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ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

発達障害の子を持つ親として、また医療・福祉・介護にかかわる仕事を 通 して感じたことをつづるブログです.

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障害のある子の親として

障害のある子の親である私たち障害のある子の親である私たち
(2013/09/15)
福井公子

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「障害者の親」として感じた生きにくさや社会との関係について考えた本。
 考えさせられる一冊です。そして自分の内面にも著者と同じような心性や価値意識を持っていることに気づかされます。

 (引用)
 障害をテーマにしたドキュメントはきらいです
 プロのピアニストになりました! 画家になりました! 公務員になりました!などなど
 親子でがんばって、障害があってもこんなにりっぱに育てました!というやつです
 私は苦しくなります
 私がもっとがんばって育てていたら、息子はもっとりっぱになっていたのか・・・
 しくしく胸がいたみます
 そしてつぶやきます
 私だってがんばった!
 普通の子を育てるより何倍も大変だった
 そもそも「りっぱ」ってなんなのよ
 歌も歌わないし、絵も描かないけど、うちの息子だってりっぱじゃないの
 するとコメンテーターが追い打ちをかけます
 あきらめなかったお母さんが偉いですね!
 人間の可能性は無限ですね!
 いやぁー感動しました!
 ここでも見ていられなくなって私はチャンネルを替えます
 きらいなら最初から見なければいいのに
 でも、やっぱり見てしまうのです
 

 障害のある子、お母さんの愛、がんばり、劇的な成長、このストーリーが多くの人の感動を呼びます。
 「お母さん、愛情を持って触れ合ってあげて」「偏食を治すのはお母さんの愛情がこもった料理が一番よ」
 私も何度そんな言葉をかけられたか分かりません。その度に「あなたの愛情が足りない」と言われているような気になったものです。 
 私たちはいつも、子どもとセットで評価されていることに。子どもが称賛されれば親も称賛され、子どもが何もできないと、親もだめだと言われている気がすることに・・・。
 社会はいとも簡単に「お母さんが偉い!」「お母さんが悪い!」と言ってしまう
 

 障害があることを個性だと言う人がいます
 誰でも得手不得手があるのと同じなのだと
 適切な支援があれば普通にくらせるのだと
 そういう見方もあるのでしょう。でも・・・
 発達障害児のお母さんが新聞に載っていましたが、
 写真にモザイクがかかっていました。
 個性ならどうして顔が出せないのでしょう?
 障害は社会全体で支えるもの
 障害は偏見や差別の対象になることがある
 それが障害というもの


 「『障害』なんてネガティブに考えないで、『個性の一つ』と前向きにとらえよう」と言う人がいます。けれどその考え方は、社会の在り方によって「障害」は決まるという、肝心なところに気づく機会を逃すことにつながると思います。
 私は、「障害」という言葉を、あえて「個性」と言い換えないでおこうと思います。個人だけで引き受けるものではなく、社会全体で引き受けるのが障害だという意識を持っていたいから。そして何より、障害がある子の親になっても、なお自分自身の中に根強く残っている偏見や差別を、自戒を込めて意識していきたいと思うからです。

 障害は治らないけれど、適切な教育や支援があれば必ず成長する
 今も療育関係者からよく聞く言葉です
 そして、その通りなのだと思います
 けれどその言葉は、親にとっては、とても危険な言葉です
 親は、「成長」や「発達」といった言葉の意味を〝健常”に限りなく近づくことと安易にとらえるかもしれません
 あるいは、人と違うところがあるけれど、何か特異な才能を秘めたすごい人になると思うかもしれません
 療育の専門家は発達を支援するのが仕事です
 発達にこだわるのは当然かもしれません
 でも私たち親は、どうしようもないほど手をつけられない子どもでも、障害が重い子どもも病気が進行していく子どもも、
 たとえ命が亡くなり、成長も発達も未来もなくなった子どもも、その子を愛していく・・・
 その方法をみつけていかなくてはならないのです
 人は必ず成長する!それにとらわれすぎると、私たち親は幸せにならないのです


 「障害があっても必ず成長する」。療育関係者の方からよく聞く言葉です。確かに、子どもの障害を告知されたとき、この言葉は親にとって大きな希望になるでしょう。
 しかし、それは親が障害のある子を受容していく道の、ほんの入口にしか過ぎないと。この子は一生こうなのだと、親が半ばあきらめたとき、それでも愛していこうと覚悟をきめたとき、そこからまるごとの受容の始まりのような気がするのです。
  「人は必ず成長する」、その価値観を超えるとき、私たち親は初めて穏やかな気持ちになれるのかもしれません。

 この行動さえ治れば、もっとこの子を愛せるのに・・・
 この行動をどうにかしなければ・・・
 親がそう思っている限り、その行動は続く。そんな気がします
 お母さんはこんな僕でもほんとうにほんとうに本当に愛せるのかと
 ためしている?ためされている?そんな気がするのです
 親が諦めた時、この子は一生こうなのだと
 それでも愛していこうと覚悟を決めた時
 あれっ、そういえば最近あんなことしなくなってるな、なんて思うことはよくあることです


