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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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本の紹介

縁・愛・願―子と親・家族を語る縁・愛・願―子と親・家族を語る
(2002/10)
富田 富士也、松原 泰道 他

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 教育カウンセラーとして、講演活動やカウンセリング活動・ワークなどを通して、私たちにいつも「関わる」とはどういうことかの気づきを与えてくれる富田富士也さんの著書です。
 私も何度かワークや講演会に参加したことがあります。
  
 
(引用)
 心の相談の活動をしていると、孤独、時代、希望と向き合うことがたびたびです。
 孤独とは報われなさであり、その悔しさや悲しみを一人で背負く心細さです。
 時代とはめぐり合わせです。その時代だからゆるされたり、願いがかなったり、かなわなかったりしたのです。
 そして希望とは、その抱える現実から何かを学びとった時に湧きおこる可能性です。生かされていることへの気づきとも言えます。闇の中に“愛”が射し込む瞬間でもあります。

 相談室を訪れる一人ひとりとその苦悩を語り合う時、この三つの世界と向き合わなければ、心の葛藤は見えてきません。孤独にふれなければ、その相談は押しつけになり、時代が語られなければ、現状認識が的外れになります。また、希望がなければむなしさばかりです。
 孤独と時代と希望を語る共感的関わりの積み重ねの中で、現実は何も変わらなくても、心がおだやかになる道筋が見えてきます。
 それが、「縁・愛・願」なのです。私たちは、これなくして生きていくことはできないように思います。「縁があったんだ」と事実を率直に受け入れ、「そこに私の救われる愛がある」ことに気づくことで、「私がこの世に生れてきた願い」に再び一歩踏み出していけるのです。
 人が人とコミュニケーションをとっていくのは、「縁・愛・願」に支えられた肯定的な出会いを信じているからではないでしょうか。


 この本の中は富田さんのワークショップに二人の講師の先生を招いたときの講演録をもとに書かれています。

 「共働学舎」代表の宮嶋真一郎氏の講演録より。
  
  共働学舎には、こういう人でなければ入れないという規則はいっさい作っていません。本人が希望するだけです。私のところから書類などはいっさい出しませんから、書類は一枚もないのです。
 だから、事務をする職員は一人もいません。その分、余計なお金を使わなくてすみます。
 私にとっては履歴書なんか必要ありません。どんな履歴でもいいのです。どんな生育歴であっても、どんな学歴であっても、私のところでは価値なしです。資格も同じです。
 ただ人間でありたいと思い、人間であればいいのです。
 「君が、あなたが、ここでみんなと一緒に生活したいか?」
 「ウン、いいよ」
 これが書類です。
 お役所は、無駄な費用と時間を使って、どれだけ大事なことができているか疑問です。学校教育も同じです。私たちの共働学舎には、成績というものがまったく必要ないのです。


 人間にとって一番大きな心の病はなんでしょうか?
 それは寂しさです。どんな人にとっても、一番大きな言葉にならない、人にも告げられない、けれども「ああ、どうしよう」という一番大きな深い病気は寂しさだと、私は思っています。
 その寂しさを見ようとしないのは、常識人だと思います。常識人は理屈でものを考えます。
 世の中がこうだから、私もこれでいいんだ。私もこうしていれば、まあまあ人に嫌われずに話ができるとし、調子を合わせていけるわけです。
 とにかく常識人です。私はそういう人とはあまり話ができません。
 人間の寂しさは常識では理解できません。
 私の願いは、寂しさ故に人のことがよくわかり、人を愛する人間になりたいということであります。

 「南無の会」松原泰道氏の講演録より

 私たちは教育、教育と言っているけれども、これはどういうことなのでしょうか。
 子どもは大人と共に成長するということです。だから、私に言わせれば、教育は大人が偉そうに教え、育てるのではなく、子どもに教えることで大人も成長するのです。
 具体的に言うならば、子どもの恩です。
 子を持って知る親の恩ではなく、子を持って知る子の恩だということです。
 子どもの恩がわかる親が、本当の親ではないでしょうか。親の思いばかり出していると、子どものおかげで大人が大人になれることを忘れがちになります。
 
