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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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障害者事業所の実態

  障害者自立支援法から障害者総合支援法に法改正があり、障害者も地域での社会参加がさけばれてからは、障害者の就労支援事業所の設置数が増大しています。
 以前は社会福祉法人など、ある一定の条件でないと施設もそう簡単には立ち上げられなかったのに、今では誰でもたちあげようと思えばそう難しくもなくたち挙げることは可能になってきています。
 そういう意味では、地域に身近に障害者が通う施設も増えてきていること自体はよいことだと思います。
 しかし、その中身の問題です。

 国は就労支援事業所には、なるべく事業所ごとに工賃をあげろと言いながら、実際には収益をあげることに本気で取り組む事業所は少ない現実。
 実際に、私の身内が体験したことですが、障害者の施設に事業拡大を求めて企画書を持って何軒かの就労支援事業所に営業活動をしたことがあります。
 現場の施設長レベルでは、同じように問題意識があり、なんとか収益を上げたいといろいろ考えているようです。
 しかしながら、現場の責任ある立場だとしても、即答はできずに「理事会にかけないと返事ができない」となります。
 新規に事業を開拓したり、既存の事業を拡大したりするとなると、それ相応の設備投資もかかるわけで、当然施設長判断だけではできない事情があることはわかります。
 しかし、実際理事会に諮ったあとに、再び訪問し結果を聞くと、どこの事業所も決まって出てくる言葉は、「理事長が、そこまでリ頑張る必要はない。」となるそうです。
 現場の職員達は、それこそなんとか利用者の工賃を少しでも上げさせてやりたいと思い、いろいろ新しい事業を展開していきたいのが本音なのだそうですが、決定権はないために、仕事に対しても情熱ややる気が失せがちになり、なかば『還「変わらない福祉」に甘んじ惰性で働くか、理想と現実のギャップの中で辞めていくか・・・。
 結局は、新たな事業開拓をしなくても、利用者が通って来てくれさえすればその分の補助金なり報酬は入るわけなのです。
 そして、昨今は社会福祉法人だけではなく、NPO法人はじめ、民間の企業や個人のレベルにおいても、障害者の就労支援事業所を立ち上げることが比較的容易になってきていることもあり、利用者の奪い合いがあるとも聞いています。
 さらに従来だったら、施設の定員に対して補助が下りていたのが、今は利用者の通所回数に応じた報酬体系になっているため、利用者が休めばその日の利用料は入らないのに、水増ししてカウントし利用していない日も報酬を受け取っている事業所もあるようです。
 本当に障害者のことを考えて作った施設なのかと疑いたくなるような施設も実際には存在している現実。
 高齢者の介護施設の場合もそうだけど、社会的弱者が食い物にされてしまう実態。
 福祉の心よりも、「福祉はおいしい分野」としてとらえられているのでしょうか?

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見る視点が違えば…

 地域包括支援センターで主任ケアマネジャーとして仕事をいていたときに「困難ケース」として話題にあがってきていた家族が今勤めている病院に入院していましたが、先日お亡くなりになりました。

 両親と息子さんの3人暮らし(娘さんは嫁いでいる)で、息子さんには何らかの発達障害があると見うけられていましたが、確定的な診断はついていませんでした。
 その母親が認知症になりこれまで家事をしていたのができなくなり、息子さんはそれで母親の認知症状を理解できず、食事をつくってくれない事に腹を立て殴ったりしてしまう・・。父親はギャンブル依存症でほとんど家族を顧みない。
 そういう家庭背景に対し、介護保険を利用し何らかのサービス導入に結び付けようとしたけれど、最初の導入につまづき、また息子さんに対する偏見(統合失調症だと勝手に決めつけ、あの息子は虐待者だと言わんばかりのスタッフの方策に、一度は警察に逮捕された経過もありました)を持つ担当者。
 地域にいても、民生委員や児童委員などもあまり深く関わろうとせず、近寄りがたく行政に「なんとかしてくれ」と支援を求めてくるようなありさま。
 結局母親は預けたショートステイ先で骨折し入院後はグループホームへ。父親は相変わらずギャンブルに依存。
 そんな父親も、肺がんを患い入院。息子さんは毎日のように父親の見舞いに訪れ、長時間ベッドサイドで過ごしていました。
 しかし、前回、母親の入院の際に関わった病棟の看護師たちはその息子さんに対しての印象はよくなく、「なんとなく替わった人」という認識でおり、父親の面会に来ている姿を見てもあまり話しかけることなく、遠巻きにその親子を観察しているような状況でした。
 その父親が先ごろお亡くなりになりました。新聞のお悔み欄には喪主は息子さんの名前が載っていました。

