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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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知的障害者の成年後見制度をめぐる裁判

 ダウン症の障害をもつ女性が、成年後見制度利用している人から選挙権が剥奪されるのを不当として裁判をおこしていた判決が昨日のTVや新聞のニュースで取り上げられています。

 裁判長の判決では、「選挙権はこれまでどおり行使できる」というものでした。

 この裁判については、私も市民後見人の講座を受講したときに聞いており、裁判のゆくえが気になっていました。
 ダウン症の障害をもつ50代の女性は、障害者の通所施設に通いながら両親と生活しています。
 20歳を過ぎてからは、選挙に行って自分の好きな候補者に投票することをとても楽しみにしていたといいます。毎回選挙があると、父親から候補者の人となりを説明してもらい、投票日には一度も棄権したことがなかったそうです。
 親も高齢になり、将来の生活を心配して、成年後見制度を利用することに決め、申し立てを行ったら「後見」相当との審判が下り、父親が後見人に選任されました。
 しかし、今の法律では後見人が選任された被後見人には選挙権がないということになっており、彼女は何十年と行っていた選挙ができなくなりました。
 まだ、「補助」や「補佐」というレベルだったら選挙も補助人や保佐人の支援のもとで投票はできたかもしれませんが、テレビで拝見する限り、いくら知的障害とはいえ、記者会見にも感想を聞かれて堂々と自分の気持ちを語っており、あれで「後見」相当とはちょっとオーバーな感じも受けるのでした。(後見相当となれば認知症などかなり判断能力が低下している場合が想定されますが、知的障害の場合はせいぜい「補佐」程度のランク付けでもいいのでは?と思いますが・・)

 結局「後見」相当と判断されたことで、これまで楽しみにしていた投票ができなくなり、今の法律の不備を親子で訴えることにし、2007年に裁判を起こしました。


 提訴から6年近くかけてようやく判決がでました。
 それも、新聞報道などでは、裁判長の心ある言葉と障害の人にもわかりやすい内容で「堂々と胸を張って選挙に行ってください。」とコメントしたそうです。 画期的な判決だと思います。

 
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支援者の人間観

 障害の分野に限らず、世の中の職業には人を「支援」するという立場で仕事をしている人が数多くいます。

 なんで自分は人相手の仕事をしたいと思ったのか?

 人間が好きだから? 

 支援者の中には意外と人間嫌いな人もいますよ。自分のコンプレックスを埋めたいがために、自分が対象者よりも「優位」にたてる立場になりたいと思う人も少なからず存在します。

 「あなた(支援者)にもし障害のある子どもが生まれたら、どのように子育てをしていくつもりですか?」
 「あなた(支援者)の親が認知症になったら、どのように介護していくつもりですか?」

 そのような質問を投げかけたときに、どう応えるのでしょうか?

 意外と人の支援をしている人に限って、自分の狭い価値観から抜け出せず、親族の介護や子どもに障害があることなどを認めたがらない傾向の人も少なからずいます。

 教師が学力の低い子どもや障害のある子どもを指導する際に、クラスではそういう児童にも理解のある人間と思われたくて熱意を持って指導していても、家庭ではわが子には「障害がなくてよかった」「塾にも行かせてとにかく成績がよく、進学校へ入ってもらいたい」と考えるように、支援している相手と、家族や身内への思いは違うものなのでしょうね。
 私は、そこに支援者の欺瞞を感じてしまいます。

 
 相手を外見や職業など目に見える部分だけで判断して評価している支援者のなんと多いことか。

 以前療育の仕事をしていた時に、ダウン症のお子さんをもつ親御さんの職業はいわゆる「的屋」でした。外来通院当初からお父さんもお母さんもわが子の療育には一生懸命で、私たちの指導した内容を一生懸命に家庭でも実践してくれるような親でした。その後、母子で療育センターに入所して3ヶ月間訓練指導を受けるようになりました。母子で入所している時でも、お父さんは時々面会にもきてわが子をかわいがっていました。
 私もその親子の担当になったこともありましたので、両親の子どもに対する愛情の深さがよくわかりました。
 あるとき、職場の飲み会の席で、その親子のことが話題になりました。
 上司や同僚たちが「○○ちゃん(子どもの名前)の親は的屋なんでしょう。あんな仕事をしていて・・・・・・」というような親の職業を卑下するような会話が飛び交いました。
 職業が職業だから、両親はあまりわが子にも愛情をかけないんじゃないかと、先入観だけで話をしているのでした。

