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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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障害児(者)を育てるとは?(4)

『ひろしくんの本(Ⅴ)』より

 〈博が好きな人とのかかわりの中で好きなことをしていく〉というかかわりについての私の考え方、生き方についても多くの批判があります。
 生きていく上で嫌いな人と出会うことが必ずあるので、それをのりこえていけるだけの意図的な経験をさせたり教えていかなければという療育や教育の現場の方々や親御さんの意見でした。この意見自体は健常者の視点でみている意見だと私は思っておりました。短期間で身につけさせたいという健常者のおごりがあります。
  
 博が20歳頃までは、私にも次々と「こうしたら」と様々な助言をいただきました。その度に即座に異を唱えることもできないので先生方との信頼を優先して教示通りに博と向き合いました。しかし、どれ一つとっても博の瞳が輝くまでに至りませんでしたから継続することは中止していました。
 私が博の瞳を信じて、かかわりを大切に生きるという信念をもてるまでには、ことばで表現しつくせない勇気と決断をことあるごとに私自身にもとめられてきています。ですから、時にはまわり道をしたり、博につらい思いをさせてしまったり、無駄なお金と時間を費やしたことも度々ありました。この数えきれない「無駄」と感じた体験をしたことが、今では私にとっての博の自閉症(=広汎性発達障害)の本質を見極める糧となっています。
 常に私が信念を貫くということは様々な既成概念との闘いであり、頑固と紙一重の勇気ある決断を求められています。それは今も続いています。

 最近、アスペルガーや高機能自閉症と診断された方々の著書を書店でみるようになりました。そこで私が着目していることは、私を含めて健常児者を〈定型発達の人間〉とみていることです。それほど健常者は、すべてものごとを一つの概念でとらえているからでしょう。広汎性発達障害の人たちは生まれた時から物の見方や思考回路というか考えていくプロセス(過程)が根本のところで違うということを「知識」として研究者も教育、福祉、療育の現場の方々は熟知しているはずです。しかし、現実の場面で博に話しかけたり、行動される時に(定型発達の人間)特有の体にしみこんだ概念そのもので対応される方が多いのです。博と過去の思い出を話す度に、博のパニックの大半は、そこに起因していたのだとわかり、「つらかったね、ごめんなさいね」とあやまっています。私自身も健常者として知らず知らずのうちに身につけてきた概念を今もとりこわす努力をしています。

 周囲の目には、長いこと親離れができない、べったりと甘えさせている過保護の母親として受け止められました。10歳の時には学校で校長先生から直接、親の鍛え方が足りないと注意を受けました。
 博の17歳から私は意識して感覚過敏の問題を積極的によりきめ細やかに大切にしてきました。特に大好きな方々とのかかわりの中で情感やことばの面が徐々に安定してきました。20歳を過ぎると年毎に成長が際立って目立つようにわかってきました。その頃からです。周囲の目は、過保護、処遇困難な子どもから一変して「自閉症でも軽い子ども」「特別な子どもだから成長した」と評価が変わりました。
 何でも鍛えさえすれば解決するという教育現場での既成概念は、今だに根強く残っています。よく「うちの子には過敏さはないの」と言い切る自閉症児者の親御さんや先生がおられますが、それだけ子どもの心を無視して健常者の視点で自閉症児者をふりまわしてきていることに気づいてほしいと思います。
 一方、わが子の過敏さに気づいていながら何も親としての対策をとらずに、自閉症児の感覚過敏や広汎性発達障害についての具体的な理解も方策もない学校の先生方の指示のままに、新しいことを同時にいくつも開始してしまう親御さんたちが多いことにも驚かされる昨今です。また神経が疲れ過ぎて眠れなくなるとすべての生活に影響してくるということを実感できない親御さんが多いことに胸が痛みます。わが子の神経の疲れを知ることができるのは親しかいないのです。
 健常者の感覚の自立や親ばなれとは全く同質の問題ではない即ち異質であるということを39年間、博と生きてきているからこそ私は今、提言したいと思います。

 学校の体育が苦手だった博が、15歳の時自宅から徒歩5分ぐらいのところにあるウェイトトレーニングジムに通い続けて今年25年目を迎えました。
 同じ15歳の時に、ベートーヴェンの第九を歌う会に参加し、来年で25年目を迎えます。
 太極拳は今年14年目を迎えましたが2006年6月に卒業しました。
 自宅に開設した博の菓子工房は昨年15年目を迎えました。
 日常のくらし全般にわたっても根気よく長続きする博をみて、ほとんどの方は特別なことだとおっしゃいます。 しかし私は決して特別なことではなく、それは博の生まれながらにもつ障害の特徴であるこだわり(固執性)と対人関係拒否の二つをまずプラス思考でいかすことを乳児の時から私ども夫婦が心がけてきたからです。
 私どもは、こだわりをプラス思考にいかす方法の鍵は、まず博が大好きな方々とのかかわりの中で、すべてを進めてきています。
 特に中学校を卒業してから「学校」というところにいっさい行かないで、15歳の時から博のくらしや成長のリズムにあわせて生涯にわたる余暇活動にまず長い時間を費やしました。この余暇活動も何か趣味を身につけさせたいとか習わせるという親の思いは毛頭ありませんでした。どれをとっても、博が選んだ大好きな方との関係がスタートになっています。
 私が教育や療育現場の先生方の動きで気になることは、子どもの状態を待てずに先生が先へ先へと判断して進めていくことです。
 自閉症児者のこだわりをやめさせたいと思っている親御さんや先生方が相変わらずいらっしゃることに疑念を抱いております。
   
