FC2ブログ

ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

支援したがる人たち

「気になる子」が存在するためには、「気にする人」が必ず存在します。
 あなたが気にしなければ、この子は「気になる子」にはならない。
 どうしてあなたは、この子が気になるのか、気にするのか、何が気に障るのか。
 子どもが問題なのではない。その子を「気になる子」と見てしまうあなたの問題です。
 「だって誰もが気になるでしょう」というのは、その人の価値観が狭く、同じ価値観の集まりの小さな世界で暮らしている証拠です。
 
 障害がある子どもをとにかく「かわいそうな子」と思わなければ世話できない人も、不登校児を「お気の毒」と思わなければ対応できない人も同じです。
 なんとかしてコントロール下におかなければならない。
 「私にとって気になる」からです。
 ただ学校に行っていないだけ、ただ身体に不自由があるだけ、それだけの現実にすぎないことを、大げさな価値観でくるんで自分の世界に引き込んで、コントロールしようとするところから、すべての間違いが始まります。


 よくおじゃまする「くーひな」さんのブログの中で、私も全く同じように感じている部分の一文を引用させていただきました。

 職場のある保健師は、自分が乳幼児健診で関わった子どものなかで、気になる子がいるとその後の成長で何か、問題(あくまでも当事者が感じる問題ではない)があると、「ああ健診の時から“ちょっと変わっているって思っていた”“あの母親もちょっと変わっていたし・・」ということをよく言います。
 そして自分が健診のときに関わった子どもたちが長じて、引きこもりや不登校・発達障害や精神疾患などに陥っている情報を得ると、「ああ、気になる、気になる」「なんとかしてあげたい」なんてひとりで悶々としているのです。
 それが、自分の子どもと同じ学校に通っていたりする親子だったり同じ地域に住んでいる知っている親子だったりすると、なおさら「あのお母さんはプライドが高いから、相談したがらないんだ」と、自分のほうに相談に来ないことを、さも親が悪いような言いぶりで批判します。学校でもその親子の状況を間接的に職業意識で観察しているようです。そして職場では「ああいう(親の)態度だから子どももああなんだ」と言わんばかりです。自分の色眼鏡で相手を決めつけて見ているのです。
 
 高齢者の相談窓口ではあっても、世帯としてその家族を見た時に知的障害や発達障害の子どもたちがその家族内に存在していたり、「いい年」して就労していない子どもがいた場合に、以前の健診時代のカルテを引っぱり出したりしてひとり納得している。
 「気になる」ということ自体が、単なる自分の興味本位からくるものなのか、他人の家の内情をただ単に知りたいだけなのかと思いたくなるような態度にしか私には見えません。
 
 
 彼女のような人たちは「不登校は改善しなければならないもの」「発達障害や引きこもりは“普通じゃない”」という価値観の持ち主なので、そういう相手は「指導や助言」の対象となってしまうのです。

 そういうふうに思わない(わが子のありのままを認めたり、障害などあっても個性として尊重する態度でわが子と関わっている)親にとっては、何もあえて相談なんかする必要がないと思っています。
 しかし、「気になる人」にとってみれば、「どうしてこっちに相談に来ないんだろう」「あの親はプライドが高いから、隠したいんだわ、きっと・・」「いまのままだったら将来困るのにねえ」なんて、自分の思惑のなかでひとりお節介を焼きたいのに焼けないジレンマを抱えているのです。(よけいなお世話なのですが)

 そもそも最初から子どものとらえ方が違うのに、自分たちの狭い価値観の中でしか物事を見れない人たちにとっては、相手の価値観を尊重できないのです。
 よくそういう人たちが口にする会話・・・「障害を持った子を育てるなんて大変だよねえ」「将来が不憫だねえ」
 結局は他人事で「相手はかわいそうな人」「親も大変だから何とか私たち専門職として関わってあげたい」という視線なのですね。
 そして、その支援というのは結局自分の自己満足なのですね。
 