 私はその当時、直接その母子の担当になっていて、毎日の訓練の日課を本当に一生懸命に子どものために頑張っている姿を知っていたので、その時は本当に涙がでるほど悔しかった思いがありました。そしてなんとか誤解を解こうと私なりに母親弁護をしたような記憶があります。

 専門職と言われている人でさえ、そういう見方をする人がいるということです。それがまた、自分の上司であったりすれば、この上司の人間性も疑ってしまいます。

 そしてそういう価値観を持つ人と言うのは、一般的にはどこか、自分に変な自信があり、謙虚さが足りない人が多いようです。でもいかんせん、そういう人に限って、業界関係者の間では「できる人」と評価されてしまう人たちなのです。(しかし、業界関係者でない人たちからみたら、相談したくない人として評価されているのですね。)反面教師として、学ぶ場面は日頃の職場にはたくさんあります。(残念ながら・・・)


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現状と政策の矛盾

 行政には外部機関から様々な調査物やアンケートの依頼がきます。

 福祉関連の調査物だと、その範囲が多岐にわたっており、(介護保険サービス等に関する高齢者福祉分野、障害児(者)福祉分野、児童・子育て分野など)だれが主にその記入を担当するかでたらいまわし状態になることもあります。
 アンケートの中身をみていると、「貴市町村で住民のニーズが高い課題や足りない制度やサービスはないか?」という項目がたいていは書いてあるのですが、当市ではその回答を各担当課(係)の中間管理職程度の立場の人が記入していますが、ほとんど回覧される中身をみると、「サービスが足りている」「住民からの要望がない」などいう欄にチェックしている例が多いのです。
 もちろん、アンケートも次から次へといろいろな機関から送付されてくるため、いちいちまともに答えていたらきりがないということも正直なところではありますが、たいていの自治体では、このようなアンケートに対してまともに返答をしているのだろうかと思いたくもなります。
 しかし、一方では、地域資源がなかったりしていても、その資源を開拓したり、新たにNPOなど民間活力を活用し協働したり、新たな政策や事業を作ろうとする機運がないのも事実。

 ある子育てサークルを主催していた方が、「ここの市はNPOを育てようとか、新しい試みを私たちがしようとしても、“よけいなことをする”みたいな態度だもんね」と言われたことがありました。
 特に障害児(者)支援に至っては、ほとんど進展がないままです。行政の職員は数年で異動ということもあるからか、自分たちの所属している期間は目新しいことをしないで無難にことを済まそうとしている場合もあります。
 人も予算も減る中で、何を優先にしていくかと言えば、結局今やっている目先の仕事だけで精一杯というのもわからないではありませんが、住民ニーズにこたえるような施策の展開までにはなかなか難しいものがあります。

 当市は県内でも生活保護率が一番低く、また介護保険料も県内では3番目くらいに安い市になっています。
 じゃあ、生活保護に該当する市民が本当に少ないのかと言えば、窓口では生活に困って相談に来る人は少なくないのですが、担当者が窓口でやんわりと断ってしまっているという実態があります。今、自民党政権になってますます生活保護費の削減が言われる中、給付抑制というものはこの先も進んでいくことが懸念されます。
 また、介護保険料が少ないことはイコール元気高齢者が多いという根拠にもならないのかもしれません。住民が必要とする介護サービス機関がないため、サービスを受けたくても受け皿がないという課題もあるのです。しかし、その課題があっても、決してじゃあ新しいサービス資源を作ろうという発想にはならないのです。
 「どんどんサービス事業所が増えていけば保険料も上がるから事業所は今後新規参入を受け入れない」という方向性に走りがち。
 
