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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

講演会

 金沢泰子、翔子さん母子の席上揮毫・お母様の子育て講演会を聴講しました。

 地元の生涯学習の事業の一環で、ぜひ、金沢母子からお話をお聞きしたいとのかねてからのご要望にお応えした形で今回の講演会が実現されたそうです。

 金沢翔子さんはダウン症として生を受け、今では有名な書道家をもしのぐ勢いで、マスコミでも話題になっています。
 しかし、その道のりはけっして平たんではなく、お母様は「闇を3度見てきた。しかし、闇の中にこそ光がある」と壇上から障害を持つ子を育てる他の親御さんに対して励ましの言葉もくださいました。

 「ダウン症の娘とともに歩んできた道のり」(以下、金沢泰子さんの講演録より)

 42歳の高齢出産。待ちに待った待望の赤ん坊を「この子を日本一の子どもに育て上げる」と意気揚々と出産に臨んだけれど、帝王切開で生まれ生後50日で初めてわが子と対面したその日に「ダウン症」と告げられ、奈落の底に落とされた。
 「こんな子を産んでしまった」と自分を呪い、未来が真っ暗になり、毎日一緒に死ぬことばかりを考えていた日々。抱っこしていても涙がこぼれてしかたがない。
 そんなとき、抱かれているわが子がふと母親を笑顔で見つめるまなざしに「この子も一生懸命に生きている。私を救ってくれている」と感じた。
  
 4歳までは親子してひきこもりの生活を送っていた。親戚にも友人・近所にも子どもがダウン症であることを隠し通してきた。今思えばその親子べったりな毎日があったからこそ、「翔子は幼いころからずっと私と一心胴体でやってきたから、今でも私を一番に信じ切っている」という。
 
 しかし、学齢期が近づくにつれ友達作りの目的で、5歳になって自宅に書道塾を開いた。最初は3人の子どもが塾にやってきた。
 小学校は地域の普通学級へ。先生にも恵まれ関係も良かったが、4年生になって、学校から「特殊学級のある学校へ移ってくれ」と一方的に言われた。納得がいかなかったが校区外の学校へ通うことになった。しかし、そこでうまくいかず学校にも行き渋るようになった。
 そんなときに、自宅にいる時間が多くなったこともあり、「般若心経」の写経を書かせた。

 中学・高校と特殊学級・養護学校へ進み、将来の居場所として作業所を選んで面接に行く段階になったときに、学校に渡すはずの内申書が誤って親の手元にわたってしまい、中を見たら「だらしのない母親に育てられた子」という担任教師のコメントがあった。
 (その当時父親が急死したため、娘を知人に預けて、その事後処理で海外へも残務整理にいかなければならなかった日々。当時の先生には母親が子どものことをほっぽって子育てをなまけていると思われていたようだ。若い先生だったからそう思ったんでしょうけど・・)

 そのことがあって、短気な私は作業所行きもけってしまった。結局、進路が決まらず途方にくれることになった。
 その時、亡き夫が生前言っていたことばを思い出した。「20歳になったら個展を開こう」ということばを。
そこで、1回だけと思い、銀座で有名な展示会場で個展を出した(書道家でもめったに個展などできない会場だった)。
 作業所への進路も閉ざされたまたまその個展を見に来てくださった方との縁があり、以後さまざまな場所で個展を開くようになった。
 書家ならだれもが憧れる鎌倉の建仁寺でも個展が開けた。その後雑誌やメディアに取り上げられるようになり、NHKからも声がかかり、活躍の幅が広がったこと云々・・・。

 お話の中でお母様は「私は決して理想的な子育てをしてきたわけではない。日本一の子育てをしようと思ったけど、知的障害の子を持って、奈落の底に突き落とされ、一時は死のうと思ったこともあるし、親子してひきこもりの生活をしてきた。でも『闇の中にこそ光があった』のです。小学校の途中で校区外の養護学校へ行かなければ、「般若心経」を書かせることもなかったし、作業所行きがスムーズにいっていたら、今の娘の活躍はなかった。その時は本当に暗闇のなかをさまよっていたけど、今になって思えば、そういうところからしか光が見えなかったのだと思った」と語られました。

 「娘は知的障害を持って、学歴社会からは遠いところで生きていくしかなかった。小学校の普通学級に入ったけど成績は何でも一番ビリ。でもビリでもいいと思って育ててきたけど、ある日マスコミの取材のコメントに「日本一の書道家」と娘のことを紹介してくれた。「日本一の子育てをしよう」と私が最初に思っていたことを娘の紹介にそのように書かれた。」
 
 「娘の書を見た人はみなさん感動して涙を流される。私はそれが不思議でならなかった。技術的なことを言えば、私やほかの書家の方がもっと優れているいるのに・・・。しかし、娘の書には「魂」が込められているのだと分かった。私たち健常者たちは、世間のしがらみなど心の中にいつも雑念がある。しかし娘の書にはそれがない。一生懸命に目の前の書に心を集中している。だから字が上手下手という域で評価するのではなく、魂レベルで書いているから感動を呼ぶのだと思う」と。
 「障害者はんみんなよりできないことがあるからと言っても、決して不幸な人たちではない。娘を授かって今は日本一幸せな母になったと思う」

