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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

卒業にあたって

 次男の小学校の卒業式でした。県内でも児童数としてはマンモスに近い学校ですから、式にもたくさんの来賓の参加もありました。
 学校の卒業式というものは、それなりの式次第のとおり進められます。中学生の制服に身を包み、先生達も正装をするだけでも、おごそかな儀式となり、そこに保護者の感動を誘うような演出も加わると、まあ毎年恒例に行われる催しものなのですが、やはり感激するものでもあります。

 次男は特に4年生のときには、最初の4月を除いて、ほとんどクラスには混ざれませんでした。5年生の時クラス替えになって担任も変わったことで、クラスになじみ、6年生も持ちあがりで最後は友達がたくさんできて卒業することができました。
 そんなことを思うと、結果論ですが、クラスメイトと一緒に卒業証書をもらえたことは大変喜ばしい出来事でもあるでしょう。
 長男の中学校時代も2年生からは学習室登校で3年生はほとんどクラスに混ざっていなかったのでしたが、卒業練習の時期になって数回クラスメイトに混ざって、最後の最後にはきちんと卒業式に参加しました。
 校長は「卒業生○○○名、全員この場で卒業証書を手渡すことができました」と祝辞のさいに強調していました。
 きっと、わが子が出ないといえば、ひとり校長室での授与も親としては覚悟していたことでもありましたから・・・。
 最後にクラスに戻り、担任の先生から一人一人の頑張りを称えた「2番目の卒業証書」を手渡すときは、長男の番がくると、先生は感極まり数分何もしゃべれず涙を流し続けました。それだけ担任にとっては、最後の晴れ舞台、クラス全員が卒業証書をもらえたということは、大きな感動と「成果」の一つなのだと思います。

 しかし、こういう儀式的な卒業式に参列していて、思うことは、参加させたくても参加できない子どもだっているだろうということ。それが、我が家の子どもたちだってそういう環境や心理状態におかれていたら、そういうことにもなりかねなかったかもしれない。
 結局、子どもたちは自分で考えて、自分なりに成長してくれた。

 長男は中学3年時から通っているフリースクールの卒業式に高校生になっても行きたいと言って、学校を休んでまでフリースクールの卒業式に「在校生」として参列しました。(昨年は中学を卒業するということで一応の卒業生として記念品をいただきました)
 生徒自体も数名しかおらず、その中の卒業生は二人です。二人とも高校生でしたが、不登校になりフリースクールで大検を受け、今春関東地方の大学に入学するそうです。
 長男に言わせれば、学校で行われる儀式としての卒業式も感動はあるけれど、フリースクールでの少人数での心温まる卒業式の風景もまた別の感動があるようです。

 わが子は二人とも必ずしも順調な道のりを歩んできたわけではありませんが、それゆえ、いろんな学校のありかたやいろんな価値観の人との出会いをつくってくれたと思います。
 普通の小中学校の入学式や卒業式、養護学校の入学式や卒業式、そしてフリースクールでの卒業式などさまざまな「学校」とそこに関わる人との出会い。

 
 長男が、次男に言いました。
 「中学校だけは、少しくらい嫌なことがあってもクラスにまざっていた方が絶対いいよ。友達を大事にしろしろよ。僕はあのときクラスに入れなかったことを今は後悔している」「中学校は楽しいよ」

 あんなにクラスメイトの目線が気になり(特に女子)、「学校なんて燃やしてやる!!。先生なんて嫌いだ!!」と帰ってくるなり学生かばんをぶん投げて怒りをあらわにしていた長男でした。
 不登校も経験し、その後はクラスに混ざれず支援学級でも同級生と感覚的になじめず、学習室で過ごす時間が多かった長男でした。
 その長男が次男に「中学校だけは嫌なことがあっても毎日行けよ。あとで後悔するから・・・」なんてアドバイスできるくらいにまで心の成長をしていたことに感動する私でした。

 自分の中学生活を考えても、思春期の多感な時期、その渦中にいるときは正直しんどかったけど(ちなみに私は卒業時の寄せ書きには「中学生活面白くなかった、早く高校に行きたい」と書いています。)小中高大学を通して懐かしい思い出も(いいことも嫌なことも)一番多いのも中学生活なのかもしれません。
 
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教育の場

 今、長男は養護学校の高等部に在籍していますが、中学時代から学校と並行して通っていたフリースクールに、高校に入ってからも通っています。
 しかし、養護学校の高等部といえども、教科の単位不足では進級や卒業ができないことは当たり前なので、単位不足にならないように計算しながら、フリースクールに行く日を選んでいます。中学時代は校長の裁量で、フリースクールに通った日も登校と認められていましたが、高校生となるとそうもいきません。
 
なぜ、フリースクールに通わせるのか?
 高校に入ったからといって、すっぱり関係を止めるにはもったいないくらいの人間性あるスタッフと、フリースクールを取り巻く地域環境がいいからです。もちろん長男自身が「やめたくない」という確固たる思いもあります。また「フリースクールでの教え方の方が自分には分かる」と言います。
 養護学校の担任の先生はじめ、他の先生達もそのフリースクールの存在は知りませんでした(校区外にあるので、ほとんど情報がなかったようです)が、長男が通っていることがきっかけで、学校の先生も一度見学に来てくれることになり、その後はフリースクールでの活動を認めてくれるようになりました。そこのフリースクールでは地域の活動にも参加したりするなかで、地元の人たちからも理解されるようになってきており、フリースクール終了後の就労支援や相談機関も併設してあるので、見学した先生たちは(管内の若者サポートの支援機関しか知らない人は)「こういうところもあるんですね」と良い方に評価してくれています。
 養護学校につきものの、職場体験実習なども長男の興味や特性を知るフリースクールのスタッフが実習先を見つけて下さり、長男も充実した時間を過ごしてこれました。

