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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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「非」援助論 (べてるの家から学ぶもの)

べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ ケアをひらく)べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ ケアをひらく)
(2002/05/01)
浦河べてるの家

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●「社会復帰」という切り口の貧相 
 べてるのメンバーが精神障害という病気と出会っていちばん大切なことは、「生き方の方向」ではないだろうか。
 誰でも、子どもの時から大人に至るまで、勉強にしろスポーツにしろ、他人より秀でていることを善しとする価値観のなかで精いっぱい生きている。できなかったことができるようになることが、まるで人間の当然のプロセスであるかのように。
 しかし元来、人間には人としての自然な生き方の方向というものが与えられているのではないか。その生き方の方向というのが、「右下がり」である。昇る生き方に対して「降りる生き方」である。
 現実には多くの人たちが、病気になりながらも「夢よもう一度」の気持ちを捨て切れず、競争しつつ「右上がり」の人生の方向を目指している。ところが不思議なことに、「精神障害」という病気はそれを許さない。「再発」という形でかたくなに抵抗する。まるで「それはあなた自身の生きる方向ではないよ」と言っているかのように・・・。
 その意味で精神障害者は、誰よりも精度の高い「生き方の方向を定めるセンサー」を身につけたうらやむべき人たちなのかもしれない。
 
 多くの当事者は病院を生活の場とし、苦痛を除かれ、少しの不安も不快に感じ、薬を欲し、悩みそれ自体を消し去ることを目的とするかのような世界で長年暮らしてきた。そのなかでかれらは、「不安や悩みと出会いながら生きる」という人間的な営みの豊かさと可能性を見失う。
 しかしべてるは、失った「悩む力」を、生きながらとりもどす場だ。
 かつて苦しんだ競争原理に支配された日常の中に、ふたたび何事もなかったかのように舞い戻るような「社会復帰」はめざさない。あるがままに、「病気の御旗」を振りながら、地域のかかえる苦労という現実に「商売」をとおして降りていきたい。

●「地域には偏見が渦巻いている」という偏見 
 「誤解や偏見」は、誰かがもっていて誰かが持たないというものではない。誰もがいつも誤解や偏見にまみれながら、信じたり疑ったり、自信を失ったり得たりしながら生きているものなのだ。精神障害という病気を体験した当事者も、「精神分裂病(現:統合失調症)なんて最低だ」という幻聴に苛まれながら、自分の本当の価値を見出すまでにどれほどの時間と出会いと葛藤を費やしたことだろう。
 精神保健を担う関係機関や医療機関は、地域住民を「精神保健に理解の薄い人たち」ととらえている。地域には差別や偏見が渦巻いていると考え、啓発活動に予算と時間を割いてきた。
 しかしこれまでの二十数年を振り返ってきても、浦河ではその種の直接的な啓発活動は見事なまでに開かれていない。
 「地域には偏見や差別が渦巻いている」と決めつけ、啓発活動をおこなってきた精神保健の専門家自身が、じつは地域を知らず、理解していないのではないか。
 地域の中にこそさまざまな出会いの可能性が眠っている。その意味で「地域の人たちは誤解や偏見をもっている」という見方そのものが、じつは地域の人たちへの大変な「誤解や偏見」であったことに気がつかされるのである。

●公私一体のすすめ 
 精神障害は「関係の病い」であるとよく言われる。自分との関係、家族との関係、そして職場における人間関係につまずくことである。一方、回復へのヒントも「関係」のなかにある。関係の中で傷つき病んだこころは基本的敵には、関係のなかでしか回復しない。 
 精神障害という病気が治る、癒されるということは、じつは治療者も含めてその人の生きている「場全体」の豊かさと密接にかかわっている。その意味で、「場全体の回復」と言う言葉もよく用いられるようになってきた。「ドクター・ナースも回復できる作業所作り」「地域の人たちも回復できる作業所」というキャッチフレーズは、このようなこだわりから発せられたものである。
 そうはいっても多くの場合、「援助する側の人間」が自分自身の弱さを認め、回復し、人間的に成長するというこ事実は――精神障害を体験した当事者が病気を受容することのむずかしさと同じくらい――受け入れがたいし、認めがたいものである。
 ワーカーはもちろんスタッフの多くも、じつは一人の人間として、社会人として、「生きる悩み」をかかえている。それは当然のことである。
 しかし、白衣という「権威」がその当然のことに気づかせない。白衣は、「私たちは入院患者と同様に生きることに悩み、ときには無力である」という明白な現実を隠蔽し、不自然なほどの毅然とした態度で職務を遂行することを強いてしまう。
 そして、しだいに自分自身の二面性に疲れていく。精神障害者という「関係の病い」を負ったひとたちとはいちおう見かけ上では治療的・援助的にかかわりあうことはできても、職場の人間関係には適応できない。じつは職場の人間関係のほうがむずかしのだから当然なのに、そのことが認められない。
 このようにして、「公」と「私」という二重の基準のなかで、「専門家」は大切な何かを失い、疲弊しつづけているように見える。
 精神障害者を体験した当事者は、そのような二重の基準のなかでは器用に生きられない人たちが多い。嘘や隠し事が苦手である。べてるの家のメンバーとかかわりあうなかでいちばんの大変なことは、そのような二重の基準が通用しないと知ることなのである。
 想像もしなかった精神病院への入院を経験し、自分の人生はもう終わりだと嘆き、自分の運命を悲しむ当事者たちが、にもかかわらず、私の人生は意味あるものだとおいことを見出していく。そのプロセスを共有することが私たちの役割だとするならば、それは、ともに自分の弱さを知り、ともに自分を担うという過程のなかでしかお互いの関係は深まらないのではないか。