 決してわが子を、書道家にしようなどという目論見などなく、いろんな闇に放り込まれそこから親子でもがき悩んだ末に一抹の光を見出し、そこからまた躓いても再び光を見出し・・・。
 そんな親子の生活の今が、ダウン症の書道家として世間に認められ評価されていったことだと思います。
 「苦しみ」の中にこそ光があるという言葉にとても心が響きました。


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その瞬間の言葉が子どもを変える

その瞬間(とき)の言葉が子どもを変えるその瞬間(とき)の言葉が子どもを変える
(2001/11)
富田 富士也

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(本文より)
 
 スローペースなわが子にあきれてしびれをきらして、大声を出してしまうのも、考えてみれば「子どものため」ではなく、「親のため」ではないでしょうか。
 なぜなら、子どもの前途が親の前途になるからです。お母さんには子どもの“不安材料”を見たくはないし、早めにつぶしておきたいという思いがあるのではないでしょうか。
 大人も子どももみんな、今持ち合わせている知恵と体力と精神と相談しながらこの瞬間を生きています。だから生きていることは、ただそれだけで尊いことです。

 「あなたのためを思って叱っているのよ」と子どもに言うのはかなり眉つばものです。親の不安を打ち消すために子どもを怒鳴っていたりするからです。でも不思議なことに、わが子を否定することは親自身を否定することだと気づくものです。そして否定しても生きようとしてくれているわが子を見て、親は自分の無力さを受け入れ、親であることから逃げないことを自覚するのです。

 いくらカウンセリングや心理学や教育の本を読んでも、すべての悩みが解決できるわけではありません。そして人をそうたやすく操られるものでもありません。
 自分の人生の主人公が自分である以上、とどのつまりは自分の五感と経験に頼るしかありません。たとえば「胸がキュンとしたこと」、それがあなたにとっての真実なのです。そこから関係を始めていけばいいのです。善し悪しの選択の責任は主人公である自分が背負うしかないのですから。知識を得たり本に学ぶことを軽視するつもりはありませんが、人間関係や子育てにマニュアルはありませんよね。

 
 青年期になった子どもが、「お母さんが悪いんだ」「お父さんは全然わかっていない」と親を責める場面によく出くわします。でもその多くは、「今がよければみんないい」「今が悪ければすべて悪い」という考えからきているのです。
 たとえば、過去にどんなひどいことをされても、現状がよければ、「昔はよく殴られたけどさ」という思い出話ですんでしまいます。でも、過去にすばらしい親子関係があったとしても、今が悪ければ、「自分の人生を奪ったのは親だ」と恨み節になってしまいます。悲しいかな、そういうものなんですね。
 親としては肩を落としたくもなりますが、でもここで言いたいのは、今がいいか悪いかを決める要素、きっかけは家とは別のところで起こっていることが多いということです。
 子どもの悩みや挫折は、学校だったり社会だったり、親以外の人間関係のなかで生じます。そんなとき、子どもはどうしようもない自分と出会い、現実を乗り越えていかなければいけない、その痛み、惨めさ、悲しさを味わいます。だからひとつの逃げ場として、外で責められている分、責めないで受け止めてくれる、肯定してくれる、無条件で共感してくれる場をほしがります。その逃げ場が親なんです。
 
 ところが、子どもの不安とつきあっていこうとすると、親は自分の無力感と出会います。子どもの不安はその子自身が背負うわけで、親が背負うわけでも肩代りしてあげられるものでもありません。そのときわが子を支えることができない現実を突きつけられ、「なんて無力な親なんだろう」と己を思い知るわけです。そこで本当だったら、もう少し無力な自分と向き合っていればいいのですが、無力な自分と向き合うのはつらいことです。それでどうするかというと、
 「頑張れば何とかなるわよ」と子どもを励ますわけです。
 努力して報われているうちは励ましも有効ですが、頑張っても報われないとき、それは応援でも勇気づけでもありません。
 「おまえのことなんか抱えきれないわよ」という関係断絶になってしまうのです。頑張っても報われないとき、「励ます」ということは、頼みの親が子どもの苦しみからひとり逃げ去っていくことなんです。だから、子どもが報われなさに痛手を受けているとき、励ましてはいけません。
 子どもが苦しいときは、「なんで私はいたらない親なんだろう。不甲斐ない親なんだろう」と親も一緒に苦しんでいいのです。そういう自分であることと向き合い、親としての無力感から逃げない力が問われます。
 逃げないということは、本人が努力して報われないつらさを味わっているとき、「頑張れ」という励ましを徹底して言わないことなのです。その言えないつらさが、子どものつらさに近づく手がかりになるのです。

(教育カウンセラー)

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特別支援教育の本質(2)

増やされる障害児増やされる障害児
(2004/09/09)
宮崎 隆太郎

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(本文より)