 後日担任の先生から聞いた話ですが、わが子のこういう行動に対して、職員間で話し合いされたことがあったようです。学校の先生の中には、単位を取らなけれな進級・卒業が危ぶまれる高校生活では、学校に登校することを優先すべきという意見の人もいたようですが、担任はじめ他の先生たちが、「教育は何も今の学校だけの環境で完結するわけではないし、いろんな人や環境との関わりのなかで人間関係を結んだり、関わる力を育てるのも教育ではないか」」と考えてくださっているということでした。
 
 学校に通うことで得るものもあるかもしれませんが、今の長男にとっては、フリースクールで彼を丸ごと受容してくれるスタッフとのかかわりの方が、よほど教育的支援を受けているように感じています。
 以前、学校の先生がフリースクールに視察に来た時に、フリースクールの代表が先生に言ったそうです。
 「先生達が評価しているよりも、彼はいろんなことができる能力がある」と。どうしても学校の先生達は、「所詮発達障害だから、この程度までしかできないのではないか・・・」という先入観もあるような気がします。仕事を通じていろんな似たような生徒と接してきて、「こんなところだろう」という見方ができているんじゃないか・・。それに比べて、フリースクールでは、長男のことは「発達障害」があろうがなかろうが、そんなことは大きな問題ではないというふうに捉えており、一番は、スタッフと長男の心の交流を大事にしてくれていること。そこには彼を「評価」する態度や姿勢ではなく、一緒に「付き合っていこう」というスタンスです。
 親も子もそういう姿勢が感じられるからこそ、ここのフリースクールとの関係は続けていきたいなあと思うのです。
 障害児教育、障害者支援という前に、人間同士としてお互いを知り合いたい、そこからしか、真の支援なんてうまれないはずなのです。


 発達障害というと、どうしても「個別支援計画」だの、何らかの「専門的支援」を求めたがる親御さんもいるかもしれません。発達障害をテーマにして支援している機関ではなおさら、障害の特性だの知識的なところだけが重視されがちになり関わろうとしています。専門家の研修や講演を聴けば、それらに合わせようとし、「自分は支援者としてこれだけ学んでいるんだ」と言わんばかりの態度で支援者面して関わりを持ちたがる人もいないわけではありません。支援者本人は口では言わなくても、支援されている方の親や当事者からすれば、そんな心の中身は会話や態度を見ていればすぐわかります。ですから、私も長男も管内の支援機関に一度は相談したこともありましたが、長男は「あそこは絶対いやだ」と。
そして、「ここ(フリースクールのある地域)は、地域全体があったかいんだ」と言います。フリースクールの建物だけに限らず、地域の人たちともフリースクール自体が交流があり、地元の人たちからも、不登校や引きこもりなどの支援に対して理解を持ってもらっているから、長男の感覚にもフィットするのだと思います。
 そんなわけで、自宅からは遠いけど、一緒に寄り添ってくれる今のフリースクールにたどり着き、関係を持たせてもらっているのでした。
 彼らのような特性を持った人たちを「支援されるべき対象者」という見かたをしてしまうよりも、一緒に同じ空間を共有し、付き合うというスタンスをとってくれるのが本当の支援ではないのか?そしてそういう環境に身を置き、そこから学ぶことが教育ではないのか?と思います。
 
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教師の評価、親の評価

 次男の小学校最後の運動会がこの週末に終わりました。
 「小学校最後の運動会、楽しむぞ」と言って元気に競技にも参加し、また最終学年としても役割をはたしました。
 6年生になってますます、友だちの家に行ったり我が家に来たりする良い関係が続いています。
 次男は4年生の時にクラスや担任になじめず、新学期早々から不登校から別室登校となりました。
 次男を担当する先生は退職した嘱託のベテランの先生に指導を受けました。何回か、学校とも話しあいをもちながら、なんとかクラスに混ざれるかを試行錯誤しましたが、結局その年は学年の行事や学校の行事にも本人の意思で参加できませんでした。
 5年に進級する前の3月に再度学校側と話しあいを持ったときに、その担当だった先生は「私は今年度でこの学校は辞めることになる。そして児童も増えるので、今使っている部屋も○○君(次男)のために使用することもできなくなる。また○○君も年齢を考えると先生とのマンツーマンでの指導では友だち関係を学ぶことに限界がある。○○君が5年生になってもクラスに混ざれないならば、それは○○君の成長のためにもならないし、学校側としては支援学級をお勧めしたい」と言われました。

 私は「それは、先生たちは教育者としてその方が○○にとってベストな選択と考えているのか」と聞き返しましたが、学校側の見解は「イエス」でした。
 しかし、わたしは、長男に発達障害があるため、次男ももしかしたら?という疑問もあり、その数か月前には発達検査を病院で受け、「明らかな発達障害はない」と診断されていましたので、クラスに適応できない=特別支援学級への在籍を示唆する教師に頭から納得はできず、かといって「絶対それはいやだ」という自信もそのときはありませんでした。
 
 しかし、考えてみればクラスに混ざる混ざらないを選ぶのも次男自身、支援学級を選択するのも次男自身です。 本人にも聞くと「何で自分が〝ひまわり”(支援学級)に行かなければならないのか?」と私に聞きました。
 そして「それはいやだ」と。
 もしどうしてもクラスに混ざりたくないなら別に不登校になってもいいやとある意味覚悟しました。もし学校に行かないのであればフリースクールに通うという選択肢もあるし、自宅にいてもいいや、と。
 そうしたら、次男は、「5年生になったらクラス替えもあるし(環境がかわれば)なんとかクラスに混ざってやってみる」という結論を自分でくだしました。
 