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「非」援助論

べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ ケアをひらく)べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ ケアをひらく)
(2002/05/01)
浦河べてるの家

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(本文より)
 「浦河べてるの家」とは、精神障害をかかえた人たちの有限会社、社会福祉法人の名称。北海道浦河町で、共同作業所・共同生活・通所授産施設などを運営しており、事業に参加している人たちの総数は100人を超える。
 1980年に回復者クラブ「どんぐりの会」の有志が教会の古い会堂を住居として借り受け発足した。のちに昆布の下請け作業から自前での製造販売を開始、さらには地域での介護用品の販売に取り組み、1993年には有限会社、2002年には社会福祉法人を設立。それぞれの代表も精神障害を持つ当事者がつとめている。
 「弱さを絆に」「三度の飯よりもミーティング」「昆布も売ります、病気も売ります」「安心してサボれる会社づくり」「精神病でまちおこし」などをキャッチフレーズに、年商1億円、年間見学者1800人、いまや過疎の町を支える一大地場産業となった。
 
●向谷地生良さん(1978年より浦河赤十字病院医療社会事業部でソーシャルワーカーとして勤務。精神障害者と一緒に共同生活を送りながらべてるの家のたち上げにもかかわる)

 精神障害の人だけを取り上げて、その人たちだけに「自立」や「元気」を求めるのは、むしろおかしいのではないかと思ったんです。いわゆる精神障害をもっていない人たちだって、町のなかでどれだけ生活に張り合いをもって明るく楽しく暮らしているかというとそんなことはない。むしろそこには、その人たちの固有の苦労があって暮らしているわけです。
 ということは、社会復帰とは何かといえば、「苦労に戻ること」である。
 いくら社会復帰、社会復帰と言っても、生活上の悩みとか不安がすべてなくなるわけではない。むしろ生きていくなかで当然のように人とぶつかったり悩んだり苦労したり、精神科の病気がよくなったと思ったらほかの病気になってみたり、身内の死に目に会ってみたりとか。やはり人間の暮らしには、さまざまな複雑で予想しきれないものがあるんです。そういうふうに考えたら、むしろつらいことのほうが多いのが当たり前。
 「人には越えてはならない、克服してはならない苦労や苦悩がある」ということです。
 私たちが病院で「社会復帰」というときは、何もかもを、克服したり、越えたり、改善してしまおうとするわけですが、精神障害というつらい体験をした人であろうがなかろうが、一生涯担っていかなくてはならないことは誰にもちゃんと備えられている。それを大事にしなくちゃいけない。
 困りごとがあってもいい。その意味で社会復帰とは、「“越えるべき苦労”と“克服してはならない苦労”とをきとんと見極めて区別すること」だとも言えます。だからべてるの家では「人間には越えられない苦労がある」ということを守る装置として会社をつくったんです。
 どんなに社会復帰のための地域の受け皿ができあがっても、最後に自分たちが乗り越えられないものは、やっぱり「人間関係」。
 私はワーカーでありながら職場の人間関係に苦しんでいたわけです。見ると看護婦さんたちもそういうことは日常業務でたくさんある。そして、精神障害を体験した人たちも、まさに人間関係のなかで傷ついたり、壁にぶつかったり、挫折したり、絶望的になったりしている。または自分という人間のこれまでの境遇を受け入れられなかったり、職場の人間関係で傷ついたり・・・。みんないろんな「関係の危機」があるんです。

 いままでの地域リハビリテーションの考え方では、当事者の人たちは依然としてサポートを必要としている人たち、治療を受けなくてはならない人たち、ある面での不十分さをもっていて乗り越えなくてはならない人たち、または底上げしていかなくてはいけない人たちだったんです。
 しかし「不十分」で「克服していく」人たちというよりは、むしろ緩和装置をもった人たちの「可能性」みたいなものを、地域とか治療の側の人間は着目していかなくてはならない。「社会復帰」という見方は、この人たちのもっているセンサーを見逃してしまう。当事者の人たちが「自分は社会復帰しなくてはならない」と自分を規定してしまうこと、「いまのままではダメ」というイメージを植え付けてしまうこと自体が、もったいないという印象がすごくあった。
 だから私たちはそういう意味で、むしろ「降りていく」会社をつくろうということなんです。失ったものをもう一度積み上げていくという積み上げ方式ではなくて、一歩一歩降りていくというスタンスです。「障害の克服論」とは違う切り口を大事にしています。
 
 従来の精神科での治療論とかリハビリテーション論は、ある意味では人間というものを非常に単純化しすぎている。パターン化して、狭い社会を考えすぎていると思うんです。精神科にいったん入ると非常に計画的で、客観的な専門家のアドバイスというものの中で生活を律する世界に置かれてしまうんですね。
 むしろ、社会復帰は精神科リハビリテーションという世界のなかにないほうがいいと思う。
 専門家の予測する、意図する、計画する世界のなかでは精神障害者の自立とか社会復帰は起こらないほうがいい。そういうなかで起きてくる自立とか社会復帰ぐらい役に立たないものはない。企業の人とつきあってきたりすると、精神医療の世界が保護的に過ぎることがわかる。人間らしい生活を保障すると思ってきた世界の方が逆に不自然で、常識的でないということです


●川村敏明さん(浦河赤十字病院精神神経科部長 医師)
 