 「生徒さんが集まってくださるお陰で、私は勉強ができるんです。みなさんがいらっしゃらなかったら、私は勉強をしません。どうしたら、みなさんにわかってもらえるか、それだけです。
 だから、みなさんにわかってもらうためには、ひとつのことを五倍マスターしたのではだめなのです。
 やはり、十倍くらいマスターしなければ、みなさんの中にストンと落ちるようなお話はできません。でもなかなか十倍の勉強はできません。だから、みなさんのおかげということはお世辞ではありません。」
  
 「ああ、あれが本当の教育ということなんですね。教えよう、教えようと思っていたけれど、本当は学ぼう、学ぼうということなんですね。」と、感動を示したのは、若い女性の講師でした。
 
 学ぶと言うことは一番の若返り法でしょう。
 まして、子どもに学んでいくと思うと、子どものお陰でどれだけ育てられたかわかりません。
 伝えようと思っていてはダメなんです。伝えよう、伝えようと思うと押しつけになります。
 自然に伝染していくものなのです。

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強い者の意見が通る?

 包括センターに相談の電話が入りました。
 
 内容を聞いていくと、透析通院が必要な70代の高齢者夫婦のことで、日ごろからそのご夫婦を知っており、なにかと心配しているという知人の方が夫婦に代わり相談してくださいました。

 「週3回の透析に通っていたが(これまでは自分で運転できていたらしい)、数日前インフルエンザに罹り、体も思うように動けなくなった。身体障害者の手帳1級は持っている。通っているお医者さんでは透析の送迎をやっていないので、タクシーで通わせなければいけない。また市外の精神科に夫婦とも通っており、そっちの方も遠方でタクシー代もままならない。とにかく今体調もすぐれず、これまでのように動けない。体調が悪いからといって、透析は休めない。どのようにして連れて行ったらいいか、困っている。」
というものでした。

 奥さんもだんなさんの体調の変化にどう対応したらいいか、右往左往しているような様子が感じられ、それを知人の方が代弁してお話してくださったのでした。
 
 「最初(各県や社協などでやっている)高齢者相談センターに電話したら、(居住地の)こちらの包括センターを紹介されたので電話しました。」とのこと。

 その話しぶりからは、自分たちでどうしたらいいかわからず、今の主治医から送迎を実施している透析通院できる施設に切り替えたいというようなことや、精神科通院が遠いので、今後タクシー代もかかるので、どうしたらいいだろうか、またインフルエンザ後の体力低下で、これまでできていたことができなくなって困っていることなどを一緒に考えてもらいたいというような印象を受けました。私一人の判断では決めかねるので、いったん電話を切って内容をスタッフで共有してから電話を入れることにしたのでした。

 かいつまんで電話の内容や、困っている点について係のスタッフに報告すると、ある社会福祉士が口火を切りました。
 「そんなの、今罹っている主治医に相談することでしょう」とばっさり切り捨てる・・。

 確かに、彼女の言うことは間違ってはいないかもしれません。体調が不良になっても透析をしなければならないとしたら、どうやって通院できるか、そして送迎のある通院先に変更したいという希望なら、まず主治医に相談しなければならないことも、冷静に考えればそうなのかもしれません。

 しかし、そういう論理的な判断を下す前に、まずこのご夫婦や知人の方がとにかく今、状況が変化してしまったことに動揺し、何からどう解決をはかったらいいかを一緒に考えてほしいという心情も見えてくるのです。

 相談のたらい回しをされた挙句、せっかくこちらの包括センターに相談の電話をくれたのですから、まずはその思いに共感し、必要であれば訪問しましょうかなどの対応があってもしかるべきだと、私自身の心の中では感じたことなのでした。

 しかし、さきほどの社会福祉士は、そこまでやる必要はないようなニュアンスで、まずは自分たち(相談者)で、主治医に相談することだ(結局は、そこまで包括センターで関わるようなことではない)という意見です。