●特別な教育的ニーズとセンター化
 わが国では、このことばは文科省系御用学者がはじめに使いました。彼らは言いました。
 「ただ普通学級の中に障害児を入れておけばよいという考えではなく、その障害児の教育的ニーズに合わせたきめ細かい教育の保障が大事なのだ」と。
 それに対して私は、「普通学級の中にただ入れておけばよいなどとは考えていない。しかし、あなたたちの言う『教育的ニーズ』というのは、障害児たちのさまざまな思いや願い、豊かな人間関係への願望等を受け止めようというのではなく、障害児とはこんな程度のものだという決めつけに基づいた、狭い意味での教育や訓練、治療、そして生活の在り方を指しているのは明らかだ。本当に彼らの『ニーズ』を受け止める気があるのなら、地域に生きるひとりの子どもとしての彼らの目の前に、さまざまな選択肢を用意し、彼らの自由意思で自分の生き方、学び方を選ばせるところからはじめなければならないだろう。昨今の障害児教育をめぐる論議は、『基礎学力や発達の保障』か、『健常児のなかま集団』か、どちらが大事かという『あれかこれか』の論議に終始している。本当に大事なことは、『基礎学力』も、『なかま集団』も含めてほかにもいろいろある。『あれかこれか』でなく、『あれもこれも』の内容を豊かにイメージしてから、はじめて『ニーズ』ということばを使うべきだ」と反論し続けてきたのです。
 私は「障害」についての理解や知識、教育的技術等の重要性は充分に認識しています。そのための研鑽や工夫、教材作りにもかなり力を注いできたつもりです。しかし、障害児とつきあう時になによりも大事なことは、専門的知識や技術以前に、障害児を「ひとりの子ども」として見る目であり、「その子の生きる日常生活の中で『障害』の問題を考える」という姿勢なのです。その意味では、両親、きょうだい、担任、周辺の子どもの感性と提案がいちばん説得力を持つことになります。そのことを抜きにして、障害のことしか分かっていない専門家が主導権を持つべきではないというのが、私の反論でした。

●より重度な障害者にされないために
 昨今の養護学校高等部から作業所、施設へと道を敷かれてしまっている障害者たちは、「ノーマライゼーション」や「地域で」「自立」ということばに囲まれながら、その実「障害者の世界」における住人にされていっているのです。障害者として育てられ、障害者の中で働く。より障害者にされていく生活と言えないでしょうか。その終点が障害者ばかりの共同生活、「グループホーム」に落ち着きかねないのです。
 たしかに、以前のように、隔離された収容施設で生涯を送るという実態は減じてきています。しかし、街の中にいながらも、障害者がより障害者としてのみ生きさせられ、より重度な状態に追い込まれていっているのもまた事実です。
 日本の、とりわけ知的障害者のための福祉は、「我も彼もただひとつの道」しか認められていません。無意識にしろ、学者・研究者たちは、むしろ善意からその道こそ障害者のしあわせにつながると信じているフシがあります。障害者本人の思いや生活を、私たち健常者の思いや生活に重ねあわせてものを考えようとしないままに、政策や制度を確立しようとするからこのようなことになるのです。
 教員や指導員の障害者を見る目は、「この子らはこんな程度のものだ」という先入観に支配されていて、総じて能力的にはきわめて低いレベルでの主観的判定がなされていました。
 実際、障害者ばかりの集団では、障害者自身が規範や基準にするのはすべて障害者の言動です。すると、障害者相互間においても、また職員が障害者を見る目も、「これでいいのだ」「こんな程度のものか」という認識しか育ちません。結局はずるずると障害者特有の言動や生活スタイルが身についていくのです。周囲に「見本」となるべき一般健常者の行動規範がないものだから、お互いがお互いを低地にずるずると引きずり込むような状態になってしまいます。そこで、「障害者特有の世界」が成立してしまうというわけです。
 私が、「障害者がより障害者としての生活を強いられる」とか、「より重度の障害者にされていく」というのはこういう意味です。いまも多くの養護学校や「施設」を訪れた時に、しばしばこのように感じさせられています。
 将来像のイメージを豊かに思い描いていくためには、関係者や親たちが、まずは「常識」となっている障害者像や「ただひとつの道」像を打破するところからしかはじまりません。

早期療育で障害は「治る」のか?

 療育センターにセラピストとして仕事をしていた1980年~90年代にかけては、療育現場に「神経発達学的治療法」が大変はやっていたことがあり、どこもかしこも「早期発見・早期治療(療育)」の名のもとに乳幼児健診でも、保健師さんたちが必死に障害児を探しだそうと一生懸命でした。

 その当時の「早期発見・早期治療」のターゲットは「脳性まひ」でした。脳性まひの原因も先天的な場合は、よくその原因はわかっていません。なんらかの脳のトラブルということで、神経発達学的な理論で発達を促せば「脳障害は改善する」ということを小児神経科医やカリスマセラピストたちはさかんに提唱し、また専門家のその理論や治療手技に飛びつきました。
 1970年代に外国ではやっていた神経生理学的アプローチの一つである「ボバース法」や「ボイタ法」、1980年代になってからはそれに「上田法」なども加わり、(そのほかドーマン法などもありました)、業界ではどの療法を自分が利用して障害児を治療するかに躍起になっていました。
 
 とくに、ボイタ法を信奉する医師やセラビスたちは、乳幼児健診の場である検査手技を使えば脳性まひかどうかがわかるといって、リハビリには素人の保健師さんたちにも医師たちは研修会などでその手技を伝達指導しました。
 それは、1歳未満の乳児の四肢だけを持って空間で吊ったり、両足首だけを持って逆さづりにしたりする検査手技もあったり、一歩間違えば手が滑って床に乳児を落としてしまうような、見ている側にしてもよほど熟知していないと危険なものも含まれていました。
 しかし、当時は興味のある小児科たちの後ろ盾もあり、それが保健師さんたちの間にも全国的に広まっていきました。その結果、「脳性まひ」および「脳性まひの疑い」のある乳幼児が多数カウントされていきました。

 そこでそのように判定された乳幼児たちは、早い子で生後2~3か月くらいから療育センターに送られ、外来での訓練や母子入所をしながら(母親も家庭から離れ3か月母子で入所(院)です)、親も一緒に訓練手技を習い、退所後は自宅でも一日4回その手技を実行しなければならないという訓練法でした。
 
 当時、そうやって「発見」された「障害がある」と思われる対象児たちの中には、早期から訓練をしてもたしかに典型的な脳性まひとして成長するお子さんもいましたが、「疑い」のあるお子さんの中には、結果的に正常発達を遂げた子どもも多数おりました。
 そのような実績をもとに、業界は「ボイタ法で脳性まひは治る、あるいは早期に介入すれば障害は軽減される」とさかんに喧伝しました。早期療育のブームの時代でした。
 親たちも、そのような疑いをかけられたり、わが子に障害があると指摘されれば、何もしないということは親の責任を放棄するものと同義にとらえ、また専門家の圧力も今よりも大きなものがありましたから、自宅でも母親が訓練士と化して生活を忘れてまでさかんに「訓練づけ」の毎日を送る人たちも一部の親にはいました。それらは、今と同じように、「やらないで後悔はしたくない」という親心からくるものだったと思います。

 しかし、何年かのち、その子どもたちが学齢期以降になっていったときに、先のブームの火付け役の小児神経科医たちはその後、自分たちが早期療育を施した子どもたちのその後の生活がどうなっていったかのデータを全国的にデータを集め統計を取りはじめました。そしてその結果について各地の講演会や学会等では自分たちが提唱してきた治療法を一転して批判的な見解として述べるようになっていきました。
 「自分たちが、早期治療で脳性まひを正常発達させたと言ってきたが、最初からそういう子は脳性まひではなかったのかも知れない」と。また「正常発達の子どもでも筋緊張が高かったり、脳性まひの子が示すような発達を示す子どももいたかもしれないが、そういう子もみんな『障害児』としてカウントして、しなくてもいい訓練を強要してきてしまったのかもしれない。わらわれは早期療育の名のもとに、本来治療の必要のない子どもまでを対象として不安をあおってきてしまったのかもしれない」と。そして、「早期から訓練・訓練と必死になるのではなく、親がわが子との向き合い方をしっかり身につける方策をわれわれは今後指導していくべきなのではないか」と。
 実際に、一番早期治療・訓練を提唱していた先生だった方が、そのようなことを講演会で話されたので、びっくりしたことを覚えています。
 
 今、1970年~80年代にかけての早期治療ブームへの反省もあり、業界ではそれほど「障害児は訓練すれば治る」ということは言わなくなりました。そして、訓練だけがすべてではなく、あくまでも親と子の生活の中でのかかわりこそが必要なこと、そこに訓練的な要素も取り入れながらといったニュアンスで指導する風潮が強くなってきていると思います。
 それはとりもなおさず、早期発見・早期療育の時代に育ち、訓練を受けた脳性まひの当事者の言葉(今は成長してみなさん成人になっていますが)を聞いての反省からということもあります。
 「私たちは小さいときから歩く練習だとか、痛い思いをしながらも、“それがあなたの将来のため”と言われながら必死で訓練を受けさせられる日々だった。しかし、どんなに訓練をしたとて、体は正常になるわけではない。障害の克服のための訓練をさせられてきたけど、その同じ時間を私たちは自分たちが考える有益な方法で過ごしたかった」という当事者の声もありました。

 今、発達障害児への早期発見、早期療育がまたブームになろうとしていますが、中には幼児期に「発達障害」だと診断されるお子さんがまた増えてきています。ちょっと前までは「まだ幼児期のうちは障害があるかどうかなんてわからないから、診断は学齢期以降でないとわからない」と言われていたのにです。
 幼児期の診断根拠なんて、医師の主観がかなり入っているのではないかとすら思います。アスペルガー好きの医師はなんでも『アスペ』と診断するでしょうし、高機能自閉症が好きな医師な、『高機能自閉症』と診断するでしょう。ADHDもしかり・・。カナータイプのような典型的な自閉症のお子さんであればきっと長じても「自閉症」の特性をもちながらも、その子なりの成長を遂げていくことでしょう。特性というのは成長に従い変化したりまた強まったり弱まったりしながら、その子なりの「色」を作り上げていくでしょう。
 「疑い」レベルあるいは「自閉的傾向」のあるお子さんまでもが、十把ひとからげに「自閉症」と診断されていけば、おのずと何らかの訓練的配慮や療育を施し、その特徴的な症状が消えた時あるいは弱まった時、「自閉症が治った」ということに結論づけられるのだろうなと推測しています。

 私のセラピスト時代は「脳性まひ」でしたが、今は「自閉症」をはじめとする発達障害にそのターゲットが移っただけという気がしないでもありません。
 自閉症スペクトラムということばが今後統一化される動きもありますが、「スペクトラム(連続体)」ですから、どこからどこまでが障害でどこからが正常なのかの規定はないのです。

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特別支援教育の本質

増やされる障害児増やされる障害児
(2004/09/09)
宮崎 隆太郎

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 この本は「特別支援教育」が始まる前に書かれた本ですが(「特別支援教育推進体制モデル事業」を実施していたころに書かれた本)、2009年度からは全国すべての小中学校でこの体制を実現するようになりました。