 そして、5年、6年と同じクラスメイトのなかで、最初はどことなくぎこちなかった集団生活も、今では同じ趣味や話の合う友だちも何人かでき、毎日楽しく通うようになっています。そこには担任の先生の配慮もあったわけですが、やはり先生との相性も大きな原因だったかもしれません。
 
 たいていは遊びにくる友だちは趣味の合う男子数名なのですが、今日はその男子達に交じってクラスの女子数名合計10名ものクラスメイトが我が家に遊びにきてくれました。

 あのとき、「支援学級」を勧める教師の助言に従っていたら、今の次男の姿はなかったでしょう。

 このとき、つくづく思ったことです。「学校がよかれと思って助言したことでも、親が、子ども本人が納得いかない選択はすべきではない」ということ。その選択が正しかったがどうかなんてだれもわからない。でも、自分たちが納得して選んだ選択ならそれは当事者にとっては正しい選択なのではないかと・・。

自分を分かってくれる場所

 中学2年の後半から、学習室登校になっている長男。親クラスの集団には入れず、個別の学習支援室で一日を過ごしてきます。
 3年になった今も、その状態は変わらずですが、それでも、教科によっては支援学級に行ったり、自宅には支援の友達が遊びに来たりとなんとか交流しているようです。
 自分なりの感じ方・考えで、「今日は朝から学校へ行く」と言ったり、「今日は体育があるから行く」と言ったり、「今日は(支援の友人の)○○君が病院に行く日なので、僕が××さん(女生徒)と一緒に帰らなければならないから休めない」と言ったり・・。(○○君と××さんは同じ支援で仲が良く、自宅の方向も一緒ですが、○○君がいない日は××さんは女性なので、男性の自分がボデイガードをしてあげなければいけないという彼なりの“こだわり”と“優しさ”があるのでしょう。今は、地域でも不審者情報も多く、暗い道を女性一人で歩かせられないというのです。本当は××さんの方が長男よりずっと頼もしく逆にガードされているのは長男の方かもしれませんが・・・)
 クラスに入れない原因が、クラスの女子からの何気ない言葉と視線だったので、女性恐怖症かといえばそうでもなく支援の××さんとは気軽に会話もしている長男。


 以前見学した、フリースクールに夏休み前に見学だけでもと連れて行った時は、建物の玄関に入ることさえ躊躇し、職員とも話もできなかったのでしたが、夏休み自分から「行ってみる」となり、数回体験入学して一日を過ごしてきました。
 学校が始まってからも、「週1回はフリースクールに行きたい」となり、今は「週2回行きたい」とだんだんフリースクールへ行くことが楽しみになってきました。
 スクールで何をしてくるかと言えば、学習支援のほかにも自然豊かな環境のなかでスタッフと川釣りに行ったり昼食の用意を一緒にしたり、趣味の絵を描いたりと、自分のペースに合わせて寄り添ってくれているようです。
 最初は昼食も周囲の生徒と一緒に食べられず、スタッフともうまく関われなかったのでしたが、行くたびに「あそこに行くのが楽しみ。早くこないかと待ち遠しい。」「あそこのスタッフは僕のことを分かってくれるから。」と今ではすっかり自分の居場所にもなっているような感じです。

 もちろん、今はまだ中学校生活もあり、親としても子どもがフリースクールにいく選択を選ぶのならそれでもいいかとも思い本人に聞けば、「学校とフリースクールを半々にしたい」とのこと。フリースクール側でもここに通うのを出席扱いしてくれる学校もあるとのことで、長男の中学校のコーディネーターの先生に訳を話したら、校長の裁量の範囲になるとのこと。学校によって、校外の施設に行くことを出席と認めるところとそうでないところがあるようです。
 でも、我が家ではたとえ欠席扱いでも、フリースクールには行くわけなので、出席だろうが欠席だろうがどっちでもいいです。
 学校側でも、市外のそういう類の施設の情報がないこともあり、判断材料がないため、一度コーディネーターの先生が子どもが通っている日に見学にくることになりました。

 もともと長男は人づきあいがきらいという性格ではありません。ただ、「自分を分かってくれない、気持ちを理解してくれない人」にはかなり敏感に反応してしまい、不安緊張が強くなり、結果引きこもってしまうのでしょう。また発達障害もあるため、新しい環境になじむまではかなり時間もかかります。
 しかし、自分を分かってくれる人がいれば自ら関わりを持ちたいという気持ちもあります。ゆっくりと彼のペースで相手にも関わろうとしていきます。
 これまで、彼が「いい人」「自分を分かってくれる人」と評価した人(学校の先生やフリースクールのスタッフたち)は、親にとっても「いい人」「私(親)のことも分かってくれる人」でした。
 自分が受け入れられて初めて人は相手を受け入れることができるのだと思います。
 フリースクールのスタッフは、みなさん決して「指導」したり支援者ぶろうとはしていません。ただ、子ども(生徒)たちの今の心の段階に寄り添いながら、一緒に時間を共有しているといった感じです。決して急がず、その子のペースで・・。そこから子どもたちは、この大人となら安心して自分を出して、主体性を養い、新たな一歩を踏み出そうという気持ちになっていくのだろうと・・・。
 
