FC2ブログ

ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

人間観察(PartⅡ)

 言い訳をしている人は、人にどう思われるか気になる人が多い。
 事実よりも、人にどう思われるのかの方が気になってしかたがない。
 しかし、人にどう思われるかは、その人の育ってきた環境、今いる環境、今日の体調、気分、さっき起こったこと等で、その相手の思うことはころころ変わる場合が多いので、私が「何かをしたことで、相手が思ったことは、相手の背景であり、私が向き合うのではなく、その相手が向き合うことなのです」

 なぜか、考えは一つしかないという感覚の人が多いようです。
 それは臨機応変な柔軟な環境にいなかったため、その練習がされていなかったのだと思います。
 私たちは人を判断するのに、何を見て判断するのかを、どう教わってきたのでしょう。
 表面上わかりやすいことではないでしょうか。
 学歴、経歴、資格等・・・
 
 でも知っているはずです。それでは判断できないことを・・

 自分のことに向き合っていない人は、ひまな人。
 だからこそ、いろいろなことがうまくいかず、イライラしています。
 イライラしているから自分より立場の弱い存在に八つ当たりをしたりコントロールをして自分の満足感を満たそうとします。
 八つ当たりは、いちゃもんのかたちで現れることが多い。(歩き方が遅い、すぐ行動しない・・・)

 価値がない言葉に躍らされている人は多いです。
 言葉自体もあまり意味がないことが多いです。
 言葉でいくら言ったって、行動が伴っていなければ価値がない事になります。
 しかし、言葉だけの人、言うだけの人、口だけの人、残念ながらたくさんいます。
 その人たちは実際に行動しなくても、その言葉だけで価値があるということを押しつけてきます。
 しかし、事実は行動を伴わない言葉に、価値はない!といっても過言ではない。
 それが理解できてようやく言葉だけの人を見分けられるようになります。
 それを見分けられるようになると、否定する人はだいたい「言葉だけの人」だと分かるようになります。
 そうすると、本当に少しずつですが、否定されても自分で確認したことを繰り返して自分の身につけていくことができてきます。
 相手が自分のしてきたことを、自分が思っていることを認めてほしいがために言いきる人は、自分の考えを認める仲間を作り始めます。
 その人は、職場で力のある人だったりします。
 ですので、そのことを認めていかないと、そこでは生きていけません。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。
スポンサーサイト



自分の心と向き合えば・・

 (ある媒体から)
 
 人の行動、言葉、重いには必ず隠れた感情がある。
 必ず自分だけの理由がある。
 その感情には、幸せな記憶、辛い記憶が混ざり込み、余計感情の回路を複雑にする。
 たとえば、あの人が嫌いという気持ちがあるとすれば、
 なぜ、嫌い?
 どういう言葉、態度が嫌い?
 どうしてその言葉が嫌い?

 拒絶したい気持ち
 怖い
 心がチクチクする
 堕ち込む

 なぜ堕ち込む?
 なぜ怖い?

 そこから先を認めたくない自分がいる。
 新たなすがりつく理論がほしくなる。
 しかし、受け入れたくない気持ちに、うっすらと気づきはじめる頃

 ここで二つの道ができる
 認めるか、認めないか
 たったそれだけのこと
 認めないことを選べば、武装するしかない。
 認めることを選べば、自分と和解するしかない。

 もともと自分を信頼するという心の基盤がある人は、
 そういうことは一瞬で越えてしまう。

 結果を求めるあまり、自分の感情にふたをしたままそこに自分を無理やり合わせようとしたとします。
 そして無理やり見守る形を作り上げようとします。
 それらは、往々にしてつながりがあやふやで、自分でつぎはぎした理論だったり、矛盾した理論だったり、言い訳だったりするわけですが、どちらにしてもその見守りは、ただ我慢しているだけの状態にしかなりません。
 人は我慢して見守ることなんかできっこありません。
 どこかで必ずボロが出ますから。
 自分の感情を、うそで塗り固めても、感情ははけ口を求めて爆発しようとしますから。
 結果や理論を先において、そこに自分をあてはめる。
 自分の気持ちを理屈づけするとき、何も目的がないとか、結果が見えないことがすごくおそろしいから。

 自分に向ける瞬い眼差しがあって、はじめて他者への見守る慈愛の眼差しが可能になるのではないか。
 だから、特に不登校の親御さんには子どもをいじくり倒すより先に自分の感情を見つける大切さを伝えたい。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。


人間観察

(ある媒体から)
 