 しかし、制度から4年目を迎えた現在の状況はどうなのでしょうか。モデル事業を実施したときのようにスムーズに特別支援教育が展開されているのでしょうか。
 この本の著者である宮崎先生は自身も障害児教育に精通してきた先生でもあり、大阪の教育行政にもかかわったことがある方でもありますが、この本の中では、今後の特別支援教育の意図とするところ(文部科学省の思惑なども含めて)を書いています。


(本文より)
 
 LD・ADHD・高機能自閉症の子どもたちは、今後はかなり充実した教育的・生活的状況に置かれていくことになりそうです。反対に、それ以外の障害児はノーマライゼーションやインクルージョンからはほど遠い世界に閉じ込められていくことになります。いわば、前者は「勝ち組」で、後者は「負け組」にされてしまいます。しかし、仮に「勝ち組」とみなされるLDたちだって、実は通常学級において「障害児」のレッテルを貼られて切り取られていった子どもたちなのです。子どものニーズに合わせた支援を、と耳に心地のいいことを言っていても、本当は通常の学級や担任の都合なのかもしれません。そういう意味では「負け組」かもしれないのです。

 診断名をつけられると、その子は周囲の人たちから固定的に枠づけした見方しかされなくなります。だれでもその子をとりまく状況や、周囲との関係の中で生活し行動しているにもかかわらず、問われるのは「その子の問題」だけなのです。そのことがどれほど危険なことか。すなわち、その子どもに対する決めつけが、その子の生活や一生を決定的に左右してしまうほどの影響力を持っています。ひとりの専門家の診断がその子の生涯をめちゃくちゃにし、まるで方向転換させてしまうことだってあるのです。
 きわめてあいまいな概念であるにもかかわらず、国をあげて専門家をして診断名をつけさせ、生活や一生を縛りつけていく。しかも、そのことを「発達」だとか「適応」「自立」「地域生活」「ノーマライゼーション」等のきれいごとのことばでごまかす。

 「通常の学級」、いわゆる普通学級に在籍する指導困難児の対策をそれぞれの学校と教師たちに任せておきたくない。それらを幅広くひとくくりにして教育行政の管理統制下に置きたい。―――特別支援教育とはそのような意図に端を発した文科省の悪あがきのようなものだと考えてもらってほぼ間違いありません。
 
 このような内容の最終報告によって、それまですっきりしなかった文科省の「障害児教育施策」がずいぶん明確になってきました。おまけに、普通学級における指導困難児たちのことも、「LD・ADHD・高機能自閉症」等のレッテルを貼ることで処方箋が仕上がり、一挙に問題解決です。ただし、そのおかげで障害児の数が急激に増加させられました。ちょうど、「うつ病」の意図的激増と同じ現象です。

●多くが説得されていく
 これまで障害児教育行政の関係者たちを悩ませてきた人たちがいます。地域で生き、ともに学ぶ教育を主張してきた一部の親や教師たちです。行政関係者に言わせると、彼らは過分な運動に煽られ流されているにすぎないそうですが、要するに「目障りな存在」ということになります。しかし、今回の特別支援教育ならこの頑迷な人たちをも説得できそうです。
 行政関係者だけではないのです。障害児教育・発達心理・医療関係の専門家たちにとっても、今回の提案ほど好都合なものはありません。これからは「統合教育」というわずらわしい論議をしなくてもよくなるし、専門家としての力量が問われることになるからです。
 本当の教育や福祉というのは、周囲のおとなたちにとって好都合、というようなものではけっしてありません。当事者である子どもたちにとってどうなのか、という問いかけが絶対必要なのですが、そのことがどこかに置き忘れられてしまっています。

●1960年代への逆行
 LDやADHD、高機能自閉症などの目新しい障害名が登場してきていますが、これとて数十年前の「MBD(注:“微細脳損傷“の略、1960年代ころに学習障害等の原因は脳の中での原因不明の微細な損傷によるものと定義づけられていました)」や「情緒障害」などの概念規定と同様にきわめてあいまいなものです。過去の流れを振り返っても、これらの診断名は専門家のその時々の好みの問題です。いまでも「多動」で「集中できなくて」、言語に異常のある幼児がはたして「自閉症」なのか「失語症」なのか、「LD」なのか、「ADHD」なのか、それとも情緒的ないらつきがあるのか、単なる「担任への反発」なのか、はっきり分からないことのほうが多いのです。だれかが「LD」と診断するから「学習障害」になり、「ADHD」と診断するから「注意欠陥・多動性障害」という障害児になるのです。
 また、専門家は「LDにはソーシャルトレーニングを」「自閉症にはTEACCHプログラムを」とパターン化したかかわり方しか考えません。むずかしい状態を持っている子どもであっても、その子をとりまく状況を考慮しながら、その子の日常生活の中でひとつひとつ着実に体験させるべきことを体験させ、ていねいに教えるべきこと、しつけるべきことをしつけ教えていくというあたりまえの、そして自前のかかわり方をしないのです。


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子どもの発達に「治療」はあるのか

 発達するというのは、平たい言葉でいえば「育つ」こと。ところが、今では各年齢段階ごとの発達が細かく取りだされ、それがその都度まるで生活の目標であるかのように考えられていることすらめずらしくありません。