 健常者は単調に繰り返すことを最も嫌いすべてを先急ぎしていく傾向がコミュニケーションの面でも出てきます。本来、博は日常のくらしが単調に限りなくシンプルに繰り返すこと、なぞること、そして先が明解ではっきりとみえることを望みます。それが博には何よりの安心であり、繰り返すなかで小さな発見をすることに喜びを感じているのです。
 それに反して多くの健常者は、日々好奇心と未知を知る刺激的な生活をもとめます。新鮮さの感じ方が根本のところで違うことを認識しておくことが大切です。
 

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障害児(者)を育てるとは?(3)

 『ひろしくんの本(Ⅳ)』より

 この37年間に自閉症に関する情報はあふれる程、増え続けています。研究や療法も一見進んでいるようにみえます。しかし、現実は個々の自閉症児のもつ個性や発達や、バックグラウンドとなる家庭環境にそぐわないマニュアル化した療法があふれています。また「完治する」と安易なことばをつかう療育者や研究者がおられるために翻弄される親御さんが増え続けています。

 どうしてこんなにも教えること、教えなければならないという概念にしばられているのでしょうか。健常児に少しでも近づけてあげたいという思いの先生や親御さんの多いことにも私はいつも気づかされています。
 自閉症児の世界は生まれたときから健常児と異なる世界をもちながら限りなくゆっくりと目に見えない程の小さな歩みでその子なりに発達していきます。そのことを親御さんと先生がまず理解することから、すべてがはじまると私は、博から教えてもらいました。

 自閉症と診断されてからの状態は、個々の表し方が異なっていても、対人関係の難しさやコミュニケーションの取りにくさ、こだわり、感覚過敏など障害としての特徴は誰にもあります。
 この障害が成人していく中で改善されていくとか完治すると私も聞かされたことがありますが、むしろ成人してからの博は、より強くこの障害と向き合っていかなければならないのだと年ごとに親子で自覚するようになりました。
 
これまでの私のおつきあいの中で感じることは自閉症児の興味の世界がファンタジーな世界が多いのに、この世界にどっぷり入れない先生方やヘルパーさんがおられることです。
 先生方は付き合う中でよかれと思って、こうしたら、ああしたらと先急ぎをする助言が多いのです。時には先生やヘルパーさんご自身の思いこみが激しくて博のリズムと合わないことがよくありました。中には自閉症についてわかったふりをされていますが、博にかかわる時の言動に何も理解していないちぐはぐな対応となり博がとまどっていることが私にはよく見えるので困りました。また研究者の方々からは、どこかで学校生活にあわせるための方策として博の興味の世界を利用して今のうちに○○に取り組んだらという助言がありました。ご助言の中にはご自身の研究上の興味の対象として博にさせてみたいというお心がみえることも数々ありました。しかし博はそういうことに直観的に反応して家族だけには正直に拒絶の表情をしていました。

 「この子の好きなことにいつまで付き合えばいいのだろうか」「こんなことを続けさせていたら変なくせがつくから、たった今やめさせるようにと先生から言われた」この二つの親御さんに代表される声が現在まで毎年私の手元に入ってきます。こうした感覚をもつ親御さんや先生方が今もおられるということが自閉症児に対する理解を送らせているのだといつも私は考えさせられています。
 子どもの興味の世界にとびこまない親御さんや先生方のかかわり方は、子どもにつきあってあげる何かをやらせてみたいという姿勢です。こうした関係で自閉症児者の世界を見る方々にとっては、とても幼稚な世界に見えてしまいます。
 私どもは四歳の時の先生の助言にこりて児童相談所の遊戯治療で通所している二年間は博の興味を詳細に報告しませんでした。当時の私どもは、姉と違う育ち方をする過敏なまでの博の見方、聞き方、感じ方すべてを日々のくらしの中で親も一緒に体感してみたいと思っていた時でした。だから外部の介入を拒否した時期でもありました。

 博の興味の世界にあわない方々がおられることを知らされたのは学童期から今日まで幾度となく博と私は体験しました。先生方やヘルパーさんは、博とうまくいかなくても他の人へという逃れ方ができます。そして時間がたつほどに忘れ去ることもできます。
 しかし対人関係の困難さやこだわりの障害をもつ博にとっては、常にどういう出会いをするかが問われるのです。恐れを知らないというか簡単にかかわる側の方々の博にとって不本意な入力をされたことを訂正するのは簡単なことではないということを認識していただきたいのです。私の決断が遅れるとその償いやアフターケアはすべて長い時間をかけて家族が背負うのです。
 また達成感〈成果)をもちたいと先急ぎする親御さんをもった自閉症児は不運としかいいようがない現実を私はみてきています。それだけに順風満帆できたのでなく博の興味の世界は博の発信できる環境を姉と私が守って来て本当に紙一重の決断だったことを今ようやく伝えられるところにきました。

 乳幼児期から思春期といわれる年齢までに、自閉症児自身が興味の世界でたくさんの完全燃焼できる体験をもつことが思春期を乗りきるエネルギーになること、そしてそれが生き生きとした表情につながる鍵になると私はいつも考えております。
 例えば博は零歳からクラシック音楽のレコードを毎日聞くことが大好きでした。私どもは四歳からそれまで以上に意識して大切にしました。レコードを買うことは博の医療費と位置付けて生活費を切りつめても最優先にしてきました。博が十三歳の時点で既に504曲聞いていました。博が二十歳になる頃には音楽のジャンルも驚くほど広がり曲数も増えていますが肝心なレコードはどれも聞きすぎてすりきれ、かけられない状態になっていました。それほど、聞き尽くしたのです。
 37歳の現在では年齢や障害をこえて同じ指揮者や演奏を好む一人の音楽愛好者としての交流があります。その方々が好きな新しい音楽を博も大好きになるというかかわりに発展したくらしができるまでになっています。
 これまで自閉症研究者が、どんなかかわりを自閉症児や親御さんともったのかと問いかけたいほど、〈自閉症児は思春期以後の予後が悪い〉という無責任なことばを流してきました。そのために毎年どれ程の親御さんを不安に陥れてきたかその数は増え続けるばかりです。
 