 いろんな支援機関は数多くありますが、何よりも子どもにとって良いと感じる場所(人)は親によっても心地良い場所(人)であることは私にとっては大事なキーワードです。
 
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発達障害児の感覚の捉え方

 息子が、時々自分と環境とのかかわりにおいての感覚の捉え方について話してくれることがあります。

 「授業参観中、(親たちが教室を見学できるように扉や窓も開けられている)廊下にいるママ友たちの話し声がうるさくて、頭痛くなって集中できないんだ。」
 「小学校のころからだったけど、中学校はもっとうるさい!」
 (たいてい、教室に入らず廊下にたむろしている親に限って同じようなママ友をつかまえ、雑談に夢中になっている光景は小学校でも見受けられますが)
 
 ただでさえ集団生活の緊張感を強いられる教室という空間なのに、その上外野からの予告もないザワザワした騒音が授業終了まで頭に入ってくるのですから、さぞかし子どもにとってはきついものがあるだろうと納得しました。

 また、息子が好きな絵を描いているときは、「音楽を聴きながら絵を描く人もいるけど、自分は何にも音のない世界で絵を描きたいんだ。道路を走る車の音も、人の声も、カラスの鳴き声も鳥の声も耳に入ってくると集中できない。でも、何にも音が入らないっていうことが不可能だとしたら、せめて鳥のさえずりのような音はまだいいけど、カラスの鳴き声だけは嫌いなんだ・・・。」などと、自分にとって快に感じる音の種類にも感じ方があるようです。

 一般的には多くの人は「○○しながら~~する」という二つの感覚を統合させても仕事はできるものですが(むしろこっちの方がはかどる人もいるくらい)、息子の話を聞いていると、一つの感覚(描画=視覚や手を使う運動覚)を研ぎ澄まして集中しているときに他の感覚(聴覚)が侵入してくるのはとても苦痛なのだなあということが理解できました。

 また、息子は絵を描く時はいったんその景色や事物をしばらくじーっくりと眺めて(脳の中に記憶として残して)から、あとはその対象物を見なくても描き上げることができる特性があります。
 しかし、学校教育での美術の写生の時間が大嫌いです。

 「ぼくは、“ものを見て描きなさい”と言われるのが嫌なんだ。ぼくは先にものの全体像を見てから頭に入れたらあとは見ないでも描けるんだけど、先生は(対象物を見ていないぼくを見て)『見ながら描きなさい』と何度も注意するんだ。ぼくはそう言われるとかえってできなくなるんだ。『見ながら描く』なんてぼくにはできないし、言っている意味がわからなくて混乱するんだ」と。
 
 しかし、今の学校教育では、写生といえば「対象物を見ながら、鉛筆を動かし、また見ながら手を動かし(視覚→運動覚→視覚→運動覚)・・・といった作業を行うことが、写生をするということの定義になっているのです。
 教師がじーっと何分も対象物を見て頭に記憶しようとしている息子の様子が「何も課題をやろうとしない」という態度に見えるのでしょう。それを指導しているのが、はからずも、特別支援コーディネーターであり、美術の担当でもある教師なのです。

 また、たぶんすべての感覚を取捨選択できずに取り込んでしまう傾向が強く、頭の中には沢山の感覚刺激で充満しているのだろうと思います。
 主治医に言わせれば「脳内が絶えず緊張を強いられていて、休まる暇がないのだろう」ということで、今は神経を休めるための軽い投薬を調整していただいております。
 
 いくら「特別支援教育とは?」「一人ひとりの発達課題に対応する教育を」などといってさかんに研修に参加しても、実施の現場で目の前の子どもにそういう理解のしかたがされず、今の教育法をあてはめて支援するならば、ますます子どもたちは生きにくいだろうと感じます。

 発達障害があるから生きにくいのではなく、発達障害の子どもたちがもつ特異な感覚(それはなにも正常な感覚の対比としての異常という意味ではありません。あくまでも個性としての個別の感覚です)を生かせるような指導や支援体制があるならば、子どもたちは生きにくさは感じないはずなのです。

 要するにそういう感覚の違いを認めようとしない、一般的な多くの人が感じる(できる)ことに合わせさせられることへの苦痛さやストレスが、生きにくさを生む背景にあるのはないかと思うのです。
 

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親と保育者の思いのギャップ

 あるお父さんが、その日は帰りが遅くなってしまった。子どもはお父さんの帰りを待っていた。外はとてもきれいな星空だったので、寝るまで二人で星空を眺めていた。

 翌日父親は、保育園の連絡帳に「きのうは、子どもと一緒に星空を眺めていました。寝るのが10時近くになってしまったけれど、久しぶりに親子でスキンシップをはかりました」と書いてやった。保育者からも「すてきですね」なんていうコメントを期待して・・・・。

 しかし、返ってきたノートの返事は、「子どもは遅くとも8時までには寝かせましょう」という言葉だけだった。


 こんな話をある講演会で聴きました。保育を専門とするある短大の公開講座で。学生や保育園・幼稚園の先生たちも参加していました。話をしたのは元保育者でした。講師の先生は、ご自身も現場でかかわってきた経験から、親の気持ちに寄り添うような連絡帳の書き方も必要ですよというメッセージを伝えるために、この例をあげたのでした。「正論」というのは、時に親を傷つける場合もあるということ。

 保育者は、あくまでも生活リズムを整えるという点に主眼がおかれた視点であり、父親の気持ちは「寝るのが遅くなってしまったけれど、それよりも親子の触れ合いをの方が大切だった」のでしょう。その両者の感覚の違い、何に主眼を置いたかかわりを大切にするかという・・・。そこにお互いにギャップがあると、思いを共感できなくなります。


