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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

「居場所」の条件  いっしょにいるよ

居場所のちから―生きてるだけですごいんだ居場所のちから―生きてるだけですごいんだ
(2006/03)
西野 博之

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 (本文より引用)

 LD・ADHDと診断されたこの親たちの多くは、わが子が社会のなかでうまくやっていけるように、ある一部分だけ鍛えてあげよう、伸ばしてあげようとする。その子ができないで困っていたり、一般の子と一緒にいられなくなるところを手助けしてあげようと思う。そのことに誰も文句は言わない。

 しかし、そこに落とし穴があると石川(憲彦)さん(林試の森クリニック院長)は指摘する。ちょっと手伝ってあげればうまくいくようなところでも、うまくいかないことにぶつかるから、自分でなんとか解決しようとする。その解決というのは、必ずしもそのことが「できる」ようになることではないのかもしれない。むしろ「できなさ」をまわりのひとたちの前でさらけ出して生きていける、ということが大事ではないのか。

 苦手なところを補ってあげて、それで人生うまくいくと考えるとき、そこに想定されているのは、「ふつう」とか「正常」な人間という、世の中で評価される人間の「標準的」「理想的」なかたち。社会が期待するイメージに合わせようとして、「ほんのちょっと助けてあげたらうまくいく」そんな姿をわたしたちは生み出してきた。いま、その傾向が強まりつつある。そして、その「障がい」が外見的にはわかりにくいために、親も教師も「あきらめて」くれない分、本人たちは精神的にも追い詰められることになる。
 長年にわたって、「対人関係に問題のある子」が普通学校から閉め出されるという傾向が続いてきた。「ふつうの子」の学習環境を守り、「手助けの必要な子」は分けて、特別にケアする。どちらもメデタシ、メデタシ。これって本当?18歳まで分けておいて、いきなりシャバ(世間・社会)に放り出されるひとたちは手厚い保護もなく、仕事先でも真っ先にリストラの対象となって、家にひきこもるようになるという。そんな相談例がすでにたくさん出てきている。養護学校の高等部を出た後の受け皿は本当に少なくて、行政はその手からもれる部分を、金も出さずに都合よくNPOの力に頼ろうとしてはいないか。
 世の中いろんな人間がいて、それぞれに何かしらできないことを抱えて、すったもんだしながら生きている。まずもって「できなさ」「ふつうとはちょっと違うあり方」が、そのまんまで「これもありか」と認め合える、そんな人とのつながりを求めていきたいものだ。



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「居場所」の条件  ともに生きる場

居場所のちから―生きてるだけですごいんだ居場所のちから―生きてるだけですごいんだ
(2006/03)
西野 博之

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 (本文より引用)


 「居場所」をつくりあげるもっとも大事な要素。それは、いまさら言うまでもなく、「ひと」である。そこにどんなまなざしをもった「ひと」が居続けるか。その人のまわりに「居場所」が作られていくのだ。

 「居場所」をつくりあげる前提として、安易に世間の評価をもちこまないということだ。子どもたちの自信を失わせている目線に、「ふつう何歳ならこれくらいできて当たり前」「これくらい知らないと世間では恥ずかしい」など、ふつうとか、当たり前とかいう、誰が決めたかわからないような「世間一般」のものさしが場の中に入り込むと、とたんに色あせて、安心していられないところになっていってしまう。

 誰もが安心していられる居場所をつくりあげようとするとき、そこには「治療」や「教育」といった目線からも、一定の距離がおかれていることが必要である。治療という言葉は「悪いところを治してあげる」というイメージがあり、「教育」という言葉も「望ましい姿に変えてやろう」という磁力が強く働いてしまう。そんなところには、ほっと安心して過ごす場など広がらないのだ。

 ひきこもっている人たちをはじめ、子どもや若者たちの多くが、援助の臭い(これを業界用語で「援助臭」と呼んでいる)をただよわせて近寄ってくるおとなからは遠ざかろうとするということを学んできた。君を助けてあげようとか、あなたのために援助してあげようというおとなたちを、彼らは生理的に「ウザイ」といって退ける。私たちがつくりあげてきたのは、ただシンプルにともに暮らし、ともに生きる場である。

 近頃世の中には「心理主義」なるものがはびこってきている。人のこころのなかは素人にはわからないから、こころの専門家に相談したほうがいい。学校で何か事件が起きると、こころのケアのために学校にこころの専門家が派遣される。こうして、いつのまにか教師としての専門性も失われ、生徒の悩みは次々にカウンセラーへとつなげられていく。
 さらに、精神科の領域でも、さまざまな名前の「病気」や「障がい」が作り出され、いろいろな種類の資格に分かれたカウンセラーも出現するようになった。このような流れのなかでひとびとは、はたして幸せに近づいているのだろうか?