 彼女の意見には、周りのスタッフも反論できないのです。なんかそういう雰囲気を彼女は醸し出すのかもしれません。皆心ではひとりひとりの意見や想いがあるはずなのです。自分は(保健師としてだったら)こう考えると、職種によっても、個人によってもこう思う、というような意見があっても、なんとなく一人の「強い個性の」人の意見に同調せざるを得ない雰囲気になってしまう・・・。

 一人が「こうすべき」「そんなのこっちの範疇(役割)じゃない」と強く意見を言ってしまうと、その意見に「そうじゃないんじゃない?」と言える雰囲気にならずに、その人の意見で物事が進んでしまう場合もなきにしもあらず。

 そういう雰囲気にも心ではめげずに、利用者に共感できる自分でいたい・・・。


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当事者の思い

 このブログにリンクを貼らせていただいている「脳性まひのしんやさん」のブログコメントを読ませていただきました。
 施設暮らしから、障害があっても施設の不自由な生活から自由になりたくて、あえて一人暮らしを選んだしんやさん。
 私も、以前N県に住んだいたときに、そういう思いで施設から街に出て一人暮らしをしている多くの車いすの障害者の方を知っています。その中の大部分の人は、24時間介護をヘルパーに支援されながらアパートで生活しています。

 しんやさんのコメント中に、次のような言葉が書いてありました。
 (引用)「患部だけしかみない医者とか、ドラマなどを見ているとよく出てきたりしますが、ぼくも幼いころ『障害』『研究』という視点でしかみられていない存在なのかな、と不安に感じておりました。いつも、作り笑顔で、子ども心に思うことは、早くぽっくりいって楽になりたいってことでした」

 
 自分も若かりしころの療育センター時代の仕事生活を思いだします。

 確かに、療育センターというところは、たくさんの専門職の集まりでもあります。そして、それぞれプロフェッショナル意識を持って目の前の子どもの治療や支援にあたろうとします。
 でも、プロフェッショナルとして周りや上司から期待されるところもあります。
 私のころは、「プロとして自分自身研鑽し、多くの治療成績を学会や研究会で発表すること」が、専門職として上司や周りに自分を認めてもらう条件でした。

 もちろん、自分自身も多くのことを学びたい一心で、自費でもたくさんの研修会などにも参加してきました。

 障害を持つ子どもたちをセラピーを通してなんとか改善させてあげたいという、「熱意」や「思い」もありましたが、今思うと自分自身も早く周りのスタッフから「能力がある人」「仕事ができる人」「一人前のセラピストに成長した」と思われたい部分も本音のところでは大きかったような気がします。

 だから、そんな専門職の人たちの関わりに対しては、当事者からみたら、「障害」の「部分」しか見ていない、そして自分たち当事者は「研究」の対象でしかないのか、という疑問や思いをたくさん持ちながら施設生活を送っていたのだろうということを思わされました。

 私たちいわゆる「専門職」などと呼ばれている人間は、とかく対象となる当事者(患者・クライアント・障害者・利用者など呼び方はさまざまですが・・)を自分たちの学んだ知識の中で「評価」「アセスメント(専門用語かな)」「分析」「観察」してしまいますが、そうされている相手の当事者の方たちも、私たちを「人」としての「評価」をしているのです。人と人とのかかわりにおいては、どちらか一方だけが「評価」しているわけではないということを、しんやさんのブログから学ばされました。


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頑張っている人ほど判定は低い?

 障害者自立支援法による各種サービスの利用については、これまでの支援費制度が見直され、障害程度区分の判定に基づき、認定されないとサービスが受けられないしくみになりました。その障害認定の調査は、まるっきり介護保険の認定調査内容と同じです。

 先日ある高齢者夫婦と障害者の暮らす世帯に関わる機会がありました。
 これまで父親(80代)がキーパーソンとして家計を預かり、なんでも切り盛りしてきていたのですが、その父親がくも膜下出血を発症し入院となりました。残された家族のうち母親にはかねてから認知症の症状があり(本人は病識なく徘徊などもあったようだ)、息子さん(60代)は全盲の視覚障害者。マッサージ業を営んでいましたが、父親の入院に伴い、母親を一人にしておけないとなり、仕事を廃業し自宅で母親と暮らしています。

 嫁いだ娘さん夫婦が何かと支援することになりましたが、一気に3人の支援が一ぺんに自分たちの身に降りかかってしまったわけです。
 しっかりしていた父親も病気の後遺症で、高次脳機能障害を合併し、病院でも指示に従えず、時に拘束されるような状況もあり、勝手に行動したがるため病院側はこれ以上の入院を渋り、かといって自宅退院も難しいため、とりあえず療養と継続したリハビリのために転院を計画。

 母親も認知症のために問題行動があっても全盲の息子さんが介護できるわけではなく、介護保険の申請をしてこれからサービスを調整しようかという矢先に、転倒・骨折となり、入院となってしまいました。

 全盲の息子さんの処遇について、障害認定の手続きのために認定調査を担当者と同行して行ってきました。
 そのときに、息子さんが言ったこと。
 「自分は中途失明だが、訓練(マッサージ師の資格取得のため)のために学校の寮生活をしてきたが、そのときの教えは『障害に甘えるな。自分でできることは何でもやれ』と言われてきた。今も、調理や洗濯などは目が見えなくても何とかできるし、ヘルパーさんを頼みたいが、あまり何でもしてもらうと自分が楽をして甘えがでてくる。だからへルーパーさんにも最低限のことしか頼まなくていい。」という思いを伝えてくれました。

 ヘルパーさんの支援内容については、ご本人の意向を尊重し、あまり過剰介護にならないように配慮することは当然ですが、それにしても全盲での一人暮らしとあっては、訪問回数なども週に数回は必要かと思われるのですが、認定のための聞きとり調査を行っていても、目が見えないということ以外はなんでも「できる」という回答ののため、一次判定上はもしかしたら「非該当」レベルに近いものになりかねない結果でした。該当しなければ、ヘルパー利用もできなくなります。

 視覚障害者なら大部分の家事的なことについてはいろいろ支援が必要なのに、認定調査の質問項目がほとんど視覚障害の特徴をチェックするしくみになっていないために、引っ掛かる項目がないのです。
 また、実際に自分で頑張って行っているということでも、「介助されていない」「介護の手間がかかっていない」ことになり、ほとんどが該当するところがないのです。

 結局、担当の職員のほうでなるべく認定がつくように判断を緩めにしてチェックしていくことで、かろうじて一番軽い認定がなされ、週1回の訪問介護が利用できるようになりました。
 
 障害程度区分での認定の場合は、それぞれの障害の種別に応じた調査項目があってしかるべきだと思うのですが、介護保険の調査内容と全く同じというところも無理があるような気がします。

 将来、障害者も高齢者も介護保険制度に統合しようともくろんでいるせいもあるのかもしれませんが、本来、それぞれの障害特性に応じた支援がなされるべきだと思うのですが・・・。

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療育センターでの訓練 その後・・

 私は、20代~30代前半にかけて、T県にある県立の小児療育センターにリハビリ職として勤務していました。
 昔は各県に一つはあった肢体不自由児施設として設立されたところです。県によっては「○○整肢学園」などという名称で呼ばれていた施設。
 ポリオなどの下肢の麻痺や小児の整形疾患(骨形成不全、ぺルテス病、脳性小児まひなど)が多く、ほとんどは親元離れての入所生活を送っていました。隣接する養護学校に廊下伝いに通って毎日施設と学校の往復で一日が終わっていました。

 その後整形疾患だけではなく、ダウン症や自閉症、そのほかさまざまな小児の疾患の子どもたちも乳幼児期から通うようになり、「○○整肢学園」という名称も、「○○小児療育センター」という名称に変わって行きました。
 そして、療育の主体は、乳幼児期からの「早期発見・早期療育」が主となり、母子で入所して訓練を学び、退所後は母子通所で通い、また学童期以降も月に1~2回の外来訓練に通って療育を継続していくといったパターンが多くなっていました。
(最近では、こういう県立の療育センターも、今は「発達障害児の支援センター」としての役割も担うようになってきています。)

