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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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支援者の人間性

 人が人を支援するというときに、ともすればどっちかが「上」でどっちかが「下」の立場になってしまっては、「する」「される」だけの関係になってしまう。
 本来、支援とは一方だけが与えるものではないだろう。

 ボランティアと同じ考えでいけば、支援する方も実は「支援されている」とも言えるのではないでしょうか。
 
 支援するとは、突き詰めていけばお互いの信頼関係や関係性のなかでこそ効果を発揮するのであり、そこに「○○してあげている」と言う発想があるとしたら、その支援は本当の支援ではないと思う。
 しかし、そこのところを分からない(感じない)支援者が多いのは残念なこと。
 自分たちの支援こそが正しい方向性だと言わんばかりの自負心ありありの支援者たちが少なからず存在するし、専門職としての自負が強すぎて、「私のやり方が一番正しい」と勘違いしている人も一部には確かに存在する。
 周囲のスタッフも、そういう「強い人たち」にあからさまには批判できず、「さすが○○さんだものね。このケースは○○さんでなければできないですね。」とおもねることで、ますます本人は謙虚さを失い自信過剰となって突っ走る。

 そういう支援者によくありがちな傾向として、相手の支援のやり方が自分の方針と違っていたりすると、その違いを認めるということをせず、「それはちがうんじゃない?」と批判的な評価を相手にもくだしてしまうこと。

 そして、他人の批判には長けている。「あの人はこういう性格だから」「あの支援者は力量がない」「あの人の対応っておかしい」などと、いつも相手を決めつめた見方。自分のフレームを通した対人評価になりがち。
 
 そういう人の会話を聞いていると、どうもその親の育てられ方にも起因すると思われるふしを感じる。
 ある支援者は言う。「私は、自分の親からいつも“お前にはいくらお金をかけたと思っているんだ”と言われて育ってきた」という。あるがままの自分を認めてもらえず、絶えず他人と評価され、「お金をかけた分だけ(親に)応えよ」と、条件付きの愛情の中で育ってきたのだろう。
 彼女は親と同じ職業に就いたことで、親を見返してやりたいと思うのか、とにかく自分の親をもライバル視しているような言動も聞かれる。
 一見「できる人」「有能な人」に見えるかもしれないが、その深層はいつも自分に自信がない。絶えず人の評価を気にし、自分の価値観を人にも押し付ける。皆、心では「そうじゃない」と感じても、彼女の前では同調しておかないと厄介になると思い、顔と心が反対の態度になるから、ますます周りもストレスをためこむことになる。
 自分とは違った相手の感じ方を全否定し、自分の考えに同調する仲間を増やしたがる。
 物事の価値基準は、親の価値基準をそのまま受け継いでいるから。「進学校に入り、人に認められるような職業に就く。公務員や教師などある程度権威的な仕事に就くことをよしとしているし、自分の子にもそういう人生を歩ませたい」とも思っている。
 だから自分の価値基準にない人たちへのかかわりにおいて、何気く発する言葉の端々に弱者蔑視の言動がきかれる。

 小中学校では頭がよく、優秀で過ごし、高校も進学校に進み、大学もそつなくこなし社会的に認められる資格を求めて福祉・医療・教育機関などで仕事をする人の中には、けっこうこういうたぐいの人たちが少なからず存在する様な気がする。

 最近、支援者の資質というものは、資格をもっているということではなく、社会的に権威のある機関で勤めているからということでもなく、どのような立場にある人間でも、「一人の価値ある人」としてのまなざしや尊厳を持って接してくれるかという人間性によるところが一番大きいと思う。
 
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家庭の問題をオープンにできるか

 特にこのご時世のなか、個人情報や親族とのかかわりの薄さもあったりで、どうしても家族だけ、あるいは一人で家庭内の問題を抱え込んでしまう傾向もあります。

 親もわが子が小さいときは、子どもの問題を家庭内でその都度解決しながら一緒に生きてきた人生があります。
 それが、次第に子も成長し、生活上の問題などが新たに出てくる場合があります。
 子ども自身の病状だったり、社会性の問題だったり、経済的な問題だったり、親の病気や障害だったり・・・。
 そして片方の親の死だったり・・。

 それまで生きてきた生活環境の中で、親の価値観や性格もあるでしょうが、それまでの地域とのつながりがどうだったのかということも大きな要素を占めます。
 知的障害や精神障害、発達障害や不登校・ひきこもりなどを子に持つ親としては、それまでの地域生活の中で家庭や家族の内情を地域にオープンにできぬまま子が大きくなるまで家族だけで抱え込んできている人もいると思います。
 今は、さらに「個人情報」の壁などの問題もあり、本人、家族自身があまり外部に家庭の事情を話したがらない傾向もますます強くなってきています。
 そのことの是非を問う前に、そういう家庭の事情をオープンに話せないという地域性や地域の人の眼(偏見)なども微妙に感じ取るがゆえのことかもしれません。
 
 親と子だけで抱えていた問題が、親だけでは抱えきれなくなったとき、親の方から行政なり支援機関に相談に行く場合もあるでしょう。
 また、あえて家庭の事情を他人に気付かれまいとしてぎりぎりのところで頑張って、結局は頑張りきれずに「ことが起こってしまう」という場合もあります。
 また、当事者の知らないところで、地域の人(町会長や隣人、民生委員など)からすでに「気になる家庭」として相談機関に情報が上がっている場合もあります。
 
 そういう時期に相談が入ると、まずその家庭や当事者の情報や周辺情報を収集して支援者は何らかの対応にあたろうとします。
 そして、たいていはそういう弱い立場にある家族や当事者に対して、自分たちの支援者の立ち位置から見た評価を下しがちです。
 「統合失調症とはこういうもの」「知的障害とはこういうもの」といった目線からのかかわりになる傾向が強い人は、最初からそういう人たちをレッテル張りした見方で対応しようとします。
 また自分たちの支援のルートに乗せようとする傾向が強い支援者も少なからずいます。

 確かに家族の障害や問題をオープンにしないで生きてこられたまではいいのですが、ある時期からはどうしても誰かの支援が必要になってくる時期がくることかもしれません。
 しかし、それまで周囲にオープンにしてこなかったのは、それなりの家族の価値観や思いもあったからでもあります。
 最初から子どもの障害のことなどをオープンに話せる地域的な土壌や社会の偏見などがなければ、そうしています。
 しかし、支援する側も「精神障害」や「知的障害」者に対して、支援者側自身にも偏見があったりすると、その支援者に対してすら心を開きたくない心境になる場合もあります。
 そのような境遇にある当事者としては、これまで必死で頑張ってそういう障害を持つ子を抱えながらの人生を歩んできたということに対して、少しは尊厳の気持ちで接していただきたいと思います。
 ただでさえ敷居の高い相談機関に足を運んだのです。「なんで今まで相談に来なかったのか」ではなく、これまでの親子の人生に寄り添った支援をしていただきたいのです。
 
 我が家の場合も長男の発達障害については、当初は学校と家庭と医療機関のみでの情報共有だったけれど、思春期を迎え、これから先の地域での生活を考えると、やはり地域の人たちにも長男の特性や障害のことは知っていただき、理解をしていただく必要があるなあと最近は感じています。
 町内会の一部の人にはそのことを伝えるようにしましたし、町内の一部の親御さんや親戚筋には伝えるようにしました。
 
 オープンにしなければしないで、周りはいろいろとあらぬ噂を流しますし、知らないところで関係機関に我が家の情報が伝えまわっていたりするかもしれません。
 それだったら、最初から我が家にはこういう特性を持った子がいることをしっかり伝えて、親としての子への関わり方や価値観などもしっかり伝えて理解を求めておくことも今のうちにしておかなければいけないのかもしれないと・・。

 
 仕事をしていて、同じような境遇の家庭の相談を受けるときに、いつも感じることです。

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弱者にやさしい会社の話

“弱者”にやさしい会社の話 大事なことを教えてくれる14の企業の思いと経営 (KINDAI E&S BOOK)“弱者”にやさしい会社の話 大事なことを教えてくれる14の企業の思いと経営 (KINDAI E&S BOOK)
(2010/09/25)
坂本 光司、坂本研究室 他

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●元気な企業の条件は弱者にやさしいこと
 弱い立場にある人々にやさしい企業、弱い立場にある人々を支援する企業の方が、市場の評価を受ける。

●企業経営とは5人に対する使命と責任を果たす活動    
 第1は、社員とその家族
 第2は、社外社員とその家族
 第3は、現在顧客と未来顧客
 第4は、地域社会・地域住民(とりわけ困っている人々、助けを求めて入る人々は重要。例えば障害のある人や高齢の人、母子家庭の人や一度何かで社会的制裁を受け、社会への復帰を願っている人など)
 第5は、株主・出資者
 とりわけ重要なのは1から4までの人。