 博の興味の世界を一緒に楽しみ共感する中で博が心地よく燃焼していくためには、かかわる私ども家族のコミュニケーション能力を博から求められました。博の発信をただキャッチできる感度だけでは博は育ちません。私どもがいかにタイミングのよい「返し方」を博にしていくかを求められるのです。
 博の場合、一方的に教え込むことはいっさいしていまん。興味の広がりやステップアップしたい即ち燃焼していきたい博の発信を、博の小さい時ほど家族は、ひたすら待ち続ける気持ちも大切でした。こだわりの強い博が一つの世界に入ると数カ月も毎日延々と楽しむことが続きます。それを一緒に楽しむかかわりが大切なのです。つきあうという感覚では博に見破られてしまいます。
 
 自閉症児者の興味の世界を悪用する家族や先生方がおられることを私は聞いたり見たりしてきました。親御さんが、子どもさんの好きなことをしている間に家事をしたり、教育現場では気分をおちつかせるために、或いは他の子どもの指導する間にという先生方の興味の世界の扱い方も悪用しているにすぎません。
 ある著名な自閉症研究者に博が11歳の時にお会いしたことがあります。その時博のらくがきをご覧になって親の私が説明する前に、「一人で楽しませているだけだったら発達の変容にならない」と頭ごなしにおっしゃいました。確かに放っておくことは発達の変容になりません。それ程、自閉症児の興味の世界の中にどっぷり入ってかかわっている方がおられないということをこの時、私は逆に確認させていただきました。
 自閉症児者を理解するか否かは、この興味の世界にかかわる側の方々の質を問われることになるといっても過言ではないと私は思います。

 早期発見、早期療育で最初に出会うドクターや療育者が机上だけでの知識や浅い体験から出た指導でその後の成長をとめてしまっている瞳の輝きのない悲しい子どもたちに私はたくさん出会っています。何でも教え込みさえすればかなうと思っている、焦るというか走り過ぎる先生方や親御さんに強く訴えたいところです。

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障害児(者)を育てるとは?(2)

『ひろしくんの本Ⅲ』より

 
 博が中学を卒業して学校と言う名のつくところに行かない生活を始めて20年になりました。この20年の中で博にかかわって育てていただいた多くの方は「先生」と呼ばない地域の一般の方々です。みなさんそれぞれが具体的に博の行動のしづらさや特徴のある言語世界を理解し博の歩むリズムに合わせてご自分の方にひきよせず博の気持ちに寄り添って〈まつ〉ことが非常に上手な方々です。
 私がこの20年間で一番強く感じたのは、多くの先生方は忙しすぎて子どもの発信をまてないという現実です。また「子どもの発信や、動き出すのをまっていたら日がくれる」ということばも私はよく聞かされたのです。将来にわたってじっくりというより先へ先へと急ぐ助言や指示を出されて「学校在学中」に一人でできるようにさせたい、自立させたいという思いが強いようです。
 一人で料理ができる、洗濯ができるという何もかも一人づくめの「自立」ではなく、障害者も一人の人間として家族の中で役割をもち助け合ったり気遣い合ったりできる心を育てて長い人生を多くの方々と一緒に楽しく歩んでほしいと私は願いながら博と暮らしております。

 バスに乗る、公園に行くという行動のイメージがすっきり伝わるようになるためには、私がついでに買い物をしたり寄り道をしたり、私の都合で不定期にバスに乗ったりしては駄目です。博に徹底した二つのイメージがつかめるように同じ時刻のバスに乗り博とブランコに一緒に乗る、すなわちシンプルな目標でシンプルに親の私が意識して一緒に楽しむだけの覚悟と根気さえあればいいのです。これが育てることの「原点」でした。

 何歳まで・・・ができるようにとか、学期や学年単位でカリキュラムをつくり一定の評価や成果を求めていく学校教育には、とてつもない時間や回数のいる博がついていくことは無理だということをこの一年間の校外生活で学ばせていただくと同時に、くらしに関することや特に公共交通機関としてのバス乗りを一生かけて大事にしたいと夫婦で話しました。
 あれから三十年近くたつというのに、この間私のところによせられる学校生活に関する悩みは変わっていませんし、先生も親御さんも机のうえでの学習に力を注いでいる方が年ごとに多くおられることに驚いております。

 13歳1カ月までバス乗りは常に父親か私か姉が一緒でした。博の行動だけでなく家族が一緒に動くことで、いつも乗り続けているバスの中で運転手さんだけでなく乗客の方々の目に自然な形でうつということは博の障害を理解していただくうえでの最高の広報活動でした。
 交差点一つとっても単純なものからスクランブル交差点など、博にとってはどこに視点を合わせてよいのか、みることさえむずかしい自閉症の障害の特徴を私は博の目のみつめ方、動かし方から教えてもらい、博自身が判断できるようになるまで一緒に行動しました。それが多分、他人の眼にはいつまでも母親は博にべったりついて歩いているとうつりましたし、先生方からも「もう立派に一人で行動できるのに」とよく言われたものです。
 なぜいつまでも一緒に行動しているのかの内容について私に尋ねる先生がだれ一人としていらっしゃいませんでした。自閉症の子どもの目(視線)の使い方と理解の仕方に特徴があることをご存じの先生方には、こうしたくらしの中での自閉症児の具体的な理解をしていくまでの道筋をもっと感じ取っていただきたいものです。
  

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障害児(者)を育てるとは?(1)

『ひろしくんの本』より(深見憲 著)