 広汎性の発達障害という感じの息子さん。精神科受診はしていなかったけれども、一応精神保健センターなど公的な機関にはかかっていたようですが、それでもこれまで支えてきてくれた母親が認知症になり、母親の病状に対する理解にも乏しいがために、結果的にいろんな面でイライラしたり、自分に降りかかる課題(家事をしなければいけない、母親の介護もしなければいけない、父親はあてにならない・・・など)をこなすのは、その思考の特性からも難しかったのではないかと推察されます。
  しかし、そういう息子さんの心情を慮ることなく、「統合失調症の息子だ」と安易にレッテルをはり、「親を殴った」と聞けば「虐待者」というレッテルを貼り、寄り添った関わりは持てなかったような気がします。担当する支援者の価値意識によって、そのような特性を持つ息子さんは逆にその生きにくさを理解してもらうことは難しいということを実感していました。
 母親は施設入所、それも重度の認知症となり、父親も亡くなった今、喪主を務めあげた後の、息子さんの一人暮らしの生活が気になります。

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障害のある子の親として

障害のある子の親である私たち障害のある子の親である私たち
(2013/09/15)
福井公子

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「障害者の親」として感じた生きにくさや社会との関係について考えた本。
 考えさせられる一冊です。そして自分の内面にも著者と同じような心性や価値意識を持っていることに気づかされます。

 (引用)
 障害をテーマにしたドキュメントはきらいです
 プロのピアニストになりました! 画家になりました! 公務員になりました!などなど
 親子でがんばって、障害があってもこんなにりっぱに育てました!というやつです
 私は苦しくなります
 私がもっとがんばって育てていたら、息子はもっとりっぱになっていたのか・・・
 しくしく胸がいたみます
 そしてつぶやきます
 私だってがんばった!
 普通の子を育てるより何倍も大変だった
 そもそも「りっぱ」ってなんなのよ
 歌も歌わないし、絵も描かないけど、うちの息子だってりっぱじゃないの
 するとコメンテーターが追い打ちをかけます
 あきらめなかったお母さんが偉いですね!
 人間の可能性は無限ですね!
 いやぁー感動しました!
 ここでも見ていられなくなって私はチャンネルを替えます
 きらいなら最初から見なければいいのに
 でも、やっぱり見てしまうのです
 

 障害のある子、お母さんの愛、がんばり、劇的な成長、このストーリーが多くの人の感動を呼びます。
 「お母さん、愛情を持って触れ合ってあげて」「偏食を治すのはお母さんの愛情がこもった料理が一番よ」
 私も何度そんな言葉をかけられたか分かりません。その度に「あなたの愛情が足りない」と言われているような気になったものです。 
 私たちはいつも、子どもとセットで評価されていることに。子どもが称賛されれば親も称賛され、子どもが何もできないと、親もだめだと言われている気がすることに・・・。
 社会はいとも簡単に「お母さんが偉い!」「お母さんが悪い!」と言ってしまう
 

 障害があることを個性だと言う人がいます
 誰でも得手不得手があるのと同じなのだと
 適切な支援があれば普通にくらせるのだと
 そういう見方もあるのでしょう。でも・・・
 発達障害児のお母さんが新聞に載っていましたが、
 写真にモザイクがかかっていました。
 個性ならどうして顔が出せないのでしょう?
 障害は社会全体で支えるもの
 障害は偏見や差別の対象になることがある
 それが障害というもの


 「『障害』なんてネガティブに考えないで、『個性の一つ』と前向きにとらえよう」と言う人がいます。けれどその考え方は、社会の在り方によって「障害」は決まるという、肝心なところに気づく機会を逃すことにつながると思います。
 私は、「障害」という言葉を、あえて「個性」と言い換えないでおこうと思います。個人だけで引き受けるものではなく、社会全体で引き受けるのが障害だという意識を持っていたいから。そして何より、障害がある子の親になっても、なお自分自身の中に根強く残っている偏見や差別を、自戒を込めて意識していきたいと思うからです。