●障害者が抱える問題から逃げていないか 
 障害のある人は、絶対的に雇用の場がないのです。その結果、特別支援学校を卒業しても、一般企業に就職できる人は少なく、多くの人は、働く意欲、働く能力があるにもかかわらず、作業所と呼ばれる福祉工場で就労したり、あるいは1年の大半を施設や自宅で暮らしているのです。
 人間の幸せは「人にほめられること」「人に必要とされること」「人に喜ばれること」「人に愛されること」の4つといわれます。つまり人間の幸せ働くことを置いて得ることができないのです。
 人は皆、幸せになるために生まれ、生きています。
 もしも自分の家族に障害のある人がいたら、あなたはどうしますか」と、私はいつも問い続けています。

 障害者の会社という形容をはずしたい

障害者雇用が7~8割を占める株式会社スワン 
 障害者の自立支援を目的につくられた会社ですが、その経営については一般の民間会社と同じだと言います。
 特例子会社といえども、黒字にし、税引き後利益を積み上げていく必要はある。それには経費を上回る収入を上げなければいけない。「そうでなければ本当の意味での障害者を自立させることなんてできないから」
 「利益も上がらないような事業で、補助金に頼って会社をやっていて、それで何が障害者の自立だって思うんです。そこで働く障害者が自立したと言えるためには、その会社自体が経済的に自立していなければおかしいでしょう。補助金がなければ成り立たない会社は、障害者を雇用することはできても、それでは彼らを本当に自立させたことにはならないということです。」

●「人の善意に期待しない、普通の経営者になれますか」 
 「障害者の店なんだから、してもらえることはしてもらって、買ってもらえるものは買ってもらって、助成してもらえるものは助成してもらって・・・」という考えのところは(フランチャイズの出店希望を)お断りすることになります。
 「障害者の店をつくるなんて簡単なことなんです。店を開いて障害者を雇えばいい、それだけのことです。だけど、それを持続することは難しい。一番困るのは、せっかくつくった店をつぶしてしまって、そこで働いている障害者の行き場がなくなってしまうこと。それだったら最初からやらないでもらいたいんです」
 「あなたは、人の善意に期待しない、普通の経営者になれますか」ということ。
 誰かに頼るのではなく、自分で責任をもって経営にあたる。そういうスタンスで臨んでこそ、障害者の自立を支えていくことができるということ。

●「初日からほめる」「指示を控える」  
 障害者と言うのは、子どものころから自己否定の塊で育ってきている人が大半だといいます。「○○ちゃんはできるのに、あなたはできないから・・」と言われ続け、「自分はダメだ」「自分は何もできない」と思い込んでいるのです。
 そんな障害者を働き始めた初期の段階でほめることで、「今の自分でいいんだ」と思わせる。これによって、後々の伸びが全く違ってくるのだそうです。
 
 社員の戦力化イコール、自発的な意思決定力を引き出すことだということ。そのためには障害のある社員についても、指示をできるだけ減らし、自分の判断で仕事ができるように持っていくこと。

 I君という知的障害のある社員のそばを張り付いて、I君の仕事をただ逐一チェックするだけの健常者の社員がいたそうです。梅津さんは即刻、その仕事をやめてもらいました。
 するとどうなったか。もちろん、仕事に特別な支障は生じませんでした。それどころか、そのチェック係がいなくなった2週間後に、I君がこんなことを言ってきたそうです。
 「ぼく、明日から休みなんだけど、この仕事は誰がやるんですか。」
 それまで、I君からそんな質問をされたことはありませんでした。おそらくI君はずっと、お母さんに「せっかくスワンに勤められたんだから、グズグズしないで、ちゃんと行きなさい」などと言われて仕事場に来ていたのだろうと思います。言ってしまえば義務感で働いていたのです。
 それがチェック係がいなくなり仕事を自分に任されたことで、義務感が使命感に変わり、当事者意識が生まれた。I君は変わったのです。
 
