(特に悪いうわさ)

たいていこんなところが共通しているものです。

あるSNSにこんな文章がありました。
(引用)
「自分の身を守りたい」
人間がある程度一貫した行動をとり、周りから普通の人だと思われるためには、心の中の要素が矛盾だらけでは困る。心の中がある程度一環していないとだめだ。
 しかし、実際には、人間の心の中にはお互いに矛盾する観念や欲望がいっぱいつまっている。
 そこで、人間は自分の一貫性の邪魔になる観念や欲望に対して攻撃をしかける。
 自分が自分の内部の要素に攻撃をする。
 内部の葛藤は耐え難いので、攻撃をするようにうなる。
 これが、自分の外部に対する攻撃のメカニズム。
 内部に矛盾を抱えていない人はいないのだから、人間は誰でも外部を攻撃する。
 自分が勝手に思い込んでいる規範で他人を裁いている。


 人間である以上、みな心の中に何らかの矛盾や葛藤を抱えながら生きています。自分の心の安定のためには人を批判したり、見下したりすることで承認欲求を満たし優位性を保とうとしたりすることもあるでしょう。時には嫉妬や不の感情を抱くことだってあるでしょう。
 だってそういう感情や特徴なんかは、自分が育った環境、親の育て方、自分の素質や性格とも大いに絡んできているからです。

 でも、こういう人が弱者支援にまわったときは、本当に厄介な場合が多いことは容易に推測できます。
 私は、以前は福祉の現場(行政機関でしたが)で、今は医療の現場で仕事をしていますが、大体権威(役所というだけで権力や権威を与えられたようなものですが)のある場にいると、ずっと公務員しか仕事の経験がなく上記のような性質の職員ほど自分がさも「してあげてやっている」という意識が強いです。
 そういう人たちが専門職だったりする場合はなおさら厄介だなあと思っていました。

 常に優先順位を意識して生きている人(学歴、容姿、金持ち、貧乏、性格、恋愛、環境)では、すべてにおいて上下関係に敏感ですから、職場での彼・彼女らの話題といえば、時分の子どもそれらのレールを外れることにはすごく気になるようです。
 会話の端々に、障害者や貧困者、低学歴、不登校・ニートなどの人たちを揶揄したり見下すような発言が多く、またそういう会話に混ざる人、言いだしっぺの人ってたいてい決まっているのですが、観察しているとみな何らかのコンプレックスや自身のなさを強がることで覆い隠しているような人が多いです。
  
 人を支援する職業に就く人の動機が劣等感を覆い隠すための手段だったり、「してあげている」という自己満足だったり、自分の生き方への悩みの解消だったり・・・。

 ホームレス支援・貧困者支援・不登校支援・障がい者支援・引きこもり支援・・・・。
自己成長ステージで生きている人(本当に自信のある人は人の乳母らしい面を見つけて学ぼうと思ったり、相手の良くない点を批判するより、良い点をみつけてあげようとする)はそういう人たちからも何かを学び取ろうとするし、支援しているという意識は少ないはずだ。
 いくら表面上は「あなたのことを本当に心配していますよ。支援していますよ」という態度をとっていても、裏の態度や言動を見せ付けられると、「おいおい」となってしまう。

 生き辛さを抱える人たちの支援にあたる人こそ、自分の心のからくりや心理を見つめなおして欲しいと思いますが、なかなかそういう人に限って気づいていないんですね。

 


 
 

 



 
 

「弱者支援」の名を借りた「自分への支援」

 よく「障がい者支援」とか、○○支援に身をおき、活動している人たちがたくさんいます。
 そのこと自体への批判をする人はいないでしょう。だって自分はいいことをしている」「人にはできないことをしている」と思っている人が多いですから。
 もちろん中には、「支援している自分が好き」という自己満足だけでやっている人も多いことも事実ですが・・・。

 私の身近にいる人でも、「障がい者支援ネットワーク」という任意団体の会員として活動している人がいます。詳しくは分かりませんが、障害者の作業所で開催されるイベントの手伝いや作業所間のネットワーク作りのお手伝い、作業所で作られる作品をバザーに出品する際に購入したり手伝ったり・・・などが主な内容のようですが。
 
