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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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事件報道に思うこと・・

今日のニュースで、小6の女児の腹部を母親が刺し、女児が死亡したと報道していました。母親は逮捕されましたが精神的に不安定で、容疑を否認していると。今後責任能力についても判断が必要とのこと。児童相談所でも、相談リストに名前が上がっていた方だったようでした。その精神的な不安定さもあり、女児へ満足な育児ができないとのことで、「介護放棄」と判断し、今後何らかの対応をしようとしていた矢先のようだったと報道されていました。
 
 亡くなった女児のことを思うといたたまれない思いでいっぱいですが、それにしてもこのお母さんもきっとこれまでいろいろ苦しんできたのだろうと想像します。
 このお母さんがこういう症状に至った背景が気になります。

 新聞報道では詳しくは載らないけれど、比較的多くの確率で、被害者の子どもさんの「発達障害」がその背景にあるというようなことを事件報道を主に回っている記者が書いた記事を読んだことがあります。

 少年事件を起こした子どもの精神鑑定の結果、「発達障害」が背景にあったというような記事が、以前は新聞紙上でも取りあげられたことがありましたが、障害者団体からの抗議(発達障害=犯罪者というイメージが持たれるのは迷惑千万)もあり、その後はほとんど公共の記事には載せなくなってきました。

 また親がわが子の子育てに悩んだ結果、手をくだし無理心中を図ったり殺害する背景に、子どもの発達障害をはじめとする障害が見え隠れしていることが多いのだと・・。
 この親子の場合がそうだという断言はできませんが、なんらかの育てにくさを感じていたか、または親の方が自身の精神的な問題があったのか、親のほうも発達障害の要素があったのか・・いずれにしても推測の域を出ませんが、なんかとてもやりきれない思いがするものです。

 職場(行政)にいると、実にさまざまな相談が入るわけですが、このような事件として報道される一歩手前の状態の相談もけっこうあるのです。
 しかし、そういう相談について、どこまで親身になってあげられるかということについては、対応する職員の力量や考え方、チームとして他職種・関係機関との連携体制の中身がとても重要になってくると思います。
 
 確かにいろいろ支援策を講じても、当事者たちの持つ特性や環境や価値観などもあり、こちら側の思いがなかなか相手には通じにくい場面もたくさんあり、そんなときは、「ここまでこっちが一生懸命になってやってあげているのに、なんで聞かないんだ、もう関われば関わるほどこっち(支援する側)が空しくなる」といって、支援することを途中であきらめてしまったり、反面強引にこちら側の意図するルートに無理やり乗せようとしたりする中で、結果的に事がますます大きくなってしまったりというようなこともおこり得ます。

 そして、そのようなケースをよくよく見ていくと、親に子どもを育てる能力が欠けていたり(何らかの障害が隠れていたり)、子どもが何らかの(発達)障害を持っていたり、精神的な障害(?)と思われる症状が親の資質のなかに存在していたりすることが多いと感じています。

 そういう親子に対して、自分たちの支援のルートに乗せようとしたり、「こういう人」と、精神・知的とすぐレッテル貼りしてそういう目線で関わる傾向が支援者側にも出やすく、結果的に当事者たちは「指導される存在」として評価されてしまうことになるのです。

 行政や児童相談所がひとりひとりに個別的に日々寄り添うことは確かに時間的に難しいのでしょうが、処遇の方向付けをしようとする場合には、そのケースを取り巻く関係者・支援者はできるだけ偏見を持たず、やはり当事者の状況に共感的に接し、そして何事もすぐ「虐待だ」などという視点で相手を見るのではなく、そうせざるを得なかった思いに付き合って寄り添って行かなければ、ますます当事者たちは孤独を感じるのではないかという思いを強くします。支援していることが、結果的に当事者を追いつめることもあり得るということを常に心していかなければと思います。

