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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

特別支援教育の本質

増やされる障害児増やされる障害児
(2004/09/09)
宮崎 隆太郎

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 この本は「特別支援教育」が始まる前に書かれた本ですが(「特別支援教育推進体制モデル事業」を実施していたころに書かれた本)、2009年度からは全国すべての小中学校でこの体制を実現するようになりました。

 しかし、制度から4年目を迎えた現在の状況はどうなのでしょうか。モデル事業を実施したときのようにスムーズに特別支援教育が展開されているのでしょうか。
 この本の著者である宮崎先生は自身も障害児教育に精通してきた先生でもあり、大阪の教育行政にもかかわったことがある方でもありますが、この本の中では、今後の特別支援教育の意図とするところ(文部科学省の思惑なども含めて)を書いています。


(本文より)
 
 LD・ADHD・高機能自閉症の子どもたちは、今後はかなり充実した教育的・生活的状況に置かれていくことになりそうです。反対に、それ以外の障害児はノーマライゼーションやインクルージョンからはほど遠い世界に閉じ込められていくことになります。いわば、前者は「勝ち組」で、後者は「負け組」にされてしまいます。しかし、仮に「勝ち組」とみなされるLDたちだって、実は通常学級において「障害児」のレッテルを貼られて切り取られていった子どもたちなのです。子どものニーズに合わせた支援を、と耳に心地のいいことを言っていても、本当は通常の学級や担任の都合なのかもしれません。そういう意味では「負け組」かもしれないのです。

 診断名をつけられると、その子は周囲の人たちから固定的に枠づけした見方しかされなくなります。だれでもその子をとりまく状況や、周囲との関係の中で生活し行動しているにもかかわらず、問われるのは「その子の問題」だけなのです。そのことがどれほど危険なことか。すなわち、その子どもに対する決めつけが、その子の生活や一生を決定的に左右してしまうほどの影響力を持っています。ひとりの専門家の診断がその子の生涯をめちゃくちゃにし、まるで方向転換させてしまうことだってあるのです。
 きわめてあいまいな概念であるにもかかわらず、国をあげて専門家をして診断名をつけさせ、生活や一生を縛りつけていく。しかも、そのことを「発達」だとか「適応」「自立」「地域生活」「ノーマライゼーション」等のきれいごとのことばでごまかす。

 「通常の学級」、いわゆる普通学級に在籍する指導困難児の対策をそれぞれの学校と教師たちに任せておきたくない。それらを幅広くひとくくりにして教育行政の管理統制下に置きたい。―――特別支援教育とはそのような意図に端を発した文科省の悪あがきのようなものだと考えてもらってほぼ間違いありません。
 
 このような内容の最終報告によって、それまですっきりしなかった文科省の「障害児教育施策」がずいぶん明確になってきました。おまけに、普通学級における指導困難児たちのことも、「LD・ADHD・高機能自閉症」等のレッテルを貼ることで処方箋が仕上がり、一挙に問題解決です。ただし、そのおかげで障害児の数が急激に増加させられました。ちょうど、「うつ病」の意図的激増と同じ現象です。

●多くが説得されていく
 これまで障害児教育行政の関係者たちを悩ませてきた人たちがいます。地域で生き、ともに学ぶ教育を主張してきた一部の親や教師たちです。行政関係者に言わせると、彼らは過分な運動に煽られ流されているにすぎないそうですが、要するに「目障りな存在」ということになります。しかし、今回の特別支援教育ならこの頑迷な人たちをも説得できそうです。
 行政関係者だけではないのです。障害児教育・発達心理・医療関係の専門家たちにとっても、今回の提案ほど好都合なものはありません。これからは「統合教育」というわずらわしい論議をしなくてもよくなるし、専門家としての力量が問われることになるからです。
 本当の教育や福祉というのは、周囲のおとなたちにとって好都合、というようなものではけっしてありません。当事者である子どもたちにとってどうなのか、という問いかけが絶対必要なのですが、そのことがどこかに置き忘れられてしまっています。

●1960年代への逆行
 LDやADHD、高機能自閉症などの目新しい障害名が登場してきていますが、これとて数十年前の「MBD(注:“微細脳損傷“の略、1960年代ころに学習障害等の原因は脳の中での原因不明の微細な損傷によるものと定義づけられていました)」や「情緒障害」などの概念規定と同様にきわめてあいまいなものです。過去の流れを振り返っても、これらの診断名は専門家のその時々の好みの問題です。いまでも「多動」で「集中できなくて」、言語に異常のある幼児がはたして「自閉症」なのか「失語症」なのか、「LD」なのか、「ADHD」なのか、それとも情緒的ないらつきがあるのか、単なる「担任への反発」なのか、はっきり分からないことのほうが多いのです。だれかが「LD」と診断するから「学習障害」になり、「ADHD」と診断するから「注意欠陥・多動性障害」という障害児になるのです。
 また、専門家は「LDにはソーシャルトレーニングを」「自閉症にはTEACCHプログラムを」とパターン化したかかわり方しか考えません。むずかしい状態を持っている子どもであっても、その子をとりまく状況を考慮しながら、その子の日常生活の中でひとつひとつ着実に体験させるべきことを体験させ、ていねいに教えるべきこと、しつけるべきことをしつけ教えていくというあたりまえの、そして自前のかかわり方をしないのです。


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