 様々な療法が出てくることは子どもたちに福音をもたらしていると思います。しかし、その一方で自閉症児問題に限らず療育・教育面では多方面にわたってマニュアル化したり論理化してきたことで、子どもが本来もっている素朴な本能が軽んじられそれを価値のない見下げ方をしてしまう傾向がここ二十数年間、年ごとに強くなっているように思えてなりません。療育・教育者は理屈のうえにたって結構ですが、親御さんは理屈でなく子ども本来の素朴な遊びにかかわることが一番子どもにとって無上のよろこびのように思えます。

 療育方法にいたっては、様々な方法がマスコミに取り上げられては消えていったものもありました。その度にその時代に生きている子どもと親は、わらをも掴む思いで生きていますから、そうした療法にゆだねては翻弄されてきました。研究者や療育関係者は、様々な療法を担当している子どもたちに試みることができます。もし子どもによって適性でなかったとしても次の子どもに試みることができます。 
 しかし親は違います。わが子に受けた療法が失敗だったと知っても、どこにも訴えることはできません。本来のもつ障害の他に、専門家がよく言われる二次障害という育つ過程でできた不本意な障害をも背負って親子で生きていかなければなりません。
 これまで、でてきた療法の一つ一つは自閉症の障害そのものを完治させるものではないと、むしろ育てていく中での援助の一つだと私自身は考えてきました。だとしたら私は親として責任回避などしたくなかったし、後悔もしたくないので療法と名のつくものは現在まで、いっさい受けずにきました。

 自閉症児の治療・療育の現状をみていると、課題から課題へと先急ぎをして子どもが完全消化をしていないうちに、「もうお母さん、大丈夫、あなたが心配していることはない。もう十分育っている」と必ず提言されます。その指示どおりにステップアップを私はしませんでした。私は博の物差しをもったお蔭で博自身から出るサインがみえました。自信がつくまでは、博にたださせるのではなく一つの課題を常に一緒にしながら私がどこまで一緒にするのか、次に手をひいていくこのひき方を博の様子、表現、ことば、行動をみながら、コンマ以下の細かいステップで手をひいていく、この繰り返しのなかでの回数と時間は、先生方の指示より、はるかに越えたところでした。
 こうした目に見えない博にあったリズムのきめ細かさや繰り返しの大切さは現在の学校教育の現状の中では望めません。学校教育に見切りをつけた大きな原因は、ここにありました。社会生活に直結したことが家庭の日常の暮らしの中にはたくさんあります。

 興味を大事にする
 興味や関心ごとは、一見無意味そうにみえても本人にとっては最高に楽しい遊びであったり、陶酔して無我の境地といった感じのものまで様々なことがありました。それは13歳まで続きました。親にとっては、こんなことをいつまでも続けられたらどうしよう、早くやめさせなければと思うようなことばかりでしたし、「さあ、今日から訓練的なものや学習をさせたい」と思っている療育専門家や教育現場の先生方によっても、子どもが興味にとりつかれてしまうと本来の指導ができなくなるのでやめさせるという考えが、現在でも非常に多いようです。それに興味や関心を大切にしていく訓練は、実際とても時間のかかることなのです。早くトレーニングの成果を望む親や先生方には、そこまで根気よく子どもに付き合うことはできないことでしょう。
 博の場合、いつも無理にやめさせてもまた別のかたちで興味や関心は続きました。私どもは、一人でやらせっ放しにしておくのでなく親が一緒に付き合うところに大きな意味があると思っていました。ある時、著名なある専門家が、私どものこうした考えや実践してきたことに耳を傾けようともしないで、博のたった一枚の絵をみて、「無意味な遊びは発達の変容にならないからやめさせるように」と頭ごなしに言われたことがありました。自閉症の専門家であるならば、なおのこと一人一人の子どもと親の歩み方に耳を傾けるべきだと思います。それは療育専門家や現場の教師が、おごりをもったら自閉症の子どもたちの心の水面下にあるものが何もみえなくなってしまうこわさを時々感じたことがあります。
 自閉症の子どもたちが一番育ちにくいとされている情操と情緒は、親がまず子どもの興味と関心を大切にしていく中で育つのだと私は考えております。

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ある自閉症者の生活記録

 以前、わが子のことで相談したことのある、作業療法士の先生から紹介されていた本です。

  『ひろしくんの本』 深見憲(フカミトシ)著 中川書店

 著者は深見博さんという自閉症の息子さんを育てているお母様です。大分県在住で、現在息子さんは45歳ころになっているでしょうか。本はシリーズで1刊から6刊まであります。

 大分県で県内第2号の自閉症児として認定されました。当時はまだまだ自閉症に関する資料も療育・教育も行き届いていない時代にあって、夫婦は息子博さんの遠い将来を考え(地域で生活を送れること、中学い卒業後の趣味や生きがいを見つけること)、中学校の義務教育後は自宅で家族の関わりのもといろいろな地域の人々の支えのなかで生活してきました。

 そのなかで、「自閉症に特有のこだわりをあくまでも個性として受け止め続け、こだわりをやめさせるのではなく、こだわり行動を親も一緒に楽しみながら、わが子を地域に出し「自閉症とは?」などと親が説明しなくても親子の関わり方や子育てを地域の人にもみてもらうことでわが子に対する理解の輪を広げていった」とあります。

 乳幼児期のクラシック音楽へのこだわりが、長じて「市民第9を歌う会」への参加へとつながり、毎年10年以上も舞台で歌い続けていること。
 台どころの調理器具や料理へのこだわりが、手作りのお菓子・クッキー作りへとつながり、現在まで自宅で自分の工房を開き、予約制でクッキーを販売していること。(こだわりが趣味→仕事へと発展していったこと)
 幼少期に聞いた童話のカセットの響きを毎日のように聞いていたこだわりから、今では地域の行事などでも紙芝居を読む活動にも発展していっていること。
 毎日、同じ曜日・時間に父親とバスに乗ってデパート巡りをするなかで人との関係や、がまんすることなどを学びそれが、自分ひとりで挨拶したり行動することができる原点になっていったこと。
 30歳以降になってから、内面の豊かな世界を「言葉」で表現できるようになっていったこと。これまでの親の関わりや声掛けをしっかり記憶していて、昔感じた思い(親にしてもらってよかったことや周りの人たちから言われて嫌だったことなど)を成人してからいろいろなことを話してくれるようになったこと。そのころから内言語の表出がどんどんとびだし、今では日常会話には困らないくらいになっているとのこと。
 