 事件をおこす前にもっと何らかの対応策がなかったのだろうかと、いつも悲惨な事件の背後にあるさまざまな状況に思いを馳せるのです。
 
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生きているだけで満点

 
生きているだけで満点生きているだけで満点
(2000/06)
夏目 詳子

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子どもたちへ

あなたは生きているだけで満点です。
そのことを知っていますか。

ときどき、大人はそのことを忘れるのです。
ですから、あなたは自分で自分の心に言ってあげてください。
「私は生きているだけで満点なのよ」
「僕は生きているからそれだけで満点なんだね」とね。

なぜだと思いますか。

なぜなら私たちはみな
この世で生きるために生れてきているからです。
ですから、生きているだけでまず満点です。

あとはそれぞれ一人ひとりが喜びのある冒険をいっぱいして
この世のことを学びたいだけ学んで
寿命をまっとうすればよいのです。
満点のあなたが、まずしたい冒険はなんですか。



自 然

あなたは無口なときがあってもいいし、
おしゃべりなときがあってもいいのです。

暗いときがあってもかまわないし、
明るいときがあってもかまいません。

どちらがいいということはないのです。
それは自然なことです。
両方あることが自然なのです。




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発達障害について思うこと(1)

 NHK『ハートをつなごう』から

 学習障害のあるOさんという方の体験談

 算数はまったくダメだったが、文章を書くことは好きだった。その得意な分野を活かし、地元の新聞社に就職し、新聞記者になったこと。その後独立し、地元のイベントなどを興す会社を作った。4人の子どもの父親。

 職場で上司から怒られると、衝動的に電話機を壁に投げつけてしまうことが何度かあったが、そのたびに鷹揚な上司や同僚に支えられてここまできたこと。
 
 小中学校は(まだ障害があるとは知らず)彼の行動特性がクラスメイトに理解されず、すさまじいいじめにあっていたこと、担任からは「努力が足りない」「ふざけている」といつも否定的な評価をされてきた。

 そんな絶望的な学校生活だったが、自分が自己肯定の気持ちを持ち続けて来られたのは、何よりも両親が自分を認めてくれたからであり、できないことに目を向けるのではなく、できることを褒め、好きなことや興味のあることには金銭的な協力も惜しまずに与えてくれた。

 「僕らにとって、急に無理なことを言われることほど、無理なことはない。授業中何が困ったって、その情報量の多さだ。1時間の間、半端じゃない情報量が黒板に書かれ、先生によって説明される。そのスピードは、他の人にとって普通でも、僕らにとってはとてもじゃないけどついtいけない」

 「なんとかこうやって暮らしていけるのは、『できないことを無理してやらず、好きなこと、得意なことを個性として伸ばした』からだ」

 「僕たちは自分たちが『どうしてできないのか』知っている。そして、できないことを知ったうえで、『できない自分』を受け入れ、できることを伸ばし、周囲の理解を得ながら、家族や周囲の社会を支え、支えられながら日々の仕事や日常生活を生きぬいている」

 「『いったい何をやっているの』『できないのは、努力が足りないから』『いつもグズグズして』『ダメじゃない!』『ふざけるんじゃない!』こんな言葉の渦に何度さらされたか。そのたびに何度傷ついたか」

 「『君のこんなところがすごいね』『君には君にしかできないことがある』『勉強ができなくたっていい。その代わり人より優れている点があるじゃないか』こんな言葉にどれだけ励まされ勇気づけられたことか。認められ、理解され、そこから自分を肯定し、ようやく人一倍のパワーを発揮できる。そこからようやく僕たちも周囲を支えることができるのだ」

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育てることは育てられること

 「育つ」とは、互いの関係がトラブルや問題をきっかけに深く育まれていくこと。すると、向き合う相手の背景も見えてくる・・。
 成績が上がった、上手になった、就職した・・・・それが育つ目的ではない。
 私たちは関係の中で育てられ、良くも悪くも育てる働きをしている。

 定期的に送られてくるある通信より、とても心に響き、考えさせられた手記がありました。

.......................................................................................