 とある地域で不登校や若者の就労支援をしているNPO法人では、フリースクールを運営する傍ら、国の委託を受けて「若者サポートステーション」という相談機関も担っていますが、そこで相談のあった若者を就労の場に紹介したりするなど就労支援も行っても、結局対人関係の難しさを抱え、再び戻ってきてしまう実態を問題視し、自分たちのNPOで居酒屋をオープンさせ、そこで接客など人とかかわることを学び社会に出る前の中間的な居場所となるような試みを行っています。
 その代表者に行政の協力や理解などをお聞きすると、「ダメですね」と一言。でも中には個人的には応援している人もいるのですが、組織的にそういうNPOなどと協働して若者の就労支援を本気で考えていこうという姿勢はないような感じがします。
 
 障害者の社会参加や就労の場がなかったり制限をうけたり、それがもとで経済的にも困ったり、親の介護で仕事ができなかったりなど、個別的な事情を考えれば本当にさまざまな生活問題などは巷にはたくさんあるのですが、そういう人たちをどのように支援していくか、具体的な発想もないまま、申請主義だからと言っていろんな制度を知らない人はそのままほったらかしになっている実態も現実には見受けられます。


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虐待防止法に思う

 児童虐待・高齢者虐待防止法に続き、障害者虐待防止法も昨年より法制化され施行されました。

 各市町村からあげられた件数を都道府県が取りまとめ、さらには国へ報告する形となります。

 昨今の生活事情もあり、また防止という観点からの啓発や周知の成果もあってか、関係機関からだけではなく、比較的地域の人からも匿名での通報も寄せられたりすることも増えてきています。

 しかし、疑わしき情報であっても、一度そういう情報を聞けば行政機関は「虐待防止マニュアル」に沿って、事実確認を行い、緊急性の判断を行ったり、虐待と認定するかの会議を開き判断する義務が生じてきます。
 この虐待と判断するかしないかの判断が、市町村によって、また担当部署の考えによっても温度差があり、件数の違いとして報告されていくのだと思います。
 〈何でもそうですが、国や県に報告する数字なんて案外あてにできないところがあります)

 この虐待を巡る判断の違いに、介護保険サービスを提供しているケアマネジャーやサービス事業所との間に温度差があったりすると、現場で仕事をしている人たちから見れば「介護をしていればちょっと叩きたくなったりすることだってあるでしょう。ある一線を超えない範囲ではどこの家庭にだって多少の波風や介護者のストレスはつきもの。でも、この介護者はきちんと親の面倒を見ているし、けっして虐待者なんかじゃない!」と評価しているのに、自分たちの価値観や虐待のマニュアルだけに頼って判断して、その介護者を「虐待者」と判断してしまうといったことがあり、ますます行政と事業所の感覚のギャップを広げる結果になった例もありました。

 また、地域の人や民生委員からも通報があったりするのですが、高齢者に限らず児童でもそうですが、通報する前にもっと地域的にそういう家庭にある人に対して何か手を差し伸べる手立てがないのかと思ってしまいます。
 
 介護ストレスに陥っているとか、子育てで相談する人もなく孤立しているとか、そんなことも大きな原因だと思いますが、誰か信頼できる人がいるだけで比較的精神的に支えられれば、事が大きくならないでも済むのにと思います。
 
 さきにあげた高齢者の事例では、留守の際には認知症である母親の見守りを日頃から頼んでいる隣家の信頼していたと思っていた人からの通報だったために、介護者である娘さんはその隣人の対応に不信感をもってしまいました。
 定期的に入っているヘルパーさんたちは、介護者の家庭内での世話の仕方に「虐待じゃない」と認識していたのでしたが、娘さん不在時の認知症状の様子やその高齢者が発する言動(「助けてくれー」「娘に殺される―!」といって隣家に駆けつけるそういう行為(ある種のせん妄症状なのでしょうが)を見て、娘さんが虐待しているのではないかという通報をしてきたのです。