 息子の保育園時代のエピソードを書きます。
 保育者たちも発達障害などという言葉に疎かった時代ではありましたが、今、思えば診断などはなくても発達障害の特性(対人関係が苦手、感覚過敏、手先の不器用さ、時間の概念がない、予期不安、自分の気持ちを言語化できないなど)は保育園時代からみられていました。
 このような特性を持つ息子と保育者が考える保育の実践との違和感を、何となく「違う」と感覚的に私は感じてきました。
 一生懸命に関わろうとすればするほど、また保育者の思いが強ければ強いほど、その関わりの方法論が息子の特性にマッチしたものでないほど、息子はその内面の困難さを行動にあらわしていきました。
 
 息子が3~4歳のときに、「友だちを叩く」「かみつく」や「奇声をあげる」などいわゆる保育者から見れば、「問題行動」と思われる行為が多くなったことがあります。

 もともと友だちが自分の近くに寄ってきたりからだに触られただけで、感覚(触覚)過敏などのため、本人なりには嫌だったという彼にとっての「正当な理由」はあったのでしょうが、まだ発達障害の特性など保育者の知識がなかった時代、相手の子にかみついたり叩いたりする息子が当然叱責をうけることになります。(相手の子は周りからみたら何も悪いことはしてないのですから・・・)
 迎えに行くたびに、「今日も○○ちゃんにガブされた」「○○ちゃんにかみつかれた」という子どもたちの訴えと保育者の「報告」。
 そして、言葉で気持ちを伝えることを「訓練」されていました。保育の目標である「気持ちを伝えあうことでコミュニケーション能力を高める」という保育目標を息子にさかんに実践しようとしていました。

 また、保育者の目を見て会話をしたがらない息子に対し、「コミュニケーションは相手の目を見て」が保育の目標だったため、その保育者は息子の顔面に立ちはだかりにらめっこをするような近さで「○○ちゃん、先生の目を見て話して」と、息子が目をみるまでやめませんでした。  
 
 それでも、子どもの行動には必ず意味があるということも、保育者たちは頑張って考えようとしてくれましたが、やはり(その当時)なんで、こういう行為になるのかの理由がわからず(健常児同士の関わり合いの中では言葉でやり取りができるだけに、行動の理由も分かりあえる部分が多いのですが)、「生活リズム」がなっていないのではと言われたりもしました。(その当時は、キレる子は生活リズムがなっていないという保育者の理論でした)
 
 給食にだされる「さんまの塩焼き」は息子にとって、口触りが「パサパサしている」という感覚で、のみ込みが苦手でした。でも「作った人に感謝し、残さないで食べること」という保育目標でしたから、お昼寝の時間が近づいても最後まで食べさせられていました。今でも食卓にさんまが出ると、そういう保育園での思い出もあるのか、あまり食べたがりません。

 お昼寝の準備として保育園では皆と一緒に歯を磨いたり、パジャマに着替えたり、テーブルを片づけたり、布団を敷いたりと時間でテキパキと行動しなければなりませんが、息子はこれらの一連の時間的な流れをスムーズに行うことができず、着替えに長い時間がかかったり、次に何をすればいいのかの行動の予測が苦手でした。
 他の子どもたちはみな友だちの行動を見て自分の行動をとれるわけですが、次の行動を予測して段取りよく動くことができず、保育者から「何、ぼさっとしてんだ」と注意されたり、着替えでも人より遅いことについても、「○○ちゃんは、“自分で~したい”という自己主張はなかったんですか?」と言われたり、「お母さんが甘やかしているんじゃないんですか」と思われていたりしました。(当然家庭でも一人で着替えさせるようにはしていましたが、朝の着替えに1時間もかかる子でしたから、しまいには時間に間に合わずどうしても手伝わざるを得ませんでした。息子と私の時間の感覚の違いには早くから悩みのたねでした。)

 手先が不器用な息子は、あまり家でも工作をしたがりませんでした。どんなに親の方でお膳立てをしても催促しても、ハサミやのりを使って切ったり貼ったりする作業はしたがりませんでした。
 保育園でいろいろ工作をやらせても、できないので家でさせていないと思われたのか、連絡帳には「経験不足があるようですね家でもいろんな経験をさせてください」と書かれてきました。(どんなにやらせようと誘っても、自分からしたがらなかったのでこちらもあまり押しつけはできなかったのに・・)。親のこんな気持ちはあまりわかってもらえませんでした。

 4歳のときに保育でコマ回しの遊びをしたとき(コマは木をナイフで削って自分たちで作り、ひもを使って回す昔ながらの遊びのやり方で・・・)息子はひもをコマに巻きつけてまわすというとても高度な工程の作業ができませんでした。
 やり方をスモールステップで一つずつ教えてもらわなけれなわからないと思いましたが、保育者は「友だちがやっているのを見て自分もやりたい!という気持ちや意欲を引き出す」ことが目標なので、大人が丁寧にやり方を教えてあげるという発想はありませんでした。(子どもというもは友だちのことを見て自分も友だちのようになりたいと思うことで、できるようになるんだという健常者中心の発達観でした)
 当然、息子はできない、やっても失敗する、失敗は自尊心が傷つくのでいやだ、だから結局はできないとなって、友だちがやっているのをただ見ているだけでした。
 たまたま見学している息子のコマをある女の子が回してくれ、息子はその女の子から手伝ってもらったことに満足していました。
 それを、保育者は連絡帳に、「○○ちゃんは、自分から積極的にやろうとしない。もっと挑戦しようという強い気持ちを持ってほしい」と書かれてきました。