 22年前、息子は親の希望通りに医大に現役合格を果たしたが、その夜から引きこもりが始まった。
 父親は彼が6歳の時、余命3カ月と宣告、6年間の闘病生活の末他界。母親として母性を捨て父性に生きる決心をし、彼を厳しく教育した。彼は常に上位の成績で母親に応えた。
 しかし、大学に合格したとたん、張り詰めていた意図がぷっつり切れてしまい、家に引きこもるようになった。
 月に一度真っ黒なサングラスをかけ、遠くの本屋まで行き、プロレスの本を買うことが唯一外出の時間。そんな日々が15年続く。
 その後は今まで勉強に追われ、できなかった事柄や日々を取り返すかのようにいろんなものに順番にはまった。
 最初はゲームセンターに通い、開店と同時に入店しゲームし続けた。そんな日々が2年続いた。
 次は映画。日課のように毎日3本の映画を観に行った。しばらくすると、彼は楽しそうに観た映画の感想を話すようになり、母親を映画に連れて行き、感想を求めるようになった。
 そんなとき、かわいがっていた犬が死んだ。家にこもっていた時、ずっと彼の相手をしていた犬だった。新しく飼った犬のしつけのため、犬の学校に行くことになった。学校で調教がうまいと褒められた。初めて第三者から褒められた出来事だった。
 それから彼は自信をつけ、中学の時に好きだった自転車に乗るようになった。何十年ぶりに身体を動かし、気分をよくした彼は、自転車にのめりこむようになった。毎日自転車をこいで体づくりをした。その競技会に参加するようになった。そこで上位の成績をとり、また自信をつけた。
 そのうち自転車やその部品を買うために、アルバイトをするようになった。自転車を活かし、新聞配達をするようになった。何かあるたびにサングラスをかけていたが、徐々に色は薄くなり、今ではサングラスがなくても外出できるようになった。目に見える鎧は必要なくなった。
 高齢の父母の介護をしている母親が介護うつになると、「白か黒か決めるな」「まず同調し、うなずけ」「完璧であるな、手を抜け」「笑顔で接しろ」と。本当は22年前の母親に彼が言いたかった言葉だったのだ。彼はただ不完全な自分を受け入れてくれることを求めていたのに、母親にはわからなかった。今になって彼に母性を育ててもらっている。
 彼は今、バイクの免許を取るために頑張っている。
 「生きててよかった。まだ不安定だけど」
 
 未完の美を育てた母と子の20年
......................................................................................

 今はひきこもる若者への支援がすぐ「就労」に結び付けて考えられるきらいがある。親と子の向き合いかたを傍らに置いたまま、第三者にわが子をすぐ委ねてしまってはいないだろうか。そしてかかわる側も、就労への支援にかたより過ぎていないだろうか。
 親と子の関係性をもういちどじっくり考え、その関係性にあきらめることなく「関わる」姿勢こそ「育ち合う」関係なのだということを学ばされた手記でした。

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ほんとうに「生きぬく力」とは

 15歳からのよりそい方『おそい・はやい・ひくい・たかいNo52』

湯浅 誠さんのお話より(続き)

 子どもに「いい大学へ、いい就職を」と叱咤激励することは、けっして貧困の進む時代を生き抜く力には結びつかないこと。

 「教育の中でほんの一割でもいいから、うまくいかなかったときに、どう生活を立てていくかを教えてほしい」
 一度は就職したけれど退職さざるをえなくなったときにどうするか、働きすぎて病気になったら?解雇されたときは?生活上のことなら生活保護をはじめ、就学援助費などの制度や、相談窓口の活用法など・・。

 「私たちのところに相談に来る人の話を聞いていると、こうした情報を知らないんです。少しでも学校で教えてくれていたら、いざというときに思い出すことができるはずなのに」
 多くの場合、学校の先生たちは「失敗したときのことを教えるなんて夢をつぶすようなことはできない」と返ってくる。
 「でもね、いい就職のための教育ってじつは、企業に採用されるような自分になろう、ということでしょう。たとえば、不当に解雇されたときでも、悪いのは企業ではなくて自分なんだと思わざるをえない。せっかく職業観形成をするのなら、『いかに企業に勝手に使われてしまわないか』を教えてほしい。本当の『生き抜く力』とは、貧困から逃げ回らないで、ちゃんと立ち向かえる力だと思います」