 でも、そういう人を見ていると(あくまでも一部の人かも知れませんが)、自分たちの人脈作りのために障がい者という言葉を「利用」しているに過ぎないような人もいます。
 私はその支援団体に加わっている彼女にどんな活動をしているのかを尋ねたことがありました。(支援団体にいる障害者施設長と私も面識があり、個人的に関わらせていただいたことがあったので)
 しかし、そのときに返ってきたのは「○○さんとは飲み友達のようなものです」という。
 「だっていろいろ障がい者の支援をしているんでしょう」と聞くと、言葉を濁します。

 それに定期的に支援仲間が集まって、「飲み会」を開催しているようですが、その「飲み会」には障害がいの「当事者」たちの参加はなく、単に自分たちの仲間作り、人脈づくりのためだけなんじゃないかと思えるのです。

  私の子どもがお世話になった別の支援団体(NPO)では、支援される(支援するーされるという表現をあえてあげます)当事者たちがむしろ主人公となり、そういう交流会には関係者だけでなく地域の人や賛同者を巻き込んで啓発の一環として飲み会(交流会)を開催しているようです。
 
  自分の自己満足のために、自分の交流関係を広げるために「障がい者(のみならずいわゆる弱者といわれる人たち全般)支援」の名の下でいっぱしの支援者ぶっている人のなんと多いことか。

困難事例なんて・・・

ある町の退職した元保健師だった方が言いました。
 「自分たちは(現役のころは)それこそ底辺(の世帯)から上の家庭までいろんな世帯を見てきて、さもわかったような助言をしたり、知識でわかったような感じになっていたが、退職して役場から離れてみると、何にもその家庭の実態を知らなかった」と。

 それぞれの家族や家庭には、その家族の数だけの物語があり、価値観があります。
 はたから見て、あの家庭は・・・、あの家族は・・・、あの母親は・・・と思われるような家族や当事者にだって、そうせざるを得なかった人生の生き様や価値観や、運命のような誰の責任とも言えない背景があります。
 
 そういう個別の事情は、その人とじっくりつき合い、話を聞かせてもらわなければ見えてきません。表面上だけの会話や信頼関係がない中では、相手もおいそれとは自分のことは話したがらないでしょう。
 
 自分たちの職業意識や、正義論からだけで相手を評価したりしていては決してみえてこなかったでしょう。

 

 地域包括センターで、ケアマネジャー支援をしているあるケースのことです。

 もともと「困難事例」として包括の保健師や社会福祉士が認識していたケースで、認知症の妻を介護している夫があまりにも自分たちの支援の方向性にことごとく反発したり自分の意見を主張するあまり、専門職の方では彼の意見が「間違い」という認識を最初からもっていました。
 
 社会福祉士は夫をなんとか自分の思う方向に持って行こうとして躍起になり、どうしても「~しなさい!」として指導的に関わろうとします。
 そして「ああいうやつには強く引っ張っていかないとだめなんだ」と周囲のスタッフにも持論を展開し、自分の支援方針が正しいということを認めさせたがっています。

 ケアマネジャーもそういう強い包括のスタッフの指導にストレスを感じていることを、後日ヘルパーとして支援している某訪問介護事業所の所長より聞きました。
「包括(センター)に相談しても、ケアマネジャー達はみんな委縮している。○○さん(社福士)はなんであんなに傲慢なんだ」と。
 何回かケース会議に参加してその社会福祉士とも接した所長は憤慨して言いました。
 「△△さん(ケースの夫)は私たち(ヘルパー)にはとても信頼を寄せてくれ、介護環境も今は全然問題ない」とのこと。
 さらにその夫が言うには「○○(社福士)、あいつとはこれ以上関わりたくない!(自分たちを見下す)あの態度は何なんだ!!」とかなり怒り心頭だと、訪問介護書の所長には本音をぶつけてくるそうです。

 包括の社福士や保健師たちは「接近困難事例」としての利用者像で、「自分達(支援者の)言うことを聞かない厄介じじい」というイメージやレッテルを最初からもってしまっての関わり。
 かたや、ケアマネジャーや訪問介護事業者は「自分の妻への介護へのこだわりや愛情があり一生懸命に介護しようと頑張っている夫」という評価。
 しかし、その介護のやり方にこだわりやご本人の考えもあるから、信頼関係を作りながら、徐々にヘルパーとしても本人の意向を尊重しながら少しずつ小出しに助言していきました。
 今ではすっかりヘルパーの言うことを素直に聞いてくれると言います。