 施設の中は外来部門、訓練部門、病棟部門(1病棟 幼児から学童期の単独入所棟、比較的重度の障害児が多かった、 2病棟 手術を行った子や学童期の子どもたちが比較的長期入所し治療生活を送っている棟、 3病棟 乳幼児期からの早期療育を求めての母子同伴で入所する棟)、手術部門、通園部門、相談部門とがありました。
 
 外来訓練には、県内のいたるところから多くても月に1~2回の訓練のために車や電車を利用してわが子のためにと必死で通ってきてくれましたし、時には隣県からの外来通所もありました。

 そういう幼少期~学齢期の訓練を通して、はたしてそれが関わった子どもたちや親御さんにとって、どんな意味を持っていたのかと振り返ることがあります。

  結局、いくら幼少期に早期訓練を施しても、やはりその障害の特性上、健常に近づくわけではなく、「いつかは歩けるようになるんじゃないか」という期待も結局は実用的な歩行の獲得には至らず、やはり「障害を持って生きる」ことになります。

 そして、幼少期(学童期)以降は、療育センターでの訓練は実質終了になり、その後の継続した関わりができなくなるため、自分たちが関わった子どもたちがその後どういう生活をしているかなどは、こちらから求めなければ情報もなくなり、分からなくなります。
 
 障害児から障害者となって地域あるいは施設で生活を継続しますが、私たちは彼らのライフステージの中でも、ほんの一時(点)の部分でしか関わることができません。

 ある障害を持つ女性が私たちの業界誌に投稿した内容にこんなことが書いてありました。
「学齢前期からずっと施設暮らしをしていたが、自分はなんで親から離れてここにいなければいけないのかがわからなかった。訓練はきつく、『今、きつい訓練を頑張らないと将来歩けるようにはならないから、我慢して訓練するんだ』と言われても、歩けるようになることなってあまり自分にとってどうでもいいことだった。それよりも、早く親と一緒に生活したかった」

 「中学校からは、地元に戻ったが、結局は車いす生活だった。その後自分なりに考えて福祉系大学に入った。私にとって、“自立”とは例えば靴下ひとつ履くにしても、1時間かけても自分でできることなど、時間がかかっても人の手を借りないでできることが“自立”だと教えられてきた。しかし、大学で同じ障害を持つ仲間から『なにをそんなに時間を無駄に使っているんだ。1時間かけてくつ下をはけることよりも、人から手伝ってもらい5分で靴下を履き、あとの55分は自分の好きな本を読めることの方がよっぽど“自立した生活”と言えるんじゃないか』と言われてからは、できないことは助けをもとめ、あとは自分の好きなことを選びとりながら生きようと思った」

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職員の本音

 包括支援センターには、高齢者のほかにも生活保護世帯のケースや障害者世帯の相談も多く、(いわゆる「困難事例」というやつ)当然保護担当や障害担当の職員との連携が欠かせないものになります。

 「連携」の重要性については、ことあるごとにいろんな研修などでも取り上げられますが、結局それぞれのケースに関わる「人」の問題だと思います。

 先日も、ある生活保護を受けていた女性ががん治療で入院中。退院後の処遇を巡っての支援を包括センターと保護担当職員で担当することの打ち合わせをしています。

 その女性はまだ50代であり、介護保険の申請ができるかの見極めや、退院してからの療養生活が可能か(これまで家の中には電気毛布しかなく、食事も息子さんが働いているコンビニ弁当の余り物をもらってきて食べているような生活だったらしい)

 別れた旦那さんのところに住所がある息子さんが、現在は母親不在時のアパートに住んでいるようだが、この息子さんにも軽度の知的障害があり、病院の入院手続きや病状説明などにはあまり理解できないようで、行政の方でなにかと関わってきたようです。

 軽度の知的障害はあるようですが、夜間のアルバイトをしており、ある程度の生活費は稼いでいるようですが、母親が退院して在宅生活となれば、その間の生活も心配です。

 このような背景を持った当事者に対する担当職員や包括センターのあるスタッフの言動に、どこかこういう生活保護の人たちを見下げるような、知的障害を持つ息子さんを見下すような発言が聞かれるのは残念なことです。