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はげますつもりの「がんばれば、うまくいく」が子どもたちを追いつめる

 15歳からのよりそい方『おそい・はやい・ひくい・たかいNo51』より

 
 湯浅 誠(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長、反貧困ネットワーク事務局長)

  貧困はずっと前からあったけど、みんなが見えないふりをしていたから、見えざるをえないときでも「これは貧困じゃない、その人が怠けていただけだ]と、自己責任論で逃げてきたんですね。

  だが、誰もが、貧困を身近に感じてきた。
 「親が子どもの教育のためなら、いくらでもお金をかけるというのも、その現れといっていいでしょう。子どもには、どんな時代になっても生き抜いてもらいたい、わが子を「貧困」という辛い目にあわせたくないという親心。そのためには、不安定な非正規社員ではなく、なんとしても正規社員として就職してほしい、それも、終身雇用で将来にわたって安定した生活を約束してくれる大手企業を目指してほしいと考える。勢い、子どもには「がんばって勉強していい大学へ入りなさい。そうすればいい就職ができる」と叱咤激励することになる。」
 
 だが、湯浅さんによれば、若者の非正規社員はすでに5割に達している。
 「つまり、正社員という椅子に座れるのは2人に1人の割合。では、正社員になれば安泰かといえば、そうではない。「周辺的正社員」と呼ばれるひとが非常に増えてきています。」
 周辺的正社員と言うのは、正社員の名の下に、安い賃金で超長時間労働を強いる雇用の仕方。「名ばかり店長」は社会問題にもなった。
 いったん働けなくなって退職すれば、次に残された道は非正規社員。

 「今後、非正規社員の割合はもっと高くなるはずです。これに、周辺的正社員を加えれば、将来にわたる安定を約束された企業に就職できるのは、ごくひと握りです。」
 言葉をかえれば、どんなにがんばっても椅子に座れない人の方が格段に多いということ。そんな現実が待っているのもかかわらず、「ワーキング・プアにならないために、がんばって勉強しよう」と言われ続けたら、子どもたちはどうなるか。
 「この激励は犯罪的ですらあると、私は思います。結果が伴わなければ、自分のがんばりが足りなかったんだと、自分を責めるしかなくなってしまいます。しかも、今の子どもたちは小学校3・4年、場合によってはもっと小さいときから、「いい大学、いい就職」を目標に走り続けている。こうなると、「なんでこんなにがんばらなくちゃいけないんだ」という疑問も生れない。疑問を持ったらやってられなくなっちゃいますからね」

 結果、永遠に頑張り続ける「がんばり地獄」か「あきらめ」か、100かゼロかの世界に生きることになる。
  
 「実は、40代、50代の人も同じ構造にあるんです。がんばって働き続けて、ついに限界に突き当たる。『がんばり地獄」は『過労死』に、『あきらめ』は『貧困』に、一直線につながっているといっていいでしょう。」

 それでも人は、社会の構造に目を向けずに、「その人が怠けていたからだ」と非難する。同じ視線は、そのままわが子に向かってしまってはいないだろか。



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今どきの中学生活

 中学2年の長男は、今も9時から10時前後に学習室登校が続いています。3学期早々に次年度の進路(高校選択)のアンケートを提出しなければなりませんでしたが、高校受験という認識の薄いわが子にとっては、このアンケートに記入する内容にも??なのでしたが、とりあえずはなんとか適当に書いて提出してはおきました。

 今の中学校は、自分たちのころと違い、「将来こういう職業に就くために、こういう高校を選択する」という形のアンケート内容でした。
 そのアンケートの中身も、まさしく教育委員会らしく、エリートさんたちが考えつくような内容で、ぱっとみて「何じゃこれは?」と言いたくなるような内容。
  