 障害は治らないけれど、適切な教育や支援があれば必ず成長する
 今も療育関係者からよく聞く言葉です
 そして、その通りなのだと思います
 けれどその言葉は、親にとっては、とても危険な言葉です
 親は、「成長」や「発達」といった言葉の意味を〝健常”に限りなく近づくことと安易にとらえるかもしれません
 あるいは、人と違うところがあるけれど、何か特異な才能を秘めたすごい人になると思うかもしれません
 療育の専門家は発達を支援するのが仕事です
 発達にこだわるのは当然かもしれません
 でも私たち親は、どうしようもないほど手をつけられない子どもでも、障害が重い子どもも病気が進行していく子どもも、
 たとえ命が亡くなり、成長も発達も未来もなくなった子どもも、その子を愛していく・・・
 その方法をみつけていかなくてはならないのです
 人は必ず成長する!それにとらわれすぎると、私たち親は幸せにならないのです


 「障害があっても必ず成長する」。療育関係者の方からよく聞く言葉です。確かに、子どもの障害を告知されたとき、この言葉は親にとって大きな希望になるでしょう。
 しかし、それは親が障害のある子を受容していく道の、ほんの入口にしか過ぎないと。この子は一生こうなのだと、親が半ばあきらめたとき、それでも愛していこうと覚悟をきめたとき、そこからまるごとの受容の始まりのような気がするのです。
  「人は必ず成長する」、その価値観を超えるとき、私たち親は初めて穏やかな気持ちになれるのかもしれません。

 この行動さえ治れば、もっとこの子を愛せるのに・・・
 この行動をどうにかしなければ・・・
 親がそう思っている限り、その行動は続く。そんな気がします
 お母さんはこんな僕でもほんとうにほんとうに本当に愛せるのかと
 ためしている?ためされている?そんな気がするのです
 親が諦めた時、この子は一生こうなのだと
 それでも愛していこうと覚悟を決めた時
 あれっ、そういえば最近あんなことしなくなってるな、なんて思うことはよくあることです


 「元気な子どもは社会の宝」 
 こんなポスターを見かけました
 子育て支援のポスターです
 元気で良い子が社会の宝とされるから、親は追い詰められる
 元気で良い子が社会の宝とされるから、少なく産んで完璧に育てたい
 そもそも、この価値観こそが問題なのに、こんな簡単なことに誰も気づかない
 
 
 元気で良い子だけが大切にされる社会。それは、そこから落ちこぼれたら大変だという漠然とした不安を生み出します。
 多くの人が多数派の価値観だけで物事を進めようとすると、当たり前のことに気づかない事もある、障害がある子どもを持った私だから、そんな社会の問題にも、ほんの少しだけ早く気づけるのかもしれません。

 その頃の私は、私のがんばりで立派な障害者にすることはできる。何らかの仕事ができて、自分のことは自分でできる、素直で誰にでも好かれる障害者。そのために親としてできることは何でもしなければ・・・、と思っていました。
 そう思うと親仲間はライバルに見え、息子にはもっともっとの成長を期待していました。
 それほど発達にこだわるのは息子のため。そう思い込んでいましたが、本当は私自身のためだったのではないか。障害がある子を産んだことで失った自分への自信、それを取り戻すためだったのではないか。そう気づいたのはずっとずっと後になってからでした。
  私たち障害がある子の親は、社会から称賛される親に嫉妬のような感情を持つこともあります。また自分はそんなに立派な親になれないと劣等感を持つこともあります。
 社会が求めている「障害がある子の親のあるべき形」に私たち自身がとらわれ、仲間意識さえも分断させることがあるのではないか。
 
 障害がある人や家族の事が取り上げられる講演会。実は当事者や家族にはあまり評判がよくありません。
 共通しているメッセージは「がんばり」「前向き」「あきらめない」「感謝」「親子愛」でしょうか。
 障害がある人の生きづらさは、障害がある人の側に問題があるのではなく、社会の側に問題があるからだということに参加者の人に気づいてもらいたい。
 主催者側が障害者理解をテーマにしているつもりでも、私たちの想いから外れている。それどころか社会が作り上げた「障害者役割理解」や「障害者の親役割期待」を強化しているのではないかと思うこともあります。
 私は知っています。親が元気なのにヘルパーさんを利用していることを批判する人がいることも。それが私たちの地域の現状でもあることを。そんな中、参加者の期待を裏切らない、決して社会の在り方を批判しない講師を迎えることが、現実的な「障害者理解」となるのかもしれません。

 子どもたちの下校の時間帯は障害がある人が作業所から帰る時間帯でもあります。
 「不審者と間違えられてショックだった」・・。彼らの中には独り言を言ったり、ニヤニヤ笑いながら自転車に乗って変える人もいて、怪しいと思われてしまうこともあったのです。パトロールさえなければ、何事もなく暮らしていた人たちです。
 身体が不自由な人が、主に介護のために施設に入所するのに対し、精神障害や知的障害のある人は社会防衛のために、病院や施設に隔離された歴史があります。つまり社会の安全のために排除されたということです。
 「国民の安心・安全」。一日に何度も聞く言葉です。私はその度に背筋が寒くなる思いがします。それはきっと多数派の人の安心安全だから。そのために排除される人がいるに違いないから。
 社会的に孤立した人が凶悪な犯罪を起こしたりすると、すぐに厳罰を求める世論も怖いと思います。どうしてその人が孤立したのか、地域社会の在り方に問題はないのか、そして地域社会を構成している個人としての自分はどうなのか。排除の連鎖は、ますます生きづらい人をつくっていくということにしかならないから。

  入所施設へのニーズが減らないと言うのは、親亡き後、地域での暮らしがまだ整っていないということの証なのです。
 同じことが特別支援学校にも言えるのではないでしょうか。特に中学部や高等部派教室を増やさなければ対応できない状態だといいます。それもまた、障害がある生徒が地域の学校で受け入れられていない証なのではないでしょうか。特別支援教育という方向を出した今、特別支援学校を増設するのがニーズに応えるということではないはずです。
 新型出生前診断にしても、晩婚化が進み、健全な子どもを数少なくもちたいという人多くなれば、必然的にそのニーズは増えていくでしょう。だからといってそのニーズに応えていけばよいのでしょうか。それはまた、障害がある子を安心して産めない社会であると言う明白な証でもあるのです。 

 「親こそ最良の療育者」とよく言われます 
 子どもに障害があるとわかって動揺している時、そう言われると
 そうだ! なんとしてもがんばらなくっちゃ!と思います
 私もそうでした
 でも、結局私は最良の療育者にはなれませんでした
 自閉症の息子は、よく私の髪の匂いを嗅ぎにきます
 こんなとき、「療育者の私」は×を出します
 「他の女性にもこんなことをやりだしたら大変だ」
 そう言われるからです
 でも、「お母さんの私」は×が出せません
 わが子に触れられるのがいやなお母さんなんていませんから
 私は、ゆれます
 療育者か? お母さんか?
 そして、私は決まって「お母さんの気持ち」の方を選んでしまいます
 いやいや、そこを心を鬼にして療育するのがよいお母さんだ
 そう言われるかもしれません
 だとしたら、私はよいお母さんでもないのです

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親の在り方を問う子の存在

 引きこもりや精神障害等で悩む親達、またそれらに関心のある人たちのワークに参加したときのこと。
 ワークの講師は10年以上の引きこもりの末、教員として中学校に勤務する方。これまでの自分の歩みと家族との葛藤などが語られました。
 ワークのあとに、参加者からの感想や振り返りを述べる場面で、あるご夫婦で参加していただんなさんが感想を述べました。
 「自分たちは二人とも教員で、自分は30数年中学校の教師として退職した。現職の頃は、わが子にも家庭では学校にいるような言動を子どもたちにしてきた。教員の子として後ろ指をさされないようにと厳しくあたってきたように思う。長男が大学には入ったが引きこもっている。いまさらながら自分の子育てを反省しているし、今このときからが自分の子育ての学び直しと思って、カウンセリングや様々な勉強会に参加したいと思っている。」と。
 そして、「今の中学校はとにかく生徒にとってもストレスが多いと思う。教員も生徒もゆとりがない。子どもたちも可哀想だ。」

 教員を離れて客観的に今の教育環境を冷静に見つめれば、そんな感想もでてくるのでしょう。ましてや自分のお子さんが引きこもっていれば、どうしても教育者の自分と親としての自分の在り方を改めて問い返す必要もあったでしょう。
 現職の頃は、周囲の教員同士の子育ての価値観(教員の子として恥ずかしくないように育てる、いい学校に進学・就職させたいなど・・)を自分達もあたりまえのように引き受け、家庭でも教師面でわが子に接してきたのでしょう。そういう子育てでも立派に自慢の子どもとして成長し、何も問題なく進む子どももいれば、同じ兄弟姉妹でも中には、感受性が強く結果的に親に様々な問題を突きつける子もいます。
 そういう問題を突きつけられて初めて親は、自分の子育てを振り返るチャンスを与えられるのでしょう。

 