 子どもたちとつきあっていて感じることは、わかったような解釈を加えられたり、遠くから見守られたり、さまざまな「配慮」をしながら話しかけられたりといった、そんな関係を求めているんじゃないということ。ちゃんとぶつかってほしい。腰をすえてじっくり関わってくれる存在がほしいのだ。声かけや対応のしかたが正しいとか正しくなかったかということよりも、五感をフルに働かせて、自分の存在をまるごとかけて相手と関わろうとする人を求めているのだ。
 


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専門家が考える常識とは?

 世間体を気にしたり常識(何をもって常識と呼ぶかは別として)的にしか生きられない人は、何か自分の価値基準から外れた生き方をしている人には冷たい視線を投げつけるものです。
 特に、そういう方がいわゆる社会的弱者と言われるさまざまの立場の人を支援する側である場合、支援の裏側にある本音はあくまでも自分の価値基準と相入れない人たちへの否定の感情が見え隠れします。

 引きこもりの成年への支援にしても、支援者の「常識的な価値観」から考える当事者への思いは、「いい年して仕事もしないで親を迷惑をかけている困った人」という評価になります。
 相談者の前では、さも支援しているような言動であっても、蔭では「働く気がないからだ」「親が甘やかしてきたからだ」という決めつけで物事を評価してしまいます。

  母親支援をしているはずなのに、子育ての問題を何でも母親のせいにしてしまう支援者もいます。よく乳幼児健診などで発達の遅れが見られると、「お母さん、もっと声掛けしてください」「スキンシップが足りなかったのではないですか?」などとアドバイスされてることに憤りを感じる母親たちも多くいます。そういう専門家批判をする母親は、ますます「専門家の意見を聞き入れない要注意人物」としてブラックリストにあげられてしまいます。

 だから、専門職だから何でも相談できるかと言ったら、それは「ノー」です。いくらその人が「ある部分の専門職(家)」であるとは言っても、専門家の常識を押し付けてくる人や自分の価値観から相談者が決めつけられた見方をされるとしたら、そういう人に相談したいとは思いません。
 「あの人はああいう人だからどうしようもない」と、自分の「常識的考え」で勝手に決めつけたり、「自分のこの助言を無視するからこういう結果になったんだ。もう助けないから」なんて平気で口にする支援者も現実にはいます。
 
 
 いろんな場面で専門家に相談をすることがあります。しかし、専門家である前に「人」なのです。
 相手を受け入れる包容力のある「人」なのか、いろんな価値観や生き方(常識的でないマイノリティな生き方であってもです)を享受できる「人」であるか、相談する側としてはそこが一番気になるのです。



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成年後見制度について思うこと(1)

 私は今、「市民後見人養成講座」を受講しています。受講の動機は様々ですが、親が認知症、子どもが障害を持っているから、障害者の施設に勤めているから、社会貢献のために・・・などいろいろあります。私の場合は、息子に発達障害があり、将来的に自分が後見をするにしても第3者に任せるにしても、そういう勉強の必要性を感じたからです。

 これまで親族以外で後見人を受任してきたのは、主に弁護士・司法書士・社会福祉士などの専門職と言われる人たちでしたが、いろんな職種や関心のある市民が後見人として活躍されることはこれからの認知症対策や障害者の権利擁護の観点からも必要性はあることなのでしょう。

 しかし、本当に単なる金銭管理など事務的な仕事だけでなく、どれほど被後見人の心情を汲み取った身上監護をしてもらえるのか・・親がいるうちは親が頑張るとしても、親が病気になったとき、死んだときなど。
特に障害を持ったお子さんを育てている親御さんたちの大きな悩みです。
先行きの長いわが子の行く末をしっかりと安心して託せる後見人であるか、そして、後見人との人間関係がうまくいってくれるかということがとても気になるところだと言いますし、それゆえこの制度を知っていても安易に活用できないところもあるという声も聞かれます。

