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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

地域で見守るとは?

「地域力」や「見守り」がさかんに叫ばれている。にもかかわらず、孤独死や虐待の問題は相変わらず増えつつある今の社会。
 国はこれから認知症対策についてさまざまな事業を打ち立ててくる。しかし、地域や各自治体の方でもそこまでの体制になっていないところが多い。
 いろんな施策を次々と打ち出して来るのはいいが、それをどのように地域の実情に合わせて消化していったらいいのか?同じ価値観でみな地域をみている人たちだけではないだけに、いろんな人がからめばからむほど思惑が違いかえって連携も進まない例も多い。


 「地域力」「や「見守り」だって自分が好ましいと思う人間だけに限っていることを誰も自覚していない。
 価値観に合わない人間、本能的に嫌われている人間は真っ先に切られてしまう。
 同じ色にならないと助けてやらないよって雰囲気。
 権力者が望むような弱者かどうかにすべてがかかっている。
 自分が嫌いな人間でも、見守れるか、気にかけられるか。
 その人間力が今試されている。
 嫌いなままで受け入れられるかどうか。
 それができないからみんな孤独になる。


 地域にはさまざまな生活環境、生活レベルの人が暮らしています。
 精神障害を持つ息子さんと長年一緒に暮らしていた母親も認知症になり、不安症状から何度も救急車を呼ぶ騒ぎになったことがありました。地域の近隣の人たちは(日頃からあまりつき合いがないこともあり)「何度も救急車騒ぎを起こして厄介だ」という認識です。担当になった民生委員も、息子さんの精神障害のことを告げると「ああいう精神障害者を地域に住まわせていていいのか?」と。
 何らかの障害があるだけで生活上、地域に迷惑になっていなければそれはそれで暮らしていけますが、この母親にしても息子さんの障害については近所の人にも伝えていませんでした。息子さんは家では閉じこもっているだけで、精神症状はあるにしても格段地域に迷惑になるような行動はありませんでした。
 しかし、いったんその息子さんの存在を守ってきた母親が認知症になったりすると、とたんにその家族の問題が浮き彫りになってきます。「精神障害者≒危険人物」であるかのような偏見。たしかに訪問しても人を寄せ付けないような言動もあります。起こったような口調や独語もその症状の一つとしてみられることもあります。それだけで、精神障害(統合失調症)の何たるかをあまり知らない地域住民にとっては、息子さんの存在が「恐い」という感情を引き起こしてしまうのかもしれませんが・・・。
 そうなったときに、「ああいう家は何か地域に厄介なことがおこるのが心配」となり、民生委員→行政へと相談が入ったりします。
 この母親があえて息子さんの存在を地域に隠して生活してきたとしても、それを誰が非難できるでしょうか。
 隠してこなければその地域のまなざしをもろに受けてかえって生きずらかったかもしれません。
 それまでは見えなかった世帯(家族)の問題はある意味、そのキーパーソンの人がその役割を遂行できなくなった時に起こってきます。
 その時に、その地域やその地域住民(とりわけ民生委員を始め、隣人など)がいかに、そういう世帯を自分たちの価値観だけで判断し、排除の精神になってしまわないか・・・残念ながらまだまだそんな雰囲気が(行政にも)あるのです。


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プラン通りにはいかない支援

日頃支援をしている相手(対象者)が、支援者の思うようなプランニング通りに生活が成り立っていかないケースがあります。
 
 そういう対象者は、自分たちの支援のプランを拒否する「いうことを聞かない厄介な人」という評価を安易に下しがちです。
 
 ケアマネジャーでも家族の想いと利用者の想いの狭間に立ち往々してしまう場合もあります。
 ある高齢の一人暮らしの男性は、サービスの利用に心が傾いても「お金はいくらかかるの?」と言っては「やっぱりやめる」とサービスを拒否してしまいます。決して払えるお金がないわけではありません。お金はあっても自分のために払いたくはないのです。その根底には「自分の世話を嫁がするのが当然」という意識があるようです。「家族だったらただなのに…」「家族だったらこんな年寄りの面倒をみるのが当たり前」という本音。
 しかし、家族にしてみれば、「舅は甘えている。もっと自分でできるはず」「こちらが家事を手伝ってしまえば依存的になる~、本人のためにはならない。あえて叱咤激励しているんだ」との言いぶりです。
 もともとの本人と息子夫婦の確執があったのだろうと思います。
 若い時の家族関係がそのまま高齢になっても尾を引くケースが多いと思います。双方にそれぞれの言い分があるわけですが、利用者の本心は「もっと家族に自分の事に関心を向けてほしい」ということなのでしょう。
 いくらサービスで埋め合わせをしても、その「寂しさ」は埋め合わせができません。
 ケアマネジャーも、「自分でできないことが増えてくれば、誰かの助けが必要で、家族も忙しくて関われないと言うならば、お金はかかるけどヘルパーさんなどを使って援助してもらうようにしたらどうでしょう」と言っても、家族の愛情をお金で補うようなプランにはすんなりと首を縦に振ろうとしません。
 