 この本を読んでいると、いかにわが子のこだわりを大事にしてかなりスモールステップで親としてわが子に関わり続けていったのかがわかります。
 そして、あらためて自閉症の人が持つ思考や感性が健常児のそれとは違い、健常者の世界よりも豊かな内面世界を感性として築いていること。知的学習能力が低いことだけでその人間を評価してしまう今の感覚。情緒・内面世界にすぐれた自閉症者の感性を育てていけない社会の現実。
 自閉症者や発達障害の人たちの世界を本当に丁寧に大事に関わって行けたら、本当に豊かな精神世界が築かれるのに、今の学校教育や社会の進み方が早く、周りの人(専門家を始め、教師など関わる人たち)の感覚に合わせられてしまう。その矛盾
 今、3~40年前の時代とは違い、自閉症や発達障害に関する本も沢山あり、○○療法などを求め療育機関に子どもをゆだねる親御さんも多いと思います。
 他の発達障害関係のブログなどを読んでいても、「今日は○○児童デイへ、明日は××療育センターへ、そして障害児向けの塾へ・・・」などと子どもさんは細切れに親が決めた時間に追われてそれぞれの目的に応じた場所へ行かされているような感じのものもあるようです。そういう生活の中では本当に「じっくり腰を据えてわが子と関わる」という家庭生活の基本的なことがますますできにくいようになってきている気がしますし、子どもも次々とめまぐるしく変わるかかわり方の中で果たして本当の意味での内面世界を発達させていけるのかと感じるのです。
 

 でも、この本が書かれた30数年前の時代背景とも違い、今の発達障害児者をとりまく環境は逆に地域性の崩壊や個人情報の壁などもあり、地域で障害児がどのくらいいてどんな暮らしをしているかまではなかなか把握できにくい状況になって子育て全体が孤立している傾向にもあります。
 知識や啓発も増えてきているとはいえ、いまだにその療育や教育方法を巡ってはまだ親御さんたちにとっては納得できるものにはなっていません。
 現在の障害児子育ての本質に通じるものが多くあり、今の時代の子育ての在り方を見直す必要がありそうです。

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紹介します

 先日当ブログにコメントしていただいたよーすけさんが開設している掲示板です。

 私のブログでも紹介を依頼されましたので、よろしかったらのぞいていてはいかがでしょうか。
 
 http://dying.jp/(sheep社会問題局)

御用学者と官僚の思惑

 各省庁が考える施策や事業、制度を考える時には、たいていはその道の専門家や関係団体の代表者、有識者(学者など)を呼んで、諮問会議や○○審議会、××検討委員会などを開催し、官庁が事務局になってさまざまな意見を出し合い、たたき台をつくり最終案を○○制度の原案として国会に提出し可決されて初めて法が施行されることになります。

 これまで介護保険制度も3年ごとに見直しが図られて改正が行われてきました。最初は介護保険制度の周知もあり、とにかく制度を利用しようという啓発だったのが、次第に財政圧迫の抑制から軽度認定者をはずそうとしたり、新たに「介護予防」を別枠で考えるなどの施策を新たに出してきたり・・・。

 平成18年度から始まった介護保険改正の重要施策は「予防重視型社会」ということで、要介護状態にならないように高齢者は運動・栄養・口腔機能の改善に努めようといううたい文句で、デイサービスでもマシンを使った運動プログラムなどを積極的に導入していきました。
 その当時、この事業プログラムを主導したのは、長寿開発センターや某老人研究所(独立行政法人などの国の出先機関)の医師や理学療法士たちなどでした。
 しかし、その後この「特定高齢者施策」と呼ばれていた事業自体を毎年の補助金実績報告で国に実績をあげても全国的に高齢者人口の割合からしてほとんど費用対効果がないような実績は報告されていました。

 国はその中でも先進的に実践している自治体の情報や事業のやり方を「モデルケース」として実施したところには補助金を出すというふうにアピールしてきました。
 
 最初に、重宝されていた専門家たちの業績は今ではほとんどきかれなくなってしまいました。(当時は全国的にも講演したり、事業の創案者として業界でも名前が知れ渡っていました)
 
 

 話は変わりますが、教育の分野でも以前「ゆとり教育」ということがはやりました。もともとの構想では、単なる知識の詰め込みだけでなく、総合的に考える学力を養う「総合学習」も取り入れるということが目的だったはずでした
 しかし、「ゆとり」と言う言葉が授業日数の短縮や教科書のページ数の薄さなどばかりが強調され、結果的に「学力低下」につながるとの社会の批判もあり、国はまた方向転換をしていきました。
 当時、その施策を主導していた寺脇研さんは現在は文科省を退職し、大学教授や映画評論家などに転職していますが、彼が以前新聞のインタビューで「自分たちが本当に目的としてきたことが別な方向に解釈されてしまった」ということを述懐していました。
 実際に、また学校の授業では教科書が厚くなり教師たちの教えなければならないボリュームも増えてきています。本当は自分たちで考える力を養うはずのゆとり教育もまた詰め込み教育に戻ろうとしています。
 さらに、今また小学校から英語を取り入れようとか、中学校では武道が必須になったり、ダンスが必修になったりなどなど・・。