 親が問題が明確になっていても、解釈しようとせず、文句ばかり言っていたら、その子どもは問題は解決しなくても、文句を言っていればいいと学んでしまいます。
 もし、親が問題に向き合わずに、ごまかす人であれば、それを見てきた子どもは、かなりの確率でごまかすことを学びます。
 文句を言って、何も自分は動かない人の実態では、自分自身は「何もできない人」である場合が多いのです。
 できる人は、文句を言って過ごすことがあまりないように思います。
 なぜならば、問題があるなら解決しようとするからです。解決するために、どうすればいいのかを考え行動し、その行動から得た結果を基に、また考え行動する。
 この繰り返しで、ある程度のことは解決します。
 
 物事をきちんととらえようとする人は、言いきることができない場合が多いです。自分に自信がなくて、でもそれをごまかしている人は、物事をとらえるよりも、自身がない自分を悟られまいとする感覚が強いことが多いので、自分の防衛のために言いきることが多いようです。
 そういう場合でも、そのような人は「私はごまかしていない」と、言いきるのですが、ですのできちんと物事をとらえていこうとする人の方が、損をすることが多いです。
 しかし、本当はきちんと物事をとらえようとしている人の方が、視野が広く学ぶ姿勢もあり、臨機応変に対応でき、成長していくので、年月がたつにつれて、実力的には本当にかなり差が開いていくと思います。
 しかし、現実には言いきったものの勝ちの世界が多いので、その能力は発揮できない場合が多い。

 言いきっている人の特徴は、強引な人が多い。
 言いきる人は、自分を認められていない人が多く、その思いは自分の考え、主張を認めて!という心理。
 子どもの頃に周りの人や親に受け止められてこなかった感覚なので、親はだめだったけど、今度こそは親に認めてもらうんだという感覚がある場合が多い。それには強い立場が必要ですので、強い立場になれるよう、頑張っているところもある。
 それが少しでもいい学校、いい会社へと入ること。
 そのため、幼いころから勉強漬けにさせられていることも。
 それは、子どもに苦労させないためと、心の底から思っている人が多い。
 そうした方が、強い立場になる可能性が高くなる。

 大人になると、視野が狭くなることが多いよう。
 大人になると、他の人からあまり言われなくなるし、アピールには中身がないことを知り、残念ながら現在か過去形の話が多く、未来を見据えての話はなかなかないようです。
 自分の未来が見えてこないと、人はひまをもてあまします。
 そうなると、自分の意見が通る人に意見を言ってひまをつぶそうとします。「心配」というアイテムを使いながら・・。
 そうすることによって、自分の存在をアピールする。

 自由なんてなれるわけがない! 皆しがらみのなかに生きているでしょう!と、わかったようなことを言いますが、その皆というのはせいぜい数十人、だいたいは数人のお話です。
 もし、その数人がみな気づこうとせず、しがらみのなかで生きているから、おそらく一生抜け出せなくて、人生を終えていきます。
 しがらみを一つひとつ検証していくと、しがらみでも何でもなく、思い込みに過ぎないことが多いです。

 自分の人生を大切にしている人は、しがらみが自分の人生にとって、必要なものか、そうでないかを考えることができます。
 このように書くと、視野が狭い人はそれは自分勝手というものだ!とか、一人ひとり違った人生なので・・・ということを言います。
 知ろうとしない人が、何かあったときに言うセリフが、「話してくれれば良かったのに・・・」という言葉です。
 その言葉を言っている人たちは、おそらく自分が話したくない人だと思われていることに気づいていない場合もあるように思います。
 例えば、気を遣わない関係性は、「人の悪口を言える関係」と学んでいる人は、人の悪口を言い合うのが親しい関係だと相手に押しつけます。
 押しつけられた相手は、そんなものかと感じて従うか、同じようなことを学んできた人は「そうそう」と共感し合うとか・・・。
 「仲が良いということはどういうものなのか?」を探している人が、食事に行ったり遊びに行ったり、旅行に行ったりすれば、中がいいように見えるので、そうすることによって自己満足をしている人たちが多くいるようにお聴きします。
 よく言われる「相手を理解すれば、自分も理解してもらえる」ことを実践したがりますが、そうすると自分も理解してもらえると、気づいた人に依存されてしまう人も多いのです。