 家族も「今の保険制度って、家族にも支援してほしいというけど、社会的に支援していくための介護保険でしょう?どうして保険でサービスを入れられないんですか?」と言ってきます。

 職場に戻った担当のケアマネジャーは、周囲の同僚たちに「本当に嫌になっちゃう」と、訪問先での会話を誇張して再現して聞かせています。

 そうすると、この利用者に対する評価は、「お金があるのに使いたがらないケチな老人」というレッテルを貼りがちです。そして「ああいう性格だから、嫁さんも寄ってこないんだよ。嫁だから自分の世話をするのが当たり前という態度では、誰もかまいたくなくなるよねえ」と、勝手にそれぞれの価値観で批評し合っています。
 意外と、そんな会話って当事者たちの知らないところでは、ケアマネジャーの愚痴も含めて案外利用者や家族を自分たちのパターン化された思考のなかで勝手に批評しあっていることって多いのではないでしょうか。

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地域ケア会議

 介護保険事業計画(国・県・市町村が策定するもの)において、平成27年度からは、地域包括センターや保険者(市町村)が主体となり、「地域ケア会議」というものを開催することが義務づけられるようになります。
 この分野での専門職の方なら過去の経緯がわかるかもしれませんが、介護保険制度発足前は、国を挙げて高齢化釈迦への到来を前に「ゴールドプラン」「新ゴールドプラン」と称して地域の中学校区単位に「在宅介護支援センター」を設置して(たいていは社会福祉法人に委託など)、高齢者の総合相談の窓口となっていました。

 その後介護保険制度発足により、在宅介護支援センターはケアマネジャーの所属する居宅介護支援事業所にとって代わり、介護保険サービスを利用する相談の窓口になりました。
 その後は増え続ける介護給付費を抑制する目的もあり、要支援認定者は「地域包括支援センター」でプラン作成をするなど、サービスの制限なども含めた制度の改定が行われました。

 もともとはケアマネジャーによるサービス担当者会議でサービス量の調整や地域資源をも取り入れながらプランニングしていたことが、結局はケアマネジャーの能力格差もあったりする中で、サービスの抑制と地域の課題を見出すという目的で、行政にその責任を押し付け、行政がケアマネジャーやサービス事業者、地域の民生委員や関係機関を広く巻き込んで「地域ケア会議」を開催することになるようです。

 ある先進地をモデルとしたこの体制は、国の役人たちが全国展開しようということになり、今盛んに各県ではその準備のための研修や会議が行われています。

 結局は、ケアマネジャーが抱える問題ケース(認知症の徘徊ケースや多問題家族のケースなど)をいかに様々な関係機関を招集して問題解決を図っていくかということにもなるのでしょうが・・・
 
 そこで問題になるのが、こうしていろんな立場で会議に参加する人が多くなればなるほど、本当に解決の方向に導くための司会進行役である包括センターや行政の職員がどこまでそういう力量を発揮できるかという資質の問題や、参加者の意識が共有できるかという問題があります。

 ある民生委員は「徘徊高齢者は地域の人たちから迷惑だと言われれこまっているので、施設にでも入ってもらえればいいのに・・・」と日頃考えている方がいた場合に、「認知症になっても住み慣れた地域ですごすにな」というテーマでの話し合いにどこまで理解を示すのだろうか・・・。結局「地域の課題を探す」というその会議の目的があるにもかかわらず、「やぱり施設入所が望ましいい」などという結果にもなりかねないでしょう。

 住み慣れた地域で障害があっても認知症になっても、生活できる体制というのは、ただ単に介護保険サービスを入れたから大丈夫というものでもないのは当然で、ケアマネジャーにも地域資源をうまく取り入れてもらうことは必要なのですが、その地域ごとに抱える地域の雰囲気というものも独特のものがあるように思います。
 
 国は「高齢化社会→高齢社会」への流れの中で、「ゴールドプラン→新ゴールドプラン→介護保険制度導入→地域包括ケア体制」へと机上の理屈でいろんな方策を打ち出して行きましたが、結局は「社会保障費の抑制」というのがおおもとにあるわけです。
 