 結局、何が言いたいのかと言うと、その時点での施策と言うのは誰の意見が吸い上げられて最終的に決められていくのかということ。
 何か、新たな施策や制度、事業を実施していく際には、まず方向性や方針のなかで、官僚たちの考えと一致している外部機関の専門家や関係者団体や御用学者たちが招かれるしくみになっているのです。
 また逆に関係者団体や専門家たちから、これからはこういう方向性で制度政策を検討してもらえないかなどとアピールする場合もあり、それも国の考えとマッチしていたら、そこに予算を付けてくれるというようなしくくみになっています。
 
 チャイルドシート義務化の時は車製造メーカーがかなりプッシュしたはずです。
 新型インフルエンザの流行をあおり、ワクチンメーカーの働きかけで大量にワクチンを製造し不足を見越して海外までワクチンを受注して接種をよびかけましたが、大量の(億単位)のワクチンが余りました。(余っても買い取りしたことになり無駄遣いとなりました)
 今の教育現場で小学校から英語が必須だの、中学での武道やダンスなどといわれるたびに、その筋の業界関連の人たちが潤うことにもなるのでしょう。
 
 
 どの省庁にも御用学者という人たちがいるもので、たいていは今一番「旬」な人たちが重宝されるか、国の考えに追随している人が選ばれるかのどちらかなのではないかと思います。
 考え方というのは、一つだけではないのですが、結局そういう御用学者や官僚の思惑が一致してしまうと「専門家も後押ししているから」という根拠となり、それが制度政策としていつの間にか決定されているといったことはこれまでのやり方をみていても明らかです。

 そして、その「旬」が去ってしまうとまた新たな「旬」を見つけては「制度の見直し」と称して介護・福祉・教育などの分野ではコロコロと変わっていくのです。
 それに振り回されているのが現場ということです。

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発達障害の特性

 以前、ある研究所が主催する研修会で発達障害や引きこもり青年を支援している主催者の方のお話を聴講しました。
 たいてい、こういう研修会などでは、話の前段には必ずといっていいほど「発達障害児(者)の特徴(特性)」と称していろんな症状や言動、行動などのポイントが説明されます。

 「空気が読めない」とか「言葉じりをそのままに理解し、冗談が通じない」とか、「興味のあることとないことへのギャップが大きい」とか・・。

 その時の講師の説明のなかに、「教室で他の児童(生徒)が先生から叱られているとき、その口調や言動が自分にふりかかったように感じてしまい、学校に行かなくなる子」も発達障害の特徴だというようなことを言われました。

 最初の3つはたいていどの研修会に行っても、どの講師も口にしますが、あとの特徴も発達障害の子に多いとのこと。

 最初の頃は、自分自身もいろいろ子どもの特性を自分なりに学びたい一心で「なるほど」と納得もしたりしていましたが、実際のわが子を目の前にして毎日を送っていたり、ほかの子どもたちの言動などを見聞きしていると、これらの特徴なんていうものは、多い少ないの%の違いだけであって、普通の子(いわゆる診断を受けていない子)だってみんな持っているじゃないかと思うようになりました。

 次男も昨年は、担任の先生が他の児童を叱っている口調や、「宿題を忘れたら、目玉をくりぬくぞーー!」と言う言い方で指導する担任への恐れや不信感から学校へ行けない日が続いたことがありました。
 先ほどの説明を聞けは、「次男も発達障害なのか・・・」という不安も当然湧いてきます。
 いろいろ他にも思い当たる部分もあったので思い切って、発達検査を受けたことがありますが、結果は「明らかな発達障害としての特性は見いだせない」というものでした。結局「個性」の範囲内ということだったのでしょう。


 いろんなところで、発達障害に関する研修会を開催し、その都度それを聴講した親や教師、保育所・幼稚園などの関係者たちは、そういう話を聞くたびに「それって、うちの子もあてはまるから、もしかしたら発達障害かも?」「クラスのあの子も発達障害なんじゃないかしら?」と思わせる子は必ず思い当たるものです。

 そういう啓発や周知をすることが、理解につながる場合もあれば、逆に不安材料を提示することにもなりかねない場合も同時に存在してしまう現実があると思います。
 
 「空気が読めない」ことが本当に「問題」なのでしょうか?
 物事を判断する場合はどっちか一方がよくてもう一方が悪いという解釈ではなく、その場面での状況判断によるところが多いのですが、空気を読みすぎてかえって支障をきたす場合もあるかもしれませんし、必ずしも「空気が読めない」人が発達障害とは限らない場合だってあります。

 長い人類の歴史からすれば、これまでも今なら発達障害だと診断される人たちだって数知れず存在していたはず。(だいたい偉人と言われる人たちの幼少期はそんな特徴の人たちであふれているではありませんか)
 
 感受性が鋭ければ、教師の何気ない言動にも怖気づいたり、自分が叱られたように感じ入ってしまうことなんて当たり前だし、それが「発達障害」だからそうなるんだという解釈もどこか違うような気がしてしまいます。

 「学校に行きたくないのは、うちの子が発達障害だからなの?」と考えるか、「それだけ感受性が鋭い繊細な子どもなんだね」と考えるのかで、わが子に対する接し方って違ってくるかもしれないし、親が不安になっておろおろするのか、この感性を大事に育ててあげようとして親が子にとっての安心感的存在になってあげるのか?
 考え方によっては子どもを見る目が違ってきます。

 最近は「発達障害の特性」というものを説明される講演会や研修会などにはあまり興味がなくなりました。

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発達障害再考


 発達障害という言葉が社会の中に出てき始めたのは今から約10~15年ほど前。
 そのころは、まず「発達障害とは?」という概念を啓発したりすることに主眼がおかれてきました。
 
 その後「学校の中には約6%の確率で発達障害と思われる子どもたちが存在する。そしてこの子どもたちは“学級崩壊”の引き金になったり、“お客様”として勉強がわからないままに置き去りにされやすい傾向がある」との教育関係者や障害者関係の団体に所属している関係者や親たちの訴えにより、「発達障害者支援法」ができあがり、特別支援教育への流れとなっていくわけです。

 この10年間では発達障害や特別支援教育等に関する本はそれ以前と比べものにならないくらいに多く出版されたり、また各所で講演会が多く開催されていました。

 私もその当時は、自分自身の興味やわが子の実際場面での育児などについてヒントを得るべく、沢山の本を読みあさり、講演会があると聞けば積極的に参加もしてきました。

 親の会や発達障害の改善に熱心な親御さんは、「特別支援教育」にその救いを求め、学校比較や教師比較をしては、「あそこの先生は教え方がなっていない、だから自分の子は伸びないんだ」とか「うちの学校は校長の理解がないから、全然ダメ」「学校自体がこういう子たちにあまり熱心でない」「小学校は一生懸命になってくれるけど、中学校は関心なし」など集まるたびに情報交換をしていました。

 そして、義務教育終了後の進路、受験という問題がやってくると、「発達障害の子を面倒見てくれる高校があれば・・・」「将来の就労を考えて養護学校に考えている」等高校の情報収集にやっきになります。

 そして高校卒業後は、大学進学、就労などの問題が・・。

 発達障害という言葉は確かに世間には広まり、それなりに特徴的な症状などについてある程度は理解されるようにはなってきました。
 発達障害という言葉が社会にクローズアップされはじめた10数年前、その当時ターゲットにされた子どもたちが今社会人として就労の問題にぶちあたる年代になってきています。
 
 そして、あいかわらず乳幼児健診ではまたあらたな「発達障害」が疑われる子どもたちが見つけられ専門機関でそのような診断がつけられる確率も増えてきているような感じです。
 3歳前後で言葉が遅い、いつまでも母子分離できない、こだわりが強いなど、「個性」か「障害」かという境界を親たちも早く「診断」をつけてもらうことではっきりしたいと考えるからなのか、以前よりはいろんな媒体で情報を得ているせいかは分かりませんが・・。

 発達障害という言葉の啓発活動の結果として、逆にわが子が「発達障害」ではないかという不安感が親たちの心にはわきおこるようになってきています。
 昔は「個性の範疇だからもっと様子を見てもいいんじゃないの?」と保健所ですらそのような態度で助言していたことが、「経過を見るだけで何もしないのは手遅れ」的な助言にとってかわり、早期療育体制へ持っていこうとしたり早めに療育を受けたいと考える結果になったりと、ますます親たちを不安にさせてしまう・・・。

 
 この10数年経過した今でもまだまだ発達障害の人たちは、いわゆる健常な普通の人と区別された見方になっています。
 それは、日本の一般の社会のなかでは、「人に合わせて(空気を読んで、同調して)接することが社会性がある」とみなされるからです。
 そして大部分の就労の場ではサービス業をはじめとして、対人交流のノウハウが重要視されるがゆえに、当然そこが苦手な人たちにとって、社会自体が生きにくくもあり自分を「受け入れてくれない」という感覚を持ってしまうのですが、そういう社会を作り出している風潮自体が問題なのに、いつも発達障害当事者の「個性」が「問題視」されてしまいます。

 そして、それを指摘すのはまぎれもない数多くの書籍や有識者たちの講演会でもあるわけです。発達障害の人の特徴をこれでもかと言わんばかりにあげつらい、それがさも「問題」であるという。「問題」は「改善」される「対象」となり、また「改善」されないものは「投薬」などの医療のお世話になったり、「しかたがないもの」として取り扱われたり・・・。
 社会に受け入れられない「結果」としての行動や心理状態が、あたかも発達障害に「二次障害」があるかのごとき書き方で書かれています。発達障害には必然的に二次障害がつきまとってくるような・・・。
 
 発達障害者の就労の問題でも、「一般の就労者の働き方に合わせさせられる」傾向があるためにいろんなトラブルや問題も起きるのかもしれません。

 先日某新聞の中に、発達障害者が働きやすい環境作りに積極的に取り組んでいる会社の記事が掲載されていました。人とのコミュニケーションが苦手ならば、そういうことをなるべく話をしないでもいい仕事内容を与えたり、一人で作業できる空間を用意してあげたり、作業時間に細切れに休憩を入れてあげたりなど、その人も一戦力として活躍できるような配慮をいかに用意してあげるかというテーマでした。
 発達障害だって、優れた能力を発揮してほしい、そのためにはいわゆる一般の人たちに障害者を合わせるやり方ではなく、発達障害者の人たちの仕事の仕方に周りが合わせていくといった考えです。
 
 発達障害が一般の人(いわゆる診断がついていない人)よりも格下という感覚がどこかかしか「普通」と言われる人たちの心にあるのではないでしょうか。
 「発達障害の人たちへの理解を」と訴える人の心の中にも「面倒をみてやってほしい」という意識が働いていないといったらうそになるかもしれません。権利意識を主張する親御さんの中には「障害があるんだから面倒をみてもらって当然」と考える人もいるようです。
 またそういう子をかかえる親としては、どこか心の中では堂々と周囲の人たちに子ども自慢できるまでの心境にはなれない(決して卑屈になるという意味ではありません)というのも正直な心模様でもあるかもしれません。
 家庭の中で発達障害があろうがなかろうがわが子はわが子で大切な存在ということに変わりがなくても、外部には「面倒をみてもらう立場だからあまりあれこれ要求ができない、(学校の先生にも)いつも“すみません”と親の方が低姿勢で接してきた」という親御さんもいました。


 これからの社会では発達障害の人たちの「個性」や「特性」を逆にいかんなく発揮できる社会にすることのほうがむしろ必要になってくるのではないでしょうか。たくさん「障害者」をつくって福祉の恩恵の中で生きていく人たちをつくるのか、「障害」の特性を多いに発揮してもらって「税金を支払う一員」として社会の中でも堂々と生きていけるような人をつくるのか・・・・。
 いつまでも発達障害の子どもたちが将来にわたって「面倒を見てもらう存在」から自分たちの「個性」を逆に売り物にして芸術や一般の就労の現場でも活躍していける社会にすることこそが真の意味での「発達障害者の理解」につながっていくのではないでしょうか。
 もう「支援」という言葉がなくなっていけるくらいに発達障害の人たちもそれぞれの「個性をもった人間」として同列に扱われる世の中になっていってほしいと思います。
 ひとりひとりがそのような意識が問われていくのだと思います。

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出生前診断について思うこと

 最近、出生前診断という言葉がクローズアップされるようになりました。

 タイムリーに朝日新聞やNHKのTV番組でも、東尾理子さんがインタビューに応えているのを目にしました。

 彼女が血液検査でお腹の子に「ダウン症」の疑いがあることも否定できないかもしれないことなど、マスコミなどもこぞって話題にしています。
 しかし、新聞やTVでの発言を聴いていると、彼女は最初から障害の有無を確かめたくてその検査を受けたわけではなく、お医者さんの勧めもあり一般の妊婦健診の一つとしてその血液検査を受けたこと、その結果、そういう指摘をされたことを話していました。
 さらに、障害の有無を確認したい場合は、羊水検査を受ける必要があるが、その時の選択は彼女にはなかったそうです。
 「羊水検査を受けることは、障害の有無を確認すること。障害があるとわかった時点で産むか産まないかの選択も一緒についてきてしまうことになり、私には“産まないという選択”はなかったから検査は最初からしないと決めていた」
 それに対し、夫の石田純一さんは「障害を持つ子をこれから育てていくに当たって、親としてこの子より先に死ぬんだから、その子の行く末も考えてどう判断するかも含め、羊水検査を受けた方がいいんじゃないか」と助言したそうです。
 しかし、理子さんは「その時はそのときでなるようにしかならない」と比較的楽天的にとらえているようで、何よりも絶対産みたいという思いの方が勝っていたようです。結果的には妻に従った夫。

 彼女は、司会者から「どうしてそういう思いになったのか?」との質問に、「10年近くアメリカで暮らしてきて、向こうの社会の中にはダウン症も知的障害の子たちも地域の中に自然に溶け込んで生活していたし、そういう社会の中で自分も過ごしてきて、“障害を持っていようが普通にみんな暮らしているし、まわりもそういう目でみてくれていた。そんな経験があったので、自分に障害を持つ子を授かったとしてもそれが不安やいやだという感覚ではない。どんな子でもわが子として当たり前に受け入れたい」と答えていました。

 彼女のように有名人でこれまでさんざんマスコミをにぎわしてきた情報などからは、いかに彼女が子どもを産みたいかの心境などは痛いほど伝わってくるものがありましたが、いざ目の前の「出生前診断」というテーマにぶち当たった時の態度でもぶれずに、“絶対産みたい”という彼女の潔い決断になんか芯がしっかりした考えを持っている方だと感じました。

 「最初の血液検査がどういう意味を持っているのかわからないまま受けてしまい、あとでその意味を知ったけど、もし確定診断としての羊水検査などは最初から私の考えにはないことだった」と言っていました。


 こうした医療技術の進歩により、今ではいろんな病気の早期発見や確定診断なども妊娠期から可能になってきました。受けるか受けないか、また受けた時に「障害児が生まれる確率がある」と分かった時の判断は、それぞれの夫婦やそれをとりまく家庭の事情にも左右されたり、妊婦自身の価値観が大きく影響します。

 実際の例ですが、仕事で関わっているある所属の事業所の女性が最初の子を妊娠し○○月には出産予定として周囲にも報告をしていい時期に来ていたときに、私にもその所属の上司から連絡をもらったことがありました。
 しかし、数ヵ月後にはまた職場に復帰していました。
 そこの上司からは「お腹の子に重度の心臓病があるとわかって産むのをあきらめたようだ」と聞かされました。
 まだお腹が目立っていない時だったので、彼女が妊娠していることを知らない人ももしかしたらいたかもしれません。
 ただ、一つの結論として彼女は“産まない選択”をしたという事実。

 「障害を持つ子だからと言って産まないとは何事だ。偏見ではないのか」という反論はむしろ障害を持つ子を育てている親御さんなどに多いのかもしれません。
 さらにそこでいつも議論になるのは障害当事者からの反論。「僕たちは生まれてこない方がよかった人間なのか」という論争も・・。

 一個人の産む・産まないという判断や選択が、いろんな社会的な課題にまで影響を与えるのかもしれません。
 
 アメリカのように本当に障害を持った人たちも「ごく一般の普通の人」と同じように社会の中で当たり前に生きていける基盤があれば(外国の絵本の中では車いすの子もごく自然に健常児と一緒に描かれていると言いますが、日本の絵本は“障害者向け”のように一般の絵本と絵の内容もテーマも分けられたものが多い)、理子さんが言っているように人の価値観の中にもそういうものとして障害者をとらえる感覚がしみつくのだと思うと、この国(日本)ではそういう人たちをまだまだ「区別された人」という感覚でとらえている傾向が依然として続いているような気がします。

 いくらきれいごとを言っても、障害を持つ人たちが一人前に認められて社会生活を送れるだけの経済的基盤の少なさや周囲の偏見も未だに残っている社会の中で、今の若い親たちが「出生前診断」を選択してしまうという揺れ動く思いも実際にはあるのかもしれません。
 
 
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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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