FC2ブログ

ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

価値観の合わない話には共感できない

 よく心理やカウンセリング業界の人たちが使う言葉の一つに、「共感的理解」という心理学的用語があります。
 そして、この言葉は心理学分野だけでなく、対人援助を生業とする職種の研修会では必ずといっていいほどテーマに取り上げられる内容です。この「共感的理解」については実際にロールプレイをしたり、講義を聴いたりワークをしたりして学びます。

 しかし、研修で学んだことが実際の現場で活かされているかということとは別問題だと思います。
 必ずしも、対人援助の専門家でなくても「共感的理解」をしてくれる人は実際にいます。
 逆に専門家としてまたは対人援助を実際に数多くこなしている人の中には「偽共感的理解」で対応している人も少なからず存在します。

 関わる相手(本当はご縁をいただき関わらせてもらっているのですが、往々にして支援してあげているというとらえ方をする専門職の人は多いですね)の生活背景や価値観と自分の価値観が現実には合わないことが多いのかもしれません。いや、むしろこっちの方が多いでしょう。
 「なんでこの人は酒ばかり浸ってアルコールに溺れるのか?」
 「なんでいくら助言してもいっこうに生活を変えようとしないのか?」
そういう風に感じる要因は、支援する側の生活背景を基準にして考えるからです。

 これまでそれほど挫折もせず、家庭もそれなりに順調にきて、貧困や障害などと言う言葉とは縁がなく生きてきた人たちが専門職として、ある程度の学力と経歴を掲げて目の前の相談者に対応する場合、いくらいろんな境遇を抱えた人たちに「共感せよ」といっても、どうしても最初は自分たちの生きてきた価値観で物事をみる傾向があります。
 
 発達障害や精神障害をもって生きていく人たちに対して、その障害の何たるかも深く理解しようとせず、表面上の知識だけで「ああ、精神(知的)ね」とさもわかったような口ぶりで目の前の障害者に対し、「偽共感」でもって支援・助言しようとする。相談者が帰ったあとで、「ああいう風にはなりたくないね」と各自の思いを茶飲み話としてだべっている、そんな光景もあります。
 
 「人は知ろうとしないことは受け入れられない、また知ろうともしない」のです。

 人間関係でも「あの人と私は合わない」と思ったら、お互いにあまり深く知ろうとはしないことと同じです。通常の人間関係では、価値観が違う人同士は職場という社交辞令としての付き合いはしても、深いところまでお互いを知ろうとはせず、「あの人はああいう性格だから」「ああいう考えだから私たちとは違う」といって、結局価値観の似た人同士で付き合いを深めたりしていくでしょう。すべての人が仲良く、なんでも分かりあえる社会の実現なんて現実は難しい。だからこそ、障害を持つ人たちへの偏見はいつの世になっても残念ながらなくならないではありませんか。

 福祉の現場と言うのは通常の人の生活の許容範囲を超えた人たちとも接することの多い業界でもあって、自分の価値観にはないからといって、相談に来る相手を「あんな生活してきたから、こんなだらしない今があるのよ」「精神(知的)だから仕方ないのよ」「こっちの助言を受け入れないんならもう支援してあげない!」と相手のいないところではけっこう言いあっている職員もいます。

 誰だって好きでそういう生活を送ってきたわけではないでしょう。その人の持って生まれた資質だったり、何らかの障害がベースとして内在していたりする場合だってなきにしもあらずです。よくよく聞いていけば生活背景から、社会的に不利益を被ってきての結果だったりするわけで、すべてをその人個人に還元することはできないはずなのです。

 福祉の現場は自分の価値観とは合わない人が多く来所し、相談にくる部署です。そこで研修で習った「共感的理解」をと講師がいくらのたまったところで、自分の心の中にそういう相手のことにもっと関心を寄せて知りたいと思わない限り、いつまでたっても「偽共感」や「上から目線的態度」はなくならないでしょう。

 よく精神障害者の作業所を地域に建設するというと、地元の住民たちが反対するという風潮と似ている気がします。「総論賛成、各論反対」なのです。

 福祉の相談を受ける職員や専門家と言われる人たちだって、研修でさかんに障害者理解や弱者理解についても講義をうけているはずなのに、机上だけの理論や知識の上だけで実際にそういう人と生活を共にしているわけではありません。だから自分たちの考える「障害像」のイメージで障害者支援に持っていこうとしがちです。

 「子を持って知る親の恩」「障害を持った子を育てなければわからない」とよく言います。同じ思いや体験をした人でなければ真の意味での共感は難しいかもしれません。(同情的感情も含まれているでしょうが)

 しかしながら、独身であっても子どもに障害がなくても、同じ思いを「共感的理解」を持って接してくれる支援者も実際にはおります。そういう人は最初から、相談者と似たような価値観を持っている人か、あまり世間一般の「常識」にとらわれない幅の広いタイプの人だと思います。

 たいてい自分とは関係のない(いつ自分の身に同じような事がふりかかるかもしれないのに・・)事には、人は皆、他人事です。
 
 不登校や発達障害支援をしている教師でも、自分の子どもはそうあってほしくない、障害がなくてよかったと思っているでしょうし、わが子には「いい高校・大学・職業」を望んでいる人も実際は多いと思います。
 
 みんな自分が親から植え付けられた価値観や自分たちの考えで物事を判断しています。

 相談に来た人たちの価値観や生活背景に本当に「共感的理解」を示し、寄り添っていけるかは、とりもなおさず支援する側の価値観に左右され、いくら研修などで学んでもその人の本音の人間性の部分が相手を見る眼差しに影響を与えるのだと思います。

 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。
 
スポンサーサイト

地球の名言

プロフィール

TTmama

Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

カレンダー

04 | 2012/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

訪問者

全記事表示リンク

フリーエリア

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。