 ある居宅介護支援事業所の管理者が言っていましたが、この地域ケア会議は「“ケアマネジャーいじめ”にならないことだけを祈る」と・・。

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対応の仕方

 ここのところ、高齢者を取り巻く環境もいろいろな課題が多く含んできています。いわゆる業界用語で言えば、「多問題ケース」というやつです。

 地域包括支援センターという名称も、地域では浸透してきています。認知症などのお年寄りが地域の中でトラブル沙汰になったりすれば、いち早く警察も介入するようになってきており、その結果、警察からも包括センターへ「今、こういう人を保護しています。何かそちらでも情報がありませんか?」と聞かれたりして、お互いに連携をとるような場合も少なくありません。

 高齢者一人の問題のみならず、その家族に無就労の子や孫がいたり、子や孫に発達障害や精神障害、引きこもりなどの問題を抱えていたりすることもあります。結果的に家庭内で経済的な問題や、ひいては介護ストレスで虐待(疑い)にまで発展し、当事者たちからというよりも、担当するケアマネジャーやサービス事業所、また地域の民生委員や町会の住民などからも「あそこの家のことが気になる」といって情報が入ることもあります。
当事者たちの知らないところで、その家族の情報はこのように動いていることになるのです。
特に虐待がらみの相談などは、通報も積極的に行うように啓発していることもあってか、いろんなルートからその疑い(も含めて)の相談は最近多くなってきています。
一昔前だと、親戚や近隣の人たちである程度解決できていたことも、最近はちょっとしたご近所トラブルでも、センターや行政に相談が入る場合も多くなっています。

 認知症者の増加は今後も確実な勢いですから、本当にいつか、自分もそんな立場にならないとも限らないということも十分に心しておかねばということも感じます。
 
 以前、ある家庭の中で引きこもりの成年男性が家庭内暴力を起こし、その物音を聞きつけた近隣住民が警察へ通報したということがありました。警官がその暴れている男性を抑えようとしたときに、男性は突然の出来事にパニックになってしまい、警官に抵抗しようとしたところを「公務執行妨害」ということで「逮捕」されてしまいました。警察署まで連行されましたがまもなく落ちついたので保釈され家に帰ってきました。
 男性は「何で自分が逮捕されなければならないのか」と腑に落ちないようだったようですが、あとで、警察署からそのような情報がこちらにも提供されました。
 その世帯を知っている保健師は、「あそこの家の家の息子たちは引きこもりで精神(障害者)なんだ」と、他の同僚の前で語るのです。
 1回こういう事件(?)があると、警察は「気になる世帯」となり、地域のパトロールと称してはその家の周囲を回るようになります。
 あるとき、パトカーが定期で回っていたとき、その家の男性が自宅周辺をうろついていたところを見つけられ、職務質問のようなことをされて抵抗したようで、結果的に「公務執行妨害」となりまた「逮捕」されてしまったとか・・。
 そんな様子だったと、後日警察から電話をもらった係同僚が、「また息子が逮捕された」と話していました。
 前回の件があって以来、そのお宅には訪問しにくくなっており、家の人もむしろ外部の支援を拒むようになっていたようです。そこへきてまた警察がらみの「事件」になってしまいました。

 推測の域をでませんが、何となくその引きこもりを続けている男性は何らかの対人関係における発達障害の特性があったのではないかと思います。
 家庭内暴力もその二次障害などの故かもしれないし、警官がいきなり予告もなしに目の前にきて話しかけたり体に触れたりすればそれだけでパニックになったのではないだろうか・・・。男性の取った行為だけを見れば警察官に対する暴行になってしまうけど、きっとそういう特性をむしろ関わる側が無視したままに接してしまえば、結果的にこういうことになってしまうのだろうと・・・。

 知的障害者や自閉症者、精神障害者などが、往々にして地域を歩いているだけで「変わった人」「不審者」扱いされてしまうような昨今の地域環境。
 そして発達障害の特性を無視した〈理解不足)の支援が結果的に当事者をますます孤立させ、信頼感を失わせるようなことになってしまいかねないと思います。

 でも支援する側は、そんな配慮など頭になく、「要注意人物」にリストアップされ、パトロールの対象になってしまう。「精神(障害者)として医療につながなければ・・」と勝手に支援のプログラムをつくってしまい、当事者抜きの支援にやっきになってしまう。
 地域の人からも「なんとかしてほしい」と知らず知らずのうちに情報が勝手に当事者抜きに知れ渡る・・。

 地域とはいったい何なのでしょう。
 支援するとはいったいなんなのでしょう。

 発達障害の子を抱える親としてとても複雑な思いがします。


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認知症対策

 介護保険の申請の目的の中でも、最近は「認知症」の高齢者の処遇についてが多くなってきました。

 高齢者人口の増加と比例して、認知症高齢者の増加も指摘されており、国をあげて認知症対策に取り組んでいます。
 その中の一つである「認知症サポーター養成講座」も、地域ぐるみで認知症の高齢者を支えようということで、出前講座を繰り広げ、認知症の知識の普及や実際の対応の方法などを一般住民にも併発する講座を開催しています。
 
 認知症サポーターは以前は100万人を養成すると言っていましたが、活動の効果であっという間に100万人は突破し、今では400万人まで拡大しようとしています。

 
 実際に認知症の症状がひどくなると病院でも、入院は長くできず(本来治療が必要であるにもかかわらず・・・)早めに退院してくれといわれたり、またもう少し入院していてもよさそうなのに、このまま入院が長引くと認知症になる可能性があるからと、高齢者はとにかく早めの退院を余儀なくされてしまいます。

 結果、家族は翻弄し、介護保険を申請し、在宅を選ぶか、施設を選ぶか、最初に二者択一を迫られてしまいます。施設と言ってもいきなり特老や老健などの介護保険施設は空きがなく、結果有料老人ホームや宅老所、小規模多機能型施設、グループホームなどから空いている施設を探しだすしかありません。費用も最低10万円~で20万ちかくかかるところさえあります。

 金銭的な負担もかけられず、高齢者のレベルからは在宅もなんとか過ごせるかもしれないと考えると、ケアマネジャーをつけて在宅のプランを検討してもらうわけですが、なんといっても一人暮らしや日中独居の場合に、誰も面倒を見る人がいない時間帯をどうするかという課題が浮き上がります。
 介護保険サービスだけでは認知症高齢者を支えることができません。デイサービスに行かない日や、ヘルパーの来ない時間帯に、徘徊したりする方もいらっしゃるからです
 
 そういう意味でも、地域で認知症の高齢者(その家族)を支えようと言う目的で認知症サポーターになったのに、実際は形ばかりのサポーターになっていないともかぎりません。

 地域性もあり、またその高齢者をとりまく地域の環境や関係性もあり、我関せずのところもあれば、隣人や民生委員さんなどがなにかと目配りしてくださるとこともありますが、大部分の方は、「あの人認知症になったんだってねえ・・。」「毎日徘徊していて危なくて交通事故にでもあったらこまる」「火の始末もできなく家事になったら大変」ということで、「なんとかしてくれ(地域にこのまま過ごさせるのではなく、どこか安全な施設にでも入れてくれ)」といった思いを抱いている人も多いということです。

 結局サポーターといっても一緒にこの地域で過ごせるように私達も協力しますという姿勢ではないような気がします。
 そしてそれは、この認知症対策を企画しているスタップ側でも同様のことが言える。
 表向きでは「認知症の高齢者も住み慣れた地域でいつまでも過ごせる社会を」とのスローガンを掲げて講座を展開していても、実際にいろんな案件や事例の相談が入ると、「認知症ってやっかいね・・・」的な視線や発言が垣間見える。

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民生委員あれこれ

 福祉現場で仕事をしていると、当然ながら民生児童委員さんと一緒に関わる場合や民生委員の定例会などに招かれて話をする機会もあります。

 民生児童委員は、国が委嘱した特別公務員です。当然公務員としても「守秘義務」が課せられています。しかし、民生児童委員とて、所詮は「人間性」が大きな要素を占めますから、いろんな人がいることも確かです。

 ある高齢者の親族が窓口に姉(80代)のことで、相談にきました。身内のなかで頼れる存在がその弟しかなく後の親族は全く面倒を見ようとしないことに、弟さん自身も困ってしまい、「民生委員に相談に乗ってもらえ」と助言したら、姉は「あの民生委員には話をしたくない!」と言われて、困ったそうです。弟さんは「○○さん(他の地区の民生委員)は私もよく知っているが、あの人はいい人だ。でも姉の地区の●●さんはほとんど顔を出さない」と。けっこう民生委員も、「いい人かどうか」を評価されているわけです。

 また、反対に民生委員をとても慕っており、この民生員には家庭の事情も言えると言う方もいます。「○○ちゃん(民生委員の名前)は、ぜったい人に言いふらす人じゃないから、安心できるんだ。それがこの辺の地域の人たちだと、何でも言いふらされ家のことが筒抜だ」と言って、担当の民生委員さんをとても信頼している方もいます。たしかにその民生委員さんは、誰に対しても同じように寄り添ってくださるような方で、決して出しゃばらず親身になって相談に乗ってくれる方です。

 また、20代の引きこもりの姉弟のいる世帯が気になる民生委員さんから相談を受けました。(母親も精神の疾患があるようですが受診歴なく、近所の人たちも母親の言動やひきこもりの子どもたちを心配していると。民生委員が父親を連れて担当課の方へ相談に来所した時の後日談。「民生委員にはどこまで家庭の内情を言ったらいいのか・・。この話は本当に周囲に漏れ聞こえないのか?」と父親は担当職員に語っていったようです。