 県内の高校の選択肢から選ばせるのはいいとしても、その先にある職業選択までこの中学時代にさせようとしているのですが、職業に就く理由として、①収入が多く得られる、②自分の趣味や特技が活かせる、③地位や名声が得られる、④人の役に立てる仕事がしたいから、⑤専門的な資格を生かして仕事がしたいから ⑥倒産しない、安定した職場だから・・・・なんてこんな選択肢からどれかを選ばなければならないのです。そして将来なりたい職業も具体的に記入しなければならないことになっています。

 まず、倒産しない安定した職場なんてこと自体本当にあるのか?公務員だってこれからはリストラもあり得る時代になりつつありますし・・・。また、専門資格を身につけても、なかなか正職員としての採用も難しい現実の社会構造もあります。
 中学生にこの選択肢の中から選ばせるという発想自体に疑問を感じるのです。
 それこそ最初から確固とした職業を決めてそれに向かって計画的に進めている人も一部の生徒にはいるかもしれませんが、学校ってそういうことを全生徒に目標とさせたがる傾向にあるようです。ちょっと昔の青年期特有のモラトリアム時代なんていう概念はなくなっていているのでしょう。実際にはいろんな人生経験や職業を転々とする中で自分の生きるべき道を見つけたという人だって世の中にはたくさんいるわけで、そういう多様な人生の在り方もあるよということを教えるほうがよほど身になると思うのだけど、学校の先生や教育委員会の公務員が考えることは、自分たちの人生や職業経験が基本になるから、そういう選択肢しか思い浮かばないのかもしれないなあと・・。
 
 発達障害を持つ長男にとって、こういうことをアンケートに記入しなければならないこと自体が、困難を伴うことは明らかです。まず目の前の高校受験や就労に対する自分なりの認識が薄く、これからもいろんな人の支援の中で考えて行かなければならない課題かもしれません。
 
 先の人生なんて分からないのに、今の世の中の情勢を考えれば、この中学生の時期から生徒たちには将来不安に陥らないようにと、学校側としてはできるだけ早いうちに自分の職業選択をさせ、そして安定した暮らしができることを最終目標にしているのかもしれません。
 こういう時代だからこそ、生徒にはみんな適切な職業についてほしい、そしてそのためにもそれにふさわしい「学力」を身につけさせるためにと「高校受験」させるのでしょう。

 発達障害を持つお子さんの中にも高学力の人は進学高に進めるかもしれませんが、知的にボーダーな場合など、本当に高校に入ることだけを考えれば、進路選択も限られてしまいます。そしてその先にある就職の問題・・・
 就職しなければいけないという発想にも疑問がありますが、学校側の「職業選択を見越しての受験への圧力」や、思春期特有の人間関係や自意識とのギャップなど、こんなふうな中学校の環境の中で発達障害の子たちはますます追い詰められ、不安定になり二次障害に至る割合も多くなっていくのかもしれないなあと感じます。

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ひきこもり支援と育ちのソーシャルワーク

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 (本文から引用・・続く)

 ひきこもる若者たちを人格発達に歪みがある一群としてとらえて、人格変容をめざす実践や若者わたちを育てた家族の病理性を発見して、家族に責任を課すような実践は、若者や家族の解き放ちを可能にするものではありません。
 精神科ソーシャルワークが対象とする多くの障害や課題は、強い社会的な偏見や差別の下におかれていることがあります。偏見、さらには権利の剥奪である差別は、誰かが克服してくれるものではありません。克服する主体はまさに課題を持つ当事者自身です。

 ひきこもる若者やその家族を「支援される対象者」としてとらえ、「支援する専門家」の対極におく考え方が存在します。その考えのもとで、支援者が持つ思いを対象者に強制するような実践が未だに多く存在しています。
 
 ひきこもりは個々人の性格特性や道徳性に起因するものではなく、若者たちの発達に深く影響を与える社会との関わりで生じるものであり、社会の構造的諸矛盾が深刻になれば、その数は確実に増加することが予想されます。
そのため、若者が主体となりひきこもりと向き合うことが可能となる実践の組織化が不可欠でありますが、現実には当事者の命が奪われたり、鍛練や訓練によって当事者の性格や行動を修正したりする取り組みが行われています。
 