 いつも自分たちが「支援してあげたい」と思わせる対象者の存在が「気になる」のですね。
 別にあなたたちから「支援されたくない」と考える人たちにとっては、気にしてほしいとは思ってはいない。むしろ、別に信頼できる人にすでに相談しているかもしれないし、子どもを「問題」と考えていない場合もあります。

 そこのところが、「気になる子(人)」をなんとかしたいと「気にする人」の問題だという指摘がとても的を得ていると思います。
 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。
スポンサーサイト



高校生、障害者をからかう(新聞記事より)

 以前、関西地方のある高校生がおこしたできごと。

 30台の障害を持つ男性が利用している路線バスの中で、県立高校の野球部の生徒8人を含む10人の高校生が、社内でその男性に嫌がらせをした。
 高校生は部活動を5日間謹慎処分に・・・

 その男性はいつも同じ時間帯のバスで決まった座席に座っていたそうです。
 高校生たちは、先回りしてその男性が座る席に陣取って、男性が座るのを邪魔したり、男性がパニックになるのをおもしろおかしくからかっていたようです。

 その男性の行動パターンを知識ある人から見たら、自閉症にみられる行動パターンであることはあきらかでしょう。
 その30代の男性だって、毎日同じ時間に同じ座席で障害者が通うような通所事業所あたりに通う目的でそのバスを利用していたかもしれないのです。
 地域のなかで自分なりに社会参加の場を求めて公共のバスを利用していたのでしょう。
 
 その高校生たちも、自閉症にみられがちなこだわりを理解していたら、けっしてそのような行為には及ばなかったかもしれません。
 しかし、親の育て方、またはこれまでの自分たちの育った過程のなかでそのような障害を持つ人たちとのふれあいも、地域や学校の中での障害者への理解教育も行われてこなかったのでしょう。
 
 「障害者理解」っていったい何なのでしょうか?
 最近は、不審者情報などにも地域では敏感になっています。

 精神障害者や自閉症など、発達障害者が一見「普通とは違う」風貌や恰好で街を歩いているだけでも、その人を知らない地域の人たちからは「不審者」扱いされ、知らないところで警察に通報がはいり、周囲をパトロールしている光景も目にします。
 最近、パトカーが頻繁に走っているなあと感じるときというのはたいていそんな類の情報が警察にも入っているときです。
 
 ある発達障害と思われる人が、ちょっと歩いている光景がおかしいからといって、いきなり「職務質問」されることだって現実に起こり得ています。突然の権力者からの接触にパニックを起こして暴れたり興奮したりすることがあることくらい、自閉症などの特性を知っていたら当然配慮してしかるべきなのに、いまだに警察もまだそこまでの配慮もないまま接触してしまいがちです。
 
 まだまだ世間の認識がそんなものなのだなあと改めて感じる記事でした。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。


 

支援者の奢り

 やたら「私は相談のプロです」と豪語したがる人に限って、自分なりの解釈で判断し、自分の心配を早く解決したいがために、あれやこれやと相談者や関係者に助言・指導したがる傾向にあります。

 そういう人とのチームプレイって本当に厄介です。いろんな関係者が集まってケース検討会などをやった場合に、中にそういうキャラクターの人がいると、連携もうまくいかなくなると思います。
 
 最近は高齢者を介護している介護者に発達障害者や精神疾患を持つ人も少なからずいます。
 これまでキーパーソン的立場の親が認知症になって介護が必要な立場になっても、子どもである当事者がそいう認識がなかったり、もう一方の配偶者の性格や理解のなさなど、家族機能がうまくいっていなかったりすると、必要な支援も助言がうまく入らなかったりすることもあります。
 
 ケアマネジャーや病院や保健所、あるいは行政の保健師など関係者が置く関わっていればいるほど、関係者間で同じ目線で関わらなければならない支援も、一部の支援者の「勇み足」によりかえって混乱を招いたりということにもなります。
 高齢者にかかわる部署、障害者にかかわる部署などお互いの支援者の価値観も一致しなかったり・・。
 