 また、民生委員の定例会の場での会長のあいさつで、委員全員を前に、次のようなことを話しました。「私たちは、要援護者の相談に乗る際に、守秘義務というものが課せられているのです。それだけはくれぐれも遵守していただきたい」と。こういうことを言わなければならない背景は、我々の方に、とあるところから「○○民生委員は自分のつかんだ情報を人に触れまわる傾向のある人だ」という情報が入っていたのです。それを常任委員である民生委員の会長の方が定例会で釘をさすように壇上からお話をされました。

 また、ある児童委員さんは、幼児虐待のケースで母親も精神疾患がある方なので、担当の保健師たちが慎重に対応していたところに、「児童委員として、自分も知らないのは困る。なんで教えてくれないんだ!」と言わんばかりに訴えてきたとかということを聞きました。

 最近は孤独死や、災害時の避難支援など、行政の窓口ではこういう事態になった時に、個人情報をどこまで教えるべきかという課題を抱えていますが、民生委員の中には「何かあった時に、民生委員が知らなかったではすまされないのだから、情報を教えてほしい。」と言います。情報とは、すなわち、介護保険の要介護認定を受けているかだとか、障害者がいる世帯かだとか、生活保護などの世帯かどうかなど、いろいろな情報を求めたがる傾向があります。

 本来、これらの情報は行政は勝手には教えません。(せいぜい住民基本台帳にある独居高齢者だとか、老夫婦世帯かなどというところまではこれまでも名簿は出していましたが・・)しかし、最近の地震などの災害に備える対策ということで、「災害時の支援プラン」を行政の責務で作成しなければならなくなっています。その中で、「情報もないのに、どこに助けなければならない高齢者や障害者がいるかなんてわからない」という批判も多くでています。
 そこで、わが自治体でては、要介護3以上、障害者(主に身体障害)の方について、民生委員には名簿を渡すようにマニュアルを作成し、民生委員さんが該当する家庭に出向き、災害支援プランを作成するかを一件一件足で運んで聞きとりをしているのです。

 民生委員さんも、ある意味「名誉職」でもありますから、たいてい民生委員の多くは元学校の先生だったり、公務員を退職した人だったりは半数を占めていますが、そういう人たちの中には、どうしても社会的弱者である要援護者に対し、少し上からの目線で関わる傾向のある人もなきにしもあらずです。そんな人に限って、「あの民生委員にだけは、わが家も内情を知られたくない」「あまり家のことを相談したくない」という思いをする人もいることも確かです。
 
 また、家族の方からは内緒にしていても、そこの家の内情がひとりでに噂で地域に広まっていたりする場合もあります。例えば高齢者認知症が徘徊して地域でも問題になっていたりする場合や、精神の疾患のある方で症状の出現が地域の人にも迷惑になってしまう場合などは、いくら家族が隠し通しても、地域の方から、「あそこの家を何とかしてほしい。あんた民生委員だろう、役所に伝えてくれ」と周囲から言われて、言われるままにやってくる民生委員もいます。

 一人暮らし高齢者なら、民生委員が来訪すれば、ある程度話し相手にもなってもらえるので、高齢者の受けはそんなに悪くはないのですが、子育て世代の母親、障害を抱えている家庭などにとって民生委員はあまり積極的に活用したい存在にはなれない場合もあります。

 それは、ひとえにその民生委員の人柄によるところが大きいのだとも思います。

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「虐待」の通報

 これまで一人暮らしだった高齢女性(90代)都会から娘さんが戻ってきて一緒に暮らして数年。
 
 あるとき、近所の人から「娘さんが母親を叩いている」「おばあちゃん(母親)がうちに来て、『ご飯食べさせてもらっていない』と言う」といった「虐待(疑い)の通報」がはいりました。

 認知症が進んできたため、同居をはじめたのですが、もともと娘さんは母親とは性格が会わずに、社会人になってからはずっと家を離れて生活してきました。介護保険も申請し、週1回デイサービスと娘さん不在時の訪問介護を利用することになりました。
 
 担当のケアマネジャーには、「もともと母は兄や弟ばかりを可愛がって、私は可愛がってもらった記憶がない。だから母親と言ってもあまり愛情がわかないし、自分のいうことを聞いてくれるような母ではない」と言ったそうです。

 しかし、認知症も進み、娘さんの介護(食事の世話や衣服着脱の介助など)が必要であるにも関わらず、実生活では娘さんの作った料理をまずいといっては鍋ごと捨てたり、食事を与えているのにも関わらず周囲には「食べさせてもらっていない」と触れまわったり、衣服を着替えさせようとしてもがんとして拒否したり、あげくには汚れたおむつも替えさせてもらえず、新しい下着を買って与えてやっても、着替えも拒否しデイサービスには穴のあいた下着や汚れた衣服、失禁したままのおむつをはいていくこともあったようです。
 こういうことがあるとデイの職員からも、「家族からネグレクトされているのではないか?」という疑念を抱かせるような光景かもしれません。