 高齢者に限らず、児童でも特に発達障害の特性から、多動だったりいろいろ親を困らせるような行動をとったりしていれば、ついつい親の方も声を荒げて怒ってしまったり、時には叩いてしまったりということだってないわけではないでしょう。
 しかし、そういう個別の内情を知らないままに、世間的にはそういう声が家から聞こえ漏れるというだけで「あそこの母親は虐待をしているのではないか?」と、行政に秘密裏に通報してくる例も実際にはあるのです。

 だからこそ、行政側も虐待かどうかの判断は慎重にしていかなければならないと思うのです。 

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寄り添う支援ができない人たち

 地域包括支援センターには保健師・社会福祉士・主任ケアマネジャーという3職種の人員配置が必要であり、3職種が連携を図りながら相談支援をしていかなければならないわけです。
 当方は直営の包括支援センターなので、市町村行政の機関でもあり、「福祉事務所」機能も持ち合わせています。
 わたしも主任ケアマネジャーとして立場上包括支援センターに所属していることになりますが、他の保健師や社会福祉士との連携が苦手です。と言うよりも、連携を図る相手として「難しい」人たちです。

 最近、居宅介護支援事業所のケアマネジャーやサービス事業所の人たちが包括支援センターに寄りつかなくなりました。
 人事異動でこれまでいた保健師が異動になり新たに配属された保健師の存在も理由です。彼女たちの日頃の言動や支援の方向性を見ていると、社会的弱者に「寄り添う」と言うよりも彼らは「どうしようもない対象者」「指導助言の対象者」ということになります。
 すべてが「上から目線」「見下した態度」で接しやすいタイプの人たちです。自分たちの支援がいちばんだと感じているので、ほかの支援の展開をあれこれ言える雰囲気も職場ではないのです。人の陰口を言うのは日常茶飯事。だから他のセンターのメンバーも反論などすれば自分にそのとばっちりがくるのを恐れて結局は彼女らの意見に同調せざるを得ない雰囲気になってしまいます。本音と建前をうまく使い分けて皆ポーカーフェイスで当たり障りのないように接しています。

 ケアマネジャー支援でも「できない」ケアマネジャーには最初から色眼鏡で評価し「あのケアマネはだめだ」と指導性をますます強くしてしまいがちなところがあります。最初から自分たちに反論してくるケアマネやサービス事業者は「駄目な人」というレッテルを貼られてしまいます。


 福祉の専門職といっても、利用者への言動を聞いていると「私のいうことを聞きなさいよ」という態度ありありの発言で対象者に接していることが多いように思います。

 私の方には個人的には「最近包括には相談に行きにくくなった」「あの二人は強すぎて嫌だ。前の○○保健師さんは本当によかった」「職員の雰囲気が悪い」「自分たちが周りからどう思われているかあの人たちはわからないんじゃないか」と何ヵ所かの事業所からはそういう声を聞いていますが、面と向かって言わないまでも、みな事業所はそういう雰囲気を感じていることと思います。

 先日ある事業所のケアマネとヘルパーの管理者の3人で女子会をしましたが、以前あるケースでうまく連携が図れて最高にい支援ができたチームのメンバーでした。
 3人で他にも「うまく連携が図れたケースの支援」をそれぞれ振り返りながら聞いていると、そのキーワードはいかに利用者に「寄り添える」かでした。そこには支援者の人間性もとわれることになるかと思います。
 どんな境遇の利用者であれ(仮に発達障害や精神障害などを抱えている人でも、それをもって偏見のまなざしを向けることなくという意味でも)、相手の人格を尊重し、相手の視点にたった支援が展開できるかという支援者側の人間観が問われることにもなるでしょう。支援者の「支援してあげた」という自己満足ではなく・・・。
 そういう意味ではそのような人間性を備えたヘルパーの管理者も非常に包容力のある方で、ケアマネジャーも共通のケースを通してそのような「寄り添う」支援の大切さと必要性を学んだのでした。

 今回、ある虐待(疑)事例にこの二つの事業所も関わった関係で、事業所やケアマネジャーはそのケースの介護状況は虐待ではないというとらえ方をしていたのですが、保健師や社会福祉士のとらえ方とのギャップで事業所内でも意見の相違があったのでした。