人間に見る本音とたてまえの心理

 東京都議会である女性議員の質問に対するやじ発言が問題になっています。
 独身で一年目の女性議員の、子育て支援策に対する質疑に対して、議場から「早く結婚しろ」とか、「おまえが(子どもを)産んだら・・」などのやじが複数の議員によってざわめく議場に聞こえている映像が何度も流れています。
 言われた党の方は、『犯人探し』をして何らかの処分を要求していますが、その『犯人』がわからないので要求を却下したとか・・・。

 そもそも発言した人がわからないなんてことはないはずで、言った本人は当然のこと、その人の前後左右に座っていた議員だって発言の主は一目瞭然なのに、こういうときこそ、「組織の守り」にはいるというか(ここでは党員を守るというか)、自分たちから内部告発のようなことは絶対しないのでしょうね。(その先の流れも見えているから)

 そもそも、議員という社会的立場にある人は、選挙の時には「子育て支援」とか「障害者福祉」「高齢者介護」など大衆が関心のなる分野に対してさも聞きざわりのよい「方策」を訴えますが、このような議会答弁の場で「やじ」という形で放たれる言葉のなかに、その人の「本音の心理や姿」が浮き彫りになるのだと思います。

 どんなに人はきれいごとを言っても、その人の日頃の言動や態度を見聞きしていると、「ああ、意外とたいしたことないな」「口先だけの人だなあ」と思う場面は日頃の生活場面でもたくさん経験するものです。

 ある社会福祉士。仕事の上ではいろんな関係機関をつなぐ連携の役割があり、自分の専門性を前面に出して「支援」していました。
 支援の内容そのものには、誰も「反論」できるものでもなくいわゆる理屈的には「正論」だったかもしれません。中には一部の関係機関からは彼女の役割や仕事のしかたに「できる人」という評価を得ていました。
 確かに社会福祉士という、福祉の専門家という自負や役割意識は強く、理想の仕事を追求し、周囲からも認められたいという上昇志向のある人です。
 しかし、ひとたび社会的弱者と言われる様々な生活問題を抱えて相談にくる人たちに対して、相談が終わり自分の机に戻ってくると決まって、「あーあ、あんなヤツは本当にどうしようもないね」「ああいう人としゃべっていると虫酸が走るのよね」と、相談者のことをけなすのです。
 だから、彼女のようなタイプの人は、対外的には「できる人」という評価で業界や世間からは「認められている人」かもしれません。
 しかし、反面、普段の「本音」の部分も垣間見る事ができた一部の関係者からは「福祉の専門家なのに、社会的弱者に対してあの言動は何なんだ」という評価になるわけです。
 
 そういう人のグループってどの職場にも一定の割合では存在しているのだと思います。特に教育や福祉の分野には、そういう人は必ずいる。
 それが特に専門職と言われる人達ですから・・・。

 福祉や医療・教育などを志す人のたてまえと本音の会話を比べて聞いていると、その人の人間性や本音の心理がとても透けて見えてきます。
 この議員のやじ発言のように・・・。
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環境がかわりました

 長らくブログを書くのを中断していました。
 3月は人事異動等で毎日残務整理やらで帰宅が8~9時の日々でした。
 
 この4月から行政(高齢者福祉・介護)の方を離れて、古巣の医療現場に戻りました。
 
 このままあの職場にいたら、自分は精神的ストレスが充満してしまいそうで・・・。
 地域包括支援センターでの3職種(保健師・社会福祉士・主任ケアマネジャー)の連携なんてとうていできない職場でした。
 それぞれの考えや価値観の違い(本来はそれぞれの違いを認めて連携を図るべきなのでしょうが)に対して、寛容になれず相手を非難中傷してしまうような中で、仕事をすることにとても疲れてしまいました。
 
 これまでは、対象者(利用者・相談者)を行政の立場から見ていましたが、同じ利用者(病院では患者さんとなる)でも、医療の中でみせる顔と、役所のなかで出会う顔は違います。

 どちらか一方の見方でしか相手を評価(批評)できないのは、本当にその人のある一部分しか見れていないことに、長年同じ部署しか経験したことのない専門職は気づかないでしょう。

 在宅では「困難ケース」「どうしようもない人」と一部の専門職から思われている人でも、病院に入院して患者さんとして自分たちが対応しているその姿は、実に素直で関わる人の個性とのぶつかり合いがその人を「困難ケース」にしてしまうのではないかということを、考えさせてくれます。

 
 

地球の名言

プロフィール

TTmama

Author:TTmama
医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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