 私たちは、こういう業界(職場)にいると、実に様々な生活背景を持った人たちの相談に乗ることがあります。
 中でも相談援助職を自任する福祉職にある人たちは、困難事例がくれば、意気揚々と支援に乗り出そうという雰囲気があります。

 しかし、いろんな支援者という立場の人と接してきて思うのは、支援される側は、支援する側からすればいつも「下」に見られ、「支援者が描く脚本にのってこれるケース」かを先に結論としてシナリオを用意していて、それに従えない当事者は、「どうしようもない人」「厄介な人」になってしまう構図が透けてみえてきます。

 そして知的障害、精神障害、認知症などのいろいろな能力の違う一人ひとり違った個性を持つ人たちを、単に「知的」「精神」「認知」などとラベリングしそういうカテゴリーでしか相手を見なくなり、「知的の息子」「精神の女性」「認知の母親」などという呼び方をしてしまいがちです。

 支援者にとって生活困窮者や障害者というのはいったいどんな存在なのでしょうか。
 自分たちはそういう人の支援をしたくてこの職業を選んだのではなかったのでしょうか。
 少なくとも専門職として、「社会的弱者」と言われる人たちの「権利獲得の代弁者」とならなければいけない立場なのに、行政の組織の論理に従い実務を行ってしまう傾向が強いのです。(もちろんすべてがそうだとは言い切れませんが・・・)
 
 あまりにもいろんな相談に慣れてしまい、「こういうケースはこのパターンで・・」と関わる相手をも「ケース」という呼び方で対応したり、自分たちの経験(事例の)で目の前の当事者を分類して支援者側の意図する方向に導こうとしたり。
 
 こういう構図が続く限り、『真の支援』ができているとは思えないのです。
 でも、当事者も支援者を評価しているということに、支援者自身が気づいていないことが一番厄介なのです。
 人を「支配」したいと考える人間に限って、周囲からの助言には反発心が強くなり、火に油を注ぐ結果になる傾向もこれまた厄介なのです。

 いろんな支援者の性格や個性を見抜きながら、自分に合った支援の場を求めていくことって大事です。
 支援者に「心」があるか・・・・・。その「心」を当事者が感じられるか。
 支援する立場と支援される立場の両面から意識していかなければならない課題だと思います。

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スクールカウンセラーの功罪

  ジャパンマシニスト社刊の雑誌より(『おそい・はやい・ひくい・たかい NO66』)

 「こころの相談の副作用」について

 学校でカウンセリングを行う「スクールカウンセラー」が導入されて17年。このシステムははたしてプラスだったのか、マイナスだったのかを振り返る特集が掲載されています。

 ・・・実際に、スクールカウンセラーとして仕事をした経験や養護教諭などからのコメント(引用)・・・・

 ・教員との関係がよくないと、仕事にならない。教員の見方を理解しようとすれば、教員と違った見方を強く主張することを避ける傾向になる。そうなると、本来スクールカウンセラーを導入する目的の一つだった「外部性」は失われることとなる。
 
 ・学校秩序を問題視するスクールカウンセラーは非常に少ないといえます。学校に「適応」できない生徒を「問題児」ととらえる傾向が強く、「不登校」に関しては学校復帰を当然の目標として動いている人が多いのです。教育委員会が設定する目標がそうですし、校長や教員もそれを求めるのですから、そういう形で動かざるをえないのです。

 ・しかし、学校の外で「不登校」経験者と出あっているフリースクール・フリースペースのスタッフの多くは、「不登校」を「問題行動」とは見ていませんし、学校復帰を目標として掲げてもいません。学校の先生方とは違う見方をしているのです。でも、スクールカウンセラーはそうではありません。

 ・教員の仕事は忙しくなってきて、そのぶん「困った生徒」をすぐにカウンセラーにゆだねたり、アドバイスを求めたりする傾向が強まってきています。

 ・また、「発達障害」にスクールカウンセラーが関わることが多くなっています。ある生徒を強く叱る先生を見て、スクールカウンセラーが助言すると、その先生の態度が急変する、そういう役割をスクールカウンセラーが果たそうとしているのです。しかし、生徒個人がそれぞれ違っているにもかかわらず、「障害」とくくることによってパターン化された見方、接し方を進めていく。

