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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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自閉症の世界(2)

あるがままに自閉症です ~東田直樹の見つめる世界~あるがままに自閉症です ~東田直樹の見つめる世界~
(2013/12/21)
東田直樹

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(本文より)

迷い 
 僕は自閉症の援助において、専門職といわれている方々も迷いながら対応されていることを知りました。それはある意味、人間として正常な感覚だと思います。もし、こんな時はこうすると、全ての対応がマニュアル化されたら、僕は人生に絶望するでしょう。
 僕は、心も感情もある一人の人間です。接する時に迷ってくれるのは、僕を一人の人間として見てくれている証拠です。僕だって初めて合う人に対しては、どんな人なの、僕のことをどう思っているのだろう、仲良くなれるかなと考えます。一人の人間として接してもらいたいというのは、パニックを起こさせないようにすることではありません。

頭を叩く
 僕はこだわりを我慢しようとすると、それをやりたい気持ちと我慢したい気持ちがぶつかって、怒りの感情がふきだしてしまうことがあります。そうなると、自分の頭を叩きます。
 気持ちはきちんとしたいのに、脳がそれをじゃまするからです。僕は脳に腹を立てて、つい命令しても気持ち通りに行動できます。
 頭を叩いている時、他の人から「何をやっているんだ」と怒られながら止められると、とても悲しい気持ちになります。そうせずにはいられない気持ちをわかってもらえば、何とかやめなければと思えるのです。
 自暴自棄になればなるほど、脳との戦いで頭を叩くのではなく、自分をこらしめるために叩いてしまいます。
 どうかそういう人にも思いやりのある言葉かけをしてあげてください。

告知 
 告知は障害があることについて、親から告げられることに大きな意味があるのです。
 告知で最も大切なには、「たとえ障害があっても、そんなことはたいした問題ではない。なぜなら、私たちはあなたを心から愛している」ということを、その子にわかってもらわなければいけないことです。
 子どもは障害があること自体について、普通の人が想像している様に悩んでいるわけではありません。
 自閉症児の場合、障害がない自分なんて知らないわけなので、どんな自分でも自分であることに変わりはないからです。
 子どもが本当に心配なのは、障害があるためにこれから先、何が起こるのかではないでしょうか。中でも一番心配しているのが、そんな自分を親がどう思っているかです。子どもは自分が原因で、いつも親が困ったり、泣いたりしているのも知っています。その苦労は、障害のせいだとはっきりしたのです。親から見捨てられるのではないか、そう考えずにはいられない子どもの気持ちを、わかってもらえるでしょうか。
 親が同じような障害を持っていない限り、親と言っても障害者の本当の気持ちはわかりません。知っているふりをしないことです。
 「障害は誰のせいでもない」そして「私たちはあなたを決して見捨てないし、あなたが成長する野を応援し続ける」と約束してあげてください。真剣に心を込めて言ってください。子どもはきいていないような態度をとるかも知れません。でも、聞いていると信じて伝えてください。
 告知は子どものためにすると思っている人がいるかもしれませんが、子どもは自分の育ちの中で人と違うことくらい、とっくにわかっています。
 告知は親のためでもあるのです。親が告知するのは、子どもの人生に責任を持つ宣言だと思います。告知は、親が子どもの自立のために、これから一緒に頑張っていこうと言ってくれる近いであってほしいと願っています。
 告知されたあと、子どもがどんな気持ちでその後の人生を送らなければいけないのかを心配するより、親としてこれからどのような気持ちで子どもと接するのかを気にしてもらいたいのです。

反応 
 障害を理解してくださっている人さえも、自分の思いを相手にわかってほしい時には、普通の人と同じような反応を、話せない自閉症者にも求めてしまいます。怒っている時には反省している態度を強く求め、好きという気持ちには、やさしくしてくれる態度を期待します。
 しかし、それができないから、僕たちは困っているのです。 
 そんな時も忘れていけないのは、相手を思う気持ちと優しいまなざしです。

心が揺れる 
 僕は興味のあるものでも、安心して見ていられるものでなければ、じっと見続けることができません。美しい風景や素晴らしい芸術を前にすると、とても緊張し苦しくなってしまいます。
 たぶん感動し過ぎるのだと思います。そこからたくさんのメッセージを受け取るのです。とにかく心が揺り動かされるのです。
 そうなると、どうしようもありません。悲しい時と同じように、泣いたりわめいたりします。旅行やお出かけの時も、幸せ過ぎたり楽し過ぎたりすると心が揺れるのです。普通の子どものように、言葉や態度で嬉しい気持ちを伝えられず、まるで嫌がっているかのように見えてしまうこともあります。それがわかってもらえなくて、僕のせいで周りの人まで不愉快な気分にさせてしまうのです。そんな時、僕はとても悲しいです。
 
できない気持ち 
 誰でも自分が簡単にできることは、他の人もできてあたりまえだと思いがちです。
 障害者にとってつらいのは、普通の人ができることができないことではなく、できない気持ちをわかってもらえないことではないでしょうか。
 できないのを、さぼっているとか、ふざけているとか、わざとしないとか言われることほどつらいことはありません。それは、普通の人と障害者の間だけでなく、障害者同士の間でも起きる問題なのです。
 苦手な事を克服する努力はもちろん必要です。けれど、障害が原因で起きることについては、急に良くなることの方が少ないと思います。ひょとすると、もうどうしようもないのかもしれません。それでも治す努力を続けていかなければならないのです。
 なぜなら、そうしなければ少数派の僕たちの居場所は、この社会にはないからです。
 誰もが必死に生きています。それは大切なことですが、そこが寂しいと感じるのは僕だけでしょうか。

理由まで決めつけないで
 何かを嫌がっているように見える時、その人が理由を話せない限りは想像するしかありません。相手の気持ちを思いやることは大切ですが、自分がこうだから、相手もこうに違いないと思い込むのは危険だと感じます。
 例えば、我慢ができない事があった場合、辛いという気持ちに共感できても、なぜ我慢ができないのかは、その人によって理由があるのではないでしょうか。
 相手の気持ちになって共感してあげることは重要だと思いますが、理由まで決めつけないでほしいのです。もし、それが間違っていたとしたら、余計に相手を傷つけてしまうからです。
 「私は、こうではないかと思っているのよ」でいいのです。
 自分の気持ちを、すべてわかったように言われると腹が立ったり、悲しくなったりするものです。普通の人でも同じように、理由を決めつけられて嫌な思いをしたことがあるのではないでしょうか。

泣くことを受け止める 
 障害があって話せないと、なぜ泣いているのか原因を知ることばかりに気を取られます。けれども、いちばん重要なのは、その子の泣いている気持ちをどう癒せたかではないでしょうか。
 泣いている原因がわかるのと、泣いている気持ちを癒すのは別だと感じます。原因を探すのが上手な人が、うまく気持ちを癒せる人とは限りません。逆に言えば、原因がわからなくても気持ちを癒すのが応ずな人もいるということです。
 大人になって素直に泣けなくなる前に、自分のすべてを受け止めてもらえる体験をすることが大切だと思うのです。
 受け止めてくれる人が、一人いればいいのです。そうすれば、人は自分を見失わずに生きていくことができるのではないでしょうか。

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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