 また、遠足の行事のときには、持ち物などは親には知らせず、保育者の言葉だけを聞いて子どもたちから親にそれを伝えられるという目標を掲げていました。
 「いいかー。よーく先生の言うことを聞かないと、何を持ってくるか分からないから、よーく聞いて、家の人に伝えてね」
 保育者は、子どもの自立心やしっかりと人の言うことを聞ける力を育てようと言う目標だったようですが、視覚的な判断材料もなく(いまでいう絵カードのような視覚情報)、当然息子は耳からの情報だけでは聞きとれず私も何を持たせたらいいか困りました。

 そのような園生活のなかで、「できないこと」や保育者が「問題」だと思うことを、親も一緒になって「わがまま」「問題」にしてしまい、それを「改善」させようと「叱咤激励」で関わったら、ますます荒れてしまいました(当然ですが・・・)。4歳の頃が一番きつかったです。

 卒園に際して、この保育者にはいろいろこれまでの息子の行動から私なりに思うところを伝えました。そうしたら、この保育者は泣いて反論しました。「こっちだって、○○ちゃんのことを一生懸命に考えてかかわってきたんです>!そんなふうに言われるとは思わなかった」と・・・。私の言わんとしたいことがうまく伝わらないなあと感じました。保育者は自分たちのやり方に信念と自信をもっていました。

 その当時、発達障害児の少年事件が相次いで社会をにぎわせました。発達障害の関する本などもその当時から読んでいました。
 「発達障害の子は少年事件を起こす子ども」という誤解や偏見が世間に広まるような風潮でした。専門家たちはその辺の誤解や偏見に対し、反論のコメントを積極的に展開していました。
 同じ障害を持つ親御さんの中には、「息子がもし同じような事件をおこしてしまったら、私は息子が牢屋に入ってもわが子をしっかり受容する覚悟です」とある雑誌に思いを寄せているのを読み、自分もこの母親の気持ちには涙が出るほど深く共感したことを覚えています。

 卒園時に、ある保育者から息子の成長した姿に感動したと手紙をいただき、その返事に先の母親と同じような気持ちの内容を書いて返事をだしたら、今度は「わが子を牢屋に入れる母親がどこにいるか。そんな風に子どもを育てることは間違っている。そもそも○○ちゃんのお母さんは、知識はたくさんあるけど、ほかのお母さんたちや保育者たちともあまり話をしたがらない人」という返事の手紙が届きました。
 わたしはそんなに多くのお母さんたちとはつきあいはなかったかもしれないけど、信頼を寄せている保育者やお母さんには家庭や仕事上の悩みなども話してきました(数はすくないですが)。決して孤立していたわけでもありませんが、反面私のこのような思いを伝えても、「考えすぎ」だの「子どもは友だちの中で育つのよ」とかで、周りの親のほとんどは保育園に預けれおけば大丈夫という人たちばかりでした。

 また、その手紙の中には、息子にあまり期待することはしないで(あくまでも親の期待を子どもに押し付けないという意味でしたが)、「親は子どもの後からついていくくらいでいい」と書いたら、「子どもに期待しない親なんておかしい。わたしはわが子にはピアノも上手になってほしいし、勉強もできてほしいと願いがたくさんある。親は子どもにいろんな願いをもつのが普通じゃないですか」と反論の返事がきました。
 私が思っている期待や希望の意味とその保育者が考える思いにギャップを感じました。

 一生懸命に子どもとかかわる保育園ではありましたが、反面子どものことでは、こちらの思いが分かってもらえないもどかしさも感じていました。


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次男の授業参観

 今日は次男の学習参観日でした。
 昨年の5月からクラスに混ざれず、個別指導に切り替わった次男。
 3学期末の親と教師の面談で「支援学級行き」を示唆されたものの、目立った発達障害も(検査の結果)見当たらず、そんな中で、学校側の都合もあり(個別指導担当の先生が辞めることや特別支援学級が1学級増えることなど)、次男も授業の遅れを「特別支援学級」に在籍してはどうかということだった。本人は「このまま6年まで(個別で)いきたい」とのことだった、学校側の都合や彼自身のことを考えれば、それはだめだと・・。

 しかし・・・、それは親が決めることではないと改めて考えた。これからどうしようと考えているのは、子ども自身。一応こちらからは、クラスに戻るか、支援学級に行くかの選択肢だけを示し、あとは子どもに選ばせることにした。結果、またクラスに戻れなくなったとしてもそれはそれで仕方がないと思った。

 次男は、クラス替えや担任も変わるということを考えて、クラスに戻ることを選択した。
 そして、2回目の授業参観を迎えることができた。
 
 1学期の目標は「やれるところまでやってみる」だった。
 そう、今もやれるところまで頑張っている。
 しかし、昨年の学習のブランクもあり、勉強に遅れをとっている面もあり、少しまたついていけないことにも不安を抱えている。時に行き渋るような言動もあり、そのたびにこちらの対応もどうしようかと決断を迫られることもあるが、担任の先生も昨年の次男の生活を知っているので何かと配慮してくれる。
 
 授業参観でも、ひいき目に見れば次男の席に近づいてきて、学習の進度や理解度を見てくれるが、他の保護者からみたら、「なんであの子に多く関わっているのか」と思う人もいるかもしれない。また昨年一緒だったクラスの親や子どもたちは、次男がクラスにいなかったことは知っていても、新しいクラスの子どもたちやその保護者にとっては事情を知らないから、いろんな見方もあるのかもしれない。
 その辺のところを、担任の先生もどうしたらクラスの子にも理解してもらえるかというところを考えているのだと、逆に相談されてしまった。