 専門職はその「専門的」知識からある程度は後見業務を事務的にはこなせるかもしれません。しかし、その「専門的」見方から、対象者(被後見人)をラベリングした見方に陥りやすい部分もあることも否めません。そこを一般市民の市民感覚で地域で暮らす認知症高齢者や障害者の後見ができたら・・ということを講師の先生は言っていました。

 実際に障害者施設で勤務するある受講者は、「社会福祉士がある利用者の後見人になっているが、どうも利用者の権利を守っているように思えない。指摘すると『あななたちのような素人は口を出さないで』と言われた。だから、自分もこの講座を受講して知識を持つことで対等に話ができるようになりたい」と言って受講されていました。

 また、社会福祉士の中で後見業務に携わる人の中には、「認知症(高齢者)は先が見えてるけど、(知的)障害者は死ぬまでずっと付き合っていかなくちゃならないから、あまり受けたくないよねえ。みんなも『もう大変!』と言っていたよ」なんていうことを口にしているのを聞きました
 
 また、司法書士の中にも、「低所得者には後見人をつける必要があるのか?」と平気で口にする人がいます。それは自分が後見をすれば、一定の報酬がいただけ、それを生活の糧としているからでしょう。だから、所得のない人への後見はしたくないという考えの弁護士や司法書士もおります。
 かたや、同じ司法書士なのに足しげく受任者のいる障害者施設に通い、信頼関係を築きながら身上監護の方をきちんとやっていらっしゃる方もおります。年金が少なく、後見報酬もゼロという方でも、必要とあらば積極的に支援されています。(その方の講演を講座で聞いてそういう人だったら後見をお願いしたいと誰もが思うのではないでしょうか・・)

 要するに、専門職だから、よい後見ができるということでもないと思います。しかし、第3者後見の場合は誰が後見を引き受けるかは、裁判所が決めますからその方の人間性までは見極められません。
 特に障害者の場合は、一生の付き合いですから、被後見人と後見人の相性や信頼関係が大きいです。
 また、後見活動を単なる「報酬のある仕事」と割り切ってもほしくありません。

 今後国をあげて後見人を増やそうといろんな対策が講じられています。従来の専門職の域を超えて、さまざまな業界団体も後見人養成に盛んな機運があります。そこには自分たちの職域拡大や「報酬目当て」や「生活の糧」を得るためという目的が優先される場合も残念ながらあるようです。

 同じ地域で生きる市民として認知症高齢者や障害者をとらえていただき、そういう方たちを同じ市民で支え会うという市民後見人の活躍も今後期待されますが、いずれにしても社会的弱者に対するいたわりや尊厳のまなざしがなければよい後見はできないと思います。 

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わが子のこと・・・中学編

 中学校への期待よりも、不安や緊張が一気に高まりそんな中で迎えた入学式。
 普通のクラスでの教科学習に適応できるのだろうかという不安と緊張がいっぱいのなか、学校生活へのストレスも多くなり、小学校時代とは違ったいろんな悩みが長男の頭や心にいっぱい広がり、そのつど本人、担任、学年主任、コーディネーターの先生とも情報を共有しながらの1年目。

 発達障害としての、こだわりやフラッシュバック(~されて嫌なことが頭から離れず、行きたくないという)、また学習面でも授業についていけず、ほとんどの教科は支援学級ですることが多くなりました。

 そのうえ思春期ということもあり、自分の障害への認識など、自分とほかの人との指向性の違いなど比較するようになり、自尊心も低下ぎみに。
 学校生活のストレスや、友達関係、家庭生活上での兄弟関係など、また両親との関係・・・長男なりにいろいろな思いが頭をはりめぐらしているのでしょう。なかなか自分の思いを話してくれることも少なくなり(思春期のお子さんはみなさんそうですが・・)自室に閉じこもることも多くなりました。

 学校でのストレスを解消するためには、家の中でひとり静かに落ち着いていられる場所も必要とと言われますが、長男の場合も一人になりたがり、そこでゲームの集中することで気を静めているのでしょう。時にはずーっと部屋に引きこもっていることもあります。

 今は、気持の上でもうつ的傾向もみられますが、広汎性発達障害としての発達の偏りの部分がいろいろ特徴的に前面に出てきているようです。(物事を被害的に解釈したり、予測のつかないことへのパニックや、睡眠障害なども)
 一番精神的にも体力的にも大変な時期なのかも・・・。親としても一番関わり方が難しい時期です。

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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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