 「元気な子どもは社会の宝」 
 こんなポスターを見かけました
 子育て支援のポスターです
 元気で良い子が社会の宝とされるから、親は追い詰められる
 元気で良い子が社会の宝とされるから、少なく産んで完璧に育てたい
 そもそも、この価値観こそが問題なのに、こんな簡単なことに誰も気づかない
 
 
 元気で良い子だけが大切にされる社会。それは、そこから落ちこぼれたら大変だという漠然とした不安を生み出します。
 多くの人が多数派の価値観だけで物事を進めようとすると、当たり前のことに気づかない事もある、障害がある子どもを持った私だから、そんな社会の問題にも、ほんの少しだけ早く気づけるのかもしれません。

 その頃の私は、私のがんばりで立派な障害者にすることはできる。何らかの仕事ができて、自分のことは自分でできる、素直で誰にでも好かれる障害者。そのために親としてできることは何でもしなければ・・・、と思っていました。
 そう思うと親仲間はライバルに見え、息子にはもっともっとの成長を期待していました。
 それほど発達にこだわるのは息子のため。そう思い込んでいましたが、本当は私自身のためだったのではないか。障害がある子を産んだことで失った自分への自信、それを取り戻すためだったのではないか。そう気づいたのはずっとずっと後になってからでした。
  私たち障害がある子の親は、社会から称賛される親に嫉妬のような感情を持つこともあります。また自分はそんなに立派な親になれないと劣等感を持つこともあります。
 社会が求めている「障害がある子の親のあるべき形」に私たち自身がとらわれ、仲間意識さえも分断させることがあるのではないか。
 
 障害がある人や家族の事が取り上げられる講演会。実は当事者や家族にはあまり評判がよくありません。
 共通しているメッセージは「がんばり」「前向き」「あきらめない」「感謝」「親子愛」でしょうか。
 障害がある人の生きづらさは、障害がある人の側に問題があるのではなく、社会の側に問題があるからだということに参加者の人に気づいてもらいたい。
 主催者側が障害者理解をテーマにしているつもりでも、私たちの想いから外れている。それどころか社会が作り上げた「障害者役割理解」や「障害者の親役割期待」を強化しているのではないかと思うこともあります。
 私は知っています。親が元気なのにヘルパーさんを利用していることを批判する人がいることも。それが私たちの地域の現状でもあることを。そんな中、参加者の期待を裏切らない、決して社会の在り方を批判しない講師を迎えることが、現実的な「障害者理解」となるのかもしれません。

 子どもたちの下校の時間帯は障害がある人が作業所から帰る時間帯でもあります。
 「不審者と間違えられてショックだった」・・。彼らの中には独り言を言ったり、ニヤニヤ笑いながら自転車に乗って変える人もいて、怪しいと思われてしまうこともあったのです。パトロールさえなければ、何事もなく暮らしていた人たちです。
 身体が不自由な人が、主に介護のために施設に入所するのに対し、精神障害や知的障害のある人は社会防衛のために、病院や施設に隔離された歴史があります。つまり社会の安全のために排除されたということです。
 「国民の安心・安全」。一日に何度も聞く言葉です。私はその度に背筋が寒くなる思いがします。それはきっと多数派の人の安心安全だから。そのために排除される人がいるに違いないから。
 社会的に孤立した人が凶悪な犯罪を起こしたりすると、すぐに厳罰を求める世論も怖いと思います。どうしてその人が孤立したのか、地域社会の在り方に問題はないのか、そして地域社会を構成している個人としての自分はどうなのか。排除の連鎖は、ますます生きづらい人をつくっていくということにしかならないから。

  入所施設へのニーズが減らないと言うのは、親亡き後、地域での暮らしがまだ整っていないということの証なのです。
 同じことが特別支援学校にも言えるのではないでしょうか。特に中学部や高等部派教室を増やさなければ対応できない状態だといいます。それもまた、障害がある生徒が地域の学校で受け入れられていない証なのではないでしょうか。特別支援教育という方向を出した今、特別支援学校を増設するのがニーズに応えるということではないはずです。
 新型出生前診断にしても、晩婚化が進み、健全な子どもを数少なくもちたいという人多くなれば、必然的にそのニーズは増えていくでしょう。だからといってそのニーズに応えていけばよいのでしょうか。それはまた、障害がある子を安心して産めない社会であると言う明白な証でもあるのです。 

 「親こそ最良の療育者」とよく言われます 
 子どもに障害があるとわかって動揺している時、そう言われると
 そうだ! なんとしてもがんばらなくっちゃ!と思います
 私もそうでした
 でも、結局私は最良の療育者にはなれませんでした
 自閉症の息子は、よく私の髪の匂いを嗅ぎにきます
 こんなとき、「療育者の私」は×を出します
 「他の女性にもこんなことをやりだしたら大変だ」
 そう言われるからです
 でも、「お母さんの私」は×が出せません
 わが子に触れられるのがいやなお母さんなんていませんから
 私は、ゆれます
 療育者か? お母さんか?
 そして、私は決まって「お母さんの気持ち」の方を選んでしまいます
 いやいや、そこを心を鬼にして療育するのがよいお母さんだ
 そう言われるかもしれません
 だとしたら、私はよいお母さんでもないのです

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医療・福祉・介護分野で仕事をしてきました。息子が発達障害をもっています。仕事や子育てを通して感じたことを個人の見解として綴っています。

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