 自分の世界に入って、それぞれの経験、知識でその目の前でおこっていることが、どういうことかを判断していることが多いのです。
 目の前でおこっていることなど、あまり意味がなくそれを立場が強い人がどう判断するかが問題になってきます。
 家の中では、その立場の強い人は親です。
 子どもたちは親がどう判断するのかの方が、重要にさせられてしまいます。
 そもそも子どもは目の前のことを、そのまま捉える能力はついていると思います。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。

知的障害者を扱った映画から

 今、公開中の「くちづけ」という映画を鑑賞してきました。

 知的障害者のグループホームを舞台に、知的障害を持つ娘を抱える親の想いというものが、あふれんばかりに描き出されています。
 
 この映画は、昔あった事件(年配の方が障害者の息子だったか弟だったかを自分の命が残りわずかであることを知り殺してしまったというもの)をモチーフに描かれています。
 テーマは重いのですが、キャラクターのユーモアさも交えながら、ほのぼのと愛情をちりばめ、しかしながら最後は切なく胸が痛むようなストーリーになっています。

 貫地谷しほり演じる知的障害の娘は、竹中直人扮する父親と一緒でないと暮らせない。父親は本業の漫画家を休業してまで幼いときから母親亡きあと男手一つで育て上げてきました。
 施設に預けても脱走したり、またある事がきっかけで男性恐怖症になり父親以外の男性には拒否を示すので、父親も住み込みで娘と一緒に生活できる、知的障害者のグループホームに入居します。そこで他の入居者と楽しく暮らすはずでしたが、ある時父親が末期のがんにおかされていることがわかりますが、父親はそのことを誰にも言わずに秘密にしています。
 やがてグループホームも事情があって閉鎖になり、父親は娘をある入所施設に預けますが、娘は脱走を繰り返し、行方不明になります。
 父親は自分の亡きあと、娘の行く末を案じ、最後は父親の手で娘の首を絞めることになります。

 映画の中では、知的障害者がおかれている現実も映し出します。「偏見や差別的発言」もあえて彼らを美化することなくあるキャラクターを通じてそのようなセリフを言わせる場面もあります。
 また、「ホームレスや、軽犯罪を犯す人の何割かは知的障害者だ」というようなセリフも言わせています。
 それに対し、主人公の父親役を演じる竹中直人が反論するセリフが、実に今の社会の現実への反発をよく語っています。
 映画のなかで、この父親は娘よりも確実に早く死んでしまうことが明らかなのに、娘は父親以外の場所や人には慣れずに施設を脱走する。そんな娘の行く末を案じる父親の想いが彼のセリフを通して私たちにとても重いテーマを突きつけてきます。

 最後に1冊のアルバムを残し、その父娘の写った幼少期から大人になるまでの親子で撮ったアルバムの写真をスライドに流してグループホームの住人だった人たちみんなで鑑賞するところで映画は終わっています。最後のシーンは本当に愛情いっぱいに育ててきたその深さが切々と伝わってくる場面ですが、だからこそ、娘を思うあまりの(殺してしまう)行為に涙があふれてきます。
 
 一人一人の心のなかに訴える作品だと思います。

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。

どういう人に支援されたいですか?

 最近、職場の雰囲気が悪いです。
 負の感情が蔓延しています。
 職場の人間関係の悪さが、利用者への対応の仕方へも影響してしまいます。

 いろんな相談が入ったりすると、内容をみんなで共有しようと伝達するときも、そのケースの内容を聞くと自分たちの先入観で相手を評価し見くだした発言をする人もいます。
 
 保健師や社会福祉士なんて相談のプロと豪語している人に限って、自分の方に相談が入らない事を面白くないのか「なんで、私に相談に来ないであの人に相談するのか」と、同じ同僚ですら猜疑心で見ているのです。

 日頃の会話を聞いていると、職場の個々の人たちの本音が透けて見えてくるのです。
 「私は専門職として仕事ができる」「専門性を持って仕事に当たっている」と自己評価している人に限って、いざ障害者や高齢者の支援にかかわろうとする時には、「あんな精神(障害)の人はほんとうに厄介で困るねえ」とか、どうしても障害を持つ人というのは、自分たちが「なんとかしてあげなければならない人」という認識なのですね。障害があっても認知症があっても、そこに一人の人間としても尊厳ある態度ではなく、それはそういう人たちの話題になる時は、相手を呼び捨てで話していたりすることでもわかります。専門性の前に人間性が問われる問題ですが、当の専門職の方はそういう言い方がさも当たり前のごとくしゃべっているのです。