 発達の治療(療育)の大きな誤解
 人が生きていくについては、そのときそのときの手持ちの力によるしかないのだという事実です。人はどんなに頑張っても、明日身につくかもしれない力で今を生きるわけにはいかないのです。しかし、生活の中から「発達」を取り出し、「遅れ」のある子に着目して治療的な試みを加えるとき、どこかで人はこのあたりまえのことを逆立ちさせて、まず力を身につけさせよう、そうしたら明日がよりよく生きれらる、というふうに考えてしまいがちです。そうした治療的かかわりは、たいていがうまくいきません。

 言葉がでなくてもでないなりに、子どもは今の手持ちの力で何らかのコミュニケーションをしています。大事なことは、その今の手持ちの力で今を精一杯生きること。もし言葉が伸びてくるものなら、まさにそこのところから伸びてくるはずです。
 育ちの原則は、本来単純です。人はみな今の力で今を生き、育つものはみなそこから育ってきます。「遅れ」への治療的発見は、まだ具わっていない力に注目して、それを人為でもって引き出そうとしますから、そこにはやはり無理がつきまといます。

 (浜田 寿美男 発達心理学者)

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「還る家」をさがす子どもたち

「還る家」をさがす子どもたち―「よくやってるよ」そのひと言がほしかった「還る家」をさがす子どもたち―「よくやってるよ」そのひと言がほしかった
(1997/05/01)
富田 富士也

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 もともと子どもは、親の負を背負っていても、そんなこと親も好きでそのように産んだわけではないことはわかっているので、言わないものです。そんなことを言ったら、親だってその親には言いたいものです。親がいかなる身になっても、子の自分を見捨てない、と信じ切っているからです。元をただせば、親の負を背負って子どもは娑婆を生きている。そのことを親は心に留めていてくれると思うからです。でも、苦しいとその親の気持ちを確認したくて言ってしまうのです。
 ところが、にもかかわらず、「お前が努力しないからできないんだ」と言われると、血が逆流するんです。みんな勉強しています。努力しています。だけど、できないものはできないということがあるのです。この子どもの心を親が受け止められないと、子どもは言いたくなるのです。
 「じゃあ、どうして強い子に産んでくれなかったのか」
 「頭のいい子に産んでほしかったよ」
 「だれが産んでくれと頼んだ」
と言いたくなるのです。元をただせば、 
 「親であるおまえのせいじゃないか。気の弱いのも、おまえの責任を俺が背負って生きていくんだよ。俺には責任がないのに、責任があるとしてそのリスクを背負っていかなければならない。それでも生きたいと思っているんだよ。」と言いたくなるんです。
 はじめから親の責任を追及する子はめったにいないものです。いまある自分の苦しみは、「親がすべての責任だ」と言い切ったアダルトチルドレンの話題も熱が冷めれば、みんなその真意に気づき、新たな親子関係をさがしはじめています。
 みんなはじめは自分で背負っていこうと思っている。その背負っていこうという気持ちを無視して、「おまえは努力が足りない」と言うから子どもは「それはないよ」と言いたくはないけど言ってしまうのです。だから子どもにこんなにまでして親を責めるような言い方をさせてはいけません。
 
 人は関係の中に身をおいているかぎり、必ず“言い訳”を持っているものです。だから事の善し悪しを安易に決めつけられたくはないのです。
 正直な思いを受け止めてもらえない経験を重ねると、報われなさが増幅し、話すこともあきらめたり、トラブルをおこすことが怖くなったり、うそをついたりしてしまうものです。話しても無駄だと思うのでしょう。それだけになかなか正直に気持ちを語れない子には、積極的に周りは話したくなるような聞き方を心がける必要があります。
 それには、親の不安(子どもの欠点や弱点)を打ち消すような尋問的な問いかけは後回しにして、まず「そうせざるを得なかった」気持ちを汲み取るような聴き方に努力してみたいものです。
 事実の前に、おこした気持ちを肯定してくれると思えば、うそをつく必要もなく、またその事実も謙虚に受け入れていけるものです。
 
 ・大切な何かを一つ捨てなければ、新たな一歩を踏み出せないときもある。
 ・正しいから何を言ってもいいというものではない。
 ・うそをつくのは自責の念と否定されずに安心して正直に話せる雰囲気がないからだ。
 ・「努力」の可能性は本人が決めること。他人が口出すことではない。
 ・症状や行動には必ず意味があると思い寄り添うとき、光がさす。
 ・人は心寄せてくれる人との出会いの中で生き直していく。
 ・時に人は寂しいとき、苛立ったり暴力的になる。
 ・「心」とは、関係の中でしか生まれない。
 
 人は成長する大事なところで否定ばかりされていると、人から認められていない、今の自分を確認するという悲しい体験の積み重ねをしていくことになる。そこで反発するエネルギーを出せる子はそれが励ましになるかもしれない。でもだれもがそうはなれない。
 その子なりの「努力」を称えるのは、「そのまんまの自分でいいんだよ」という周りの人からの肯定的な声かけである。今の自分に自信が持てない子にとっては、「励ます」言葉が傷つける言葉になることもあるのだ。

 大人は個別的な事情を持って生きている。しがらみ、思惑といったら少しあくが強すぎるだろうか。その中に無垢なまま子どもたちは放り込まれていく。だから、大人にとってその出会いは子どもの健気さ、純真さ、幼さ、かわいさの連続で、忘れていた子ども心が目を覚まし、娑婆の疲れを癒すことができる。
 そして、子どもは少しずつその境遇の中で人間関係の喜びとしんどさを学んで、その子なりの「色」を身につけていく。その「色」に対して親は自分の「色」を塗り込もうとして躍起になりがちである。それが「わが子かわいさ」といったらいいだろうか。「わが子かわいさ」があるから何としても守ろうとするし、その責任も求められる。だが、一方で、その強さが「押しの強さ」となり、子どもの人格をないがしろにする危険があるのだ。

(富田富士也 教育カウンセラー)


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患者・家族の思い

 地域リハビリテーションという雑誌に寄稿された理学療法士のかたの文章です。

 患者・家族の思いとは何であろう。
 われわれリハビリテーションに携わる専門職は、患者・家族の思いを具現化するためにチームアプローチで取り組む。そしてそのチームアプローチでは、チームの一人ひとりが常に患者・家族を中心とした思考を備えていなければならない。しかし、現実には多くの専門職がかかわることにより、患者・家族に対する専門職間の見解や個々の経験則による価値観の相違により、リハビリテーションの目標が患者・家族の思いと違う方向性に向くことがある。

 ある50代の男性は、数年前に妻を亡くし、ALSを発症してから社会人の一人娘と二人暮らしであった。疾患の進行により、主治医より入院を勧められたが、本人、娘さんは在宅療養を強く希望されたことから、訪問診療・リハ・看護・介護・入浴などの在宅サービスで二人の在宅生活を支援することになった。また、本人、娘さんには、主治医から延命の選択肢として人工呼吸器の必要性が説明されたが、本人だけは人工呼吸器による延命は望まない強い意思を表示し続けていた。
 一方、娘さんをはじめ医療者側は、本人に延命の選択をしてもらうことを是として懸命にその説得を続けていた。筆者も当初、本人の意思尊重を理解しながらも本人の意思が少しでも延命の方向に変わることが是であると思っていたが、本人と接し、話を傾聴しているうちに本人の思いとわれわれの思いがかけ離れていることに気づかされた。
 本人は、父親として娘さんの将来をとても気にかけており、延命の選択肢を拒んだその思いは、父親という立場と責任感から苦渋した決断であることを切々と訴えていた。その本人の決断から、われわれは延命することの責任の重さを痛感し、娘さんも含め、延命を望まない本人の意思を尊重し、自宅で看取る方針となった。
 数ヵ月後、男性は自宅で娘さんに看取られながら息を引き取ったが、後日、娘さんから「皆さんに父親の意思を尊重していただき、父親が安堵した表情で最期を迎えられたことは私と父親にとって充実した療養生活でした。そして、父親の思いの奥深さを感じながら一日一日を大切に過ごせたことを、心から感謝しています」との言葉をいただいた。
 患者・家族の思いは、われわれが思う以上に深くそして変容していくものである。われわれの思いが患者・家族の思いや価値観また、歩んできた人生観からかけ離れてしまってはいないか。



 今、担当させていただいている60代のALSの利用者の方も、ご自分の意思がはっきりある方です。
 球麻痺(嚥下・言語障害)が主のタイプですの方です。毎週1回友人に送迎されて病院へ言語リハビリに通っており、自宅でも毎日自分なりの口腔リハビリを実施しています。それだけリハビリを継続しているから症状も急速には進行していなかったのかもしれません。
 言葉は聞き取れないので要件はメールで行っています。コミュニケーション手段は今は筆談です。
 毎年、特定疾患の医療証更新の時期になると、保健所の職員と連携しながら書類の確認をしています。またお兼所の保健師さんも年1回は訪問してくださり、その際にも身体障害者手帳の申請などを進められるのですが、ご本人は身体障害者手帳の取得を拒み続けています。
 周りは、「なんで手帳がとれるのに取らないのか、手帳でトーキングエイド(コミュニケーション機器)の給付も受けられるのだから」と勧めても、「自分はまだ歩けるし、今のところ筆談で会話はできる。障害者というレッテルは貼られたくない」という意思が強く、私も今のところ本人がそれでいいならと思っています。
 しかし、最近は下肢の筋力の委縮もみられ転倒しやすくなってきました。飲み込みも以前よりもスムーズにはいかず、唾液が飲み込みにくくなってきています。
 保健師さんの助言もあり、訪問看護で口腔ケアも取り入れて頂くようにプランを追加しました(医療保険)。
 また、診察に同行した際に、主治医からは「今、体力があるうちに、胃婁増設の手術をした方がいいかもしれない。今後延命措置をするかも考えておいてください。」と言われました。
 当初は延命はしないと主治医には伝えていたようですが、やはりこのような問題は今後さけて通れない時期に来ることでしょう。 

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いじめ問題に思う

 いじめ問題がまたクローズアップされています。

 朝のワイドショーでいじめ問題を支援しているNPOの関係者がゲストに呼ばれて話していた内容です。

 「なぜ、いじめを学校がわは認めないのか?」

 「今のいじめ報告では、いじめがないことが前提の報告になっていて、それが学校の評価になる。正直にいじめの件数をあげ、その問題に真剣に取り組んでいるというプロセスや実績を評価したものになっていない」

 「いじめがあることを認めることは、その学校や校長の評価が下がってしまう。またいじめをだした担任教師は問題教師となり、指導研修の対象になってしまう。」

 「養護の先生なんかはいじめがあると思って対応していたのに、いざ親が訴訟をおこし証言台に立たされる立場になると、とたんに“いじめとは断言できない”と言い分がころっと変わるのです。」

 「訴訟を起こすと、おこした側が“いじめと自殺の因果関係を証言しなければならない”という。親は学校で何が起こっているかわからないのに、因果関係を被害者側が証言しなけれなならないという矛盾がある」


 教員といえども、所詮は組織人。聖職ということばは遠い昔のよう。結局文部科学省に追随し、教育委員会、学校長の顔色をうかがいながらでしか現場の教員は動けないのでしょう。

 「くさいものにふた」をしたがる管理職であれば、いくら一生懸命に取り組みたいと考える現場の教師たちも、かかわりの士気が下がってくるし、かといって一人で奮闘しても出る杭は打たれるで、結局みな保身に走ってしまうのです。教師だて月給をもらって生活している一生活者ですから・・。良心的な教員であればあるだけ自身の信念や理念と実際の現場の対応のギャップに悩むことかもしれません。

 いじめのある学校は、教員集団もチームワークがうまくとれていないか、管理職の事なかれ主義などにより現場の先生たちのストレスや不満も大きい学校のような気がしないでもありません。
 親の価値観もありますが(たいていは、人を蹴落としてでも学力を伸ばせ、人より抜きんでろとしつけられた子どもさんが自分より弱い立場の人間をターゲットにストレスを発散する場合が多いとか)・・・。

 その学校の管理職や教育委員会の上層部の人たちの価値観や考え方次第で、学校現場やその地域の教育行政の在り様は感じ取ることはできるでしょう。

 長男が小学校のころも、いじめ自殺の連鎖が世間を騒がし、当時の文部科学大臣が児童生徒一人ひとりにメッセージをだしたことがありました。

 当時の校長先生は、学校便りに連日いじめ問題をテーマに、今学校で起こっていることや学校の考えなどを保護者に情報提供をしていました。
 子どもたちにも、朝礼で「いじめはいじめられている本人がいじめだと感じたら、それはいじめだ。いじめは絶対許さない。この学校の全ての先生全員が相談にのるから安心して何でも相談しなさい」と話しているということや、実際のいじめの実態についても隠すことなく報告してくださいました。

 そういう学校側の意識や覚悟があるかないかということが、子どもたちにも保護者にも大きく影響すると思います。

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認知症対策

 介護保険の申請の目的の中でも、最近は「認知症」の高齢者の処遇についてが多くなってきました。

 高齢者人口の増加と比例して、認知症高齢者の増加も指摘されており、国をあげて認知症対策に取り組んでいます。
 その中の一つである「認知症サポーター養成講座」も、地域ぐるみで認知症の高齢者を支えようということで、出前講座を繰り広げ、認知症の知識の普及や実際の対応の方法などを一般住民にも併発する講座を開催しています。
 
 認知症サポーターは以前は100万人を養成すると言っていましたが、活動の効果であっという間に100万人は突破し、今では400万人まで拡大しようとしています。

 
 実際に認知症の症状がひどくなると病院でも、入院は長くできず(本来治療が必要であるにもかかわらず・・・)早めに退院してくれといわれたり、またもう少し入院していてもよさそうなのに、このまま入院が長引くと認知症になる可能性があるからと、高齢者はとにかく早めの退院を余儀なくされてしまいます。

 結果、家族は翻弄し、介護保険を申請し、在宅を選ぶか、施設を選ぶか、最初に二者択一を迫られてしまいます。施設と言ってもいきなり特老や老健などの介護保険施設は空きがなく、結果有料老人ホームや宅老所、小規模多機能型施設、グループホームなどから空いている施設を探しだすしかありません。費用も最低10万円~で20万ちかくかかるところさえあります。

 金銭的な負担もかけられず、高齢者のレベルからは在宅もなんとか過ごせるかもしれないと考えると、ケアマネジャーをつけて在宅のプランを検討してもらうわけですが、なんといっても一人暮らしや日中独居の場合に、誰も面倒を見る人がいない時間帯をどうするかという課題が浮き上がります。
 介護保険サービスだけでは認知症高齢者を支えることができません。デイサービスに行かない日や、ヘルパーの来ない時間帯に、徘徊したりする方もいらっしゃるからです
 
 そういう意味でも、地域で認知症の高齢者(その家族)を支えようと言う目的で認知症サポーターになったのに、実際は形ばかりのサポーターになっていないともかぎりません。

 地域性もあり、またその高齢者をとりまく地域の環境や関係性もあり、我関せずのところもあれば、隣人や民生委員さんなどがなにかと目配りしてくださるとこともありますが、大部分の方は、「あの人認知症になったんだってねえ・・。」「毎日徘徊していて危なくて交通事故にでもあったらこまる」「火の始末もできなく家事になったら大変」ということで、「なんとかしてくれ(地域にこのまま過ごさせるのではなく、どこか安全な施設にでも入れてくれ)」といった思いを抱いている人も多いということです。

 結局サポーターといっても一緒にこの地域で過ごせるように私達も協力しますという姿勢ではないような気がします。
 そしてそれは、この認知症対策を企画しているスタップ側でも同様のことが言える。
 表向きでは「認知症の高齢者も住み慣れた地域でいつまでも過ごせる社会を」とのスローガンを掲げて講座を展開していても、実際にいろんな案件や事例の相談が入ると、「認知症ってやっかいね・・・」的な視線や発言が垣間見える。

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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