 いろんな考えの親御さんがいる。
 ちょっとクラスで目をかけなければいけない生徒(次男に限らず発達障害などの子やグレイゾーンの子)がいれば、「なんであの子にばかり・・もしかしたら発達障害?」「そういう子は支援学級で勉強すればいいのに・・・」「先生があの子にばかりひいきしているんじゃないか」
 事情を知らない人は自分勝手な思いをあれこれ巡らせ、それがママ友同士間での噂にもなってしまうのだろうなあ・・・。

 だからといって、わが子のことをクラスのみんなに開示したほうがいいのかはわからない。

 授業参観が終わって、保護者たちが引き上げる廊下の階段で、ある親が「うちの子、学校大嫌いで、大嫌いで・・、毎日朝になると泣いて泣いてしょうがないのよ。どうしたものやら・・」と隣のママ友に嘆いていたのを通りすがりに耳にした。
 クラスで「みんな元気に仲良く」と表面上穏やかにクラスで授業を受けている子どもたちも、一人ひとりの内情はいろいろだろうと想像する。
 「不登校」などの行動におこさない限り、子どもの授業風景からだけでは、個々の内面は見えない。
 きっと「学校が嫌いで泣いて登校している」という子だって、学校では平常心をとりつくろって過ごしているかもしれない・・。
 
 また授業参観での親の態度だけを見れば、わが子の問題など抱えてなんかいないように見えるもの。
 クラスに貼られてある子どもたちの掲示物を見ては、「ああ、この子は優等生の部類だな」とかはだいたいわかる。
 「1学期の目標」などを書かせるものなどは、優等生は教師受けの文章をすらすらと何行も書きあげているし、それ以外の子はせいぜい1~2行止まり。
 保護者にとって、掲示物の内容も子どもたちのランク付けの一つの指標にもなっているのだろう。
 皆が次々と課題をこなし、掲示物も4月に貼られていたものから変わっているのに、まだ4月のままのわが子の掲示物。「この子はみんなと同じ課題ができないでいるのか」と、何も知らない親たちにはそのような評価なのだろうか・・・。(まあ、どうでもいいけど・・)
 1学年170人弱の大規模校がゆえに、いろんな子がいて当たり前。必ずしも学校が「合う」子ばかりではないはず・・。

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スクールカウンセラーとの面接

 先日、長男の中学に勤務することになった、県のスクールカウンセラーの方と親面接を行いました。

 今月から月に1~2回の程度委託を受けて訪問するらしいです。ちなみに自治体独自に採用しているスクールカウンセラーもいるのですが、そちらは特に専門的資格はなくて勤務でき、回数も多く学校に来るのですが、県のスクールカウンセラーは臨床心理士の資格で採用されること、そしてその方自身も某精神科病院で現に臨床心理士としてカウンセリングなどを中心に勤務されているとのことです。

 今の長男の症状についていろいろお伝えし、親としての思いや見解などを伝えました。
 
 以前このブログでも(「スクールカウンセラーの功罪」)でも書いたように、教師と対等になれない現場の悩みなどもあるようで、はたしてこのカウンセラーは本当に「子どもや親の見方」に立ってくれるのだろうかという期待と不安の入り混じった思いで面接に臨んだのでした。

 実際、カウンセラー自身が、病院という医療現場の「思春期外来」で不登校をはじめとする子どもたちのカウンセリングにも携わっていることもあり、むしろ学校現場のマイナス面の実態も理解してくださっており、自分たちの意見や今、子どもに怒っている「症状」へも共感的に聴いてくださいました。

 発達障害の子どもたちにとって、その感覚の過敏さからくるが故の様々な生きにくさ。思春期の子であれば誰もが「自分と他人との違いに敏感になり、人の目が気になる」ということは普通だが、それが度を越してしまうため、「対人恐怖症」「思春期うつ症」などのように病的に見えることもあるかも知れないが、それを「病気」という見方をするよりも「発達障害がゆえの感受性の過敏さが思春期という時期に出ている」という見方をした方がいいんじゃないかとのアドバイスでした。この過敏性も年齢を重ねていけば次第に弱まるとも・・。

 学校というところは、だいたいが「みんなと一緒に努力し、頑張る」ことを目指すところではありますが、やりたくでもできない子、自分なりに頑張っていてもその頑張りが目に見える形で表れないと「頑張っている」とは認めにくいところ。
 心因反応(腹痛)まで起こしても遅れても学校に行く長男は確かに本人なりにはかなり頑張っていると思います。しかし、学校側は「受験も控えているし、できれば1時間目からの登校を・・」と求めてきます。
 発達障害を持つ一人の生徒への「授業への配慮」の少ない環境の中にあって、本人にとってはかなり苦痛かもしれないマンモス校の中でのざわざわした環境の中で、一日の大半を過ごす生活はきっと辛い部分も大きいと思います。
 スクールカウンセラーの方は、「そんな環境でも頑張っているからこそ、心因的な反応も出やすいのでしょう。ストレス耐性を徐々に上げていくということも必要だが、やはりストレスを回避し、こころの安定を図ることも大切。その辺のバランスが難しいけど、子どもの症状を見ながら押したり引いたりしていく必要があるでしょうね。学校にも親御さんの方で配慮してほしいことを伝えておきます」と言ってくれました。

 学校と親や子どもの間に立つ橋渡し的な存在で、中立的な見方をしてくれ、時には学校側にもアドバイスしてもらえるようなスクールカウンセラーという存在も必要な部分かもしれません。医療機関で働いているという臨床心理士の方って比較的、学校側の目線からは離れた視点でとらえてくれるので、比較的お互い理解しやすかったように思います。