 情熱的な支援者が献身的に関わっている支援組織においては、ひきこもりを克服したいという家族の強い思いに懸命に寄り添うあありに、過去の不登校の経験の有無や、人格的な課題を背景とする適応困難状況をもっていたかどうかを見極めずに、ただただ献身的に関わる実践があります。
 この場合、温かく理解のある支援者に迎え入れられたかのような錯覚を持つのですが、結果的にはパターナリズム的実践の下に置かれる可能性が高いのです。
 なぜなら支援者集団による確かな見極めが行われない中では、支援者のひきこもり観や人間観が絶対のものとなり、当事者の個別性が軽視され、支援者が考える「できる子」と「できない子」あるいは「協力的な親」「非協力的な親」とが存在するようになります。
 支援者の基準から外れた当事者は、またもや集団所属感を失い、自己尊厳に大きな損傷を持ってひきこもることになります。

 ●適応からの参加を目指す支援の創造

 就労支援をまぐる考え方の根底に、適応主義的実践観が存在することがあります。
 若者たちが適応できる場所を見つけて就職させるという考え方には、当事者の思いや願いを無視あるいは軽視し、「君はこの仕事が向いている」と、支援者が当事者の思いや願いを操作し、適応を図る実践につながる危険性があります。そうした実践は、当事者が自己の人生を決定する権利を奪う可能性を持つのです。
 「教える―教えられる」「治療を与える―治療を与えられる」といった上下関係のもとでは、若者がひきこもりを克服しつつ地域や社会に主体的に参加する力を獲得することが困難になります。
 ひここもり支援の最終地点は、社会への適応を図ることではなく、あくまでも育ちの保障にあります。

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ひきこもりつつ育つ

 
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 著者は日本福祉大学を卒業後、和歌山市職員として入職、その後大学の教員に転じ、現在は社会福祉法人麦の郷障害者地域リハビリテーション研究所事務局長、また全国引きこもり支援者連絡会事務局長として活躍されている人です。
 和歌山県にある「麦の郷」は以前から障害者とともに生きる、ともに育つという視点で地域リハビリテーションの理念を掲げて作られた施設のようです。(リハビリテーション=全人間的復権=人間としての尊厳を再構築する、またはその権利)

(本文より引用)

 ●障害者リハビリテーションの視点

 ひきこもる若者たちが仲間と自己への尊厳を大切にしつつ、自らの思いや欲求を仲間の中で伝えることができるためには、そうした集団の場は必要です。
 若者が人生とゆっくり向き合い、歩む方向を自分で決める自由を保障する、そこにもしも無理強いが存在するならば、それは「暴力」に値する行為です。
 学校や家庭生活の中で、自らの苦しみを訴える方法が未熟だったり、発達上の諸要因から社会とのコミュニケーションを断ったかもしれない若者たちも、同じ悩みを持つ若者たちの姿に触れる中で、安心して自己と向き合うことが可能になります。
 そのためにも共同作業所は若者たちが安心して安全に育ち合うことが可能となる場所でなければなりません。
 ひきこもる若者が集う居場所では、ときに自身の心の揺れや不安や葛藤が激しくなり、そこでの生活に混乱が生じることがあっても、訓練を積んだ支援者はいません。
 共同作業所における危機介入は、生活場面で生じた危機状態への対応であり、寄り添いによる危機乗り越えの支援です。
 ただし、スタッフが毎日のように「今日はいつもと違うのでは・・・」「今日はどんな大変なことがおこるだろう・・・」といた思いを持ちながら若者たちを迎えるならば、彼らはスタッフを日常生活の管理者として認識するようになり、気持の揺れや苦しさを表出しなくなるでしょう。

 ●ユニークで個性ある育ちの保障と引きこもり支援
 
 ひきこもる若者たちは、それぞれにユニークな個性のある人生を送っています。私は引きこもりは、自我同一性獲得に困難が生じた若者が持つ発達危機の一形態であると考えます。
 
