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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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親の気持ち

 最近は、介護保険の認定調査で介護のランクから要支援に認定される利用者さんが増えてきています。
 先日も、これまで、要介護1で居宅介護支援事業所のケアマネジャーが長らく担当していた独居高齢女性の利用者が要支援2に認定されました。
 要支援は地域包括支援センターが担当となるのですが、これまでのケアマネジャーに委託する形で、私(包括)の方で一緒に契約訪問を行いました。
 前任のケアマネジャーも管理職となったため、所属の新しく担当するケアマネジャーとの3人で訪問面接しました。

 その80代の利用者にはお子さんが二人(男)がおりますが、長男は大学卒業後から精神科に入院をしており、現在は50代となるその息子さんは今、末期のがんに侵されています。
 旦那さんを数年前に失くしてからは、一人暮らしとなりましたが、夫亡き後の喪失感や息子さんの病状の心配やご自分の将来への不安や淋しさでうつ傾向が強くなり、介護保険を申請した経緯がありました。
 これまで要介護認定だったことや、精神的な波もあり、毎日ヘルパーを派遣し家事援助を行っていたようです。
 今回、それが、要支援2となり、やはり一応は「介護予防」や「自立支援」ということを利用者にもプラン作成の上でもご理解を頂く必要があるわけですが、いろいろご本人と話をしていく中で、やはりその人がどういう思いで生活をしていっているのかもきちんと受け止めることも大切かもしれないなあと思わされました。

 その利用者様の息子さんは30年以上も精神科病院に入院をしており、彼にとってはその病棟が生活の場所になっているのでした。がんが見つかって手術はしても末期で回復の見込みがないとわかり(本人にも告知されている)、それならば長年入院して自分のことを良く知っている医療スタッフのいる精神科病院の方で看取ってもらいたいとの本人の希望で戻ってきたとのことでした。
 そして、母親として今は、毎日面会に行っているのだと。これまでヘルパーしか利用しておらず、介護予防の趣旨からいったら、うつ予防のためにも気分転換や交流、運動目的での通所サービスの提案もしてみたものの、「今は息子の所に面会に行くのが私の日課だから、ほかの事は考えられない。でも家に一人でいると、さびしくて切なくで、毎日泣き明かしている。家事もできない時が多いので、ヘルパーさんにこれまでどおり支援してほしい」と。

 ご本人もあまり身体的な体調もすぐれないこともあり、家族の入院や夫の死によるさまざまな喪失感や不安感情が精神的にも影響しての今の生活なのだろうと察します。
 
 要支援になったから、介護予防サービスとしてできることはしてもらう、そのための介護予防ヘルパー派遣だと、一応理屈の上ではそのように助言はするものの、ご本人の生活は全然これまでとは変わっていない・・・。
 毎日毎日、息子さんの療養している病院に面会に行くことで、母親としてできる限りのことをしてやりたい。「自分より先にわが子が死んでしまうなんて、何て残酷なんだろう・・」と悲しみを隠してその時は息子さんに精一杯の母親としての顔を見せに行く。帰ってくるとうつ症状が強くなり、時には死んでしまいた気持ちにもなるという、利用者様の心の叫びに一緒に共感し受け止めようとしたケアマネジャーと私。

 生活や本人の思いというものは、今日から認定が「要支援」になったからといっても、そう簡単に理屈通りにはいかないのです。

 
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増やされる「発達障害」

  
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(2013/09)
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 「発達障害が増えている」という。発達障害のある子どもたちの特徴を理解し、どう対応するかの本が書店の特別支援教育の棚を埋め尽くし、当事者の体験談も数多く出版されている。学校以外でも、職場、医療現場、就労支援の場で「大人の発達障害が増えている」と言われている。
 個性を重んじるよりは同調性、和を重視する日本社会においては、集団からちょっとはずれた、周囲から見て困った要素をもつ人は昔から浮きやすい存在であった。しかし、それは直しようのない癖のようなものとして、ある一定幅までは集団のなかに取り込んで許容してきた。その許容の幅は、情報の過密化や競争主義・効率化の激化によって、一聞いたら十察する気働きができなければ生き残れない社会の中にあってますます狭まり、浮きやすい存在は、排除されやすい存在になりつつある。
 
 障害に限らずマイノリティの当事者コミュニティでどこでも繰り返されていることだが、社会の周辺に追いやられていたマイノリティ当事者たちが、マジョリティの同化圧力から自立して自らのコミュニティをつくり上げたとたん、今度はそのマイノリティ当事者が、コミュニティ内部への同化圧力を強めていくということがある。
 「アスペルガー症候群」「自閉症スペクトラム」の診断名がついてしまえば、今度は矮小化されたレッテルに移り変わっていく。外界の捉えにくさや人との関係の困難など、自分の中でくすぶっていた感覚が、「やはりあなたはアスペだね」の一言で括られてしまう。

 発達障害はコミュニケーション、社会性の障害だと言われるが、むしろ身体特性の問題であり、環境によって抱える困りごとは違ってくる。

 
 発達障害は、秀でた能力があるが、対人関係が下手でコミュニケーション能力がないとされている。つまり高い能力があっても、コミュニケーション能力がないと発達障害と呼ばれるわけだ。一昔前なら「人づきあいが悪い奴」「ぶっきらぼうな奴」「回りくどい奴」と言いながら、それなりに相手を理解して付き合っていた。最近では相手を理解しようとせずに、「コミ障(コミュニケーション障害)」という「障害」だから仕方がないとの文脈で、相手との関係を切る傾向がある。そこでは「コミ障」と相手を規定することで、コミュニケーションが取れないのは相手の責任であるとの考え方になる。
 現代社会においては、責任の所在を明確にすることが求められている。私はこれだけ丁寧に説明しました。だから、「わからない」のはあなたの責任です。このときに障害のために「わからない」のであれば、私の説明の仕方が避難されることはない。相手に「障害」があるとすることで、私の行為は正当化される。



 また「学級崩壊」という言葉が流行り、教員個々の学級運営能力が校長から問われていた。落ち着きのない子がいることで学級運営が損なわれると、教員の評価が下がることになる。しかし、その落ち着きのない子が「発達障害児」であれば、「病気」の子どもを抱えながらも、大変な学級運営をしているとのプラスの評価に転換していく。こうした背景もあり、教員からみて「落ち着きがない」「すぐに怒り出す」「急に泣き出したりする」といった傾向が少しでもある子どもたちに対して、「発達障害」の診断が下されれば、負の評価からプラスの評価に変わるだけでなく、加配の職員がつくというメリットが生じていた。このために発達障害の診断が必要となったわけである。

 
 保育園や幼稚園、学校で落ち着きがないと言われると心配になり、保健所に相談に行ったり、精神科を受診する。この時に行く先々で診断名が異なることも少なくない。いくつもの診断名をつけられた結果、療育センターにたどり着いた子もいた。インターネット等で専門知識を手軽に入手できるようになってから、子育ての環境も変化している。インターネットで調べて障害があると思うが、自分の考える診断名ではなかったと話して、自分が納得する診断名を求め外来に来る親もいた。
 このように、診断を求める親の場合は、目の前にいる子どもの「あるがままの姿」よりも育児書に書かれている「あるべき姿」に囚われた結果、自分の子どもの「あるがままの姿」が信じられなくなっている。日常生活で他の人とのちがいを感じていれば、その違いを明確にするために診断を求める気持ちもわからないではないが・・・。当事者も「あるがままの姿」を認められないために、診断名の枠の中での自分にすがろうとしているのではないだろうか。

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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