 人を支援するような職業に就く人というのは、それぞれどういういきさつでその職業を選んだのかは、一人一人理由が違うでしょう。

 推測ですが、うちの職場には、母子関係のひずみから、自分がその母親に認めてもらいたくてももらえなかった生い立ちのなかで、母親と同じ職業に就くことで認められんとし、保健師になっている人もいます。
 でも、どうも彼女の話を聞いていると、自分の考えが一番なので、すべて自分以外の考えをする人はすべからく否定的に相手を評価します。
 そして彼女の口からは、人間というものを肯定的にとらえる発言を聞いたことがありません。普通の人(障害を持っていない人)に対しても、話のなかで決してほめたりすることはなく、いかに相手をけなして(批判して)いることで自分の考えが正しいと主張するのですから、ましてや障害を持つ人というものは、すべからく「自分より見劣りしする人」「私が支援してなんとか変えてあげたい人」という評価になります。支援者と対象者の関係が上ー下の関係でしか成立しないことになります。
 彼女に限らずそういう考えの支援者も、けっこう多くいたりします。

 自分だったら、自分の子どもだったら、どういう支援者に相談したいかというものを突き詰めて考えるときに、「専門職」などということはあまり関係がないようにも思います。職場で周りから「仕事ができる人」「業界では一目おかれている人」という外部評価をされていても、その内実を知っていると、そんな評価は関係ないとすら思えてくるからです。
 
 以前、子どもの事で自主的にワークショップや勉強会に参加しているある民間の機関で、講師に招聘された人は、当事者の母親で、不登校・ひきこもり・家庭内暴力・アルコール依存症を経験した息子さんを持つ方でした。当事者の親として「子どもの心が分かりたい」と、その(民間の)主催するカウンセリングの勉強を通して学び、現在はNPO団体でボランティアとして相談支援に当たっている70代の女性でした。

 その方は言います。
 「自分も息子のことでいろいろあったけど(今もアルコールの方は完治せず、入退院を繰り返している)、決して警察や行政に相談しようとは絶対思わなかった」と。
 「同じような立場の親や子どもたちに寄り添いたい」といって、携帯電話をいつも肌身離さず持ち歩いているのだと。息子さんの悩みは解決したわけではないけれど、「息子さんの問題」と「自分の人生の使命」を分けて考えられるようになったと言います。
 そして、わが子のことについては決して突き放すわけでもなく、ある意味では一人の人間として息子さんをも客観的に見守り自分自身の人生と息子さんの人生は別々なのだからと、いい意味でカウンセリングでいうところの自己一致もできている方でした。
 
 同じような境遇にならなければ、分からない感情的な思いも沢山あるでしょう。でも、必ずしも同じような体験をした人ばかりが支援者になることはほとんど少ないわけで、だからこそ、支援する人というのは、いかに共感的に受容できるかという理論をその専門性として叩きこまれるのでしょうが、なかなか実際は、そう簡単には支援者もそこまで人格的に寄り添える人ばかりではありません。

 今、包括センターに相談が入る似たようなケースの場合、対応するスタッフたちは一様に「そういうことは(精神科の)病院に行くべき」「警察にまずは相談しなさい」という指導的意見を言うのが自分たちの役目だと思っている人が多いし、その根底には「何か事件が起きた時」のことをいち早く考えてしまうがゆえについ「臭いものにフタ」をしたいという心理が働くからだと思います。
 そこには、一緒に悩みに寄り添い、一緒に考えていきましょうという姿勢がない支援者もいます。どうしても公の機関にいる専門職などは、組織に内向きになってしまいやすいのです。
 一人のケースに寄り添おうとすればするほど、「一人の人に肩入れして」という批判も付きまといます。
 また、その講師の母親がおっしゃっていたように、やたら民生委員や警察が介入して成功した事例はあまりありません。結果的に当事者を「悪者」にして(措置)入院や事によっては「逮捕」などという方向へ進んでしまう傾向もないわけではありません。
 だから、そういう民間の相談機関にやってきている親御さんたちは、その支援機関が信頼おける機関であればあるほど、行政などには相談しようと思わないようです。
 
 誰に相談するのか、そこには、そういう内情(悩み)にきちんと寄り添い、決して自分たち(支援者側)の価値観や先入観を捨て、相手を「こういう人は○○だから」といった決めつけをすることなく向き合ってくれる人を嗅覚を鋭くして探しているのです。
 
 そういう人や機関というのは、何も大きな組織である必要もなく、ネームバリューのある機関である必要もないのです。たいてい、行政が用意する相談機関があまり的を得ないのは、その辺の理由にも影響します。

