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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

障害児(者)を育てるとは?(3)

 『ひろしくんの本(Ⅳ)』より

 この37年間に自閉症に関する情報はあふれる程、増え続けています。研究や療法も一見進んでいるようにみえます。しかし、現実は個々の自閉症児のもつ個性や発達や、バックグラウンドとなる家庭環境にそぐわないマニュアル化した療法があふれています。また「完治する」と安易なことばをつかう療育者や研究者がおられるために翻弄される親御さんが増え続けています。

 どうしてこんなにも教えること、教えなければならないという概念にしばられているのでしょうか。健常児に少しでも近づけてあげたいという思いの先生や親御さんの多いことにも私はいつも気づかされています。
 自閉症児の世界は生まれたときから健常児と異なる世界をもちながら限りなくゆっくりと目に見えない程の小さな歩みでその子なりに発達していきます。そのことを親御さんと先生がまず理解することから、すべてがはじまると私は、博から教えてもらいました。

 自閉症と診断されてからの状態は、個々の表し方が異なっていても、対人関係の難しさやコミュニケーションの取りにくさ、こだわり、感覚過敏など障害としての特徴は誰にもあります。
 この障害が成人していく中で改善されていくとか完治すると私も聞かされたことがありますが、むしろ成人してからの博は、より強くこの障害と向き合っていかなければならないのだと年ごとに親子で自覚するようになりました。
 
これまでの私のおつきあいの中で感じることは自閉症児の興味の世界がファンタジーな世界が多いのに、この世界にどっぷり入れない先生方やヘルパーさんがおられることです。
 先生方は付き合う中でよかれと思って、こうしたら、ああしたらと先急ぎをする助言が多いのです。時には先生やヘルパーさんご自身の思いこみが激しくて博のリズムと合わないことがよくありました。中には自閉症についてわかったふりをされていますが、博にかかわる時の言動に何も理解していないちぐはぐな対応となり博がとまどっていることが私にはよく見えるので困りました。また研究者の方々からは、どこかで学校生活にあわせるための方策として博の興味の世界を利用して今のうちに○○に取り組んだらという助言がありました。ご助言の中にはご自身の研究上の興味の対象として博にさせてみたいというお心がみえることも数々ありました。しかし博はそういうことに直観的に反応して家族だけには正直に拒絶の表情をしていました。

 「この子の好きなことにいつまで付き合えばいいのだろうか」「こんなことを続けさせていたら変なくせがつくから、たった今やめさせるようにと先生から言われた」この二つの親御さんに代表される声が現在まで毎年私の手元に入ってきます。こうした感覚をもつ親御さんや先生方が今もおられるということが自閉症児に対する理解を送らせているのだといつも私は考えさせられています。
 子どもの興味の世界にとびこまない親御さんや先生方のかかわり方は、子どもにつきあってあげる何かをやらせてみたいという姿勢です。こうした関係で自閉症児者の世界を見る方々にとっては、とても幼稚な世界に見えてしまいます。
 私どもは四歳の時の先生の助言にこりて児童相談所の遊戯治療で通所している二年間は博の興味を詳細に報告しませんでした。当時の私どもは、姉と違う育ち方をする過敏なまでの博の見方、聞き方、感じ方すべてを日々のくらしの中で親も一緒に体感してみたいと思っていた時でした。だから外部の介入を拒否した時期でもありました。

 博の興味の世界にあわない方々がおられることを知らされたのは学童期から今日まで幾度となく博と私は体験しました。先生方やヘルパーさんは、博とうまくいかなくても他の人へという逃れ方ができます。そして時間がたつほどに忘れ去ることもできます。
 しかし対人関係の困難さやこだわりの障害をもつ博にとっては、常にどういう出会いをするかが問われるのです。恐れを知らないというか簡単にかかわる側の方々の博にとって不本意な入力をされたことを訂正するのは簡単なことではないということを認識していただきたいのです。私の決断が遅れるとその償いやアフターケアはすべて長い時間をかけて家族が背負うのです。
 また達成感〈成果)をもちたいと先急ぎする親御さんをもった自閉症児は不運としかいいようがない現実を私はみてきています。それだけに順風満帆できたのでなく博の興味の世界は博の発信できる環境を姉と私が守って来て本当に紙一重の決断だったことを今ようやく伝えられるところにきました。

 乳幼児期から思春期といわれる年齢までに、自閉症児自身が興味の世界でたくさんの完全燃焼できる体験をもつことが思春期を乗りきるエネルギーになること、そしてそれが生き生きとした表情につながる鍵になると私はいつも考えております。
 例えば博は零歳からクラシック音楽のレコードを毎日聞くことが大好きでした。私どもは四歳からそれまで以上に意識して大切にしました。レコードを買うことは博の医療費と位置付けて生活費を切りつめても最優先にしてきました。博が十三歳の時点で既に504曲聞いていました。博が二十歳になる頃には音楽のジャンルも驚くほど広がり曲数も増えていますが肝心なレコードはどれも聞きすぎてすりきれ、かけられない状態になっていました。それほど、聞き尽くしたのです。
 37歳の現在では年齢や障害をこえて同じ指揮者や演奏を好む一人の音楽愛好者としての交流があります。その方々が好きな新しい音楽を博も大好きになるというかかわりに発展したくらしができるまでになっています。
 これまで自閉症研究者が、どんなかかわりを自閉症児や親御さんともったのかと問いかけたいほど、〈自閉症児は思春期以後の予後が悪い〉という無責任なことばを流してきました。そのために毎年どれ程の親御さんを不安に陥れてきたかその数は増え続けるばかりです。
 
 博の興味の世界を一緒に楽しみ共感する中で博が心地よく燃焼していくためには、かかわる私ども家族のコミュニケーション能力を博から求められました。博の発信をただキャッチできる感度だけでは博は育ちません。私どもがいかにタイミングのよい「返し方」を博にしていくかを求められるのです。
 博の場合、一方的に教え込むことはいっさいしていまん。興味の広がりやステップアップしたい即ち燃焼していきたい博の発信を、博の小さい時ほど家族は、ひたすら待ち続ける気持ちも大切でした。こだわりの強い博が一つの世界に入ると数カ月も毎日延々と楽しむことが続きます。それを一緒に楽しむかかわりが大切なのです。つきあうという感覚では博に見破られてしまいます。
 
 自閉症児者の興味の世界を悪用する家族や先生方がおられることを私は聞いたり見たりしてきました。親御さんが、子どもさんの好きなことをしている間に家事をしたり、教育現場では気分をおちつかせるために、或いは他の子どもの指導する間にという先生方の興味の世界の扱い方も悪用しているにすぎません。
 ある著名な自閉症研究者に博が11歳の時にお会いしたことがあります。その時博のらくがきをご覧になって親の私が説明する前に、「一人で楽しませているだけだったら発達の変容にならない」と頭ごなしにおっしゃいました。確かに放っておくことは発達の変容になりません。それ程、自閉症児の興味の世界の中にどっぷり入ってかかわっている方がおられないということをこの時、私は逆に確認させていただきました。
 自閉症児者を理解するか否かは、この興味の世界にかかわる側の方々の質を問われることになるといっても過言ではないと私は思います。

 早期発見、早期療育で最初に出会うドクターや療育者が机上だけでの知識や浅い体験から出た指導でその後の成長をとめてしまっている瞳の輝きのない悲しい子どもたちに私はたくさん出会っています。何でも教え込みさえすればかなうと思っている、焦るというか走り過ぎる先生方や親御さんに強く訴えたいところです。

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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