 何か事件性などに発展するような要素があれば、保健所や警察などにも連絡を取らざるをえないようなことも出てくるのかもしれませんが、最近は警察なども「事件が起きてからでは遅い」という方向に向かっているのか、「予防」的にはやめに家族介入をする場合もあるようです。
 
 とくに「虐待」にからむ問題は非常に微妙なものがあり、なんでもかんでも「虐待」と判断することにも疑問を感じます。高齢者の権利擁護の観点から高齢者を守るという目的が、逆に養護者の方に懲戒を与えるような方向にならないとも限りません。
 なかには発達障害や精神障害があったりして、介護能力や理解の仕方に乏しかったりする結果、介護放棄やネグレクトと思われる環境をつくってしまっている家庭もあります。そういったケースではいかにケアマネジャーはじめ関係者も高齢者本人のみならず、養護者の特性などにも寄り添った支援が必要なのに、「あの息子は変わっているから」「息子の対応はネグレクト・虐待だ」「精神だから息子は施設へ、親はグループホームに入れるように対応しましょう」と一部の専門職の中には自分の価値観で「裁こう」とする傾向があります。介護能力に乏しければ、その能力の範囲内でできることを要求したりサービスで支援していく必要もありますが、最初から支援者の方が思い描くルートにのならいと「やっぱり介護放棄だから、虐待だ」と決めつけてしまうことになります。
 地域の目もそういう世帯であれば地域でもできる範囲で見守りしてほしいのに、敬遠してしまい「早くなんとかしてくれ」「精神疾患の息子がいたんでは困る」と言わんばかりの雰囲気で民生委員を通して訴えてくる場合もあります。
 こうして「虐待」事案が多数つくられていくことになります。
 
 正義論を振りかざしている人に限って、自分の支援や対応の成功事例を積み重ね、自己満足したいがためにやっている場合が多いのです。
 またそういう精神疾患や発達障害を抱える人の特性などに関心もなく、「ちょっと変わった人物=指導の対象」とだけみなしている人、自分の支援に自己陶酔している人、そんな支援者が相変わらず多くいます。
 
 「あなたたちはどの方向を向いて支援しているのか」と問いたくなります。中には警察や弁護士など、専門機関とのパイプが強いことを自慢したがる人もいます。精神障害や知的障害の人たちをばかにした口調で話す人もいます。福祉や医療の専門職だなどと豪語している人に限って、業界にすり寄って業界関係者との人脈を広げることで自分の専門職としての立ち位置を確認している人もいます。
 
 
 自分も高齢になりいずれなんらかの支援が必要になる時が来るでしょう。発達障害を持つ息子もそういう支援者から見れば「変わっている人間」とみなされるでしょう。
 差別と偏見を隠して表面上「あなたの支援者です」と名乗り、自分たちの思い通りの方向に持って行きたがる支援者を自分たちも見抜く力が必要かもしれません。
 自分も支援をするという機関に所属していても、私の視点はいつも親としての立場という部分で物事を考えていますので、自分が相談したいと思える人は親にも子供にも寄り添ってくれるだけの人格を持ち合わせている人かということになります。支援者の心に精神疾患や発達障害に対する偏見や差別が本音の中にある人には相談したいとは思いませんから・・。

 専門職として資格があることは仕事をするうえでは必要ですが、単に資格を有しているからといってその人間が人格的にも優れている支援者だとは限りません。
 正直言って、連携なんか「人」次第です。
 うまく連携が取れているということは、みんながその利用者(対象者)を肯定的に評価し、当事者の意見にも真摯に耳を傾け、たとえ外見や性格がどうであれけっしてそういう人の人格も尊重できる人です。私はそういう人たちと一緒に仕事をしているときは本当にチームアプローチができているなあと実感します。
 