 Mさんという精神障害のある女性がスワンに勤めることになりました。スワンに来る前にもいくつかの職場にいたそうですが、どこも長くは勤まらなかったということでした。
 梅津さんがMさんのお母さんにヒアリングしたところ、前にいた職場では「うちは精神障害に対して理解のある会社ですから安心してください。つらかったら、いつ休んでもいいですよ」と言われたそうです。
 この話を聞いた梅津さんは、Mさんがその会社を続けられなかった理由がわかったそうです。スワンなら絶対に「いつ休んでもいい」などとは言いません。
 梅津さんは、Mさんとそのお母さんにこう言ったそうです。
 「体調を考えて短いシフトにしているのですから、簡単に休んでいただいては困りますよ。仕事に穴があいてしまいますから」 
 Mさんについてはもともと、体調を考えて短時間のシフトで仕事に入ってもらうことになっていました。ただ、たとえ短時間でのシフトであっても、その時間にはあなたは絶対に必要なのだから、ちゃんと来てもらわなくては困るという話をしたのです。
 スワンに勤め始めたMさんは、ほとんど休むことなく、いまも元気に勤務を続けています。
  
 こうしたエピソードは、スワンにおける障害者雇用の考え方ややり方をまさによく表していると思います。
 障害者にとって、何が本当にためになるのか。そこから学ぶべきことは多いでしょう。
 「スワンでは障害者に対し、業務知識以外に、“たくましさ”と“やさしさ”を教えている」と梅津さんは言います。
 障害者にはやはり自分でできないこともある。そうした自分でできないことについては、人を使うことができる“たくましさ”が必要です。
 しかし、人にものをやってもらうときに、「これはお前がやれ」ではケンカになるだけ。そこで相手のことを思いやる“やさしさ”が求められますし、まわりの人たちから愛される“やさしさ”を持った人間であることが大切になってきます。

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職員の資質

 最近、職場の同僚との仕事にかなりのストレスを感じるようになりました。一種の抑うつ状態が続いています。

 虐待の疑いなどの相談を巡っての上司と同僚たちとの考え方や見解のギャップもあり、その間をとりもたなければならない中間管理的な立場の自分にとってはどういうポジションでふるまえばいいのかわからなくなってしまいます。

 係員の中でも、どうしても強い意見を主張してしまう人の意見に誰も反論できなくなったり、自分たちの見立て〈推測も含め)で相手を決めつけるような見方には、何となく「違うんじゃないかなあ」と思っていても、多数の係員の意見だとしたら、やはりそれを上司に報告しなければいけない立場にある自分の立ち位置。

 係内の同僚との人間関係にもすごく神経を使います。
 ほとんど異動のない部署なので、それぞれの人となりがみんなわかってきます。

 この人の意見に逆らえば、あとで何を陰口されているかわからないから、気を遣いながら相手の意見に同調ばかりしている人。
 この分野の仕事は自分でないとできないからといって、「忙しい、忙しい」と言いながらも何でも引き受け、席に着くたびに「ああ、やってやられないわ」と愚痴ばかりこぼしている人。

 おいしい部分だけは自分主導でやるのに、いざ、責任を問われる立場になると「私たちは一担当者としてだけ関わっているのだから、上司報告は責任のある上の人たちでやってくれないと困る」といって自分の仕事への責任も回避する人。(そもそも逐一事例の報告を受けているわけではなく、自分たちが勝手に突っ走って動いているのです)

 社会的な弱者と言われる人たちや障害を持つ人たちを支援している人の発言とは思えないような会話。
 利用者やケースの話をするときに呼び捨てで相手への尊厳も何もない。「私がしてあげている」という態度。
 いつも相手を否定的な目でレッテルを貼りたがる。「あの人って、こういう人だよね(マイナスイメージ)」と。それに同調しないで反論すれば、ますます輪をかけて反論。挙句には反論した人をも「変わった〈考えの)人」と、自分の意見を受け入れてくれる人たちに吹聴して回る。要するに他人を見方につけないと自信がなく不安な人なのだ。
 
 
 ある知的障害をもつ青年と相談室で会話している時の社会福祉士の態度。椅子にふんぞり返って腕組みをして「聞いてあげている」という態度。それでいて自分は専門職としての自負があるからやっかいなのだ。

 上司の悪口は言い放題。上司を上司と思っていない。口先だけ合わせている。(でも上司も彼女たちの腹黒さやずる賢さも知っている。)
 こういう人たちって、たいてい就職したてのころからも、自分の職業(資格)に自負があるため、最初から上司の指摘にもあまり素直に従えず、指摘されたことに愚痴をこぼし、自分より同等か下の同僚たちに、自分が悪いのではなく、上司が悪いことを言いふらし同情を集めるタイプです。

 自分たちもいずれ、その立場になれば、同じことになるのにね・・。

 専門職と言われる人たちの中にも、意外と「自己愛性パーソナリティ障害」や「パラノイア」気質の人って多いかもしれません。

 天狗になっている人、井の中の蛙の人・・・自分たちのいる狭い職場環境での振る舞いも、職場の外にいる人たちからみたら、そういう見方をされていることを彼女たちは知らない・・・。

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対応の仕方

 ここのところ、高齢者を取り巻く環境もいろいろな課題が多く含んできています。いわゆる業界用語で言えば、「多問題ケース」というやつです。

 地域包括支援センターという名称も、地域では浸透してきています。認知症などのお年寄りが地域の中でトラブル沙汰になったりすれば、いち早く警察も介入するようになってきており、その結果、警察からも包括センターへ「今、こういう人を保護しています。何かそちらでも情報がありませんか?」と聞かれたりして、お互いに連携をとるような場合も少なくありません。

 高齢者一人の問題のみならず、その家族に無就労の子や孫がいたり、子や孫に発達障害や精神障害、引きこもりなどの問題を抱えていたりすることもあります。結果的に家庭内で経済的な問題や、ひいては介護ストレスで虐待(疑い)にまで発展し、当事者たちからというよりも、担当するケアマネジャーやサービス事業所、また地域の民生委員や町会の住民などからも「あそこの家のことが気になる」といって情報が入ることもあります。
当事者たちの知らないところで、その家族の情報はこのように動いていることになるのです。
特に虐待がらみの相談などは、通報も積極的に行うように啓発していることもあってか、いろんなルートからその疑い(も含めて)の相談は最近多くなってきています。
一昔前だと、親戚や近隣の人たちである程度解決できていたことも、最近はちょっとしたご近所トラブルでも、センターや行政に相談が入る場合も多くなっています。

 認知症者の増加は今後も確実な勢いですから、本当にいつか、自分もそんな立場にならないとも限らないということも十分に心しておかねばということも感じます。
 
 以前、ある家庭の中で引きこもりの成年男性が家庭内暴力を起こし、その物音を聞きつけた近隣住民が警察へ通報したということがありました。警官がその暴れている男性を抑えようとしたときに、男性は突然の出来事にパニックになってしまい、警官に抵抗しようとしたところを「公務執行妨害」ということで「逮捕」されてしまいました。警察署まで連行されましたがまもなく落ちついたので保釈され家に帰ってきました。
 男性は「何で自分が逮捕されなければならないのか」と腑に落ちないようだったようですが、あとで、警察署からそのような情報がこちらにも提供されました。
 その世帯を知っている保健師は、「あそこの家の家の息子たちは引きこもりで精神(障害者)なんだ」と、他の同僚の前で語るのです。
 1回こういう事件(?)があると、警察は「気になる世帯」となり、地域のパトロールと称してはその家の周囲を回るようになります。
 あるとき、パトカーが定期で回っていたとき、その家の男性が自宅周辺をうろついていたところを見つけられ、職務質問のようなことをされて抵抗したようで、結果的に「公務執行妨害」となりまた「逮捕」されてしまったとか・・。
 そんな様子だったと、後日警察から電話をもらった係同僚が、「また息子が逮捕された」と話していました。
 前回の件があって以来、そのお宅には訪問しにくくなっており、家の人もむしろ外部の支援を拒むようになっていたようです。そこへきてまた警察がらみの「事件」になってしまいました。

 推測の域をでませんが、何となくその引きこもりを続けている男性は何らかの対人関係における発達障害の特性があったのではないかと思います。
 家庭内暴力もその二次障害などの故かもしれないし、警官がいきなり予告もなしに目の前にきて話しかけたり体に触れたりすればそれだけでパニックになったのではないだろうか・・・。男性の取った行為だけを見れば警察官に対する暴行になってしまうけど、きっとそういう特性をむしろ関わる側が無視したままに接してしまえば、結果的にこういうことになってしまうのだろうと・・・。

 知的障害者や自閉症者、精神障害者などが、往々にして地域を歩いているだけで「変わった人」「不審者」扱いされてしまうような昨今の地域環境。
 そして発達障害の特性を無視した〈理解不足)の支援が結果的に当事者をますます孤立させ、信頼感を失わせるようなことになってしまいかねないと思います。

 でも支援する側は、そんな配慮など頭になく、「要注意人物」にリストアップされ、パトロールの対象になってしまう。「精神(障害者)として医療につながなければ・・」と勝手に支援のプログラムをつくってしまい、当事者抜きの支援にやっきになってしまう。
 地域の人からも「なんとかしてほしい」と知らず知らずのうちに情報が勝手に当事者抜きに知れ渡る・・。

 地域とはいったい何なのでしょう。
 支援するとはいったいなんなのでしょう。

 発達障害の子を抱える親としてとても複雑な思いがします。


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差別と偏見

生まれてはならない子として生まれてはならない子として
(2011/04/16)
宮里 良子

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 著者は、両親をハンセン病に持ち、4歳の時に当時の国の施策であった「隔離政策」のなかで親から引き離され、またその後の社会の偏見と差別のなかで、自らを隠して生きた苦難の日々。

 差別と偏見に押しつぶされそうになりながら「条子(ハンセン病の親から生まれたことを隠し続けて生きてきた自分)」と「良子」という二人の自分を演じ分けて生き抜いてきたこれまでの記録でもあります。

 ハンセン病はもともと、他人にうつる病気ではなかったのに、時の日本ではずっと隔離政策をとってきました。
 その後、患者や支援者たちは国のこれまでの政策を批判し国を相手取って国家賠償訴訟を起こしました。
 判決は国の敗訴となり、当時の小泉総理大臣が「控訴せず」としたことで、一応の解決をみました。
 しかし、これまでずっと療養所生活を送ってきた人たちは、今でも全国に13ある国立ハンセン病療養所で生活しています。平均年齢も80歳くらいになっているようです。一度、故郷や家族から排除され、隔離されてきた歴史はそう簡単には塗り替えられないことも事実かもしれません。
 当事者はもとより、何よりも残された家族が本当にどれだけ差別や偏見にみまわれ、心の闘いをしてきたか、この本を読んでいると、それが痛いほど伝わってくるのです。


 (本文より)
 化学療法の発達に伴い、ハンセン病が治癒する時代はずっと以前に到来していた。プロミンが出現したときから、多くの人がハンセン病回復者になった。また、それ以前に母のように自然治癒する人もいたのだ。さらに生活環境のよくなった日本では発症しない時代がきていた。今後も発想することはない。他の国では家族が一緒に暮らしているというが、日本では家族と暮らすことが許されなかった。子どもを産むこともできなかった。政府が恐ろしい伝染病であると喧伝したのだ。
 さらに日本の国は長い間「らい予防法」を廃止しようとしなかった。このことにより作り出されたあまりにも強い偏見と差別に家族は怯えて沈黙するしかなかった。
 隔離にあたり家を消毒することなど、医学的に全く意味のないことを国はしてきた。「家族」には抗議する力がなかったから、ただただ耐えるしかなかった。
 これまでどれほど多くのハンセン病回復者とその家族が無念な生涯を送ってきたことか。家族の受けた被害は、家族が訴えなくては解決しない。よくわかっていることだが、それでも私たちはものが言えなかった。
 だから私は「条子」を演じ続けた。いつまでこの人生を歩いていくことになるのだろうか。

 地域から追い出され、隔離された時の両親の姿を忘れることのできない私は、ずっと「私はなぜ生まれて来たのか、私には生まれて来た意味があるのだろか」そして、「私が沈黙しているから他人は気持ちよく私と付き合ってくれるけど、私の真実を知ったら、きっと背を向けてしまうに違いない」と思い続けてきた。
 両親を他人に語ることができなかった。この一点において私は「不幸」だった。世間の差別さえなければ、もっと心を自由にしたかった。
 
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採用試験不合格

 長男に個人的に頼んでいる家庭教師さんは大学生で看護学科を卒業後今年は養護教諭になるための勉強をしていました。
 今年の養護教諭の教員採用試験に挑戦したのですが、残念ながら不合格だったそうです。来年1年間は臨時採用枠で働く予定だそうです。
 長男の家庭教師になる方には、勉強の中身よりも、まずは長男を通して発達障害の特性や学習時の指導の仕方などについてはその都度気付いたことなどを、こちらからも伝えてきて理解を求めてきました。
 これまでも何人か、個別に頼んだことはありましたが、今お願いしている学生さんは長男のマイペースさも理解し、学生さん自身もおっとりペースで二人の相性が合うのか、3年近く続いています。
 
 看護学部→養護教諭希望とあって、学問的にも発達障害の知識や、不登校など関連分野も学んできたし、それを目の前のわが子を通してより実践的に学べただろうし、また発達障害を持つ子どもとのかかわりなどを体験的に感じることができたのではないかと思い、できれば合格してほしかったですが、残念でした。

 教員や養護教諭をめざす人の中に、本当の意味でそういう子どもたちに寄り添ってくれそうな人が採用されればいいのですが・・・。

地球の名言

プロフィール

TTmama

Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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