 ・子どものことで、教員が頭や心を痛めなくなったということ。学校にいるいろいろな人たちが協力して、子どもにとってよいことを考えていこうという姿勢が薄れてしまう傾向がどんどん強くなってしまっている。世の中全体が専門家に任せることで、責任を果たすという風潮です。スクールカウンセラーの問題は、学校にその風潮を強めるはたらきをしているのではないでしょうか。

 ・子どもの問題を解決しようとして、ああでもない、こうでもないと考えること自体がなくなり、子どもたちがタライ回しのようにされています。人から人へと対応が変わってしまうことは、かえって子どもの大人への信頼感を失い、心を閉ざすことにもなりかねません。

 ・本来カウンセリングというのは、患者と対等で平等な契約関係で成り立つもの。ところが、学校というところは、まずもって、子どもと大人の対等・平等の前提が無い。子どもを未熟な者として大人が権力を持ち、教育する場所です。カウンセリングの基本的なルールがそこでは成立しません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 学校のシステムや教師の対応など、学校側の問題や課題があったとしても、スクールカウンセリングというものでは、「学校」が舞台になっている限り、相談したクライアント(子どもや親)の「こころの在り方」だけが問題になってしまう・・・。
 
 カウンセラーの立ち位置(学校側の視点に立っているのか、子どもの視点に立っているのか)によって、かなりそのあとの進展が変わってくるでしょう。しかし、所詮はスクールカウンセラー自身が、学校のシステムを批判することなんて(嘱託で雇われている立場上)できないんですよね・・。

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研修会に参加して(2)

 田口教育研究所主催の発達障害関連の研修会に参加してきました。

 今回は「思春期・青年期のADHD~家族のストレスを中心に~」をテーマに、NPO法人えじそんくらぶから理事の方が講演してくださいました。

 ADHDを抱える親の会として発足した会でしたが、10年前は行政や学校に障害を知ってもらうことや理解を得るために活動してきたのが、5年前には地域への理解と進み、そして最近は大人の発達障害が会のテーマにもなっているとのことでした。
 地域で置き去りにされた発達障害(昔診断がついていたら)といわれる人たちがいわゆるひきこもりやニートと言われたり、転職を繰り返す人たちなどを見ていると、そういう人たちへの支援が今必要になってきているとのこと。

 講師の先生(自身もADHD+アスぺルガーのお子さんを持つ母親)の、子育ての経験から裏打ちされた実感のこもったお話をお聴き本当に共感する部分が多くありました。
 どこかの大学教授のように通り一遍的な評論的な講演ではない、それこそ発達障害のわが子と向き合う中で親自身が抱える葛藤や周囲との関係における悩みや希望など、同じ思いを持つ者だからこそ分かりあえる内容のお話を聴かせてくださいました。

(講演の要旨).................................................................
 思春期から青年期と大人へと成長する過程で、親や家族との確執、学校や社会でのトラブルと、「子ども自身の葛藤」があるのに対して、同じく親にも「親自身の葛藤」がある。それは大きく分けると「自分」と「周囲」への葛藤でる。
 「自分」の葛藤では、親の在り方、親自身が当事者であること、また過去も含め自分と向き合う人生の岐路に立つ年齢を迎えている青年期の親は、インナーチャイルド(自分が小さい頃の思い出…自分の育てられ方や生育環境など)やフラッシュバックなどの葛藤も抱えている。

 この情報社会の中で、ADHDの知識を持てば持つほど、目の前のトラブルに感情がついていかない「知識と感情」のギャップにストレスを抱えている親は多いのではないだろうか。
 一方、周囲への葛藤は、親や専門家のレベルには達しなくとも周囲がある程度のADHDの知識を持っている現状で、知識は広がっても理解・協力を得ることの難しさである。例えば「ADHDで大変なのはわかるけど、自分の子どもがトラブルに巻き込まれるのは困るから一緒には居させたくない」と周囲の親から嫌悪されることなどである。