 従来の病院の治療というか、ごくふつうに医者が治療することだけを前提にしちゃうと、当然、重っ苦しい薬をさらに乗っけていくわけですよ。でも、そういうことが治療なのか?って思うんです。そんな現実の治療の場に、みんなはある種の絶望感や失望感を味わうわけですよ。だから黙っていようと。言うんだったらソーシャルワーカーのところへ行こう、それも口のかたいソーシャルワーカーのところへ、と。治療の場のなかで自分の苦しみを言えないということが、残念ながら、いまの精神医療の大半の現実なんです。
 現実にどこの医療機関でも、多くの医者たちも、「自分たちがどうすればいいのか」とか「どういう技術が必要なにか」といイマジネーションをもちえていないんじゃないかという気がするんです。ただ自分たちがやってきたなかで、これがいいと思っていることを一所懸命にやっている。ただ、精神病院のなかでは、一所懸命さというものは妙にやっかいなことでしてね。
 従来のかたちで言ったら、治療者サイドは「なんでもできる人、何でもわかっている人」で、彼ら患者は「できなくて、わかっていない人」という設定ですから。しかし、現実を見ると全然そんなことはないんですよね。
 べてるのみんなもぼくに「そんなに治してくれなくていいんだ」ということを最近はずいぶん言ってきます。
「先生、変にリキむなよ!精神科医がリキむとろくなことはないぞ!」っていうようなことを、彼ら流の言葉で言ってくれているんじゃないかな。

 べてるのメンバーは圧倒的にたくさんの言葉をもっていますよ。コミュニケーションの内容はいざしらずボリュームはね。量たるや圧倒的なものがある。そして、言葉で出会っていくものが本当に大きいんだなと、ぼくらはあらためて感じさせられています。
 しかし、一方でなるべく医療のべの現実が見えないように、私たち医療者の無力さを見えないようにしているんだなあというのをつくづく感じますよ。
 日本の精神医療というのは、残念ながらそうなっている現実がたいへん多いんですよ。本当のことを言われたらじつは困ってしまう、というような。それはわたし自身の経験としてもそうだった。「先生のおかげで調子いいです」と嘘でもいいから言ってくれるのが本当はいちばん良い患者さんだったんです。そこに現実の問題が出てくると、実は困ってしまうというのがあるじゃないですか。精神医療の世界で、精神症状のことや患者さんがかかえる問題を正直に話されると困っちゃうなんてことは、おかしなわけですよ。でもそれが現実ですよ。浦河だって、その現実からスタートしたんです。
 医者から言われる言葉ではなく、自分たち体験者の言葉として医学用語でない言葉をつくったりしてきていますよ。例えば医者から言えば“幻聴”だけど、かれらが言う時は“幻聴さん”とさんづけしているのも、それが本来のかれらが使う言葉なんだろうと思うんです。
 たんに病気扱いにして、消してしまわなければいけないものというよりも、その幻聴さんとのつきあいのなかで、本人からもいろんな経験がいっぱい出てくるんですよ。
 われわれは幻聴を非常に否定的なものとして見ていましたから、さんづけどころか早く薬で、それこそ殺菌剤でバイキンを殺すように幻聴をなくさないといけないと思っていたわけです。そこがまったくいまは変わってきて、さんづけをして、いいおつきあいをしていこうということです。そういうことを大事にするのが、現実の人間関係が良くなることにも役立っているんだと。
 だから自分の病気を紹介するときも、幻聴のある人は「私の幻聴さんはこれこれこういう内容なんです」と言って、はじめて自己紹介が完結するような感じですね。
 それは医者がどうしろこうしろと言ってきたというよりも、かれらの経験のなかから生まれて獲得してきたもので、従来の医療の世界にはなかった新しい文化を生み出しているんだなという気がします。
 
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新聞報道より・・・(2)

●発達障害児にいじめ( 神奈川新聞 2012年7月13日)

 金沢区に住んでいた市立小学校6年の発達障害の男被害児は4月以降、同じクラスの男児3人から、学校内や下校途中に障害児を意味する「ガイジ」というあだ名で呼ばれたり、蹴るなどの暴力を振るわれたりするいじめを継続的に受けた。
 被害児はいじめを隠したが、自宅で壁に頭をぶつけたり、「死にたい」とカッターを手首に当てたりとたびたびパニックを起こした。母親が4月下旬に学校側に相談。担任教諭らは「一方的な暴力はあったが、(加害児を)指導した」等と保護者に説明し、いじめを否定したという。
 6月1日の下校途中には、被害児は両膝や肩などに1週間のけがを負った。保護者は「安心して通えない」と同4日、市教育委員会に転校を申し出た。手続きが素早く進まなかったため、自ら住民票を区外に移し、同8月に転校した。被害児は今もパニックに陥るなど不安定という。
 「学校は訴えを真剣に受け止めなかった」。被害児の母親は憤りを隠さない。
 被害児は発達障害の一つ「高機能自閉症」。知的発達の遅れはなく絵画や漢字は得意だが、人前で話したり自分の気持ちを伝えたりするのが不得意だという。
 いじめの実態は、当事者間で食い違いがある。だが、母親が加害行為をした男児に直接聞いたところ、「聞いたことにすぐ答えないのが嫌だ」と話したという。こうした障害の特性がいじめのターゲットになったとみられる。
 保護者の訴えに対し、学校側が「いじめ」と認識したのは5月末。「4月に指導して解決した」はずのあだ名で呼ぶ行為が、その後も続いていたことが分かってからだった。
 被害児は6月にけがをした後も、自分からはいじめを被害を告白しなかった。保護者に「転向する」と聞かされ、ようやく「5年生のころからいじめられていた」と打ち明けたという。
 被害児はことし4月から、「自分はいらない存在」「障害者だから何をやっても駄目」と自己否定の言葉とともに泣き叫ぶようになったという。母親は「その理由がいじめだった。学校側に何度も調査を依頼したが、そのたびに『何もなかった』と言われていた。悔しい」と唇をかむ。


●障害児にいじめ 教諭謝罪後も“脅し” (神戸新聞 2012年7月14日)
 
 児童の障害や個性に配慮した教育が求められる特別支援学級で、担任による暴力や暴言が繰り返されていた。
 神戸市教育委員会は、13日この男性教諭(60)を同日付で懲戒免職にした、と発表した。
 教諭は昨年の2学期、担任をしていた男子児童の頭を拳で圧迫したり、軽くい叩いたりする行為を繰り返したほか、カッターやはさみを見せて、「おなかを切って給食を入れた方が早い」などと発言した。
 児童が「学校に行くのが怖い」と関係者に話したことから発覚、校長が厳重注意した。
 今年1月には、授業中に何度も児童をからかう発言をし、児童を泣かせた。校長と市教育委員会が再度指導し、教諭は児童や保護者に謝罪。しかし5月にも、「雷が怖い」と話す児童に「電気なら、ここにもあるで」と針金の片方をコンセント、もう一方を児童の顔に近づけ、脅した。
 教諭は学校や市教委に対し「じゃれ合う意図でやった。深く考えずにやってしまった」などと釈明したという。


 発達障害・特別支援教育などと声高に叫ばれていても、いまだに現場ではこのような対応や理解のなさが教育現場ではびこっている・・・。
 
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新聞報道から  (1)

●知的障害者見守り 拒否6割 背景に根強い行政不信(北海道新聞 2012年7月10日)
 
 今年1月の姉妹の孤立死を受け、札幌市が再発防止策として進めている知的障害者の見守り活動で、対象とした50人の6割が訪問を拒否していることがわかった。プライバシー保護を優先するとセーフティネット確立が進まぬ状況だ。
 見守り活動は、希望する知的障害者の自宅を月1、2回、民生委員が訪問し、安否を確認するもの。直接訪ねる「訪問・面談」と、郵便受けの状況などを外から見るにとどめる「外周確認」の2パターンから選択。
 同市で知的障害のある20代の息子と暮らし、2月の調査で訪問を希望しなかった50代の母親は「息子の障害は経度で1人で通勤もでき、周囲には障害のことを話していません。それなのに何をどう見守ってくれるというのか」と行政への不信をぬぐえないでいる。
 全国「餓死」「孤立死」問題調査団長を務める金沢大の井上英夫教授は「難しいお役所言葉で市民は心を開かない。長年の不信を覆すには、なぜ拒否されたか振り返り、信頼関係を築く必要がある」としている。
 同市は事前調査で訪問を希望した120人の中から、優先度が高いと判断した50人を選んだため、当然、見守りを希望すると踏んでいた。しかし、6月の最終的な意思確認で、見通しが違っていたことを思い知らされた。
 「今、困っているわけではない」「何度も来られても相談したいことがない」と、定期訪問を苦痛に感じて断る当事者が続出した。
 拒否の根底には「役所は怖い、面倒、あれこれ言われる」など、行政への不信感も大きい。

 
(所感)
 今は、「独居高齢者」や「障害者と高齢者」の暮らし、災害支援対策などで、行政も何とか対応策を考えなければならないことが多い。
 いつも何か「ことが起きる」と「民生委員は何をしていた」「行政の責任は?」と問われることになるが、責任回避の意味でも、行政は形だけはなんとか対策をしていますと言えるような施策を展開しなければいけなくなる。
 しかし、行政側から提案したやり方を必ずしも当事者たちが求めているというわけではないことも確か。
 行政優位で、あまりかかわる必要性を感じていない「民生委員」などの訪問は正直言って有難迷惑に感じている人は多いと思う。
 それよりも障害者であれば、障害者団体や親の会など、自分たちの障害や生活の実態などにより理解ある人たちとの関係性を日頃より意識していった方がいいと思う。

発達障害当事者研究 (1)

発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)
(2008/09/01)
綾屋 紗月、熊谷 晋一郎 他

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 発達障害の特性について当事者の体験から語る身体・知覚の感覚の特性がわかりやすく書かれています。
 いわゆる健常な研究者が机上の論理だけで書かれたものでない、当事者の生の感覚が語られており、自閉症スペクトラム圏域の人たちを理解するうえで、とても納得するものがあります。
 
 著者紹介(綾屋紗月):幼少時より外界とつながっている感覚が乏しく、中高校時代は虚弱で伏せがちな日々を過ごす。大学時代は哲学を専攻。在学中、関東聴覚障害学生懇談会にて聴覚障害学生とともに活動しながら、音声で話すことに高いハードルを感じる自分の言葉として手話を習得する。卒業後は家庭教師、塾講師、ベビーシッター、保育園勤務などを数年間勤める。2006年アスペルガー症候群の存在を知り、診断名をもらう。現在2児の母。

(本文より引用)
●体の内側の声を聞く 
 私の体は、常に細かくて大量の身体の感覚を私に届けつづけている。その情報量の多さに私は圧倒されわずらわしく思いながらも、身体の訴えを一つひとつ聞き、その原因を探り、対処していく作業に追われている。
 私は確実に、身体の訴える細かくて大量の感覚に人よりもとらわれていて、そこに「日々の生活を困難にするほどの差し障りがある」ということである。
 この1年は、他者のサポートを自覚的に受け、これまでの人生の中でもっとも無理のないペースで過ごすことができているが、それでも「普通っぽく」生活できるのは、3~4日間で、そのあと臥せがちな日が4~5日間続くというサイクルで生活している。中学・高校時代の週6日、朝から夕方まで学校で過ごしていたころがもっとも過酷な時期で、地面に沈んでいくような倦怠感と吐き気がなくなる日はなかった。

 ◆具体的な行動のまとめあげ
 昼12時→仕事を中断して昼休みを取る→上司に申し訳なさそうに「昼食をとりに行ってきます」と言う→ドアを開けて出ていく→鶴亀庵まで道を歩いて行く→ソバを食べる→戻って仕事を続ける  という一連の流れの答えをまとめあげるまでが、私の場合、ゆっくりなのである。
 
〈パニックになる理由)
 「上司に申し訳なさそうに『昼食をとりに行ってきます』と言う」という行動ひとつとっても、「どんな声色で」「どんなスピードで」「どんな表情で」「どんなタイミングで」「どんな身振りをつけて」など、細かい所作のレベルまで数限りなく選択肢が生じる。
 このように、ある一連の行動は大量の細かい所作から成り立っており、そこには階層構造がある。そして私の場合、このような低次のレベルでの選択肢も乱立するため、絞り込み、まとめあがりに時間がかかる。
 たとえば「食べるものはソバにします」という〈します性)で動き出したものの、店に行ったら売り切れだったり、「温かいきつねうどんならば、すぐご用意できますけれど、ざるソバだとお待ちいただきます。いかがいたしましょうか」とその場で突然、即時の選択を迫られたりすることもる。
 これは大きな問題である。なぜなら〈します性)というのは〈したい性)と異なり、「これが食べたい」という具体的な身体のニーズにあまり根ざしていないため、メニューを選択するときの根拠に乏しく、あらためて決めなおすのに大変時間がかかってしまうからだ。その結果、さんざん迷ったアゲク、「ダメだ、もう選べない。昼休みが終わってしまう。今日の昼食はもう食べられない」と途方に暮れたり、「頼めるものを頼んだだけで、食べたくないものを頼んでしまった」と落ち込んだり、情報処理が追いつかず頭の中が「ギャーッ!!助けて~!」とパニックになったり、といった事態が発生するのである。
 
 ◆「いつもと違う」がなぜ問題か
 昼12時→仕事を中断して昼休みを取る→上司に申し訳なさそうに「昼食をとりに行ってきます」と言う→ドアを開けて出ていく→鶴亀庵まで道を歩いて行く→ソバを食べる→戻って仕事を続ける 
 という一連の流れが成功した場合、私は毎回そのとおりに忠実に動こうとするだろう。また「こわい思いをした」「失敗した」という結果を得たことについても「しないこと」としてパターン化する。具体的な行動においてもできるだけ細かく取り決め、それを一連の流れとしてやっとのことでインプットする。それにより、「この感覚を得たときはこれをえうる」というように、ある身体・心理感覚が生じてから行動までの行程で、フリーズすることのない、安心できる日常生活を送ろうとしている。
 つまり、〈身体の自己紹介)(したい性)(行動の選択肢)のいずれもまとめあげにくくて不安定なために、たくさんのことを〈行動のまとめあげパターン)として細部にわたって規定することによって、行動の絞り込み、まとめあげに毎回不安にならなくても済むようにしているのである。
 ただ、一度パターン化してしまったものについては、そのとおりにいかない場合において大変動揺し、混乱する。変わらずに繰り返される日常生活においては、やっとの思いで決めた具体的な行動の細部に至るまでのパターンを守り、迷わずに行動しているのだが、ほんの少しでも環境が変わるとそのパターンが適応できなくなり、登録していた「行動のまとめあげパターン」がほどけてしまい、パニックを起こしたり、不機嫌になったり、固まって動けなくなってしまったり、具合が悪くなったりする。なぜなら、せっかくあふれかえるたくさんの選択肢のなかから、「このときはこの行動」と一対一に細部に至るまで絞り込んでおいたのに、その結びつきが壊れることで、急にまた、たくさんの選択肢から一つひとつの行動を選ぶという一からのまとめあげ作業に舞い戻ってしまうからである。
 たとえば「トイレの後には手を洗って拭く」という習慣は私にとって迷うことなく自動化された〈行動のまとめあげパターン)になっている。しかし「いつもの場所にタオルがない」ということが起きると途端に、「手を洗うかどうしようか。手を洗わないのなら衛生的に大丈夫だろうか。手を洗うならタオルを使うかどうしようか。タオルを使うなら換えのタオルはどこにあるだろうか。タオルを使わないのなら濡れた手はどうしようか・・・」といった具合に、決めなければならない選択肢が一気にたくさん立ち上がるのである。
 このような「いつもと違う」という変化は、ささいと思えるようなことでも大問題に感じられる。いや、ささいと思えるような日常だからこそ大問題に感じれらるのかもしれない。

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つぶやき・・・

 我が家に長男の家庭教師として来てくれている学生さんは、4年生の看護学部を卒業後、養護教諭になるために1年は教育学部の養教過程に学び、今夏の教員採用試験に臨みましたが、残念ながら不採用でした。
 彼女は国立(今は独立行政法人)の大学付属の幼稚園・小中学校を出て、県下で一番の進学校出身の優秀な学生さんでもあります。
 採用試験に落ちた後は、どうするのかと聞いたら、「臨時採用の枠に登録しておいたので、募集があれば養教として働きたい」と。
 もちろん看護師としての国家資格も1年前はとっているので、看護師として病院などに勤務するという道もないわけではありませんが、そちらの方面へは行く気がないようです。
 最初から看護学科に入った動機が、学校の養護の先生になることが夢だったのでした。

 今年の県内の養護教諭の採用枠は数名だったようです。大学の養教コースで学んでいる数十人の学生の中で、県内外で採用が決まったのは、3名だったそうです。彼女も地元だけでなく、関東地方の採用試験も受けたようですが、結局全部落ちたそうです。

 志をもって大学で学んでも、いざその資格を生かして就職したいと思っても、需要と供給のアンバランスで、受かってほしい人が受からない。
 少なくとも彼女は養教になりたいという強い意志もあったし、わが子(発達障害)の家庭教師を経験する中で、発達障害の子どもへの学習指導の仕方や性格なども体験的に学ばれてきたと思うのです。
 彼女の良く言えば「のほほ~ん」としたゆったりな個性がわが子との相性にもあっていたし、教え方も分かりやすかったと言っています。
 けっしてわが子のような子どもにも偏見をもたずに4年近くも家庭教師を続けてきてくれています。
 〈わが子の場合は決して学力向上を目的としたものではなく、あくまで一定時間机で学習ができる環境をととの出ることや、親が教えることのデメリットを考えて第3者に個別的にゆだねた方がいいかもということ、あとは家族以外の対人関係を築くという目的の方が大きいのですが・・・)
 学力的にはもともと優秀な人だと思うので、大丈夫だったようですが、二次の面接でダメだったようでしたが・・・。
 「4月から仕事がなかったら、どうしようか不安です。まずは臨採の話がくるのを待つしかありません」とも話してくれました。 
 中には妥協して看護師として病院勤務の道を選ぶ人もいるようですが、自分の道を志しても簡単には夢がかなわない現実。
 
 教師にしろ、臨床心理士にしろ、保健師にしろ、ある一定の学歴や学力がないととれない資格を有していても、いざ採用となるとものすごい狭き門。
 本当になりたい人や人間性のある人が結果的に落ち、面接の受けがいいような人を採用してはいまいか、と時々ふっと「なんでこんな人を採用したのか」と思えるような人は意外といるものです。人事関係者の人間を見る評価にも左右されますが・・。

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精神科面接を問う

 読売新聞 『医療ルネサンス』特集より

 患者の話をよく聞き、回復に導く精神科面接の質の低さが問題視されている。

 「マニュアル化された診断基準の普及で、医師は患者の症状の背景にある環境的要因に目を向けなくなった。今の精神科医療は、マニュアル片手の『料理本医療』。癒しの場であるはずの診察室が患者と医師双方にとって気まずい場になっている」

 症状が落ち着いて減薬を申し出る患者に対して、「指示通りに薬を飲まないと、就職内定時に会社に出す意見書に『この人は医師の指示に従わない』と書きますよ」と言われた統合失調症の男性。
 「精神疾患患者が新たな職に就くことの大変さを、精神科医が知らないはずはない。患者の立場などは念頭になく、過剰な薬で患者の行動を抑制することばかり考えているから、こんな脅し文句が飛び出すのだろう」

 また、対人関係の問題などで自分を発達障害と疑い、精神科医院を受診した40代の女性は、院長にこう言われたという。「あんたは病気じゃない。インターネットのでたらめな情報ばかりみているんだろう」。
 この面接で衝撃を受けた女性は抑うつが悪化し、別の医院で中等度のうつ病と診断された。

 のぞえ総合診療病院(福岡研久留米市)理事長の堀川公平さんは語る。
 「社会で傷つき、心を病んだ人は安心して過ごせる場を求めている。快適な入院環境と良好な人間関係の提供が、最良の精神療法になる」
 入院患者の平均入院期間は12年と長く、最優先の課題は、患者を社会復帰に導く意欲に乏しい病院職員の意識改革だった。
 同病院の食事は通常、病室の外でとる。多くが私服で勤務する病院職員や、ほかの患者と一緒にテーブルを囲む。
 「部屋に閉じ込め、すきまから食べ物を入れる。そんな非人間的な扱いが精神的に良いわけがない。ほかの人と落ち着いて食事をすることが、回復の第一歩になる。」と堀川さんは言う。
 入浴は毎日可能だ。拘束中の患者も、複数のスタッフの付き添いで入浴できる。
 患者全員と病院職員が、グループミーティングを行うのも特徴だ。各グループは、年代も病気も異なる患者10人と医師、看護師、心理士らで構成。週に1度、近況や目標を話し合う。さらにこのミーティングでは、患者の回復度を患者同士で評価し合う。
 周りの人と、自然にかかわるこのような取り組みで、患者は病気で低下した社会的感覚を取り戻していく。
 昨今、病棟を新築、改装して見栄えを良くする精神科病院は多い。だが、ほかの患者や病院職員との良好な人間関係を提供できる病院は少ない。


 

素直な生徒がいい?