 ひきこもるという方法をとることで、自身の尊厳を精いっぱい護っている人がいます。それは社会の諸矛盾の中で、自らが押しつぶされてしまうかもしれないという思いの中で、懸命に獲得した生き方です。私たちは、彼らが懸命に闘いながら獲得した、生き抜く方法の一つとしてのひきこもりを、彼らが持つ可能性として評価しなければなりません。
 ひきこもる若者たちのソーシャルスキルを高め、社会への適応(はめこみ)を促す訓練を提供するだけでは、個々の人生の価値を見出すことは困難です。

 いかなる職種であっても、パターナリズム的発想とその考えに基づく処遇の危険性は存在します。パターナリズム的実践哲学は、当事者が自己の人生を自己の力で決定する権利を奪ってしまう危険性を持ちます。
 若者たちを客体としてとらえ、社会への適応を強要することとなり、主体者としての社会参加が奪われてしまうのです。
 生徒と教師、患者と医師という関係には、こうしたパターナリズム的関係が存在しやすくなります。それは、「教える―教えられる」「治療を与える―治療を与えられる」といった上下の関係が成立するからでしょう。

 ひきこもり支援においても、「ひきこもり支援の大家」と評されたり、この人に任せておけば間違いないと信頼されている人がいます。しかし多くの場合、そこには支援者が組織内で相互に批判しあい、よりよい支援を模索するという姿をみることができません。

 長いひきこもり経験者にこそ、彼らに合った仕事への参加の方法や仕事内容を検討すべきであり、保護的状況下での就労参加を検討すべきではないかと考えます。 
 就労訓練の場になれば、彼らは高い緊張のもとにおかれるでしょう。彼らにとって必要なことは、日常実践の中で人との関係を紡ぐ力を身につけたり、自分が関わる集団に自治的に参加し運営する力を蓄えることです。その中で、彼らの就労への要求が高まり職場参加の力も獲得されるのです。

 他人から受ける評価に不安や強い苦痛を感じ、その不安や苦痛が身体症状として現れ、次第に他者と関わる場面を避けるようになります。
 若者たちは、薬の力のみでは不安と向き合うことがせきません。彼らには同じ苦しみの中でもがき苦しんでいる仲間の中で「不安だ」と叫ぶことのできる場が必要です。
 精神科ソーシャルワーカーや居場所支援者は、若者たちが常に不安や恐怖を語ることができる条件を整備しなければなりません。

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ぼくらはもっとわかりあえる  ~福祉イベントに参加して~

 1月22日に東京有明の「パナソニックセンター」で開催された福祉イベントに参加してきました。
 2日間の開催だったのでしたが、22日(日曜日)の方だけ参加してきました。
 
 東田直樹さんと小柳拓人さんの「自閉症の僕たちが伝えたいこと~詩の朗読とピアノ演奏~」。小柳さんのピアノ演奏に、東田さんの詩の朗読。どれも心に響きました。
 
 直樹さんの詩は本当に心を揺さぶられるものがあります。聞いていて涙がでるほど感動します。
 
 僕にとっての障害とは何か・・・障害は僕の一部
 障害は受容しているか・・・そんなことはない
 自閉症であることは、別に不幸なことではない。自分らしく生きていくことができるから。
 しかし、障害を理解されない社会で生きていくことが大変なのです。
 

 後半はうすいまさとさん(シンガーソングライター)のライブ
  
 お子さんがそれぞれ自閉症、アスペルガー、ウエスト症候群(点頭てんかん)の障害を持つ子の父親として、発達障害の理解者を増やそうと音楽で啓発活動に頑張っておられる方でした。

 子どもは何かの天才だ。
 人の中にどんどん溶け込んで、得意なことからつながりを作り、人とのかかわりを増やしていく。
 かけがえのない人との出会いとともに。
 それがたとえ仕事にならなかったとしても・・・。


 印象に残ったことばでした。

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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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