 知識は広がっても周囲への「親の積極性が乏しくならざるを得ない環境」が親のストレスの大きな要因となっていることは否めない。そんな状況の中で、親自身の葛藤を少なくしストレスを軽減するためには、親の心を支援する「ストレスマネジメント」を技術として提供する場が必要だと強く感じる。
 そして、二次障害を防ぐための親の役割とは、夢や希望となる人、勇気や自信をくれる人など、子どもの人生の支えとなるキーパーソンにつなぐ「きっかけを作る」ことなのではないかと感じている。
 
 いずれ子どもが親離れをしてこの広い世界で「自立する」ためには、残念ながら親の力・世界には限界があり、キーパーソンを通して子ども自身が自分の可能性を見出して、自分をプラスに捉え、自らの力で生きていくきっかけが必要となるからだ。
 「支援によって自分を知り、自分の価値を知って、自らも人の役に立ちたいと、その子・人にしかできない使命を果たすこと」そんな『真の支援』をこの広い世界に、子の生涯を見届けられない親として切に望む。
 NPO法人えじそんくらぶ 理事 橋口亜希子
 

特に講師のお話の中で、印象的だったのは、
 ・親だからと言っても、子どもを否定的にみてしまうこともあること。それを自分自身で責めないでほしいということ。特に発達障害を持つ子を育てている親は、ただでさえ、世間や周囲へも気を使い自分を責めやすい。時にはわが子のいろんな問題行動にも嫌悪感を持つことも・・。しかし、親であっても自分が感じたように感じていいのだということ。(否定的なことも含めて)

 ・子どもたちはずっと「支援を受けるだけの存在」ではないということ。確かに「支援」は必要だが、「支援され続けるだけの人生」では本人のできる部分も摘み取ってしまう。子ども自身も「支援されるだけの」人間では終わりたくないはず。誰かの(何かの)役に立ちたいと思っているはず。『真の支援』とはそういう希望や価値を与えてくれるもの。

 ・発達障害を抱える子を育てるということは、親自身いろんな葛藤を抱えるが、それも親としてそして自分自身の「生きる使命」を与えられたと考える。「私がこうしていろんな場で活動していることが私に与えられた使命」なのだと・・。

 ・「僕には夢なんかない」「どうせ僕なんか・・・」と自己否定に陥りやすい発達障害の子どもたちが多いが、そういう言葉を発する子には周囲もそう思わせるような言葉かけをしてこなかったか?「可能性はゼロじゃない」と言ってあげることによって夢にもう一度向き合う希望が持てる。

 ・『真の支援者』を見抜くには?  
  自分(親自身)のを信じる
 その人(支援者)にがあるか


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研修会に参加して(1)

 先日、全国webカウンセリング協議会主催の不登校支援、家族セラピー関連の研修会に参加してきました。

 これまでも、自分の関心や、子どものことなどいろんな背景もあり数多くの講演会や、研修会などには参加してきましたが、今回の二日間かけての講座はとても有意義なものでした。

 講師の安川先生のお話は、現場中心(子ども中心)から培われた内容で、どう子どもの心に共感するかといった親や教師、支援に携わる人への助言も実に納得できるものがありました。

 実践に裏打ちされた話は、説得力があります。

 学校の先生や保育園の先生、そのほか子どもに関する支援を展開している人たちなど、多くの参加がありました。
 まあ、こういう場に来ている人は、子どもたちへの向き合い方について学びたいという人たちだと思うので、日ごろの仕事の中でも、何らかの気づきにつながっていくのではないかと思います。

 私自身も、日ごろの子どもとの関係を見直す機会にもなりました。

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息子の絵

 鉛筆描画(都会の風景)
描画(都会の風景)

     拡大 描画(スカイツリーのある街並み、東京タワー、レインボーブリッジ)
スカイツリー


 鉛筆描画(地図)
描画(地図)

 幼児期から絵を描くことが好きだった長男ですが、色を塗る絵はあまり描かず鉛筆での描画が中心でした。
 目で見たものは頭の記憶にとどめ、写生ではなく、自分の想像や記憶をたどって描いています。
 
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地球の名言

プロフィール

TTmama

Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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