 プライドばかり高い支援者、技術や理論ばかりに頭でっかちで肝心の「寄り添う心」のない人、「私が○○してあげたい」心ばかりで相談者を上下関係でしか見れない人、当事者の前では立派な言動や優しさを醸し出していても、いざ対象者のいないところでは、相手を呼び捨てで批評したり、建前と本音の違う人、そんな支援者とたくさん接してきて、どういう人間性を持った支援者にめぐり合うかというのは、本当に支援される人にとって大きな課題なのです。
 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。

チームプレイ(連携)の難しさ

 関わる職種が多くなればなるほど、その中の人間関係がやたら複雑になってきます。
 本来、目の前の当事者(相談者)のためのカンファレンスもサービス担当者会議も、一見その人のためにやっているというよりも、それぞれのスタッフの職域間の縄張り意識が働いたり、誰が主導権を握るかに心の中では躍起になっていたりする場面も見え隠れします。
 しまいには、当事者の前で専門職同士が言い争いになっていまったりということも・・。肝心の当事者は難しい専門用語を並べられても理解できずに、なんとなくその場の雰囲気で、スタッフ間の人間関係をあっさり見抜いてしまうものです。

 以前、療育センターに勤めていた時の情景が目に浮かびます。治療理論や訓練方針も異なるリハスタッフ(PT・OT・ST・心理職・DR)間の子どもの処遇を巡っての主張の違い。
 フロアーにスタッフが円陣になって座っている輪の中にその脳性まひの男児と母親が座らされ、我々スタッフの主張をじーっと聞きいっていました。
 あとで職員室に戻ってきた上司は自分の主張する方針を理解してもらえないSTに腹を立てていました。

 でも、後々その親子にお会いしたとき(もう立派に成人し、母親が理事長になり障害者の作業所を立ち上げ、当時訓練していたお子さんの何人かがそこを利用しています)、「○○先生と××先生は合わなかったものね。私は○○先生のやり方は嫌だったわ・・」
 当時を知る親たちは、スタッフの間にも個性のぶつかり合いがあることを知っていて、ST派、PT派に分かれていたり、PTのなかでも○○療法士はいいけど、××療法士は嫌だったと、面と向かっては言わなくても、今だから明かせるいろんな親の本音をぶちまけてくれたものでした。

 病院勤務になっても入院患者のカンファレンスや退院時のカンファレンスなど定期的に開いている時は、リーダーシップをとる主治医の人間性や価値観如何で、周囲のパラメディカルスタッフも同じ目線で方針通りにケアやリハビリが進むかということが大きな要素をしめます。病院では何といっても主治医の影響力は大きいのですが、私が勤めていたころは比較的そういうスタッフ間のトラブルは少なかったように思います。

 しかし、今、介護保険制度が加わり、医療と介護(在宅)の間でも連携というキーワードが飛びかっています。
 
 たしかに、一人の対象者にかかわるスタッフ数も格段に増えてきました。しかしながら、病院の方針が在宅の方向性とマッチしていなかったりすると、ケアマネジャーも翻弄されたりしますし、病院は退院すれば在宅のスタッフにお任せというような雰囲気のところも少なくありません。そうなれば、在宅のスタッフは病院のやり方を批判的に評価するようになったりもします。
 
 在宅のスタッフのなかでは、どうしてもケアマネジャーが中心となって自分が考えた支援計画を、サービス事業者に下ろし、サービス事業者はケアマネジャーの立てたプランにそれほど意見をすることもなく実施してしまうことが多いです。
 サービススタッフの中には、「ケアマネジャーが立てたプランには逆らえない」と考えているのか、あまり担当者会議でも自分たちの意見を言うところも少ないような感じもします。それは、とりもなおさず、「ケアマネジャーに選ばれる事業者」でなければ、その事業所の経営にも影響してくるからです。
 本来ケアマネジャーとサービス事業者の間も、対等な関係であるはずなのに、どうもケアマネジャーからそっぽを向かれると、紹介してもらえないと感じるのか、あまり事業者として意見をいうことが少なくなります。
 
 病院のパラメディカルスタッフのように、一つ一つの職域がそれぞれプライドと専門性(国家資格というのもあるかもしれないが)を持って仕事をしているのとは違い、介護保険サービス事業所ではそこまで自分たちの仕事に責任とプライドは持っていたとしても、どこか、ケアマネジャーには意見ができない雰囲気を醸し出させてしまうようなところもあるのかもしれないと思います。
 
 また、包括支援センターでも3職種(保健師・社会福祉士・主任ケアマネジャー)の人間関係が微妙なところでは、主導権争いや縄張り意識に目がいき、なかなかそれぞれの職種からくる専門性や意見を尊重できずに、その結果強い主張をする人の意見が取りあげられたりするなども現実にはあります。

 いろんなケアマネジャーや専門職と言われる支援者と接してきて思うことは、チーム連携を考えるときに、自分たちの職域の縄張り意識を優先するあまり、相手の価値観を受け入れ譲歩したりできない専門職も少なからず存在すること。そしてその結果、表面上は強調しているようにみせかけて各々心の中では納得感のいかないまま支援をそているパターンが実際は見られることです。
 そういう人は、利用者やサービス事業者、あるいは他の支援者のことを蔭ではいろいろ批判し合っています。(利用者の知らないところでは利用者の悪口さえ言っています)

 「地域包括ケア」だの何のって、国はいかにして医療費や介護保険給付費を抑制するために、地域力だとか、関係機関の連携だのと盛んに「地域ケア会議」を市町村や包括支援センター主催で開催する方向を打ち出してきています。
 病院機関でのカンファレンスでさえ、関わるスタッフが患者さんを見る価値観が違えば治療方針も違ってくるように、こと地域のインフォーマルな資源(民生委員や近隣までも巻き込もうと国は考えているようだが)までも含めた連携となった時には、ますますコーディネートする人の価値観や人間性や技量如何ではとんでもない方向に支援が展開されるのではないかとすら危惧します。
 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。

民生委員の会合への出席

 仕事で民生委員の定例会に出席する機会があります。
 民生委員に選ばれる方々というのは、元学校の先生だったり、公務員や会社員を経験したり僧侶だったり・・・いろいろな方がいます。

 とくに昨今は、高齢者の孤独死や地域見守りなどの課題が大きく、民生委員も自分の地区からあまり問題になる人をなくしたいという傾向もあり、ちょっと「大変な人」はどとらかといえば敬遠するような傾向にもあります。

 そして民生委員へのなり手がいないといいますが、けっこう地方では「名誉職」なので、同じ人が辞めずに継続していたりすることも多いようです。
 しかし、民生委員も「人によりけり」で、「守秘義務」が課せられているにも関わらず(自分の家の家族にもそういう個人情報は言ってはならないことにもなっているようですが・・・)、家族の誰かに担当している人の事を話したり、近所へもつい口を滑らせてしまうおしゃべりな方もいないこともありません。
 
 住民だって、「あの人が民生委員だったら相談したくない」という場合もあります。
 そして「この民生委員には早くやめてほしい」と思っていても、そういう人に限っていつまでもその役職にしがみついている傾向もあるようですね。うちの市の民協会の会長がぼやいていました。
 
 定例会で話し合われる内容はたいてい、自分の担当地区で、困っているケース(認知症・生活困窮者・引きこもりなど)の話題が多いのですが、民生委員の中には、意外とそういう人たちへの視線が上から目線での口調が多いようにも感じます。
 「ああいう人が地域にいると、周りが迷惑する」「なんとか施設に入れる方法はないものか」と、さも「厄介者」を早く地域から出してすっきりしたい胸の内が見えてくるのです。
 たしかに、担当地区で、何事か事件があったりすれば、「民生委員は何をしていたんだ」と言われかねないことを恐れてしまう心理もあるのかもしれませんが・・・。

 当事者たちだけ知らないだけで、けっこう地域住民からは「気になる世帯」の情報が民生委員に入っていたりします。
 最近、県でも「引きこもり」の実態調査を民生委員にアンケート形式で書かせて提出させています。
 「うちの地区には引きこもりが○○名いる」と、各民生委員が回答しているのですが、先日の会合の席でもその話題があり、ある地区の民生委員が「5名」と回答したと話していました。
 しかし、その中の2名は先日、地区の一斉清掃にも参加してきた(めったに参加しない方だったようですが・・)と言ったので、他の民生委員からは「それじゃあ引きこもりじゃないんじゃないか」と言われていましたけれど・・。

 民生委員の人間性によっては、あまり家庭の内情を知られたくないと感じたり、相談すらしたくないという人だって多いと思います。
 結構定例会で話す内容を聞いていても、そういう人たちを「下」にみて話している態度や雰囲気を見ていて感じます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ
にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ


ランキングに参加しています。

地球の名言

プロフィール

TTmama

Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

カレンダー

05 | 2013/06 | 07
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

訪問者

全記事表示リンク

フリーエリア

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR