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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

患者・家族の思い

 地域リハビリテーションという雑誌に寄稿された理学療法士のかたの文章です。

 患者・家族の思いとは何であろう。
 われわれリハビリテーションに携わる専門職は、患者・家族の思いを具現化するためにチームアプローチで取り組む。そしてそのチームアプローチでは、チームの一人ひとりが常に患者・家族を中心とした思考を備えていなければならない。しかし、現実には多くの専門職がかかわることにより、患者・家族に対する専門職間の見解や個々の経験則による価値観の相違により、リハビリテーションの目標が患者・家族の思いと違う方向性に向くことがある。

 ある50代の男性は、数年前に妻を亡くし、ALSを発症してから社会人の一人娘と二人暮らしであった。疾患の進行により、主治医より入院を勧められたが、本人、娘さんは在宅療養を強く希望されたことから、訪問診療・リハ・看護・介護・入浴などの在宅サービスで二人の在宅生活を支援することになった。また、本人、娘さんには、主治医から延命の選択肢として人工呼吸器の必要性が説明されたが、本人だけは人工呼吸器による延命は望まない強い意思を表示し続けていた。
 一方、娘さんをはじめ医療者側は、本人に延命の選択をしてもらうことを是として懸命にその説得を続けていた。筆者も当初、本人の意思尊重を理解しながらも本人の意思が少しでも延命の方向に変わることが是であると思っていたが、本人と接し、話を傾聴しているうちに本人の思いとわれわれの思いがかけ離れていることに気づかされた。
 本人は、父親として娘さんの将来をとても気にかけており、延命の選択肢を拒んだその思いは、父親という立場と責任感から苦渋した決断であることを切々と訴えていた。その本人の決断から、われわれは延命することの責任の重さを痛感し、娘さんも含め、延命を望まない本人の意思を尊重し、自宅で看取る方針となった。
 数ヵ月後、男性は自宅で娘さんに看取られながら息を引き取ったが、後日、娘さんから「皆さんに父親の意思を尊重していただき、父親が安堵した表情で最期を迎えられたことは私と父親にとって充実した療養生活でした。そして、父親の思いの奥深さを感じながら一日一日を大切に過ごせたことを、心から感謝しています」との言葉をいただいた。
 患者・家族の思いは、われわれが思う以上に深くそして変容していくものである。われわれの思いが患者・家族の思いや価値観また、歩んできた人生観からかけ離れてしまってはいないか。



 今、担当させていただいている60代のALSの利用者の方も、ご自分の意思がはっきりある方です。
 球麻痺(嚥下・言語障害)が主のタイプですの方です。毎週1回友人に送迎されて病院へ言語リハビリに通っており、自宅でも毎日自分なりの口腔リハビリを実施しています。それだけリハビリを継続しているから症状も急速には進行していなかったのかもしれません。
 言葉は聞き取れないので要件はメールで行っています。コミュニケーション手段は今は筆談です。
 毎年、特定疾患の医療証更新の時期になると、保健所の職員と連携しながら書類の確認をしています。またお兼所の保健師さんも年1回は訪問してくださり、その際にも身体障害者手帳の申請などを進められるのですが、ご本人は身体障害者手帳の取得を拒み続けています。
 周りは、「なんで手帳がとれるのに取らないのか、手帳でトーキングエイド(コミュニケーション機器)の給付も受けられるのだから」と勧めても、「自分はまだ歩けるし、今のところ筆談で会話はできる。障害者というレッテルは貼られたくない」という意思が強く、私も今のところ本人がそれでいいならと思っています。
 しかし、最近は下肢の筋力の委縮もみられ転倒しやすくなってきました。飲み込みも以前よりもスムーズにはいかず、唾液が飲み込みにくくなってきています。
 保健師さんの助言もあり、訪問看護で口腔ケアも取り入れて頂くようにプランを追加しました(医療保険)。
 また、診察に同行した際に、主治医からは「今、体力があるうちに、胃婁増設の手術をした方がいいかもしれない。今後延命措置をするかも考えておいてください。」と言われました。
 当初は延命はしないと主治医には伝えていたようですが、やはりこのような問題は今後さけて通れない時期に来ることでしょう。 

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いじめ問題に思う

 いじめ問題がまたクローズアップされています。

 朝のワイドショーでいじめ問題を支援しているNPOの関係者がゲストに呼ばれて話していた内容です。

 「なぜ、いじめを学校がわは認めないのか?」

 「今のいじめ報告では、いじめがないことが前提の報告になっていて、それが学校の評価になる。正直にいじめの件数をあげ、その問題に真剣に取り組んでいるというプロセスや実績を評価したものになっていない」

 「いじめがあることを認めることは、その学校や校長の評価が下がってしまう。またいじめをだした担任教師は問題教師となり、指導研修の対象になってしまう。」

 「養護の先生なんかはいじめがあると思って対応していたのに、いざ親が訴訟をおこし証言台に立たされる立場になると、とたんに“いじめとは断言できない”と言い分がころっと変わるのです。」

 「訴訟を起こすと、おこした側が“いじめと自殺の因果関係を証言しなければならない”という。親は学校で何が起こっているかわからないのに、因果関係を被害者側が証言しなけれなならないという矛盾がある」


 教員といえども、所詮は組織人。聖職ということばは遠い昔のよう。結局文部科学省に追随し、教育委員会、学校長の顔色をうかがいながらでしか現場の教員は動けないのでしょう。

 「くさいものにふた」をしたがる管理職であれば、いくら一生懸命に取り組みたいと考える現場の教師たちも、かかわりの士気が下がってくるし、かといって一人で奮闘しても出る杭は打たれるで、結局みな保身に走ってしまうのです。教師だて月給をもらって生活している一生活者ですから・・。良心的な教員であればあるだけ自身の信念や理念と実際の現場の対応のギャップに悩むことかもしれません。

 いじめのある学校は、教員集団もチームワークがうまくとれていないか、管理職の事なかれ主義などにより現場の先生たちのストレスや不満も大きい学校のような気がしないでもありません。
 親の価値観もありますが(たいていは、人を蹴落としてでも学力を伸ばせ、人より抜きんでろとしつけられた子どもさんが自分より弱い立場の人間をターゲットにストレスを発散する場合が多いとか)・・・。

 その学校の管理職や教育委員会の上層部の人たちの価値観や考え方次第で、学校現場やその地域の教育行政の在り様は感じ取ることはできるでしょう。

 長男が小学校のころも、いじめ自殺の連鎖が世間を騒がし、当時の文部科学大臣が児童生徒一人ひとりにメッセージをだしたことがありました。

 当時の校長先生は、学校便りに連日いじめ問題をテーマに、今学校で起こっていることや学校の考えなどを保護者に情報提供をしていました。
 子どもたちにも、朝礼で「いじめはいじめられている本人がいじめだと感じたら、それはいじめだ。いじめは絶対許さない。この学校の全ての先生全員が相談にのるから安心して何でも相談しなさい」と話しているということや、実際のいじめの実態についても隠すことなく報告してくださいました。

 そういう学校側の意識や覚悟があるかないかということが、子どもたちにも保護者にも大きく影響すると思います。

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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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