 事業所の管理者もケアマネジャーも、「日頃人を“自分の支援の方向に導こう”としたり、“上から目線”的な態度の支援者は、その風貌や雰囲気や言動を聞いていればわかるものだ」と言います。
 だからこそ、面と向かっては言わなくても、事業所内外では(こちらに直接聞こえてはきませんが、「最近の包括(センター)は雰囲気が悪い」という評判になっていくのだろうと思います。

 そしてその当事者がそういう認識がないということがいちばんの「井の中の蛙」。
 
 同じ理念や思いを共有できてこそ、本当の連携や「寄り添う支援」ができていくのだと痛切に思います。

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地域ケア会議

 介護保険事業計画(国・県・市町村が策定するもの)において、平成27年度からは、地域包括センターや保険者(市町村)が主体となり、「地域ケア会議」というものを開催することが義務づけられるようになります。
 この分野での専門職の方なら過去の経緯がわかるかもしれませんが、介護保険制度発足前は、国を挙げて高齢化釈迦への到来を前に「ゴールドプラン」「新ゴールドプラン」と称して地域の中学校区単位に「在宅介護支援センター」を設置して(たいていは社会福祉法人に委託など)、高齢者の総合相談の窓口となっていました。

 その後介護保険制度発足により、在宅介護支援センターはケアマネジャーの所属する居宅介護支援事業所にとって代わり、介護保険サービスを利用する相談の窓口になりました。
 その後は増え続ける介護給付費を抑制する目的もあり、要支援認定者は「地域包括支援センター」でプラン作成をするなど、サービスの制限なども含めた制度の改定が行われました。

 もともとはケアマネジャーによるサービス担当者会議でサービス量の調整や地域資源をも取り入れながらプランニングしていたことが、結局はケアマネジャーの能力格差もあったりする中で、サービスの抑制と地域の課題を見出すという目的で、行政にその責任を押し付け、行政がケアマネジャーやサービス事業者、地域の民生委員や関係機関を広く巻き込んで「地域ケア会議」を開催することになるようです。

 ある先進地をモデルとしたこの体制は、国の役人たちが全国展開しようということになり、今盛んに各県ではその準備のための研修や会議が行われています。

 結局は、ケアマネジャーが抱える問題ケース(認知症の徘徊ケースや多問題家族のケースなど)をいかに様々な関係機関を招集して問題解決を図っていくかということにもなるのでしょうが・・・
 
 そこで問題になるのが、こうしていろんな立場で会議に参加する人が多くなればなるほど、本当に解決の方向に導くための司会進行役である包括センターや行政の職員がどこまでそういう力量を発揮できるかという資質の問題や、参加者の意識が共有できるかという問題があります。

 ある民生委員は「徘徊高齢者は地域の人たちから迷惑だと言われれこまっているので、施設にでも入ってもらえればいいのに・・・」と日頃考えている方がいた場合に、「認知症になっても住み慣れた地域ですごすにな」というテーマでの話し合いにどこまで理解を示すのだろうか・・・。結局「地域の課題を探す」というその会議の目的があるにもかかわらず、「やぱり施設入所が望ましいい」などという結果にもなりかねないでしょう。

 住み慣れた地域で障害があっても認知症になっても、生活できる体制というのは、ただ単に介護保険サービスを入れたから大丈夫というものでもないのは当然で、ケアマネジャーにも地域資源をうまく取り入れてもらうことは必要なのですが、その地域ごとに抱える地域の雰囲気というものも独特のものがあるように思います。
 
 国は「高齢化社会→高齢社会」への流れの中で、「ゴールドプラン→新ゴールドプラン→介護保険制度導入→地域包括ケア体制」へと机上の理屈でいろんな方策を打ち出して行きましたが、結局は「社会保障費の抑制」というのがおおもとにあるわけです。
 
 ある居宅介護支援事業所の管理者が言っていましたが、この地域ケア会議は「“ケアマネジャーいじめ”にならないことだけを祈る」と・・。

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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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