 そんな話を聞きつけた保健師と社会福祉士は「××さん(ヘルパー所長)だから言うことを聞くんだ。あいつは人を見て使い分けしている」と。自分たちの支援のやり方がいかに利用者の夫を傷つけてきたかなんか、まるでわかっていません。
 自分たちの支援に従わない(従えない)人はすべて相手が「厄介者」「言うことを聞かない困難事例」としてカウントされていく実態。

 そういうことをスタッフミーティングで助言しようものなら「多勢に無勢」状態で、専門職としての正論を振りかざす人たちに同調しないといけないという無言の圧力に、周囲のスタッフも何も言えない状況を作り出してしまいます。
 一人だけ反論したとしても、その反論した人が今度は陰で叩かれ、「あの人(私のこと)は能力のない人」というレッテルを貼られ・・・。チームアプローチもあったものではありません。

 最近ではケアマネジャーもほとんど包括センターには相談に来なくなりました。
 「包括に相談しても、事を大きくされ自分たちの方向に強引に持っていきたがるから」が主な理由です。
 
 彼女たちにとっての「困難事例」というのは、自分達専門職の考える支援のレールに乗ってこない人です。
 しかし、その中には当事者や家族に理解力や知識がない場合もありますが、この事例のように利用者の方が逆に賢くなり、あえて「言うなりになるものか!」と腹の中では反発心を燃やしている場合もあります。
 「困難事例」だから、自分達専門職の出番だとばかりに、ケアマネジャーや利用者を指導し始めたがり、支援の方針通りにいかないケースの場合は、ケアマネジャーの力量が足りないとばかりに叱咤・指導したり、利用者へ指導したりする方に走ってしまいます。

 そのヘルパー事業所は他の市や町にもサービスを提供していることもあり、そこの市や町のケアマネジャーからも「○○市の包括センターのイメージが悪いですよ」と言われていると教えてくれました。
 一番肝心なことは、当事者には一番聞こえてこない。
 
 

レッテルを貼りたがる支援者と親身になってケアする支援者

 最初から「あの人はああいう性格だからダメなんだ」「自分たちのいうことを聞き入れようとしないからうまくいかないんだ」と自分達支援者のいうことを聞かせようと「指導的に」かかわろうとする人たちへの有言無言の反抗をする利用者がいます。

 利用者は支援者のそういう態度が嫌いなので、支援者が言うことを聞かせようとすればするほど、かたくなに抵抗します。
 そういう人に限って「私たちの言うことを聞かない厄介な人」とすぐ相手に対してレッテルを貼りたがります。自分の支援の姿勢は棚に上げて・・。
そう言う支援者はその時点で相手(利用者)を下に見ているので、余計利用者もその力関係を微妙に察知し、〝自分はあなた達の奴隷にはなるまい”と、感覚的に拒否してしまうのかもしれません。
 ある利用者はそういう支援者が〝正論的な”アドバイスをしようとすると、とたんに両手で耳をふさぎ聞きたくないという態度を示します。
 しかし、支援者の方はそのような利用者の態度を、「都合が悪くなると、タヌキになって知らんぷり」「ああいう性格だからダメなんだ」とますます相手を非難するようになります。自分たちの支援がいつも〝正しく”自分たちの助言を受け入れない相手は〝困難事例”としてカウントされていくことになります。

 認知症の妻を虚弱の夫が介護している世帯で、以前ヘルパーも入っていましたが、やはりそういう指導的なヘルパーの関わりに拒否し、「ヘルパーなんか絶対使わない」と言っていた老夫婦世帯がありました。しかし徐々に自分の体力の低下につれ、介護も限界に近くなってきており、不適切な介護が招く数々の問題が生じてくるようになりました。
 新しく入ったヘルパー事業所のヘルパーさんは介護者の夫の心情や環境にもまずは受容的に関わり、決して利用者世帯を「指導的にどうしよう」という関わりではなく、まずは信頼関係を築くことから始め徐々に夫の信頼を得て行きました。
 最初のヘルパーのイメージが強かった夫も、次第に今のヘルパーの支援を素直に受け入れるようになり、今ではそのヘルパーに全幅の信頼をおくようになりました。ヘルパーの助言にも素直に従い、今では生命も危ぶまれていた妻の体調もすこぶる良くなり、夫もヘルパーと一緒に適切な介護方法も身につけて行きました。
 
 関わる支援者がどのように当事者(利用者)の個性を肯定的に受け止め、信頼関係を築きながらら接していけば、基本的に人は、その両者の人間関係によって信頼をつかみ、ひいては介護環境も改善されていくのだと思います。
 
 ただ、そういうことは頭では理解していても、実際に接していく中では、本音の部分で支援者がそういう状況や利用者の個性を受け入れることが困難な人ってけっこういるんです。支援者のプライドが許さないというような・・・。

 これからの介護業界、「地域ケア会議」だの多職種連携だのが盛んに言われる。関わる職種が多くなればなるほど、一人一人の専門職の価値観や利用者への目線や姿勢の違いにより、利用者をとりまく状況は左右される。
 利用者のよりよい生活への構築のための連携も、時として支援者間の縄張り争いになったり、支援者同士の批判が始ったりすることだって、現場にいれば誰だって多かれ少なかれ経験するでしょう。
 残念ながら、支援者のそういう態度を批判的に書いているブログというのもけっこう多いものです。

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福祉で仕事をする人

 生活保護行政に配属された新人(今年2年目)の男性職員。昨年は新規採用でいきなり生活保護の現業ケースワーカーを任され、無我夢中での1年間のようでしたが、2年目の今年は、仕事の内容やケース(保護対象者)との関わりにも余裕が出て来たようです。
 対象者も高齢者であったりすると、介護保険の認定を受けたり、サービスを利用していたりすると、包括センターにも相談が入り、一緒に支援することも少なくありません。
 最近、彼が包括に相談を持ちかけるときに、「○○ちゃんのことで・・・」と、高齢者への呼び方を「ちゃんづけ」で呼ぶことも増えました。
 最も、包括のメンバーの一部の専門職ですら、日頃からちょっといわくつきの対象者に対してはいつも「呼び捨て」で会話しているのですから、そういう会話を聞いていて、新人も「こういう境遇の人には〝上から目線”で接してもいいんだ」と勘違いしてしまうのもむりはないでしょう。
 確かに、現場で仕事をしていれば、生活保護を受けなければならない背景やその人自身の生きざまのなかには、我々が理解しがたい人生を歩んできた人もいないわけではありません。
 
 「市民の公僕」であるはずの公務員が、生活保護行政を任されると、最初は謙虚さを持って職務を遂行しようとしますが、次第に高圧的になり、「税金を使って生活させてやっているんだから、もっとこっちのいうことを聞け」という直接間接的な圧力がかかったり、言葉や態度が侮蔑的になったりする人もいないわけではありません。
 
 生活保護を受けている人たちは保護を受けざるをいない背景(障害・疾患、経済的問題)があるし、それは必ずしもその人自身の自己責任だけの問題ではないはずです。人間として最低限度の生活を維持する権利は誰でもあるはずなのですが、何か生活管理能力が低下していたりケースワーカーの支援が継続的に必要なケースとなると、担当者は、だんだん「やっかいなケース」というレッテルを貼りがち。
 先日は、包括センターでも関わっている精神疾患のある対象者が家にいない事で安否を確認してもらうために電話番号を担当者に聞いた時に、「もう死んでくれてもいいのに・・・」なんて発言をするありさまです。唖然としてしまいました。

 表面上は親身になって接してくれているように見えても、本人のいないところで交わされるいろんな侮蔑的な会話。
 

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専門職の中にみる本音

 ある社会福祉士の女性が職場の同僚後輩社会福祉士に相談を持ちかけていました。
 「私の親戚に統合失調症のいとこがいるんだけど、以前はある企業に就職したんだけど、発症してから実家に戻り、今は仕事もしないで引きこもっているの。彼は私の母方の弟の子なんだけど弟一家もいろいろ問題があり、うちの母親が何かとその家庭を気遣ってはいるんだけど、そのいとこはいつも家にこもって意味不明な行動や言動を言っているから、私はああいう人には関わりたくないの、実家に行って彼の話を聞くのも嫌だし、会いたくもないの。ねえ、○○さん(後輩)、あなた私のいとこの後見人にでもなってくれない?いとこの住む役所に福祉の相談に行けば、そういう相談なら私が専門職だということも知っているから、私に聞いたらどうですか?と言われるに決まっているし。でも私は関わりたくないし、そういう人間が身内にいるってばれるからあまり実家の市役所には行きたくないの」と言っていました。

 そんな会話をしている専門職の立場である社会福祉士は、職場で関わる統合失調症の人たちへの支援もしていますが、彼らを見るまなざしも本音のところではそんな価値観で接しているのかなあと思ってしまいます。
 
 自分の身内にそういう対象が生じた時に、職業として関わっている自分の人間としての価値観があぶりだされてくるものです。自分は常日頃立派なことを言って表面上は専門職としてそういう当事者と関わっていても、いざ、自分の身内が同じような境遇に遭ったときに、自分の人間性の部分も浮き彫りにされてくるものだと思います。
 結局その社会福祉士とて、「統合失調症を抱える人間」に対する評価の仕方がその程度のものなのでしょう。

 
 
 

  

味方になるには勇気がいる

 私が今通っている研修で、講師の先生が話されたエピソードです。


 その先生が以前入院したいた病棟の患者さんの中にはいろんな事情を抱えた人がいました。その中でも、ルールを守らない、いわゆる病院スタッフからみたら「やっかいな患者」と言われる患者さんが同じ病室に入院していました。彼はいつも看護師や医師をてこずらせる患者でもあり、先生自身もあまり良い印象は持てなかったそうです。
 あるとき、その患者さんが脱走しました。病院のスタッフは必死であちこち探し回りました。そして家に帰っているとわかり、あとで病院に連れ戻されました。
 看護師たちはその患者に向かって一斉に「なんてことをしたんだ!」と言わんばかりにきつい視線と口調で注意したそうです。
 その中に一人の看護師が、「でも、よっぽど家に帰りたかったんだよねえ」とその患者さんの気持ちをくみ取った言葉を患者さんに投げかけたとたん、周囲の看護師達の目がキーっとなり、声をかけた看護師に向けられたそうです。
 
 先生は、「周りのスタッフが皆その患者さんを〝注意すべき人間”と評価しているときに一人だけ患者さんの気持ちに寄り添った発言をしていたけど、これは周囲の看護師たちにとっては“あるまじき発言”と捉えられていた。しかし、こんなときに、一人でも味方になってあげることってとても勇気がいることなんだと気づかされた」
と、今の仕事(カウンセラー)の原点にもなる一つのエピソードだったと話されました。
 
 いつも「こうあるべき姿を」求められ、「自分たちの指導に従えない患者(利用者)は厄介な患者」というレッテルを貼られてしまえば、そこから逸脱する患者はみな疎まれ、「指導の対象」でしかなくなってしまうでしょう。
 どんな患者(利用者)でも、その人なりの「思い」があるわけで、そこに「寄り添った発言」をすれば、「指導ができない」とばかりに、発言した人が「悪者」になってしまう・・。
 そんな状況は結構私の職場でも経験しています。

 周りが当事者の行為を「負」の感情で見て(評価)しているときに、ひとりだけその人(行為)を「正」の感情(寄り添う姿勢)でとらえようとするとき、その人のとった行動は周囲からは受け入れられずに浮いたり、孤立感を招くことすらあります。
 それでも、その人にあくまでも寄り添おうとするときには、ある種の勇気が必要なのです。
 私もそんな「勇気」を持ちたい・・・。


  人は不合理、非論理、利己的です。
  気にすることなく、人を愛しなさい。
  あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
  目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
  気にすることなくやり遂げなさい。
  善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
  気にすることなく、善を行い続けなさい。
  あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。
  気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
  助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
  気にすることなく助け続けなさい。
  あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
  けり返されるかもしれません。
  気にすることなく最良のものを与え続けなさい。
     (マザーテレサ)

 

プロフェッショナルイネーブラー(共依存)

 先日あるワークに参加。
 講師は精神保健福祉士資格のある男性。講師の先生の人生経験(挫折や価値の転換)からも裏打ちされた今の仕事への姿勢には同じ支援する立場として共感できるものが大いにありました。
 
 精神疾患のなかでも『依存症』について、取り上げられていました。
 話のなかで、「目から鱗」の部分と「ああ、やっぱりそうなんだ」という部分と・・・。
 

 依存症は、繰り返す(習慣化していく)くせ、ストレスへの対処行動である。
 (依存症)の治療は、習慣を変えること、症状を聞いて薬を出すだけではだめ。
 受容されることのない人は、人を受容することができない。
 依存症を回復させたいという人には(支援は)向かない。なんとか治したいと思えば思うほど空回りする。
 アルコール依存症の回復は、なにより自分の体験談を話すこと。
 依存症の治療で最も回復が早いのは当事者。次に回復が早いのは家族。最も否認が強いのは援助者。 
 
 援助者が回復するとはどういうことか?
 
 援助者が目の前の(回復していない人)を信じることは難しい。
 そのためには、回復している人とたくさん会うこと。援助者(家族)が、(知識や理論で)正しいことをやってもうまくいかない。
 
 プロフェッショナルイネーブラー(共依存)とは?
 援助者が、自分の不安を解消するため、依存症患者の回復に関わろうとすること。
 ○否定的エンメッシュ
 他人(患者)に頼られることで自分を満たしたい。他人に必要とされる欲求を満たすため。
 
 ○メサイヤコンプレックス
 〝この人を助けられるのは私しかいない”という傲慢さ。〝この人は私が一番よく知っている”という傲慢さ。

 ○治療中断に対する恐怖心
 我々がクライエントから離れてしまうんじゃないかという見捨てられ不安。

 共依存にならないためには、援助者も一度は共依存を体験することが必要。
 援助者の生き方が応援と拒絶に表れる。
 援助者が本人の感じるべき問題を「かわいそう」と肩代わりしたり、尻拭いする。
 過剰適応を自分の手柄のように勘違いしてしまい、病理を深めるお手伝いをしてしまう。
 援助者側に回復のイメージがないため、過剰に抱え込むか、苦手意識があって関われない。

 
 プロフェッショナルイネーブラーという言葉自体、私は初めて聞きましたが、いわば「専門職の共依存関係」なのですね。
 実際に、アルコール依存症の利用者さんを抱えるケアマネジャーや支援者たちの一部の人たちは、「なんとかしてやめさせなければ」「やめさせるにはどう支援したらいいか?ヘルパーをたくさん派遣して規則正しい生活を・・」なんて言うケアプランを作りがちになります。
 また、「あの人はこれまでもああいう生活をしてきたのだから、そう簡単に治るはずがない」という否定的な本音を持って表面上の支援をしていても、それは一番当事者の回復を遅らせる結果にもなってしまうということ。
 何よりも、誰よりも依存症の回復を遅らせてしまうのが「援助者」だということ。 職場にも、こういうタイプの人はけっこういます。
 自分の支援がさも一番正しいと信じて疑わない。「私でなければあの人(相談者)はだめ」といっている援助者自身が利用者に共依存しているわけです。


支援者が見せる差別や偏見

 ある精神疾患(統合失調症)で一人暮らしをしている60代の男性の相談が通院している病院のソーシャルワーカーから電話で入りました。
 「65歳になったので、包括支援センターとも今後連携を図るために連絡した。訪問して様子を見てほしい」というものでした。
 担当になったスタッフが実態把握訪問をしたりしていました。一人暮らしで最近は閉じこもっていることが多くなりがちとのことでもあり、夏の暑い盛りに脱水症などになっていないかというのも気になるような状況でもありました。
 訪問先から帰ると開口一番にAさんは、また例のごとくその男性の風貌や特性を誇張してあれこれと訪問時の様子をおもしろおかしく周りのスタッフに聞かせています。
 まず何といっても、訪問した相手のことを「名指しで呼び捨て」でしゃべるし、「統合失調症」「精神疾患」というだけできっと彼女の心にはそういう人たちへ「差別や偏見」が大ありなんだなあと感じられる発言です。

 今日はその男性のアパートの大掃除をシルバー人材センターに頼むための手続きについて、保健師とシルバーの担当者と一緒に出かけていきました。帰ってくるなり、「ああ、○○男(名前)の家の匂いがきつかった!!」その後もずっと「いつまでも自分の服や体にくっついて匂いが取れない」と何度もぼやいていました。

 こういう態度や言動ってあからさまにする保健師です。
 「最近は、こんなのばっかし(相談に)来てどうしようもない」とか、いつも社会的弱者や底辺に追いやられた人達を支援しているつもりでも、実際その本音の部分では「厄介な人」と見下げた態度で接する彼女たち。
 毎日こういう言動のなかに身を置いていると、ほかの職員にもそういう空気が浸透し、そういう態度や評価が「あたりまえ」の状態になってしまう。
 
 一緒に連携を図ろうとするときに、その人がそういう人であれ、どんな境遇を抱えて生きて来た人であれ、相手にも尊厳があることは忘れてはならないでしょう。
 支援者に隠された大いなる「差別や偏見」。会話の端々からその人の差別や偏見の度合いや価値観というものが透けて見えます。きっと対象者の方がもっとそういう視線をいっぱい感じていることでしょう。
 


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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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