 そんなケースの一人で、地域からは変わった人と見られている男性だったけど(きっと診断がついていたらアスペタイプの人かもしれません)、母親の介護をご自分なりに一生懸命にやっていました。ただ、自分なりのこだわりも強いため、病院やデイサービス事業所との摩擦も多少なりともおきました。でも、一つひとつきちんと説明をしていけば納得される方でもあります。ただ、地域の評判だけをうのみにして「厄介な人」「変わった人」というレッテルを貼った見方しかできない支援者にとっては中傷の対象にもなりかねない人です。
 担当のケアマネジャーさんはじめ、ヘルパー事業所、開業医の主治医もその方の性格を知った上で、きちんとした対応していきました。最終的にお母様は亡くなられ一人暮らしをされていますが、今でもケアマネジャーやヘルパーさんには感謝の念を忘れず、年賀状も下さるような律儀な人でもあります。
 その男性を揶揄したり指導的に導こうとする支援者であったならば、きっと困難ケースとしてケース検討に上がってしまうタイプの人かもしれません。
 
 支援するということは、当事者の心にいかに寄り添い当事者から信頼される資質があるかを自問自答する謙虚さが必要なのではないでしょうか?決して「私があなたを支援してあげている」という関係からは信頼は絶対生まれません。
 相手を下に見ることなく、どんな立場の人であれ相手にも相手の価値観や思いがある。それを無視した支援はかえって独りよがりな傲慢な押しつけの支援でしかない。
 しかし、残念なことに自分の支援に自信がある人に限って謙虚さを失い、相手から信頼されていないことにも気づかないのです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。

つぶやき

民生児童委員の研修で「発達障害」を学ぶことになりました。講師をとあるNPO法人で発達障害児者の支援をしている方を招くことになりました。そのNPOと関わりがあり、自身のお子さんも引きこもり経験がありそのNPOを会場に不登校や引きこもり関係の親の会を主催している方を通して講師の先生に連絡を取ってもらい、当日は講師の送迎を手伝い、その世話した方も研修の場に参加していました。

 講師の話を聞き終わったあとの質疑応答の会話の中で、その方はとても腹がたったそうです。
 たいてい、民生委員や児童委員を委嘱される人と言うのは、元学校の先生だったり地域でも一目置かれているような人たちが多いのですが、その方がおっしゃるには、「自分の地域や保育園や学校にもこういう発達障害の子どもがいるけど、そういう子どもたちを導くためには、親の関わりもきちんと指導しなければならない」というニュアンスで話ていたそうです。
 それを聞いたその方は、「あななたち、いったい何様のつもり?」とはらわたが煮えくりかえったと言います。
 そこには、「発達障害の子どもたちをきちんと導いてあげなくてはならない」という上から目線のニュアンスをひしひしと感じたと言います。
 「ああいう人たちって、元学校の先生とか自分たちも指導的立場にいた人が多いから、名誉職である児童委員や民生委員になっても、そういう態度がぬけきらないんでしょうね」と言っていました。
 ご自身のお子さんも不登校や引きこもりを経験し、親としてもいろんな相談機関や医療機関のお世話になり、親として子育ての在り方を勉強しているがゆえに、そういう名誉職の人たちが本当に親身になって考えているのか、単に上から目線的な学びなのかなんて質問のやりとりを聞いているだけでなんとなくわかるものなのでしょう。

 学校の先生にありがちな「指導性」を醸し出している人が、人の相談にのるくらいやっかいなことはありません。自分が優位になりたいし、相手〈相談者)を導こうという雰囲気がありありですから・・。そんな雰囲気と言うものは、そういうお子さんを育てている親にとってみれば、相手がそういう方向で関わろうとしてくるのかなんて敏感に感じるものです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。


 

地球の名言

プロフィール

TTmama

Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

カレンダー

01 | 2013/02 | 03
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 - -

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

訪問者

全記事表示リンク

フリーエリア

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR