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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

山口の事件に思う

 山口県の限界集落で起きた殺人事件で、63歳の男性が逮捕されたニュースを新聞やテレビで盛んに放映しています。

 15歳で東京へ出て、左官職人としての腕を磨き仕事に一生懸命だったが、両親の介護のため故郷へ戻り、親が亡くなるまではなんとか地域にも受け入れられて暮らしていた男性。
 一人暮らしになってから行動がちょっと変わってきだし、何かと村の人たちとトラブルに・・・。
 
 しかし、以前にはある被害者の一人から酒の席で口論になり包丁で胸を刺されたことがあった。その時点では彼も「被害者」であったわけです。
 「地区の人となじめない。自分が孤立しているようだ」と一度は警察にも相談を持ちかけていました。
 なんとかして、都会から戻った自分を受け入れてもらいたいという思いから、警察に相談するほど地域の人たちとの交流にはかなり葛藤があったものと推測できます。

 確かに、残忍な手口で5人もの人を殺害した罪は問われなければなりません。しかし、この事件の背景にあるものは、この男性だけの問題にすべてを転嫁してしまってよしとするようなものではないような気がします。 
 「異質なものを排除」する空気や視線が地域の人たちの中にはなかったのかと感じてしまうのです。

 この男性はきっとこの地域では、「変わった人」という認識をもたれてしまったのかもしれません。
 しかし、中学までは特に人間関係のトラブルはないまま、また40代で戻って両親の介護をしていた頃も、そういう印象は持たれなかったわけで、その時点までは地域での受け入れもそれなりによかったのでしょう。
 親が亡くなり、一人暮らしになってからは、地域住民の目も親が生きていたころとは違う何かを男性自身が感じていたのか、地域住民との関係に悩み始め、精神的に追い詰められてしまったのでしょう。その頃から奇異な言動が目立ち住民ともトラブルになることが多くなっていったように推測するのです。
 そのことが彼に「変わり者」のレッテルを貼り、彼もまた地域の人に受け入れられていない事で自暴自棄的な言動に走り、結果的にああいう事件にまで発展してしまった・・・・。


 かつて加害者だった人が被害者となって殺されてしまいましたが、いじめ被害者を追いこんで最後まで加害者は被害者のふりをして自分たちの価値観を正当化する構図とどこか似ているということをブログに書いている人もいました。
 「あいつがああいう態度だから、(胸を)刺したんだ」と、きっと生きていればその被害者は自分を正当化してそういうのでしょうか。
 
 誤解を恐れずに言えば、この事件の背景にあるものを無視しては本質は見えないような気がします。
 ただ、単に「殺人者」としてこの男性を悪者扱いするだけでは何も変わらない・・・。

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児童虐待増加の背景にあるもの

 今朝の新聞で児童虐待の件数が過去最多6万件を超えるとのデータを示し、記事にしていました。
 
 全国の児童相談所が2012年度に対応した児童虐待の件数は6万6807件で、前年度より6888件増えた。昨年度は10年前の2.8倍に・・。
 統計を取り始めてから22年連続で過去最多を更新。虐待件数は児童相談所が18歳未満の子どもについての被害通報を受け、対応したケースを集計したもの。
 厚労省は児童虐待の高まりや児相と警察の連携が進んだことなどで相談・通報が増えたほか、虐待そのものも増えているとみている。


 避難長期化、ストレス子どもに  虐待被災地で深刻化

 福島や宮城の被災地の仮設住宅に住む人から「子どもを殴ったり叩いたりしている」という通報が役所に入った。
 「お前なんかいらない」30代の母親が金切り声をあげながら、幼い長男を叩く様子が住民に目撃された。
 「仮説は狭くて、隣の部屋との壁も薄いのに、子どもは静かにしない。イライラをぶつける先がなかった」と面談に訪れた保健師に、専業主婦の母親はこう打ち明けた。
 「震災前は児童虐待の通報はゼロだった。隣近所が気になるストレスが親にあるのは間違いない」と保健師は話す。
 
 震災と原発事故に見舞われた福島県大熊町では、震災からこれまでの2年4カ月で12人の子どもが、虐待やその疑いなどで児童相談所に一時保護され、うち6人は児童養護施設などに入所した。
 同じ仮設住宅の住民らの通報や学校からの相談がきっかけでわかり、多くは親が育児を放棄するという「ネグレクト」という。親が「もう育てられない」と助けを求める例もある。

 「最近イライラしてしまう。子どもの寝顔を見てると、何であんなに強く叱っちゃったんだろうって」
 「福島にいた時は夫や両親、近所の人の助けがあったが、今は慣れない土地で子どもと自分だけの生活。自分がしっかりしなければと肩に力が入る。ストレスや不安から、つい子どもに当たってしまい、お母さんも自己嫌悪になっている」
 避難生活の疲れから、本来は入院が必要なのに、「自分が倒れたら子どもを見る人がいない」と、点滴を打ってしのぐ母親もいるという。



 こうやって新聞にデータが掲載されることはいったい、何を意味しているのでしょうか。
 行政は市町村→都道府県→厚労省(国)という順序で虐待の件数を一生懸命かき集めようとします。国は各自治体から集められたデータをこうやってマスコミの取材に対して提供します。
 こうしてマスコミがそのデータ新聞やニュースで取り上げることで、母親たちの子育て事情をさらに大変なものにしてしまうような感じがします。

 昨今は隣の家から子どものわめき声が聞こえるだけで「もしかしたら虐待をしているのではないのか?」と先走りすぐ行政に「匿名での通報」をしがちです。
 特にアパートなどの集合住宅では隣室との壁も薄く、母親たちは子どもの足音や騒ぎ声にはかなり神経質になっている家庭もあります。
 本来、その年齢で当たり前に発達したりすることすらも大人の都合で制止させられてしまう今の子育て事情の方がむしろ異常なのです。
 「子どもは騒ぐもの」「泣きわめいたりわがままを言って親を困らせるもの」という昔だったらある程度社会に受け入れられていた価値観までもが、今は社会からも否定されてしまっている。

 以前、子どもが保育園に通っていた時に園の日課で近所を散歩していると、子どものはしゃぐ声に、とある家の住人は、「散歩させる時、子どもの声がうるさい」と園に抗議をしてきたことがあったようで、それ以後、その家の前を散歩で通る時は、保育者が子どもたちに「ここの家の前では静かにね」と言って人差し指で「シーッ!」というしぐさをして注意しているのだと、わが子から聞いたことがありました。
 そこの家は高齢の方が住んでいるようでしたが、高齢者であってもは孫世代の乳幼児をかわいいと思わない、かえって声がうるさいと思う人たちも現実にはいるということです。

 本来、隣の家が子育て家庭であるとか、母親一人で子育てに奮闘しているなどということがわかっていれば、お互い声を掛け合い、母親のストレス解消のために何か地域でできることを考えていけばいいことなのでしょうが、世の中、職場でも家庭でも地域でも、みな「自分のことで精いっぱい」な状況で、「他人のことなどかまってられない」風潮がますます強い傾向にあります。行政に通報することで、なんとか公で対応してもらい、「人のことには関わりたくない」という風潮。
 まずは近隣住民も「虐待」と騒ぐ前に(行政に通報する前に)、もっとその家庭の事情にも関心を向けてほしいものだと思います。
 明らかに虐待の要素があると言うならまだしも、今は「疑わしきはとにかく通報を」という啓発の仕方をしているので、先にあげた避難者の母親たちが感じる、ストレスからくる子どもへの八つ当たりまでもが「虐待」として「通報」されてしまうのです。

 そのような社会的時代の変化の中で子育てしている母親にとってみれば、確かに昨今は育てにくい環境にもあるわけです。
 今は、若夫婦の3割は不安定な経済状況のなかで子育てをしているわけです。就職も安定せず、いつ首を切られるか分からないという不安定な社会情勢のなかでの子育て。夫は人員削減のあおりを受け、残業続きの毎日。ほとんど子育てを母親一人でしているような家庭も多いはずです。
 ましてや被災地であればなおさら夫と離れて自主避難していたり、仮説住宅の狭い空間で隣室に子どもの騒ぐ声が聞こえないようにと気を遣いながら子育てにストレスを抱えながらの母親。
 そんな状況のなかで、母親自身を肯定されず、母親への精神的・肉体的ストレスを解消できる場所や支援もないままに、母親の子育てを批判されているような錯覚を生じさせてしまうのではないか?

 国や都道府県は、いつも虐待の件数をデータとしてあげろと市町村に要請してきますが、ただ件数をあげることばかりに躍起になってしまう職員もいないわけではありません。「うちの市(町)ではこれだけ虐待の件数をあげて実績を出しているんだ」「虐待に一生懸命取り組んでいる市町村」と自慢したがる行政の職員。
 件数をあげる前に、もっと母親たちを孤立させないですむような方策や支援を本気になって考えていかなければならないのではないでしょうか。
 そういう支援を優先させずに、ただ通報があったことですぐ「事実確認」したり「「監視」的な視線をおくり、「虐待(疑いも含めて)している母親」という目でレッテルを貼りたがる見方をしがちな職員もいますし・・。
 だから、新聞のデータの何割かは過剰にカウントしている場合もあるため、あまり信用できないというのが本当のところです。

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組織におけるマインドを問う

 以前、臨床の現場で仕事をしていた時、患者さんの治療効果があがらないのを、「あの患者は性格が悪いから」「わがままな患者だから」「患者に理解力がないから」「「患者が怠けているから」と、自分のセラピーの未熟さを反省することなく、何でも患者の「せい」にしてしまう一派がいます。
 
 しかし、その一方で治療効果が上がらない原因をセラピスト自身の「技術の未熟さ」として自分の治療の仕方をますます工夫する方向で考える人たちもいます。
 
 私がこれまでの臨床経験のなかで「尊敬する先輩」たちは後者の方々でした。
 医療の現場ではそれが当たり前のセオリーだという気がします。

 しかし、福祉の現場ではというと・・・・
 生活困窮者や多問題ケースなどの相談にのる福祉士や保健師達は、「因果応報」とばかりに相手の生活の過去や現在を批判し「こんな生活をしているからダメなんだ」「生活習慣を変えるように何回も訪問して助言しているのに聞き入れないから病気になるんだから、自業自得だ」と言わんばかりの発言。

 「ああいう人は・・・だから困る」「これからこんな人(いかにも蔑視したような見方)が増える一方でどうしようもない」
 確かに、中には生活能力の弱い人もいないわけではありません。
 しかし、これまでの人生(まがりなりにも数十年はそういう生活背景のある人)を真っ向から否定し「変わった人」「能力の低い人」という見做され方をされる当事者とそういう評価を下す支援者。


 家族間の人間関係や精神疾患などが絡んでくると、ますますその家族全体をも悪く評価してしまう見方が組織的になされるときはやっかいです。

 嫁姑の確執、姑の人格障害、嫁さんの双極性障害の発症や引きこもりの子どもたち、夫も一家のなかでキーパーソンになりえない一家がありました。
 そんな一家への批判的言動、それも直属の管理職の上司ですら、「気ちがいの嫁」と差別用語を口にする。引きこもりの息子さんたちへの評価も「仕事もぜず困った子ども」という評価なのです。
 そういう組織内の人たちが話す会話などから、その組織がどういう価値観を持って支援をしようとしているのかがわかってきます。

 今の組織には理屈や支援のノウハウはあるかもしれないが、「マインド」が感じられないのです。
 そんな組織で仕事をする自分の「マインド」も脅かされてしまいそうで、この組織にいる意味を見出せなくなってきている自分がいます。

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Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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