以前、二男の授業参観をしたときのこと。
参観後の懇談会には、30人足らずのクラスなのに、参加したのは6人程度の母親でした。
いつもの光景ですが、以前長男が低学年の頃の懇談会では、わが家のみたった一人ということがありました(担任も教諭ではなく、講師でした)。

 その時は、人数が少ないということもあり、それぞれの家庭での子どもの状況や今抱えている悩みなどについてざっくばらんに言い合おうということでしたが、結局皆表面的な悩みに終わっているような話題提供で終わりました。
 ああいう懇談会という場所では、担任の先生の進行のしかたで、話題も変わっていくと思います。先生があたりさわりのない話に終始し、時間稼ぎ程度にしか思っていなければ、保護者から出される話題も表面的なものに終わってしまうだろうし・・。そもそも担任も自分のクラスの問題点などについてはあからさまに親にも言わないでしょう。
 「この学年は皆素直でおとなしい学年です。」という評価を担任は話しました。
 “素直でおとなしい”=よいことの代名詞にとらえられますが、見方を変えれば、子どもたちも個々人の思いを自由に言えない雰囲気なのかとも感じてしまいます。
 皆が皆素直で教師の指示を反抗もしないで聞いてくれる学年だという評価が保護者向きの社交辞令としてなのか、本当にそういう学年なのかはわかりませんが、少なくとも教師が児童をそういう評価をしているということは、自分たちにとってやりやすいという結果にもなるのかもしれません。

 今の学校の先生たちって、やんちゃしている児童、生徒の存在って、「やっかい」に思っているのだろうか?
 昔の教師はやんちゃしている子どもにも、それなりの愛情を注ぎ、目をかけてくれていた。案外そういう生徒の方が教師にとってもいつまでも思い出に残るような存在だったかもしれません。。
 でも、今は一通りクラスが波風立たず、自分が担任をしている間は無難に過ぎてくれればいいと思っている教師集団が多いような気がします。

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周囲からみる支援者・専門家評価

 不登校や引きこもりが受け入れられないのは、世界の中心にいる人たちの思考では理解できないから。
 「私助けてます」みたいな人を見つけると、嘘つけ―――
 どう見ても、助けている自分が好き。
 素晴らしいからと押し売りするケース。
 人の心にむやみに入ってきて、いいことをしたと思っている。
 
 弱者に対するまなざし
 弱者の方は、どうしたって周囲をうかがう能力が高くなりますから、相手がどういうつもりで接してくるのかよくわかるのです。
 同情しているのか、支配したいのか。
 間違った組織に安住すれば、破壊の道へつながる。
 間違った環境や場所でいくら素晴らしい実践をしたとしても、間違った環境や場所を間違ったままにするだけの話。
 
 組織というのは学校や地域もそうですが、他人の評価を最も大切にしなければ生きていけません。
 自分で自分を評価できるかどうかが一番大事。
 たとえ組織に属していても、自らの評価だけで生きている人は強い。
 安定を求める、周囲の評価を気にする、そういう人たちがやっていることはただ一つ、他人を操作する
 組織の中で嫌われないように生きているかぎり、何もできません。
 安定は幸せの基準にはなりません。
 安定のために不必要なエネルギーが沢山使われます。
 
 よく支援者や親が“当事者目線になって”とか、“子どもの気持ちになって”とかよく言いますね。
 しかし、自分が当事者でないという立場のままで、当事者目線になることなどできるのでしょうか。
 私はあなたが「当事者になってください」と提案します。
 その当事者に自分がなることで、当事者とは何かがわかります。
 支援者や親は、ともすれば「私は健常者だから」「私は大丈夫だから」と、絶対に動かない上に立つものだと思っている。
 自分もきちんと何かの当事者として悩み、考える毎日を送っていれば、子どもや支援されている人たちに対して「当事者目線」といちいち頭を切り換えて考えるようなことはなくなるはずです。

 「自分が面倒を見たいから」「弱者の力になりたいから」と支援者側に立つと、どうしても共依存になったり支配になったりしがち。
 社会的弱者を「自分とまったく関係のない人」「自分は絶対にこうならないけど、世の中にはこう言う人もいるんだ」と思っているような人が、支援者になるケースは後をたちません。
 しかも、他人を尊重することを知らず、ズカズカと踏み込んでパワハラ、セクハラに抵触するか、全くかかわることができずに引きこもるしかできなくなってしまいます。
 頭のいい人がどんなに頭で支援、支援と唱えたところで、あなたの理想を実現するために弱者を利用しているんじゃないかと思ってしまうのです。
 弱者に寄り添っている自分に酔っている人、けっこういるんじゃないでしょうか。
 ここまで関わっていいのか?自立を妨げていないか?自分の欲なのではないのか?
 他人に踏み込まれて嫌な思いをした人は、きっともっと慎重になるはず。
 でも、支援者になる人ってどちらかというと、他人に踏み込んで嫌がられていたのに気づかないタイプが多い。
 頭の良さや面倒見の良さばかりを見ずに、他人を尊重できるか否かという観点から自分や他人を見ることも必要ではないか。 


 困ったことに専門家はすぐまとめたがります。
 少数派をひとくくりにして、「こういう傾向がある」と。
 今は不登校っていったって千差万別。発達障害も人によって違う。
 なのに、「不登校とはこういうもの」「子どもはこうで親はこう」と決めつけてくる。発達障害も同じ。
 そして親は、それに振り回されて「大変だ、大変だ」と走り回る。
 わが子を見ないで専門家の意見に耳を傾けて自分を専門家の考えに当てはめてしまうのです。
 専門家のつくった世界に生きる必要はないんです。
 不登校や発達障害の新しい生き方をそれぞれの家族がつくっていけば、それが専門家の「当たり前」になっていくかもしれないのです。

 福祉の専門家、子どもを福祉の対象ととらえて当然だと思っている。 
 誰が進んで「健康な私たちとは違うよね」と思われたいでしょうか。
 自分の理解を越えるというだけで、「わからないので福祉に」という。
 自分は絶対に福祉の枠に入らないと死ぬまで思っている。
 そんな人が福祉の仕事をしたらどうなるか。
 自分だけは福祉の枠に入らないぞ、だから常識を守ってみんなからおかしな人と言われないように個性をつぶして大人しく大人しく生きている。
 
 
 本当に支援について分かっている人が支援しているかと言うとそれも怪しい。
 支援者が支援者となったとき、どうしても自分が大事になる。
 自分がちゃんと支援できたかな、間違っていないかな、評価を得られるかなと・・。
 そこに支援される人の幸せが入る余地はありません。
 本当の支援とは、支援される人の「何が必要か」を聴きとってそれ以外は何もしないことです。
 「おれがこの人生を生かしているんだ」と思った瞬間、支援者は支配者となります。
 他人の人生を左右できると傲慢に思いこんだとき、支援はだめになるんです。
 単なる隣のお節介おばさんと変わりないのです。
 支援者の勝手な期待に振り回されるのは困ります。
 誰の人生で誰が主人公なのか、いつも間にか支援者が偉そうに主人公になっていませんか?


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ハローワークへの求人

 職場で「災害復興予算」が余っているので、臨時職員の募集をハローワークにすることになりました。
 復興予算枠で、被災者で仕事を求めている人を優先に採用すると言うものですが、実態は被災者〈避難者)がいなければ、地元の人を採用してもいいことになっている予算枠です。

 国から各自治体に割り当てられ、3月までの年度予算がまだ余っているからと、1月から3月まである事業の結果をまとめるため、主にパソコンの入力作業の事務仕事を担ってもらう目的で、ハローワークに求人をかけました。

 ほどなくして2名の応募者がありました。26歳の女性と38歳の男性。そしてさっそくその男性が本日履歴書を職場に持参しに来所しました。
 直接の事業の担当となる保健師が窓口で彼と面会し書類を受け取りました。
 履歴書を見たら、県下一番の進学校、有名私大卒の学歴だったようでした。いろんな事情から求職中なのでしょうが、その保健師の発言に思わず耳を疑いました。
 
 デスクに戻るなり、「38歳にもなってこんな仕事(数か月の短期間雇用の仕事)を選ばないで、正職員の仕事を探したほうがいいんじゃない?」(探してもないから、この求人に応募したんでしょうが・・)
 「話をしていても、なんとなくあっちの方面(発達障害?)の人ってわかるような雰囲気を醸し出していたし・・・」
 「履歴書の書き方がおかしいよね。」(と言いながら自己アピールの文章の内容を面白おかしく周りに吹聴している) 
 「ああいう人と一緒に仕事をしたくない」
 「ちょっと変わっている。38歳になっても仕事を探しているなんてねえ・・・」
 「一緒に仕事はちょっとね・・。違う意味で将来仕事(何らかの支援の対象になる人と言う意味で)でかかわるタイプの人かもねえ・・」

 せっかく頑張って履歴書を持参した彼の気持ちを汲むことなく、外見・外面だけでそのような評価を下し、その履歴書を周りの職員にも面白おかしくはやし立てて見せあいっこしてお互いに嘲笑の笑いを誘っているその光景には、腹立たしさと怒りが私の中に沸き起こってきてしまいました。

 何も好き好んで仕事をしていないわけではないでしょう。今は一流大学を出ていても、必ずしも就職ができる人ばかりではないことも現実です。
 自分たちは公務員と言う世界しか知らないから、世の中の若者の現実を肌で感じることがない。仕事をしてもしなくても一定額の給料が入ってくるし。
 成年期の男性であれば、きちんと仕事をしているはずだという先入観で見ているから、進学校、一流大学を出ていながら、その年齢まで仕事がなく探していること自体が、彼女たちにとっては「何かある(発達障害や精神障害?など)」と頭っから勘ぐっているし、38歳というだけでもう採用はアウトなのです。
 結局面接なんて形だけで、直接の業務を担当する職員が“この人は採用したくない”“この人だったらいい”なんていうフィーリングだけで採用しているんです。実際は。だから業務を担当する職員の胸三寸で決まるわけです。自分と相性がよく、何でも素直に従い仕事が早い人を選ぶわけです。そして裏ではこちらが採りたい人にあらかじめ声掛けして、応募を促していることもあるのです。そんな実情を求人広告を見ている人たちは知らない・・。

 しかし、せっかく勇気を出して役所の窓口に履歴書を持参し、また自己アピールもそれなりに頑張って書いてきたその内容にも、「こんなことがかいてある」なんて言いながら嘲笑のネタにして笑いあっている職員っていったい、あなたたちは本当に福祉の部署に勤めている資格があるのでしょうかと言いたくもなってきます。
 仮に自分の子どもが同じような境遇に置かれているとしたら、どう思うのでしょうか。
  
 こんな会話を実際の役所の公務員の専門職がしているのです。
 バカバカしいですね。人をそういう価値観でしか見れないアンタたち(保健師や社会福祉士)の方がよっぽど人間性が幼いというか、専門家づらしているけど、その内実がないというか・・。
 自分たちは支援のプロとしての自意識大ありな人たちだけど、彼女たち自身の中にひそむ差別意識。いくら能力があっても頭がきれても、そういう人たちから支援なんてされたくないと、強く思います。
 一緒に仕事をしていてストレスを感じる理由がここにあります。

 私以外の周りのスタッフは皆、その話題で帰り際盛り上がっていましたが、自分はなんかその輪の中に入る気分にはどうしてもなれず、逆に無性に怒りと腹立たしさがこみあげてくる自分がいました。
 こういう人たちにいくらここで書いているような支援者の在り方を投げかけても入りません。言えば言うだけ個人攻撃に合うだけです。あの人〈私)って「考えが変わっている」と・・・。


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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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