 デイサービスでは「娘に叩かれるから家に帰りたくない」という言動が聞かれたとケアマネジャーに報告があったようでしたが、あえて「虐待」ということでなくそのまま様子を見ていたようです。担当のケアマネジャーさんも家庭の事情を知っていたこともあります。
 しかし、「通報」があった以上は、虐待のマニュアルに従って、ケアマネジャーさんに確認したほかに、「事実確認」のため、デイサービスにいるご本人に面接を行うことになりました。
 
 しかし、認知症もあるため、自分の発言した言葉の本意を確認しようとしても、話が合わず、その時はそのような発言が聞かれませんでした。
 デイサービスでは職員が言うには「みんなと一緒に楽しんでいるし、排泄介助もさせていただいている。」ということでしたが、自宅では訪問するヘルパーさんの話では「かわいくないおばあちゃん」「おむつが濡れていても替えさせてもらえない」という評価だったそうです。
 外部のスタッフにの介助にも抵抗するとあれば、娘さんの介護にはなおさら反発をしているのも理解できます。だから、娘さんは年中ストレスがつのり、自分の時間も必要と時々家を空けてストレス発散をしないと気がもちません。

 認知症を抱える家族は大変です。ましてや本人の外面はよくて、家の中では「わがまま」と思えるふるまい(認知症と性格からきている・・・今までの性格にさらに輪をかけて現れてきやすいから・・)自分の意のままに動いていれば、周りの人の評価と家族の評価には大きなギャップが生じてきて、何も知らない周囲の人からは「家族が悪者」という目で見られがちです。
 
 虐待の通報があった場合、通報者はどちらかと言えば高齢者寄りの立場に立って通報してくるのですが、娘さんが「手をあげたくなる気持ち」も話を聞いて行くと心情的には察するにあまりあります。
 担当のケアマネジャーさんやデイサービスの職員さんたちは、だいぶ前から母親の気の強さと、娘さんとの折り合いがうまくいっていない(多分に母親の気質や性格の問題)ことも知ってはいましたが、事を荒立てることなく様子を見てきていたのでした。しかし今回このような通報をうけたことで、ケアマネジャーさんからも利用者支援だけでなく、養護者支援の立場からも関わっていただくようにお願いしました。


 いわば娘の介護に感謝することすらなく、逆に「自分はまだまだ一人で何でもできる。誰がお前(娘)なんかの世話になるもんか」という高齢者自身の思い。そこに子ども時代からの母子関係が色濃く影響しており、AC的家庭環境での育ちだったのだろうかと思わせられるような二人の親子関係が垣間見えます。

 親子関係って、本当にあとあとまで影響しますし、ましてや一方が認知症にでもなればなおさら、これまでの親子関係が浮き出た形で現れ、時として虐待ケースとして取り上げられたりする場合があるのです。

 地域の中で、当事者の家族(娘さん)の心情も察した関わりがあれば、「虐待しているのでは?」などと通報されることもないのだと思いますが、娘さんも都会で定年になってから戻ってきて、あまり本音で悩みを打ち明けていなかったこともあり、周りの人たちには「家の事にはあまり口を出さないで」という態度で接していたこともあり、この母親に同情してしまい娘さんが「悪者」のようになってみられているのだろうかと思われました。
 今は、本人たちの知らないところで、民生委員や行政の窓口にそれぞれの「家庭の事情」が「通告」されるようにもなってきている時代です。

 「虐待防止法」ができたためのこともありますが、介護をしていれば中には言うことを聞かなくてストレスになってしまい、つい叩いてしまったということも無きにしもあらず・・。
 そんな家族事情はこれまでだってどこの家庭にもあったはず。決して叩いてしまうことを擁護するわけではありませんが、そうしたくなる思いにも周囲の人たちもきちんと寄り添ってあげれば、何もわざわざ公の場に「通報」などということもないのだろうと思うのです。
 しかしそういう手間暇かけた付き合いの希薄さもあり、そういうこともいちいち「虐待」というくくりでとらえられてしまうことへの違和感もぬぐえません。

 
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医療保護入院

 以前から支援していた、認知症状と視覚障害(ほとんど失明に近い)を抱えている高齢の母親と精神疾患のある息子さんの処遇検討の結果、先日医療保護入院を実行しました。

 もちろん、包括センターをはじめ、地域担当の保健師、ケアマネジャー、親族、医療機関(精神科病院の医師およびケースワーカー)とも綿密な打合せをした中での決行でした。

 精神科の受診に際しては、当事者にその意思がない場合は、その症状や周囲への影響を考え、措置入院、医療保護入院など条件がありますが、今回はそのまま様子をみているだけだったら、「虐待」にもつながる危険性があったことや、母親が息子さんの精神症状を何とか「治療させたい」と考えていたこともあって、通院にもっていくまでの最悪のパターンもシュミレーションしての処置をとりましたが、意外にあっさりと受診先にはついてきてくれました。(しかし、名目は母親が息子さんのことで相談したいから、息子さんは母親の付き添いとして受診に立ち会ってもらうということでの同意。) 実際に診察室に母子で入ったら、主治医からの話が、息子さんの診察がメインになっておりいつの間にか、(充分関係者では根回しをしているのですが)、「あなたの方が心配だ。入院しよう!」と主治医から告げられ、息子さんも母親も一瞬何事が起こったのかという場面になりました。

 息子さんは結局、看護師に連れられそのまま病棟へ。
 診察室に残された母親に、主治医から「きちんと病気を治すための入院だから」と説明を受け、今日は通院と思って来院したのに、いきなり入院となった事の成り行きにショックと不安いっぱいの心境。でも、最後は、「いつかはこんな日がくることは覚悟していた」と。

 それでも息子さんが「このままでは一人前に社会で生活できなかったかもしれないから、今回の入院は良かったかもしれない」とご自分に言い聞かせるかのように、母親は繰り返すのでした。

 そして、しばらくの間は母親の一人暮らしの支援をどのように展開していくかを、ケアマネジャー、ヘルパー、包括、民生員さんや親族の方、本人のご友人の方も含めて、役割を確認し合いました。

 幼い時から母子家庭で、頑張ってこられた方。息子さんの特性もあり若い時に一度発症歴もあったのですが、その後服薬中断があったり、今回失明に近く認知症が出かかった母親を在宅で息子さんが介護することで、息子さん自身の症状が悪化し(母親の介護をしなければいけないのに、できないことへの苛立ちやパニック)、結果虐待に結びつくような行為も出現してきていました。

 こういう親子関係もふまえつつも、この状況をいつ、どのタイミングで打破しようとして関わるか、関係者間でも意見の相違などもあったりしましたが、結果的にこういう処遇を取らざるを得なかったと思われます。

 ただ、今回一緒に関わった息子さん担当の保健師とは、「母親の思い、息子さんの思い」を汲み取りながらもベターな支援に結びつけるためにはと、悩みながら進めざるを得なかったのですが、実際に関わっていない他のスタッフにとっては、理屈の上からの助言になりがちで、「そんなに待てる状況ではない。暴れたら警察を呼んででも病院に連れていくべき」「こういうことは場数を踏まなければわからないんだ」という意見もあったり・・・。

 仕事として、いろんな事情を抱える親子の支援を考えることが多いのですが、支援をしなければいけなくなる背景を当事者からお聴きするにつけ、単に「業務」と割り切れないところもあり、自分自身としては、できるだけ当事者への視点(目線)を持ち続けながら関わっていきたいという思いがあります。

 それは、自分自身も発達障害を抱えるわが子と生活している中で、自分や息子の将来とも無関係なことではないからかもしれません。

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民生委員さんからの相談

 民生委員さんが地域に暮らす50代の男性の生活相談に来所されました。

 数年前に両親が無くなったあとは、一人暮らしをしていますが、仕事もせず今は電気・ガス・水道が止められているとのこと。町内会費も払っておらず、これまでも親戚や近所の人たちも、金銭的な支援や生活への助言などを行ってきたようですが、ほとんど感謝もされず、助言にも従わず・・・。家の中もゴミ屋敷になっているということでした。結局は地域の人たちも愛想をつかしてしまっている。そこでそういう人の支援は民生委員へということで頼まれて、状況を説明しに来所されたのでした。

 話を聞いていくと、「生活保護」の可能性はないのかということと、万が一今騒がれている「孤独死」や「不審死」などにでもなったら、民生委員としての自分の「立場」もないから、困っているという理由もあるのでした。

 それでなくても、電気もガスも水道も止められ、ましてや仕事もしていないとなると、どうやって生活をしているのか、本当に気になるところです。

 ただ、生活保護を本人が求めているのかという意向を聞いておらず、周りの人たちの意見だけで、こちらに相談に来ているので、まずはご本人がどう考えるか、また兄弟や親族の人がどこまで支援できるのかを確認しないことには「生活保護」を安易には行うことが難しいことを担当者から助言しました。

 地域の人から見れば、ご本人に何か障害があるとかではないようで、むしろ本人の性格の問題ととらえているようなのでした。(もしかしたら、何らかの発達障害の要素などもあるのかもしれません。推測ですが・・・)

 結局は「いくら言っても聞かない人」「周りもあいそをつかして、誰も関わろうとしないんだ」というあきらめと、関わりたくないという雰囲気。そしてそういう人は民生委員がなんとかしてくれと、民生委員のほうに頼ってしまうといった感じです。

 民生委員さんの中にも、地域のそういう「接近困難」な方や、まともに「援助を受けようとしたがらない人」などを「厄介な人」という認識に立ち、「新聞沙汰にでもなれば自分の立場がなくなるから」という理由のために行政に「なんとかしてくれ」といって支援を求める本音も垣間見えます。

 当然、民生委員としての職責をきちんとこなそうという思いのある人もいらっしゃいますが、当事者の家に足を運んで話を聞くこともあまりせずに、近所の噂や情報だけをうのみにして、ただこちらに援助を安易に求めようとする傾向の人もないわけではありません。

 それぞれの民生委員の担当地区には、必ず一人や二人は、そういう「接近困難」な方や「生活困窮」な方はいらっしゃるのですが、それぞれの民生委員さんの関わる視点によっても、その後の支援の在り方が変わってくるような気がします。

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強い者の意見が通る?

 包括センターに相談の電話が入りました。
 
 内容を聞いていくと、透析通院が必要な70代の高齢者夫婦のことで、日ごろからそのご夫婦を知っており、なにかと心配しているという知人の方が夫婦に代わり相談してくださいました。

 「週3回の透析に通っていたが(これまでは自分で運転できていたらしい)、数日前インフルエンザに罹り、体も思うように動けなくなった。身体障害者の手帳1級は持っている。通っているお医者さんでは透析の送迎をやっていないので、タクシーで通わせなければいけない。また市外の精神科に夫婦とも通っており、そっちの方も遠方でタクシー代もままならない。とにかく今体調もすぐれず、これまでのように動けない。体調が悪いからといって、透析は休めない。どのようにして連れて行ったらいいか、困っている。」
というものでした。

 奥さんもだんなさんの体調の変化にどう対応したらいいか、右往左往しているような様子が感じられ、それを知人の方が代弁してお話してくださったのでした。
 
 「最初(各県や社協などでやっている)高齢者相談センターに電話したら、(居住地の)こちらの包括センターを紹介されたので電話しました。」とのこと。

 その話しぶりからは、自分たちでどうしたらいいかわからず、今の主治医から送迎を実施している透析通院できる施設に切り替えたいというようなことや、精神科通院が遠いので、今後タクシー代もかかるので、どうしたらいいだろうか、またインフルエンザ後の体力低下で、これまでできていたことができなくなって困っていることなどを一緒に考えてもらいたいというような印象を受けました。私一人の判断では決めかねるので、いったん電話を切って内容をスタッフで共有してから電話を入れることにしたのでした。

 かいつまんで電話の内容や、困っている点について係のスタッフに報告すると、ある社会福祉士が口火を切りました。
 「そんなの、今罹っている主治医に相談することでしょう」とばっさり切り捨てる・・。

 確かに、彼女の言うことは間違ってはいないかもしれません。体調が不良になっても透析をしなければならないとしたら、どうやって通院できるか、そして送迎のある通院先に変更したいという希望なら、まず主治医に相談しなければならないことも、冷静に考えればそうなのかもしれません。

 しかし、そういう論理的な判断を下す前に、まずこのご夫婦や知人の方がとにかく今、状況が変化してしまったことに動揺し、何からどう解決をはかったらいいかを一緒に考えてほしいという心情も見えてくるのです。

 相談のたらい回しをされた挙句、せっかくこちらの包括センターに相談の電話をくれたのですから、まずはその思いに共感し、必要であれば訪問しましょうかなどの対応があってもしかるべきだと、私自身の心の中では感じたことなのでした。

 しかし、さきほどの社会福祉士は、そこまでやる必要はないようなニュアンスで、まずは自分たち(相談者)で、主治医に相談することだ(結局は、そこまで包括センターで関わるようなことではない)という意見です。

 彼女の意見には、周りのスタッフも反論できないのです。なんかそういう雰囲気を彼女は醸し出すのかもしれません。皆心ではひとりひとりの意見や想いがあるはずなのです。自分は(保健師としてだったら)こう考えると、職種によっても、個人によってもこう思う、というような意見があっても、なんとなく一人の「強い個性の」人の意見に同調せざるを得ない雰囲気になってしまう・・・。

 一人が「こうすべき」「そんなのこっちの範疇(役割)じゃない」と強く意見を言ってしまうと、その意見に「そうじゃないんじゃない?」と言える雰囲気にならずに、その人の意見で物事が進んでしまう場合もなきにしもあらず。

 そういう雰囲気にも心ではめげずに、利用者に共感できる自分でいたい・・・。


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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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