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子どもの目線

 いつも遅れて登校する長男。いつもは比較的自由がきく父親に学校まで車で送ってもらう。視線恐怖もあるため、生徒たちがクラスで授業を受けている時間以降でないと昇降口に入れないのです。
 いつもは2~3校時めあたりからの登校が続いていましたが、今日と明日は送迎係の父親が出張でいないので、私がその役目。フルタイムで仕事を持っている身としては、時間休を使わないと長男を学校に送り届けるのが無理。
 心因症状(お腹が痛い)も出ているため、無理して学校に行かせているのかと、こちらも悩みながら子どもの様子を見ながらではあるのですが、「無理なら休もうか?」と聞くと、「いや、行く」と。(実は昨日は腹痛で早退してきていたのでした)

 私の勤務時間にも配慮し、「今日は8時45分まで行く」と言って、気持ちを切り替えて登校しました。
 (おかげで、朝1時間の時間休で済んだので助かった)

 わが家では比較的時間の都合がつく父親が、今は子どもたちの学校の総合受付係になっているので、毎日の先生とのやり取りや送迎などは父の方が学校事情などはむしろ理解しているのです。長男の登校時のこだわり行動も知っていて、「今日はお母さんだといつものパターンじゃないと、パニックになるので」といって昨夜は今日のシュミレーションを二人で確認し合ったのでしたが、すんなりと登校でき1時間目から授業に参加し、帰りも最後まで頑張ってきました。

 私と一緒に登校するとなると、母の仕事に支障をきたしてはいけないという子どもながらの思いやりもあったのだろうと思います。そんな気遣いをしてくれる長男です。
 怠けて休みたいわけではない、お腹が痛くなるというのも、(心因性のものかも知れませんが)本当なのでしょう。でも、自分なりには遅くなりながらも頑張って行っている。そのことはしっかり受け止めてあげなければと思います。

 先日は、視線恐怖や対人恐怖(特に女史生徒)の悩みを打ち明けてくれたのですが(去年、クラスの女子から言われた何気ない一言が今も尾を引いているようなのです)、それについてことらも、最初は言い分を受容しようと聴き役に徹しようと思ったのに、つい「物は考えようによって見方が変わる」なんて、結局は子どもの方に変容を求めようとアドバイスしてしまったんですね。

 頭ではわかっているつもりでも、ついつい親として何とか解決させてあげたい、息子のこだわりや思考回路をもっと前向きな方向に導きたいなんて感情の方がそう優先してしまって変な親心を出してしまったのがいけなかった・・。
 「もう、いい・・。」と会話を遮る長男。

 私「お母さん、また言いすぎちゃったね。説教になっちゃってごめんね」
 「そう、説教だ・・」と。

 子どもはただ、言いたかっただけなのだ。でも、それをただ黙って子どもの言い分をひたすら聞き役に徹することも必要なのだ。分かっていてもつい言ってしまう(反省)。

 
 
 話は変わりますが、長男は運動もしないし、体力もなく、やせ細っているため寒がりで今でも冬のジャンパーやフリースを着ています。
 6月は学校では「衣替え」の季節。いくら気温が寒かろうが、学校の規則でワイシャツで登校しなければなりません。また体育着も「半袖・短パン」。6月早々からプール授業も始まります。

 しかし、よくよく考えると、この「衣替え」っていうのって、大人社会ではないのもです。クールビスやウォームビスなどはあるけど、それだって服装は個人の体温調節によって自由に決めていいもの。
 5~6月ってまだ暑い日もあれば肌寒い日もあり、特に、こちらの地方では「田植え冷え」と言って、田植えの時期になると天気が曇り寒くなると昔から言われているため、まだストーブも完全にはしまいきれないのです。

 大人の人はこの時期は、半袖・長袖と服装はみんなかなりバリエーションがあるのに・・。(小学生の登校風景も通勤途上の車窓から見ていると、長袖派の子、半袖短パンの子、ジャンパーも羽織って厚着の子なんてかなり個性的です)
 なんで中学生になったら寒暖の差に関係なく、画一的な服装を求めたがるのでしょうか。黒い学生服を着ていくと先生に叱られ、校内で長袖長ズボンのジャージを着ていると、「半袖・短パンでないとダメ」と言らしいです。
 
 「みんなが“先生たちは、長そでを着ているじゃないか”と言っても、“先生はいいんだ”と分からない理屈を言うんだ」と、長男は口をとがらせて言います。

 私も、この衣替えの規則っていつもおかしいと感じていたので、長男の言うように生徒たちの理屈の方が正しいと感じています。
 
 人間の暑さ・寒さに関する感覚ってそれこそ個人的要素が大きいのに、なんで十把一絡げに一律を求めようとするのでしょうか?

 子どもの目線や子どもが考えることって、侮れないものです。大人たちの言っていること、やっていることが、子どもにとって納得のいくものでなければ、子どもは大人を信用したり信頼をもってくれない。
 
 いくら口では立派なことを言っていても、子どもは大人の本心を見抜いているものです。

 「衣替え」を規則にするなら、大人(教師)もしっかり背広など着ないで半袖シャツで授業をしてください(と言いたくなる私・・)。

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息子の絵

 鉛筆描画(都会の風景)
描画(都会の風景)

     拡大 描画(スカイツリーのある街並み、東京タワー、レインボーブリッジ)
スカイツリー


 鉛筆描画(地図)
描画(地図)

 幼児期から絵を描くことが好きだった長男ですが、色を塗る絵はあまり描かず鉛筆での描画が中心でした。
 目で見たものは頭の記憶にとどめ、写生ではなく、自分の想像や記憶をたどって描いています。
 
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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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